「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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13巻、『水面の月』で来日したクリスの帰国後の話


時を待つ

「どうしたの? ずいぶん機嫌良さげだね」

 そう声を掛けられ、クリスはにっこり微笑(ほほえ)んだ。

「もちろん、最高の気分さ」

 滞在期間三日の強行来日から帰って来たばかりだったが、疲れは微塵(みじん)もなかった。インスピレーションが次々と湧いてくる。今はそれを一刻もはやく形にしたかった。

「ナオには会えたの?」

 カレルの問いかけにクリスは、もちろん、とうなずく。

 今回の日本行きの最大の目的は、アズラエルと正式に契約を交わすことだったが、クリスが個人的に楽しみにしていたのが尚人との再会だった。

 初来日で出会った、日本の高校生、篠宮尚人。彼は、カウントダウンステージ翌日の雑誌企画のインタビューで、インフルエンザでダウンした通訳のピンチヒッターとしてクリスの前に現れた。

 いや、正確にいうと、最初の出会いはその前にあった。

 撮影本番直前になってユアンの姿が見えなくなり、捜し回った先の控室に彼はいた。そして、その場で見つけたユアンは、なぜか彼の持参した弁当を遠慮なくつまみ食いしていたのである。

 ––おい、おい、おい、おい。まじかよ。

 クリスは自分が目にした光景が信じられなかった。ユアンは誰かに興味を持ったとしても、滅多に自分からコミュニケーションを取らない。ましてや、他人の食べているものをつまみ食いするなんて、これまで一回も目にしたことがなかった。ユアンは人に対してもそうだが、食に対してもあまり興味を示さない。そのユアンが、見知らぬ日本の少年に心開いている。それが、衝撃的すぎた。

 その少年がインタビューの通訳だと知った時は何の冗談かと思ったが、インタビューが終わる頃には、クリスはすっかり尚人に魅せられていた。

 聞き取りやすいきれいな発音。耳障りの良い穏やかな声。テンポの良い仕切り。言い淀むことのない端的な表現。とても、通訳を務めるのが初めてとは思えなかった。おかげで、通訳に思考を邪魔される、という時々起きる厄介な問題に、悩まされることがなかった。

 そんな彼のクレバーさもさることながら、クリスは、彼の持つ独特の雰囲気に強く興味を持った。中性的なユアンと似ているようで似ていない、静かで凛とした雰囲気。ほっそりした体つきなのに、決して儚げではなく、たおやかでしなやか。スッと伸びた背筋がきれいで、ユアンと並んだ時も、決して見劣りしなかった。

 二人並んで色違いの衣装を着せたら、きっと映えるに違いない。

 クリスの脳内に、その映像が具体的なイメージとして浮かび上がった。

 似て非なる、対となる個性の共鳴。ギャップとコモンがシンクロすることで生み出す新しい世界。

 ––いいねぇ。

 俄然、彼にモデルをして欲しくなった。だが、その願いは叶わなかった。尚人自身に、モデルをする気がない、と断られたからだ。

 しかしクリスは、完全に諦めてしまったわけではない。

 まだ機が熟していない。そう気持ちを切り替えた。

 実際、クリスの目にはそう見えた。

 彼の家庭は厄介な問題を抱えていて、ようやくその問題から解放されそうなタイミングだとクリスは教えられた。しかもまだ彼は高校生で、学業を優先する必要があるのだと。

 ならば、一年後二年後には、彼の環境は変わる。そうすれば考えも変わる。その時、同じ答えが返るとは限らない。

 ユアンだって、最初からモデルにやる気を見せたわけではない。クリスが試作品を着せているうちに、モデルはただ服を着れば良いというわけではないということに気付いて、徐々に興味を持つようになっていったのだ。

 あくまで主役は服だが、人を魅きつけられるかどうかはモデルの着こなしにかかる。その、面白さ。その、真剣勝負。それに気付いて、ユアンは本気になった。

 それと同じことが尚人に起こらないと、なぜ言えるだろう。

 大事なことは、縁を切ってしまわないことだ。

 今回の来日で、ユアンのサポートに尚人をつけて欲しいと結構無理な注文をつけたのは、それを狙ってのことである。もちろん、自分の方がわずかだが有利な立場にあると理解してのゴリ押しではあったが、見事尚人を引っ張り出して来たアズラエル側にも何やら思惑あってのことのように見えたのは穿(うが)ち過ぎだろうか。

「彼のサポートのおかげでほら」

 クリスは、スマホ画面にユアンの控え室で撮った写真を表示してカレルに見せる。画面を覗き込んだカレルは、感嘆の声を上げた。

「うわ……」

 二人が並んで微笑んでいる。とても穏やかな表情で。滅多に見ることができないユアンの笑顔もレアではあったが、二人並んでのショットがなぜか目を引く。それでクリスは思わず撮ってしまったのだ。

「やっぱり二人並ぶと、なんか良いよね」

 カレルもクリスと同じように思ったらしい。

 ユアンは衣装に着替える前のジャージ姿で、尚人は白シャツにブルーグレーのニットという大人しい服装ではあったが、

「これはこれで、『日常』をテーマにして撮ったって感じ。きっと、雑誌に載ってても全然違和感ないと思う」

 確かにその通りだが、クリスは並んだ二人を目にして、デザイナー魂が(うず)いてしょうがなかった。

『そういえば、こないだのあれ、どうしたの? 着てみたりした?』

 ショウ待ちをしていた時間、クリスが問いかけると、尚人は少し苦笑した。

『着てはみたんですけど。……その、ちょっとサイズが合わなくて』

『あー、そうなんだ。ユアンと同じくらいかなって思ったんだけど。ちょっと、測らせてもらってもいい』

 クリスがそう言って常備しているメジャーを取り出すと、尚人はすんなりOKして立ち上がった。それでクリスは、内心にんまり笑いながら、尚人の各寸法をしっかり測って脳内メモに書きつけたのである。

『なるほど。ウエスト、ちょっと大きかったでしょ』

『はい、そうです』

『んー、肩幅は同じだけど、肉付きが薄い分だけジャケットはちょっとだぶついたかな』

『ええ。その通りです』

 そういうやり取りをしていたら、なぜかユアンが尚人の横に並んだ。

『ナオ、僕より小さい?』

 どうやら背比べをしたかったらしい。それで、二人を背中合わせにしようとしたら、なぜかユアンは向かい合わせになって尚人とおでこをくっつけた。一瞬の出来事だったが、それがとても絵になる光景で、写真に収められなかったのが残念なほどだった。

『ナオと同じぐらい』

『そうだね、身長は同じぐらいかな』

 ユアンの突飛な行動にも尚人はただ微笑んでいた。まあ、若干びっくりはしていたようだったが。

「あー、やっぱり僕も一緒に行きたかったな」

 本気で残念がるカレルの様子にクリスはくすりと笑う。渡航前も「一緒に行きたい」「でも、学校あるし」と独り煩悶(はんもん)していたのだ。

「また、チャンスはあるさ」

 そうでないと困る。そんなクリスの思惑はさておき、カレルは「そうだよね」と(うなず)いてから、何か思い付いたようににっこりと笑った。

「ナオをさ、こっちに呼んでも良いよね。そしたら、僕のバイオリンも直接聴かせてあげられるし」

 アトリエに置いてる試作品も着せ放題だし?

「それも、いいねぇ」

 クリスは微笑む。

「日本の学校って、いつが休みなんだろう」

「その辺のことは、メールで聞いてみたら?」

「そうだね。そうする。今度はね、僕の通う学校の動画撮って送ろうと思ってるんだ。そしたら日本の学校とどう違うか、いっぱいおしゃべりできそうだし。絶対ユアンも興味持つよ」

 カレルはそう告げると、軽やかな足取りで部屋を出て行く。

 その背を見送って机に向かい直したクリスは、愛用しているタブレットを取り出した。ペンを使ってそれにアイデアをざっくりと描いていく。視覚化されることでアイデアはより具体的なイメージとなって立ち上がり、さらなるアイデアが生まれてくる。デザイナーとして一番楽しい時間だ。

 クリスは心弾ませながら、その作業に静かに没頭していった。

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