ランウェイを歩いて舞台裏に戻り、レッスン講師のアドバイスを受けてまたランウェイを歩く。尚人は今日一日新人モデル達に混じって何度もそれを繰り返しているのだが。
(うーん。まだ全然ちゃんと歩けてる気がしないんだけど)
密かに焦る。
やると言った以上はちゃんとやらないと、とは思っているが。想像以上の自分の出来なさぶりにちょっぴりへこむ。そして、その現実を前にクリスが「やっぱりやめとこうか」と言い出すんじゃないかと、そんな心配をしていた。
始めたことはきちんと最後までやり遂げたいし、雅紀が見ている世界の一端を知る貴重な機会を無駄にしたくない。そう思う気持ちに嘘はないが、——でも、もし今クリスから「今回は見送ろうか」と言う言葉をかけられたとしたら、残念に思いつつもきっとどこかでホッとしてしまう自分がいるに違いない。……という自分の心の弱さにも気づいていて。尚人はそんな自分を自覚してまたへこむ。
ショーは参加することに意義がある、——わけじゃない。
観客は完璧を求め、スポンサーは成功を求める。
演者であるモデルに失敗は許されない。
よくよく考えたら、恐ろしい世界。
モデルはただ歩くだけ——なんて思っていたら、見るのとやるのじゃ大違い。
しかし——
ステージの恐ろしさを知って尻込みしている場合じゃない。
中途半端な気持ちは、ランウェイを歩く全てのモデル達に失礼だ。
(やるって決めたんだから、ちゃんとしないと)
尚人は心の中で自分に喝を入れる。
もう少しで何かが掴めそうな気もするのだが——。
そんな時。
「みなさん。急遽ですが、先輩モデルの方がウォーキングの手本を見せてくださることになりました。客席へ移動してください」
レッスン講師が当然そう言った。そのひと言に周囲が一気にざわめく。
「え、先輩って」
「ひょっとして、 ——加々美さん?」
「え、まさか!」
「だって、ずっと客席にいたし」
「そうだけど。……いや。でも。まさか」
「もし、そうだったらスゴくない?」
「スゴイ、っていうか。ヤバイ」
皆がざわざわとさざめき合う。
「はい、皆さん。すぐ移動!」
パン! とレッスン講師が手を叩き、それでみな我に返ったように口を閉ざして移動を始める。
その流れに尚人もついて行きながら、期待感に胸が膨らんだ。
(本当に加々美さんが手本を見せてくれるのかな?)
どきどき。
わくわく。
何しろ加々美は帝王と呼ばれるほどの実力者で、『MASAKI』の実質的な師匠でもある。今ではステージモデルの第一線を
期待と興奮が隠せないといった雰囲気で、皆がランウェイ脇の客席に行儀よく並んで座る。BGMが切り替わり、今まで付いていなかったスポットライトがパッとステージを照らした。
そこに、加々美蓮司が現れる。
皆の口から思わず感嘆の声が上がった。
すごい!
スゴイ!
凄い!
加々美が登場しただけで、客席が興奮に包まれた。
皆の目の前を帝王加々美蓮司が颯爽と歩いていく。
その圧倒的な存在感。
腰の位置がビシッと決まって、ド派手なオーラが垂れ流しだ。
加々美との付き合いは、もうそこそこになる尚人だから、加々美のことはそれなりに知ったつもりでいた。イケメンという言葉は安っぽすぎて似合わない。それほどの色男。それでも、普段はヤンチャ。とても気さくで優しくて。時に厳しい。子供と大人。素人とプロ。その違いを、いろいろな言葉で、様々な体験を通して、尚人に教えてくれる。その過程でいろんな加々美の顔を見た。
それなのに——
(こんな加々美さん、知らない)
初めて見る顔。
初めて見る姿。
初めて見るオーラ。
尚人は文字通り言葉を失った。
加々美がポージングして、滑らかにターンする。ランウェイを戻る加々美が尚人の前を通過するその瞬間、加々美の視線が客席に向いて、バッチリ尚人と目が合うと、にやりと笑ってウインクをした。
その瞬間、オーラに色気がたった。
(……すごい)
表情ひとつで一気に雰囲気を変え、視線ひとつに色香が漂う。
(俺が女の子だったら、今の完全に落ちてるよ)
尚人は加々美の悩殺テクニックにただただ感心していた。
今まで無機質だった会場内に興奮という名の熱気が立ち昇るのがわかった。同じ会場でありながら、リハーサルと本番とで全く違う空気感。それを何度も味わったからこそわかる肌感覚。
(さすがカガミだよね)
舞台裏でスタンバイするジェイミーは密かに感心する。
美男美女がひしめくモデルの世界でもステージ上の雰囲気を一人でガラリと変えてしまう力を持つ者は稀だ。そういった強力な個性を嫌うデザイナーもいはするが、ジェイミーが目指すのは加々美タイプのモデルである。
モデルはただのマネキンなんかじゃない。
ステージ上をそつなく歩ければいいなんて、それじゃつまらない。
ただの布切れ一枚であっても最先端ファッションに見せることが出来る確かな着こなしのスキル。その上で放つ、観客を魅了するオーラ。登場するだけで会場が沸き立ち、ファッションに興味のない者の視線でさえも縫い止める。
ジェイミーが目指すモデル像はそこだ。
舞台裏の隙間から加々美がランウェイを戻って来る姿を確認する。その時、突然加々美が艶っぽい視線を客席に投げた。その予想外の行為にジェイミーは反射的に驚き、思わずその視線の先を追う。
(——ナオ)
加々美の視線を受け止めて、尚人の表情に恥じらいが浮かぶ。
それを見た瞬間、なぜだか気持ちがざらついた。
(どういう関係?)
しかしそれを考える
スポットライトを全身に浴びてジェイミーはステージ上に進む。
(カガミに負けない)
ほんのお遊びのはずだったのに、ジェイミーは完全にスイッチが入っていた。
加々美がランウェイを去ってそれで終わり。誰もがそう思ったのに、スポットライトはより一層煌めきを増して、ステージ上の人物を照らし出した。
「え!」
「うそ!」
「まじで!」
客席がざわつく。戸惑いと、それ以上の興奮に包まれて。
「マジか」
「信じらんねー」
茫然とした呟きをかき消して、『ジェイミー』がランウェイを闊歩する。
その姿は圧巻だった。
フレッシュな熱とカリスマのオーラ。加々美とはまた違った軽やかな色気の中にある気品。そして気概。世界のトッププロとはこういうものか、というのを誰もが感じ取るようなウォーキングだった。
その姿を舞台裏から覗き見て、加々美は思わず苦笑する。
(おいおいおいおい。本気じゃねーかよ)
ほんのお遊び。尚人に紹介する前のちょっとしたサプライズ。高倉の言うところのウィンウィン。その程度だったはずなのに『ジェイミー』のスイッチは入りまくったようだ。
加々美が今まで『ジェイミー』に対して抱いていたイメージは、仕事はきっちりこなしつつも、今時の若者らしい堅苦しさを嫌うヤンチャ気質だったのだが。
(まさかの、雅紀に負けず劣らずの負けず嫌いかよ)
スタンドインで、これほど本気のウォーキングをして来るとは思わなかった。客席にいる
加々美は思わず客席の尚人の姿を捜す。
尚人が今どんな表情で『ジェイミー』を見ているのか気になった。
すぐに尚人を見つけ、その真剣な視線に加々美は浮かべていた苦笑を引っ込める。いま尚人が何を感じ、何を考えているのか。加々美は聞いてみたくてしょうがなかった。
うそ……
まじで?
ステージ上に登場した人物が『ジェイミー』だと気づいて、尚人も周囲と同じように驚く。
モデルだと知っているからランウェイを歩いていること自体には驚かない。
ただ
—-ジェイミー、来日してたんだ。
全く知らなかったから驚いた。
ジェイミーとの出会いは今年の春。初来日で道に迷っていたジェイミーに声をかけられたのがきっかけだ。その時は、道を聞かれた外国人。それ以上でもそれ以下でもなかったが、後日ジェイミーが表紙を飾る雑誌を見かけてモデルだと知った。
知って納得した。道端で声をかけられた時から只者でないオーラただもれのイケメンだったからだ。そしてその後なぜか『KANON』の専属ライター大崎美月を経由して『ジェイミー』が会いたがっていると知らされた。尚人的には『ジェイミー』がわざわざ自分に会いたがる理由も、どうして大崎を経由しているのかも理由がわからなかったし、雅紀と一悶着あったこともあって、大崎からの申し出はその場で断った。その時大崎には「またどこかで偶々会うことがあれば、それはそれで縁があったなと思いますけど」とは言ったものの、実際のところ再会する確率は恐ろしく低いと思っていた。なんと言っても『ジェイミー』は世界のトップモデル。自分みたいな一般人とは違う世界に生きている。そう思っていた。
それなのに……。まさかこんな形で再会するとは。
——いや、これは再会とは言わないかな。
尚人は心の中で独りつぶやく。単に自分が一方的に見ているだけ。
それにしても
—-ジェイミーって世界のトップモデルなんだよね?
それなのに、気前よく新人モデルに「手本」を見せてくれるなんて。なんとなく、そのことが意外だった。
——それともモデルの世界は、こういうのが当たり前……とか?
そういえば、雅紀も休みの日に頼み込まれてスタンドインを引き受けたことがあった。
煌びやかなスポットライトの中を『ジェイミー』が颯爽と歩いていく。加々美とは全く違うオーラを纏って。
道端で声をかけてきた時とは全く違う顔。
全く違う雰囲気。
視線が縫い止められて離せない。
尚人の視線がランウェイを歩く『ジェイミー』の姿を追う。
先ほどの加々美とはまったく違う色を持ったジェイミーのランウェイ。
どっちが上か、と言うことではない。それぞれの良さがあり、それぞれの凄さがある。そして、加々美のパフォーマンスは加々美にしかできないし、ジェイミーのパフォーマンスはジェイミーにしかできない。そんな気がした。おそらく尚人が、どちらかを手本に頑張ってみたところで滑稽なだけだろう。
自分らしさの確立。それが欠かせないのだと知る。
それでいて、二人に共通しているところ。
——二人とも、すごく楽しそうに歩くよね。
大物二人の「手本」に、尚人は大事な何かを掴めたような気がした。