「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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錯綜のステージ 8

 大晦日。ついにその日はやって来た。

(あー、とうとう本番だよ)

(今日の夕方にはランウェイ歩くって、ちょっと信じられない)

(本当は全部夢とか、……そんなことないよね)

 朝5時、いつもの時間に目が覚めて。尚人はいつも通り朝食の準備をする。てきぱきと手を動かしながらも、頭の中をぐるぐると占めているのは今日のイベント出演のことだ。

 味噌汁を作りながら、甘めの卵焼きを作る。一緒に作るお弁当はお昼用。それと今日の夜は雅紀も尚人も泊まりだから、 祐太の夜ご飯まで準備する。

「飯ぐらい勝手に食うって」

 祐太はそう言いそうだが。

 近頃は料理のレパートリーも増えて、食事の準備は自分で出来るようになった裕太だ。その気になればちゃんとできる。そんなことは百も承知。しかし一方で、祐太は自分一人となると腹が溜まれば何でもいいとカップ麺で済ませてしまうことも多々あって。それを心配するから尚人は出来る限り食事の準備はしたいと思う。それに、年の最後の大晦日に家に一人なんて、口ではどんなに威勢のいいこと言う祐太だって本当は寂しいと思っているに違いなく。一人で食べる夕飯であっても家族の誰かが作った物を食べることで、ほんの少しでも家族の繋がりを感じて欲しい。それが尚人の思いだ。

 頭の中はぐるぐるとどうしようもないことを考えていたとしても、身に染み付いた習慣で手は勝手に動いていく。朝の家事がひと通り済んだところで雅紀が起きて来て一緒に食卓についた。

 雅紀はイベント前にひと仕事入っていて、朝食を食べたらすぐに家を出る予定だ。年末の雅紀は忙しい。いつものこと。尚人は昼前に家を出て、ホテルで雅紀と落ち合うことになっている。

「ナオと一緒に家出れたら良かったのに」

 朝食の焼き魚を食べながら雅紀が愚痴る。今日のスケジュールが確定してから雅紀がこの愚痴を口にするのはもう何度目かだ。だから尚人は却って笑ってしまう。

 雅紀の予定では、今日はカウント・ダウン・ランウェイ以外の仕事は何も入れず、イベント開始ギリギリまで尚人のそばにいるつもりだったらしい。マネージャーの市川にもそのことは伝えていたらしいのだが、次々と舞い込むオファーをこなすためにはどうしたって年末ギリギリまで飛び回る羽目になるのはカリスマの宿命なのかもしれない。それでなくとも昨年は尚人の大学受験のサポートを理由に仕事をかなり絞っていたので、今年は断れない仕事も多いらしい。

「電車は乗り慣れてるから大丈夫だし。それに、現場まで車でピュッて行っちゃうより歩いた方が気持ちが落ち着くような気がするから。俺は、大丈夫だよ」

 尚人がそう言えば、何やら物言いたげな視線を向けた雅紀だったが、そのまま何も言わずにぱくりと卵焼きを頬張る。

「——うまい」

 ぽろりとこぼれ落ちた呟きに尚人は微笑む。そのひと言が何よりうれしい。

「おかわりいる?」

「いや、食いすぎると却って体がだれるから」

「じゃ、お茶入れようか?」

「もらおうかな」

「熱いのと冷たいの、どっちがいい?」

「熱いの」

 言われて尚人は緑茶を入れる。雅紀はそのお茶を飲み終えると仕事に出かけて行った。

 尚人は家を出るまでいつもどおり過ごす。洗濯物を干して、大学の課題をして。時間になって家を出る。

「裕太ぁ〜。俺、もう出るからね。ご飯は冷蔵庫に入れてるから。ちゃんと食べてね。じゃ、いってきまーす」

 珍しく裕太が玄関先まで見送りに来て。尚人はにこりと笑って家を出た。

 

 

 * * *

 

 

 尚人の「行ってらっしゃい」の言葉に見送られ、篠宮雅紀は都内に向かって車で移動中であった。

 フロントガラス越しに見える空は眩しいほどの快晴。天気予報によると日中はかなり気温が上がって年末とは思えない暖かな一日になるらしい。

(天気が良くてよかったよな)

 自分ではなく、尚人のことだ。尚人は今日の昼前に家を出て、電車で都内へ移動し雅紀と落ち合うことになっている。家から駅まで。駅からホテルまで。悪天候なら移動に難儀する。いくら尚人が「電車は乗り慣れているから大丈夫だよ」と言っても、今日が悪天候なら雅紀の気持ちはもやもやと晴れなかっただろう。

 本当は天候に関係なく朝一緒に家を出て、仕事中尚人をどこかで待たせておくかとも考えなくはなかった。どうせ同じ場所へ向かうのだから、その方が効率的とも思った。

 しかし初ステージ前に、慣れない場所で時間を過ごすのと、家でいつものルーティンをこなして過ごすのと、どちらがいいかと考えればそれは断然後者なわけで。尚人のことを第一に考えて雅紀は自分の思いを自重した。

 午前中の仕事は、ファッション・マガジン『ソランジュ』のインタビューだ。二年前、加々美蓮司がエグゼクティブ・プロデュースを務めた写真集『エレメント』の発売イベントの一環として『ソランジュ』に特集記事が掲載されたが、今日の仕事はそこから派生したようなもの。というのも、その時の対談記事が雑誌に掲載されるとなかなかの反響だったようで、「もっと『MASAKI』を知りたい」「『MASAKI』の言葉が聞きたい」という読者の要望に答える形で、翌年年明けの最新号に『MASAKI』の新年の抱負のようなものを対談形式で掲載する企画が組まれたのだ。その時は何よりも尚人の受験サポートが最優先だったので、最初はそれを理由に断ったのだが、「それが本音ならそれでいい。そのまま掲載する」と言われ、年末時間を作ってインタビューに応じたのである。それがまたまた結構好評だったとかで「弟さんの受験が終わった今年は、また新たな抱負があるんじゃないですか?」「読者の方からの『聞きたい』の要望がすごいんですよ」との熱烈オファーを断りきれず、今年もインタビューに応じることになったのだ。

 

 

 ファッション・マガジン『ソランジュ』の談話室。

「今年もよろしくお願いします」

 すっかり顔なじみ感のある女性ライターが親しげな雰囲気で雅紀を出迎えた。

「昨年の対談では、弟さんの受験サポート最優先というお話でしたが、三月ぐらいから精力的に活動を再開しているようですね」

 女性ライターがこなれた口調で切り出す。プロ意識の高い女性なので、当然この一年の『MASAKI』の活動内容は事細かく調べ上げているはずだ。

 これがミーハーな芸能リポーター風情なら、対談相手のことを何も調べずに場に臨んで

「今年一年、どうでしたかぁ?」

「一番思い出深い仕事ってありますぅ?」

「私〇〇の雑誌に載ってるの見ましたぁ。ちょー、かっこよかったですぅ」

 などなど、どう答えたものか迷う雑な質問やどうでもいい自身の感想をぶつけてくるくらいのことはする。中には女性であることを前面に押し出して、やたらとアプローチをかけてくる記者もいたりして、内心辟易することだってある。

 雅紀が今日のこの仕事を断りきれなかったのは、『ソランジュ』のこの企画が『MASAKI』にとって間違い無くプラスになることに加え、対談相手の女性ライターがきっちり仕事をする雅紀にとってもやりやすい相手であるからだ。一年を締めくくるカウント・ダウン・ランウェイに臨む前に入れる仕事としては、気持ちよく仕事ができてある意味ちょうどいい。

「例年のジャパン・コレクションの出演に加え、今年はミラノ・コレクションにも参加されていますね。海外での仕事が増えているようですが、やはり昨年とは違う心境の変化がありますか?」

「以前からいくつか海外での仕事もしていましたし、仕事を日本国内に絞ろうとしう気持ちは最初からありません。ただ、ずっと軸足は日本にあって、いろんなことのバランスの中で、どのくらいの頻度で海外で仕事ができるかという問題です。昨年は対談でも語ったとおり弟の大学受験のサポートが何より最優先事項だったので、受験が終わるまでは長く家を空けることになる海外の仕事は意図的に絞っていたと、そう言うことです」

「『MASAKI』さんにとってはやはり仕事より家族ということでしょうか?」

「そんな二項対立の話ではありません。家族を養うためには仕事をする必要がありますが、俺は家族の支えがあるからこそ仕事に集中できるんです。それにモデルという仕事は楽しいしやりがいを感じますが、自分のやりがいばかりを優先して、もしそれで家族が何らかの我慢を強いられる事になるなら俺にとっては本末転倒です」

「今年は『ミズガルズ』10周年記念DVD BOXの特典PVへも出演されていましたね。3月の記者発表の時から世間の話題をさらっていましたが、秋の発売時はすごかったですね。特に『MASAKI』さん掲載の販促ポスターが渋谷駅を占拠したあの企画は、各メディア一大事件が発生したかのような取り扱いぶりで。あの騒動『MASAKI』さん的にはいかがだったのでしょう」

「純粋に驚きました」

「と、言いますと?」

「販促ポスターというのは、文字どおり販売を促進するためのものでしょう? 今回の件で言うなら、『ミズガルズ』の10周年記念DVD BOXの売り上げにつながらないといけない。けれどもこのDVD BOXは結構な高額商品で、しかも基本は既に販売された楽曲で構成されているから、数曲新曲やら特典PVやらつけたところで、ファンの中にも買うのを躊躇する人だっていると思うんです。となれば特にファンというわけでもない人達にも買ってもらわないといけない。それで世間の注目を集めるための渋谷駅のあの企画です。『ミズガルズ』のDVD BOXなのに俺前面押しでいいのか? とは思いましたけど、それで世間の話題をさらってDVD BOXの売り上げに繋がったようですので、あれを企画した人の読みってすごいなって。純粋な驚きです」

「確かに『ミズガルズ』の10周年記念DVD BOXなのに『MASAKI』さんの方が目立っている、というのがまた世間の話題になってましたね。ネットではそれに対して肯定的な意見も否定的な意見も様々あったようですが。しかし『ミズガルズ』のPV出演は今回で既に3回目で、『ミズガルズ』ファンの中には『MASAKI』さんは既に『ミズガルズ』の一員、との声もあるようですね?」

「そう言っていただけるのは嬉しいです」

「確か、最初に『ミズガルズ』のPV出演を決めた理由が、弟さんが『ミズガルズ』のファンだったから、でしたよね?」

「そうです。その時オファーがあったいくつかの仕事の中でどれを受けようかとなった時に、弟が『ミズガルズ』のファンだって言うんで。俺がPVに出たら弟が喜ぶかな、と」

「弟さん、喜んでくれました?」

「すごく喜んでくれました。メンバー直筆のサイン入りポスターをもらって帰ったんですが、今でも大事に部屋に飾ってますよ。——弟の部屋に入るたびにメンバーと顔を合わせている感じになって、俺としてはちょっと複雑な心境なんですけど」

「そうなんですね」

 女性ライターがわずかに苦笑する。そんなこんなで対談は終始和やかに進んで、時間通りに無事終了した。

 

 

 * * *

 

 

 大晦日。ジェイミーはいつもどおりの時間に起きてルームサービスで朝食を済ますと、スエットに着替えてホテル内のフィットネスジムへ向かった。ゆっくり丁寧に柔軟して体をほぐし、ランニングマシーンで汗を流す。体が資本の仕事だから、隙間時間はできる限り体づくりに費やすようにしている。それは世界どこへ行っても同じで、だから宿泊先はフィットネスジムのあるホテルであることがジェイミーの譲れない唯一のこだわりだ。

 一時間ほどの運動を終えて、ジムのシャワーで汗を流して一旦部屋に戻る。時計を見ればイベント入りまで時間はまだ十分あった。

(ホテル周辺でも散策しようか)

 ダニエラは『アズラエル』と打ち合わせがあるとかで午前中出かけている。午後には戻ってジェイミーと一緒にイベント会場へ移動する事になっているが、それまでジェイミーは自由だ。

 本当は

〔ホテルから勝手に出ないでよ〕

 とそう言われているが、ホテル周辺をちょっと散策するくらい問題ないはずだ。

 パパラッチに追いかけ回されない、道ゆく人に取り囲まれたりしない、見知らぬ人に突然写真を撮られたりもしない。そんな普通がある日本の街歩きにジェイミーは前回の来日ではまった。ダニエラは「今だけ」「次回は日本でも騒動になる」と言っていたが、ジェイミーは懐疑的だ。なぜなら海外有名人のサイトを覗くと日本での感動体験として、

 ——子供と危険を感じる事なくゆっくり買い物ができるなんて奇跡!

 ——電車乗った。でも、誰も声かけてこない! チラ見すらない! 

 ——カメラ持ったご婦人に声かけられたから一緒に写真撮ってくれと言われるのかと思ったら、シャッター押してくれだった! 道端で撮る側に回るなんて、初体験でむしろ感動!

 ——アメリカでは絶対街歩きなんて出来ないのに、東京では誰も声すらかけてこなかった! あの有名なスクランブル交差点もフードなしサングラスなしでオッケーなんて! すごくない?

 そんな驚きの声で埋め尽くされている。日本人は概ね礼儀正しく、おおらかで親切、他人を尊重して不用意に声をかけたりしない。そんなイメージ。

 それに対して、自国で有名だからって日本でもそうとは限らない、とか。日本人はそもそも外国人に興味がない、とか。日本人は表立って行動しないだけでこっそり写真撮ってネットにあげてる、などなど。ネガティブなコメントもあるが。自国にはない自由と安全が日本にはあるのは間違いない。

 ジェイミーは、ニットの上にコートを羽織って外へ出る。

 年末最終日のせいか通りに人は少ない。道を行き交う車もあまりなく、閉まっている店も多い。ちょっと気になる喫茶店を覗いてみたがそこにも「close」の看板が下がっていた。

(うーん。日本を楽しむなら年末は避けた方がいいみたいだね)

 ひとつ勉強になったと思いながら、ホテルに戻ろうとしていたその時だった。通りの向こうを歩く人物にふと視線が止まった。止まったと言うより縫い止められた。そしてすぐに気づく。

(ナオだ!)

 なんという偶然。なんという奇跡。ジェイミーのテンションが一気に上がった。

 再び道端で出会うなんて、これはもう運命ではないのか。そんな気分にすらなった。

〔ナオ!〕

 人目も憚らずにジェイミーは声を上げる。と言っても、そもそも通りに人影などほとんどないのだが。それでも少し距離がありすぎたのか、尚人はジェイミーの呼びかけに気付く様子なくそのまま歩調を変えず通りを歩いていく。この状況では追いかけて捕まえるしかない。——が、目の前の信号はあいにくの赤。青に変わるのをもどかしく待って、ジェイミーは走って追いかけた。

 後もうちょっと。追いつきそうなその直前。尚人が方向を変えて建物の中へと消えていく。その行き先を確認してジェイミーは一瞬呆然となった。

 なんとそこは、ジェイミーが宿泊しているホテルだったのだ。

(え? 何で?)

 そう思った直後、自分に会いに来たんじゃないかと思い立つ。

 ランチを誘っていたけど断られた。でも、やっぱり気持ちに余裕ができたから、考えが変わった。連絡先を交換してなかったから、宿泊先を誰かに聞いて直接やってきた。——そいうことではないのか。

 というか、そうに違いない!

 ジェイミーは足取り軽やかにホテルロビーに歩を進め尚人の姿を捜す。すぐにソファーの並ぶ一画にその姿を見つけ、声を掛けようとしたのだが——。

 ジェイミーが目にしたのは、ソファーに座る人物に尚人が声をかけているところだった。明らかに待ち合わせをしていた雰囲気で、にっこりと微笑む尚人に相手も尚人を見やって柔らかく笑っていた。

(…………あれは)

 知っている。日本で最も有名と聞いているモデルだ。言葉を交わしたことはないが、今年初めて参加したジャパン・コレクションでは自然と目を引いたし、ミラノ・コレクションでも異彩を放っていた。

 日本のカリスマモデル——『MASAKI』。

 なぜ尚人が彼に親しげに笑いかけているのか。

 初ステージ前にランチを楽しむ余裕はないとジェイミーの誘いは断ったのに、なぜ『MASAKI』とは会っているのか。

 ジェイミーの心はただただざわついた。

 

 

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