〔ナオ! 久しぶり〕
〔おひさしぶりだね。ジェイミー〕
〔俺のこと、覚えてる?〕
〔もちろんだよ〕
〔ナオに会いたくて、日本に来ちゃった〕
〔仕事できたんじゃないの?〕
〔仕事の方がついでだよ〕
目の前で交わされる親しげな挨拶。それに加々美はきょとんとする。
へ?
知り合いなの?
なんで?
ジェイミーとの約束を果たすため、舞台裏の手ごろな控室で二人を引き合わせたらまさかのこの展開。仲介が必要だと疑っていなかった加々美の頭に疑問符ばかりが浮かぶ。
〔さっきのステージ、ジェイミーが出て来るなんて思いもしなかったからびっくりしちゃった〕
〔そう言えばモデルだって言ってなかったっけ?〕
〔それはねぇ、本屋でジェイミーが表紙を飾ってる雑誌を見かけたから知ってたんだけど〕
〔『KANON』? あれ見たんだ〕
〔見たよ。すっごくかっこよかった〕
〔俺もナオが載ってる雑誌見たよ〕
〔え? そうなの? どこで?〕
〔ミス・オーサキがね、送ってくれたんだ。知ってる? ミス・オーサキ〕
〔『KANON』のライターさんでしょ? 一度大崎さんのインタビューの通訳を務めたことがあって。それで面識はあるよ〕
〔ミス・オーサキもそう言ってた。だからナオを知ってるって。それで雑誌を送ってくれたんだ〕
〔へぇ、そうだったんだ〕
(おいおいおいおい。……なんだか盛り上がってんじゃないか?)
加々美はにこやかに会話を続ける尚人とジェイミー二人のそばで、口を挟めずに茫然とする。
〔ナオがモデルをしてるって知らなかったから、すっごく驚いた〕
〔えーと、それについては。実はジェイミーと会った後にね。そう言う話をもらって。あれが初めてのグラビアだったんだ〕
〔そうなの? あれ、すっごくよかったし。とても初めてとは思えなかったな。『ヴァンス』って着こなすのが結構難しいブランドなのに。なんて言うか、ナオにしっくりハマってたし〕
〔ジェイミーにそう言ってもらえるとすっごく嬉しい〕
尚人がにこりと笑う。
つられるようにジェイミーの表情も緩む。
そばで見ている加々美は、何とももやもやとした心境だ。
〔でも、なんでナオが『ヴァンス』のモデルしてたの? 『ヴァンス』って日本じゃ『アズラエル』と専属契約してるんでしょ? ナオは『アズラエル』の所属じゃないって聞いたんだけど?〕
〔えーと、それは……〕
尚人が言い澱み、ちょっと困った顔をしてチラリと加々美に視線を向けた。
ジェイミーがどんな意図でもってそんな質問をしたのかわからないが、ちょっとした好奇心であっても、尚人にしてみればどう答えたものかと迷ったのだろう。
そんな尚人の視線に、加々美はようやく自分の出番と意気込んで二人の間に割って入った。
〔その辺の細かなことは契約に関わる部分なんで立ち入りは遠慮してもらいたい〕
加々美が口を挟むと、ジェイミーの視線が加々美に向いた。その視線はまさに「なんでカガミが割り込んでくるの?」と言いたげだ。一度持った会食の席では終始にこやかな笑顔を浮かべていて、若いのになかなかの如才の無さだと(あるいはマネージャーの教育が行き届いていると)そういう印象だったので、わずかでも不満をのぞかせたその視線が意外だった。でもそこにジェイミーの本心を見た気がして、加々美はいっそ清々しいほどの営業スマイルを浮かべた。
〔紹介が遅れたが、俺は尚人君の代理人を務めている。尚人君は今、俺が持ってる個人事務所の預かりなんだ〕
〔カガミの個人事務所? ナオは、そこのモデルなの?〕
〔うーん。正確にはモデルではないんだけど。大学生になって、色んなことに挑戦してみたいって言う俺の希望を加々美さんがサポートしてくれてて。今回の件もその一環って感じで〕
〔……ふーん〕
ジェイミーは一瞬何やら思案げな顔をしたが、すぐに表情を変えてにこりと笑った。
〔ま、それはいいや。ねぇ、それより、ナオ。前回は一緒にお茶できなかったから。今回はどうかな?〕
(って、えーーー?! そんなベタなナンパするのかよ!)
加々美は思わず心の中で叫ぶ。当然、周囲の大人が思っている以上に
〔ジェイミー、コーヒー好きだもんね〕
〔あれから「イチゴイチエ」についても勉強したんだ。そのこともナオに話したいし〕
〔そうなんだ〕
尚人が少し考え込む。
即答でオーケーを出さなかったことに反射的に安堵して、加々美がうまいこと断りを入れようと口を開きかけたその矢先。
〔——でも、……ちょっと、難しいかな〕
思いのほかきっぱりとした口調で尚人自身がそう言った。
〔え!、どうして〕
ジェイミーが驚きの声を上げる。その本気で驚いた顔がほんの少し見ものだった。
〔今日は、このあと衣装合わせがあってね。明日も予定が入ってるし。で、明後日はイベントの本番でしょう? そのあとはお正月だから、家で家族と過ごすし〕
〔正月って——日本では家族と過ごす日なの?〕
〔そうだよ。おせちって言うお正月用の料理を食べたり、神社にお参りに行ったり。イタリアは違うんだ?〕
〔イタリアでは、大勢で集まって皆でワイワイ楽しく過ごすんだよ。大晦日の晩からね。それで日付が変わったら乾杯して花火して。運をもたらすために古い物を窓から投げるといいっていう言い伝えがあって。それで酔っ払って皆が窓からいろんな物を投げたりして〕
〔……それは、翌日すっごいことになってそうだね〕
〔ねぇ、ナオ。イベント後が無理なら、イベント当時のランチを一緒にするのはどう? イベントは夕方からだから、ランチなら少しは時間あるよね? 別に場所はどこだって構わないんだから、この近くでも〕
〔うーん。お誘いはありがたいんだけど。でも、俺、ランウェイ歩くの初めてで。だから、イベント直前にジェイミーとランチを楽しむ気持ちの余裕はないかな〕
〔——そうなの?〕
〔うん。だから、ごめんね。せっかく誘ってくれたんだけど。今も本当は、もうちょっと練習しないとやばいなって、焦ってるくらいで〕
〔………〕
ジェイミーがあからさまにしょぼくれたのがわかった。世界トップモデルからの誘いをこうもあっさり断れるのは、世界広しと言えども尚人ぐらいじゃないのかと加々美は密かに思ってしまう。
〔……そうだね。初めてのステージなのに、邪魔するようなことしちゃ悪いよね〕
ジェイミーはそう呟くと、気持ちを持ち直したのかにこりと笑った。
〔今回は、ナオの始めてのショーに立ち会えるってことだけで良しとするよ〕
〔ジェイミーとは比べ物にならないと思うけど。今日よりは、マシなものを見せられるように頑張るよ〕
〔楽しみにしてる〕
「さ、尚人君。話はここまでにして、移動しよっか。ちょっと時間も押してるし」
加々美がタイミングを見計らって割って入ると、尚人はハッとしたような顔をして加々美を見やった。
「あ、そうですね。クリスさん、待たせてましたね」
「そうそう。じゃ、高倉。あと、よろしく」
加々美はなんとか無事に切り抜けたと安堵しつつ、尚人をさっとその場から連れ出したのだった。
* * *
「まさか二人が知り合いだったとはな」
その日の夜、自宅マンションに帰ってきたところで高倉からの電話が鳴って。諸連絡もそこそこに、加々美は今日一番の驚きを口にした。
「なんでも以前道に迷ってるジェイミーに声をかけられて道案内したことがあるって。普通さ、そんなことあるか? ジェイミーが一人で都内をうろうろしてるのもありなのかって思うし。そんな場面にピンポイントで遭遇する尚人君も尚人君って感じだし」
尚人から聞き出したエピソードを加々美が話せば、くつくつと耳元に笑い声が落ちる。
『むしろ尚人君らしいって感じがするぞ、俺は』
「まあ、そうなんだけどさ」
大物を無自覚に吊り上げるのは、ある意味尚人の得意技だ。
『何はともあれ、ジェイミーがどうして尚人君を名指ししたのか。その謎が解けてよかったじゃないか』
「まあ、その点については理解したが……」
加々美は言いながら、昼間のジェイミーの様子を反芻する。
「……ただ、懸念は限りなく黒に近いグレーになったってとこだな」
ジェイミーの態度は終始、尚人と個人的に繋がりたがっている、そう見えた。それは、初来日でたまたま受けた思いがけない親切に対する思い入れ——以上の感情があるようにどうしても感じてしまう。
『お前が気にするから、あれから少し調べはしたんだが。同性愛的な傾向は見当たらなかったぞ。これまでスクープされた恋愛遍歴を見るに、肉体的ボリュームのある華やかな女性が好みのようだし』
「巨乳系美女ってことか? そう言えば一時期セクシーさが売りのハリウッド女優とも噂になってたな」
『あれは双方いいお友達だとコメントしていたが。——ま、こう言ったスクープ記事は、どこまで事実なのかわからないってのは世界共通ではあるな』
(つまり噂はあてにならねーってことだろ)
高倉の言葉に加々美は心の中で呟く。
要は、巨乳美女好きで同性愛的傾向があるなんて噂はチラリともないからと言って、同性に対して恋愛感情を抱かない保証などないということだ。それに、恋愛感情の有無は横に置いておくとしても、ジェイミーは尚人に興味津々で、面識を持てれば満足くらいの関係で終わりたくない雰囲気がありありだった。
コミュ障と揶揄されるユアンが尚人にやたら懐いているが、ユアンには感じない危険性をどうしてもジェイミーに感じてしまうのは、尚人に向ける視線の質が違うからだ。ユアンのそれをさらりと表現するなら、ジェイミーのはしっとりとでも言おうか。それも、どことなく——と言った程度のものではあるが。——あからさまでないだけにたちが悪い。そうも思える。
『いずれにせよ。尚人君自身がジェイミーの誘いをキッパリ断ったんだし大丈夫だろう。もう二人がゆっくり対面するような時間もないしな』
「そうだな」
明後日はイベント当日。尚人には、一度きり——のつもりが、もう一度。そう思えるような体験を味わせたい。そのためのサポートを全力でするつもりだ。
『ああ、そうだ。言い忘れていたが、今日お前が尚人君連れて部屋を出て行ったああと、ジェイミーが尚人君と連絡先の交換し忘れたってひと騒動だった』
(…………)
言ってるそばからこれじゃないかよ、と加々美は心の中で毒づく。
「ジェイミーのお守りはそっちでしっかりやってくれ。俺は、尚人君のことに集中するから」
『了解』
明後日は全力ガード必須だな、と思いながら加々美は電話を切った。