「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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錯綜のステージ 11

 ランウェイを終えて退場口からステージを降りた尚人は、何故だか一気に気分が高揚した。カッと体が熱を帯びて、鼓動が(はや)る。今になって緊張が追い掛けて来たような感じだった。

 足元は何ともふわふわで覚束(おぼつか)なかったが、狭い通路で立ち止まってしまうと後ろがつかえてしまうから、とりあえず前へと進む。

(俺、ちゃんと歩けてたよね?)

 ランウェイから見た景色は鮮明に覚えている。その感覚も。しかし、すべてが白昼夢だったようなそんな気にもなって。本当にランウェイを歩いて戻って来たのかどうかすら怪しく思えてしまう。夢と(うつつ)狭間(はざま)にいるような——そんな気分。胸の辺りがモゾモゾ、ザワザワと落ち着かなくて。そのくせに、何ともいえない幸福感が全身に充満していた。

 ——ステージ出演は、CM撮影ともグラビア撮影とも違った、そこに立った者しか見ることができない世界がある。

 加々美はそう言った。あれは、こういうことを言っていたのかもしれない。と、尚人は思う。今まで揺さぶられたことのない部分の感情が揺さぶられたような感覚。ドキドキとした鼓動がいつまでも収まらない。

 半ばぼーっとした、そんな状態で通路を歩いていた尚人だったが、通路脇にいた一人の男性にふと焦点が合った。『アズラエル』の『タカアキ』だ。壁にもたれかかるように立っていて、誰かを待っているように見えた。面識はないが、一時期頻繁に『MASAKI』と同じグラビアを飾っていたので知っている。

 ペコリと会釈して前を通り過ぎる。——いや、通り過ぎようとしたその時だった。

 尚人の足に何かが当たった。と、思った次の瞬間、尚人は大きく体制を崩していた。ふわふわした気分だったせいか足に踏ん張りが効かず、(つまず)いた拍子に体がそのまま前へと投げ出される。しかも、最悪なことにその先は三段ぐらいの段落ちの階段になっていて、尚人の体はなすすべなくあっという間に宙を舞った。

「うわっぁ!」

 冷や水を浴びせられたように目が覚めて、思わず叫び声を上げる。

 眼下へと問答無用にダイブするその容赦ない様をスローモーションのようにゆっくり感じながら、瞬時にいろんな事が脳内を巡った。

 これって、結構ヤバイ?

 この高さ、落ちたら絶対痛いよね。

 えっと、

 えっと、

 えーーーっと!

 どうする?

 どうしたらいい?

 大惨事の予感しかない。自分だけのことならまだしも、大事な大事なショーが行われている最中だ。できることなら大事(おおごと)になる事態は避けたい。そう思いはするのだが。

 受け身? 受け身取ったら大丈夫とか?

 って、受け身ってどうするの!

 パニックに陥りそうになりつつ頭をフル稼働させたものの、絶望的なまでに運動音痴だったことを思い出しただけで。どうしてこう自分は大事な場面でドジを踏むのだろうと、自分の間抜けっぷりを猛省しつつ、あとはもう、なるようにしかならないと、そんな諦めの境地に至った尚人だったが。

〔ナオ!〕

 なぜか正面にジェイミーがいて。

「ジェイミー。どいて! ぶつかっちゃう!」

 自分では声に出していたつもりだったが、実際どうだったかはわからない。

 とにかく尚人はなすすべなく、そのまま正面にいたジェイミーに突っ込んだのだった。

 

 

 * * *

 

 

「きゃあぁぁ!」

 バックステージに悲鳴が響く。雑線騒然とした舞台裏では怒号や悲鳴が上がる事はざらで、だからその時高倉は、一旦その悲鳴を聞き流した。

 高倉が今日バックステージに張り付いているのは、もちろん加々美に『ジェイミー』のお守りをまかされたからだ。『ジェイミー』の担当は桐生だが、加々美とああ言ったやりとりをしておいて、担当任せにしてしまえる高倉ではない。といっても出ばりすぎてもいけないので、一応現場に詰めてますよ、的な意味合いのつもりだった。桐生に途中確認したところ「ナオの出番って何番目?」「終わったら打ち上げ出るのかな?」などと軽く質問されたらしいがその程度で、さすがにショーに集中していたとの事だった。

 『ジェイミー』の出演は今年の目玉だ。特別ゲストの扱いで、開幕オープニングの一発目にド派手に登場した。会場のボルテージは一気に上がり、『ジェイミー』が登場した瞬間の観客の歓声の凄さたるや、会場建物が震えるほどだった。

 その辺はさすが『ジェイミー』だ。自分の価値も立ち位置も、求められている役割も、しっかり把握して結果を残す。尚人の出番もイベント前半の第一部だから、それを見守ってホテルに帰してしまえば、とりあえず年内の心配事はおしまいだった。

 尚人の出番直前までは加々美も近くにいたが、

「尚人君の初ステージは生で見たい」

 と言って舞台袖へと向かって行った。高倉だってもちろん同じ気持ちだったが、高倉は高倉の仕事をしにここへ来たわけで、尚人の初ステージはモニター越しで我慢することにした。

 そしてモニター越しに見守って、やはり「生で見たかったな」と思う。ランウェイの先に取り付けられている定点カメラの映像ではどうしたって捉えきれないものがある。

 『NAO』の姿がモニターから消えて、「さて、加々美もそろそろ戻ってくるか?」そう思っていた時だ。高倉の耳が女性の悲鳴を捉えたのは。一旦は聞き流す。しかし、次に聞こえた来た声に高倉は反応した。

「だ、誰か! 救護班! 救護班を呼んで!」

「担架。担架持ってこい!」

 ただ事ではない。そう判断した瞬間、高倉の体は動いていた。声のする方へ走り、そしてそこで見たのは、通路に倒れ込んでいる二人の人物だった。

(ジェイミー!)

 一人が誰がすぐに気づいて、高倉は慌てて駆け寄る。

「何があった?」

 青ざめた表情で呆然と立ち尽くすギャラリーに向かって問いかける。女性モデルは声が出ないのかふるふると首を振るばかりで(らち)が明かず、ギャラリーの中に自社モデルの『ショウ』がいることに気づいて高倉は視線を向けた。

「『ショウ』君。何があった?」

 名指しされて、『ショウ』の体がピクリと震えた。硬直した視線が高倉に向いて、戸惑うように唇が震えた。

「あの……。『NAO』君が」

「『NAO』?」

「『NAO』君が転んだはずみで『ジェイミー』さんとぶつかったみたいで」

 『ショウ』の言葉に、高倉はハッとする。

「尚人君? なのか」

 もう一人倒れている人物はうつ伏せになっているため顔が見えないが、言われて見れば『NAO』仕様の『ヴァンス』を着ている。

「尚人君。大丈夫か?」

 声をかけて肩をそっと揺する。すると小さく唸りながらもそりと動き、無意識なのだろうが自力で起き上がろうとするそぶりを見せた。軽い脳震盪状態なのだろう。反応があったことに少しほっとして、高倉は聞こえているかどうか構わないつもりで尚人に声をかけた。

「無理して動かなくていい」

 そしてようやく到着した救護班に二人を担架で医務室へと運ぶように指示を出す。心配なのはピクリともしない『ジェイミー』だった。

「高倉! 何があった」

 野次馬の騒動を聞きつけたのか、加々美が息を切らして走ってくる。そんな加々美に「ついて来い」と視線だけで合図を出して高倉が救護班と一緒に移動を開始すると、高倉の意図を過たず読み取った加々美は黙って高倉に従ったのだった。

 

 

 * * *

 

 

 今日の雅紀の出演は第二部に予定されていた。前半の第一部と第二部の間には三十分の休憩時間がある。だから雅紀は自分の出番も控えていたが、多少は時間があるからと尚人の初ステージを舞台袖で見守った。

 堂々としたウォーキングに兄として安堵すると同時に、観客が向ける熱視線に牡として苛立つ。

 尚人は今どんな景色を見ているのか。それに純粋に関心がありつつも、自分以外見なくていいと本気で思ってしまう。広い世界など知らなくていい。二人だけの箱庭で、二人だけの世界の中で生きていけばいい。外部の雑音など全てシャットアウトして、自分の腕の中で、自分の声だけ耳にすればいい。

 どうしようもない程の独占欲。それを、抑えるのに苦労する。

 尚人の兄でいたい。

 兄としてかっこつけていたい。

 尚人が自慢に思う兄でいたい。

 それも本当の思い。

 しかし一方で、ただの(おす)として尚人に欲情する。

 尚人を啼かせて、快楽に喘がせて。唯一の男であると意識させたい。

 全てを晒け出させ。体を繋げて。色欲に溺れさせたい。

 尚人の良さなど誰も気づかなくていい。

 自分一人知っていればいいのだ。

 兄として弟の成長を喜ばしく感じながらも、尚人が世界を広げて行って自分の腕の中から飛び出して行ってしまうかもしれない恐怖に怯える。

 尚人のランウェイに見惚れながら独り煩悶していた雅紀だったが、尚人の姿がステージから消えると、とりあえず初ステージが無事に終わったことに安堵した。

 余韻に浸るまもなく雅紀も舞台袖からバックステージに戻る。衣装に着替え、ヘアセットのチェックを受ける。周囲が急にざわついたのはそんな時だった。

「どうした?」

「何があった?」

 スタッフたちがザワザワひそひそ。落ち着かない空気がひたひたと蔓延する。常日頃からちょっとやそっとのことでは動じない、鋼の神経とひっそり言われたりもする雅紀なので、最初はそのザワつきも無視していたのだが。「『ジェイミー』が」やら「加々美さんも」という名前の中に『NAO』と聞こえてきてさすがに気になった。

「何やら騒がしいようですけど。何かあったんですか?」

 顔見知りのスタッフに問いかける。

「どうやら新人モデルの子が転倒したみたいで」

「転倒? ステージで?」

「あ、いや。ステージから()けて、こっちに戻ってくる通路。あそこ最後がちょと段差になってるでしょ? 危ないねって毎年言うんだけど、建物の構造上どうしようもないらしんだよね。そこでつまづいちゃったみたいで。担架で運ばれたっていうから、結構派手に転んだんじゃないかな」

「新人モデルって……」

「あの話題のCMに出てたって注目の『NAO』って子らしいよ」

 さっと血の気が引いて、次の瞬間雅紀は駆け出していた。

 

 

 * * *

 

 

「——一体、何があったんだ?」

 ジェイミーと尚人が運び込まれた医務室で加々美は声を潜めて高倉に問う。

「正直なところ、わからん」

 高倉が銀縁メガネのブリッジを軽く持ち上げて呟く。

 いつもポーカーフェイスの高倉だが、さすがにほんの少し眉間にシワが寄っていた。

「現場にいた『ショウ』が言うには、尚人君が転んだはずみで『ジェイミー』にぶつかったと。——おそらくはそのまま二人とも倒れ込んで、その時に頭をぶつけたんだろう」

「転んだだけで、こんな事になるか?」

「おそらくは、階段の上でつまづいたんじゃないかと。二人が倒れていた場所がちょうどそこだったからな」

「あそこか」

 すぐに場所の見当がついて、加々美は顔をしかめた。

 故意ではない。不遇なアクシデント。しかし、相手は世界で活躍する『ジェイミー』で、本人ならびに所属事務所への対応は必須。そしてその対応は迅速かつ丁寧に行う必要がある。後手に回ると不必要に騒ぎが大きくなるかもしれない。弁護士への依頼も必要だろう。

 加々美が善後策を思案していると、二人の様子を確認していた医療スタッフが顔を出した。

「二人とも頭を強打している可能性があります。すぐに救急車を要請した方がいいです。もし、脳内で出血を起こしていたら一刻を争います」

「了解した」

 高倉は答えると、ためらいなく携帯電話を取り出す。

 イベント会場に救急車を呼ぶのは、関係者側としてはなるべく避けたい。何かあったなというのが丸わかりで、今後絶対に大なり小なりマスコミ対応が必要になるからだ。しかし、医療スタッフの言葉を聞けばそんな悠長な事など言っていられないのは明白だった。

 血相を変えた桐生が医務室へ飛び込んで来たのはその時だ。

 騒動を聞きつけて駆けつけて来たのだろう。『ジェイミー』の所在を確認し、寝台にぐったりと横たわる『ジェイミー』を確認した桐生は顔面蒼白になった。

「すみません! わ、私が、そばに付いていなかった責任です」

 桐生の口からそんな言葉が飛び出したが、桐生はアテンド役であってSPではない。四六時中ついて回る必要はないし、今回の件が桐生の落ち度によるものではないのは明らか。だが、担当モデルに何かあればマネージャーは責任を感じる。桐生もそれに近い感覚なのだろう。

「救急車を呼んだ。桐生、裏口に誘導してくれ」

 高倉は、桐生の謝罪に対して叱責するでも慰めるでもなくそう指示を出す。桐生は頷いてすぐさま飛び出して行った。

 それと入れ替わるように雅紀が飛び込んで来た。

「ナオは? ナオはどこです?」

 加々美の顔を見るなり、雅紀が問いただす。いつも冷静沈着な雅紀のこんな表情を見るのは初めてだった。

「騒ぐな。落ち着け」

 加々美が軽く叱責すると、雅紀が瞬時はっとした顔をして、グッと唇を噛み締める。その様子に軽く息をついて、加々美は雅紀の肩に手を置いた。

「あっちで寝ている。意識は、ぼんやりしているがある」

 そう告げると、雅紀の肩から明らかに力が抜けた。

「様子を見に行っても?」

「ああ、尚人君も安心するだろ」

 加々美が頷くと、雅紀は寝台の置かれた隣の部屋へと消えていく。その背を見送って、加々美は医療スタッフの懸念が杞憂に終わることを祈っていた。

 

 

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