大崎のスマートフォンに『ジェイミー』からメールが届いたのは、国際便で雑誌を送って二週間ほど経ってからのことだ。
【受け取った。今年一番のサプライズプレゼントだよ】
というメッセージにむしろ驚いたのは、世界的モデル宛の郵便物なんて、それが単なる雑誌であっても、事務所やらマネージャーやらの検閲で弾かれて本人の手には渡らないだろうと思っていたからだ。
そう思いながらも大崎が『NAO』が載った最新刊の『KANON』を送ったのは、「ナオ」捜しを買って出ながら勝手に途中下車した罪滅ぼし。『ジェイミー』本人の手に渡らなくても
——一応、報告したことになるわよね?
的な、自分の中の罪悪感からの解放にはなるだろうとの思いがあった。
——あれ、見たんだ。
ならば、「ナオ」捜しの経過報告をできずにいた理由も察してくれたはずである。「ナオ」が『NAO』で、だから『NAO』を勝手に『ジェイミー』に会わせることはできなかった大人の諸事情を。『ジェイミー』を軽んじるつもりはさらさらなかったが、何も報告できないままではそうと受け取られても仕方ない。しかしファッション雑誌の記者としては『ジェイミー』の心証が悪くなるのは痛い。それを密かに心配していた。
だから追伸で
【約束通りナオを見つけてくれてありがとう】
その一文があったことに、大崎は大いに安堵する。これで次インタビューする機会があった時も気まずいことにはならないはずだ。
そんなことを考えていた大崎は、このささやかな一件が今後にどう影響するかなど、この時知る
* * *
「正直、断られるかもと思ってた」
外資系ホテルのカクテル・ラウンジ。カウンターに座ってゆっくりと落ち着いた雰囲気の中オン・ザ・ロックを味わっていた雅紀は、隣に座る加々美がさらりと口にした言葉に視線を向けた。
「加々美さんからの誘いを断った記憶はありませんが?」
「じゃなくて、尚人君の件」
(あー、そっちね)
心の中で呟いて雅紀は手にしていたグラスをゆっくりひと回しする。丸い氷がグラスに当たって、カランと小さく音を立てた。
加々美が雅紀と尚人二人揃った会食の席で、『カウント・ダウン・ランウェイ』出演の話を持ち出したのは十日ほど前のことだ。あの時加々美に言われた通り尚人は出演依頼を真剣に受け止めて検討した。そんな尚人の相談に雅紀も本気で向き合った。
「俺は、モデルになるつもりはないよ」
それが尚人の本音。けれども
「でも、貴重な体験をすることで自分の世界が広がるのが面白いって思うのは本心で」
だからこそ迷う。
——ステージ出演は、CM撮影ともグラビア撮影とも違った、そこに立った者しか見ることができない世界がある。
加々美が言ったその言葉は真実だと雅紀も思う。
「そこに立った者しか見ることができない世界、なんて言われちゃうと。……じゃあ、このチャンスを無駄にしたら、俺はまーちゃんが見てる世界を知ることは一生できないんだなっても思っちゃうし」
そのひと言を聞くまでは、なんだかんだ理由をつけて断らせるつもりでいた。
尚人がランウェイを歩く。素直に見てみたいと思う。そして尚人が何を思うのか。その感想を聞いてみたいと思う。同じ舞台上で尚人にはどんな景色が見えるのか。興味がある。
しかしステージに立てば当然、何百何千という視線が尚人を見つめる。他人の視線に尚人が晒される。……それに対するどうしようもない嫉妬。
尚人を好きなだけ見つめる権利は自分だけのもの。その自分だけの領域を侵食される感覚にどうしようもなく気持ちがざらつく。
——しかし
ステージ出演は、雅紀のことをより深く知るためのチャンス。そんなふうに言われてしまうと、素直に嬉しいと思ってしまう。
「ナオは、俺のことを知りたいんだ」
「それは、だって。当たり前でしょ。……まーちゃんは、俺の一番だから」
なぜかそこで照れる尚人が可愛い。思わずキスをして、キスしたらそれだけでは済まなくなって、その後はベッドに押し倒して散々尚人を堪能して。話し合いはその後に持ち越しとなってしまったのだが。二人でしっかり話し合いをして、せっかくのチャンスなのだから受けようと尚人自身がそう決めた。
尚人が硬い決意でもって決めたことには雅紀とて口を出すことはできない。
尚人的には、一生に一度きりの経験、のつもりのようではあるが。
「あれだけ外堀を埋めて来ておきながら。本当ですかね」
「俺は尚人君の意思を尊重する。もし、やらないって言われたらそれ以上深追いするつもりはなかったさ」
「にしても、あのイベントは出たくても出れないモデルが多数いるっていうのに。どうしてこう、——ナオってそうなんですかね」
「お前、今更そこかよ」
「ずっと思ってますよ。どうしてナオなんだろうって」
「それこそ、今更だろ。——尚人君には人を惹きつける力がある。そういうことだよ」
だから、どうして。人は尚人に惹きつけられてしまうのか。
無限ループのような問いに雅紀はため息をひとつ落とす。
自分がその第一人者だ。という自覚は十分にある。何しろ尚人が生まれたその瞬間から、惹きつけられて離れられないのだから。独り占めしたくて、たまらなくて。子供の頃はうまくいっていたのに。尚人が成長するにつれ、尚人の行動範囲が広がるにつれ、尚人の人間関係が増えるにつれ、尚人に惹かれる者が増え、独り占めできなくなっていく。
なんだかイラついて。
ムカついて。
焦る。
腕の中に大事に大事にしまい込んでいたはずの尚人が、ある日気づけば腕の中からすっかりなくなってしまっているかもしれない。……そんな恐怖。
それにどこか怯えて。
「ホテルは同じところを取ればいい。尚人君は出番が終わればすぐに送り届ける。さすがに未成年を酒の出る深夜の打ち上げに出すわけにはいかないからな」
「了解です」
雅紀が答えると、何がおかしいのか加々美が雅紀を見遣りながら艶っぽくふふっと笑った。
* * *
尚人がカウント・ダウン・ランウェイへの出演を決意した数日後、『アズラエル』本社ビル統括マネージャー高倉真理の執務室で重要な会議が開かれた。議題はもちろん、『ジェイミー』と『NAO』を、どこでどのタイミングで対面させるか問題である。
尚人がカウントダウン・ランウェイ出演の意思を固め、『ジェイミー』の来日も正式に決定した。となれば本日の議題は避けては通れないというのが高倉と加々美二人共通の認識だ。
とは言え、
「『ジェイミー』の思惑がわからない以上、じっくりゆっくり交流を温める時間のあるタイミングで会わせたくない」
代理人加々美の主張はこれだ。高倉は加々美の懸念を疑問視しているが、代理人の意向は尊重するという姿勢である。
「じゃあ、イベント開始本番前の現場入りしたどこかのタイミングにするか?」
「けど、尚人君も初めてのステージで緊張するだろうし。別件で余計な気を使わせたくはない。本番直前に変なちょっかいを出されたくもないし」
そう思うからタイミングで悩む。
『ジェイミー』が『NAO』との面通しだけで満足してくれるのならいいが。今回のイベント出演の交換条件にしてくるくらいなのだから、加々美の警戒心だってマックスになる。とはいえ超多忙な世界のトップモデル『ジェイミー』なので、ゆったりスケジュールで来日するわけでもない。時間は有限だ。
「なら、こういうのはどうだ?」
高倉が提案する。ポーカーフェイスのままの高倉の話を最後まで聞き終えて、加々美は小さく唸った。
「結構なわがままを聞いてやるんだから、あちらさんにもそれなりに働いてもらおうってか?」
「こういうのはウィンウィンが基本だろ?」
「しかし、乗って来るか?」
「乗って来ないならそれでもいい。別にそれでこちらが痛手を被るわけでもないしな。お前にとっても悪い話じゃないだろう?」
確かに悪くはない。……が。逆にこの話に『ジェイミー』がノリノリで乗ってきた場合、『NAO』への思い入れの深さを表す気がしなくもなくて。——加々美的には何とも複雑な気分だ。
しかし一方で、今後のことを思えば『ジェイミー』がどういうつもりなのか多少なりとも確信を得ておくのは悪ことじゃない ——とも、そう思え。
「乗るか?」
高倉の問いかけに加々美は迷いながらも頷いた。
* * *
久しぶりの東京はあいにくの曇天だったが、空港のVIP専用の特別ゲートを抜け人混みに飲まれることなく迎えの車に乗り込んだジェイミーはご機嫌だった。
カウントダウンのイベントに出るための来日だが、個人的な目的は別にある。前回の初来日、その時に偶然道端で出会った大学生の「ナオ」。彼と再会する。それを果たすために結構なわがままを通してやって来た。その自覚はある。
どうして一度会っただけの「ナオ」がこんなにも気になるのか。ジェイミー自身不思議に思うのだが、「会いたい」と思うのだからどうしようもない。もう一度会って、今度はもう少しゆっくり言葉を交わして、「ナオ」のことを知りたい。雑誌掲載を知ってからは、『NAO』は一体何者なのか、その疑問を解消したい欲求も加わった。
ダニエラを通して『NAO』が『アズラエル』所属のモデルではないということは分かったが、逆に言うとそれだけしか分からなかった。
「じゃあ、なんで『ヴァンス』のモデルしてるの?」
「知らないわよ」
それ以上のことをダニエラは調べてくれなかった。というか全く興味がなさそうで、自分で調べるのも限界だった。この業界のことは世界中にいるモデル仲間に探りを入れれば舞台裏の話も結構聞き出せるのだが。何しろ『ヴァンス』といえば今まで『ユアン』独り専属で、あとはショーでスポット的にモデルを使うのみ。なのでモデル経由で『ヴァンス』の裏事情が漏れ出てくることはなく、——『アズラエル』と専属モデル契約を交わしているはずの『ヴァンス』になぜ『アズラエル』所属ではない『NAO』が起用されたのか、結局のところ分からずじまい。
——「ナオ」に会えさえすれば色々とわかるはず。
カウント・ダウン・ランウェイに出る代わりに出した条件。『NAO』に会わせて欲しい。『アズラエル』からは「了解した」との返事をもらっている。ただ具体的な日時は「調整中」と保留のままだ。どうやら『NAO』には代理人がついていて、『NAO』と会うためにはその代理人を通さないといけないらしい。
〔本日はこのまま『アズラエル』本社に直行と伺っていますが、それでよろしいですか? お疲れならホテルへお連れしても構わないと指示を受けていますが〕
ドライバーの男が流暢な英語で尋ねてくる。『アズラエル』のスタッフで桐生という男だ。ジェイミーが日本で仕事をする際にアテンド役になっている男である。
〔事務所直行で構わないよ〕
移動の機内で十分寝た。ファーストクラスは座席がフルフラットになるのでしっかり体を休めることができる。世界中で仕事をする関係で時差ボケ対策も万全だ。現地に着いたその瞬間から仕事ができる状態に整えておくのは、トッププロとしての当然の心構えである。
〔了解しました〕
必要最小限の言葉、落ち着いた物腰、丁寧な運転。ジェイミーはこの桐生という男を結構気に入っている。彼が付いていれば日本での活動は問題ない、と確信できるほどに。
だから——、
〔ダニエラは休暇を楽しんでくれて構わなかったのに〕
隣に座るダニエラにジェイミーが声をかけると、ダニエラはわずかに肩を竦めた。
〔私はあなたのマネージャーなのよ。あなたが仕事をする場に同行しないわけにはいかないでしょ〕
〔ニースより俺だった?〕
〔当然よ。愚問だわ〕
ダニエラの回答にジェイミーはくすりと笑った。