「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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波紋の跡 1

『それでは、続いてのニュースです。

 年末恒例、ファッション業界最大のイベントであるカウント・ダウン・ランウェイが昨年も華やかに開催されましたが、このイベントに参加していたイタリア人モデル、ジェイミー・ウェズレイさんが、イベント開催中に怪我を負い救急搬送されていたことがわかりました。

 関係者によりますと、ウェズレイさんは、自身の出演を終えた後、バックステージ通路で転倒。その際、頭部を強打した恐れがあるとのことで、大事をとって救急搬送の要請をしたとのことです。

 ウェズレイさんは、パリやミラノで開催される世界的コレクションに多数参加経験があるほか、ヨーロッパの主要ファッション誌の表紙を務めるなど、世界で活躍するモデルで、昨年初めてジャパン・コレクションにも参加しています。

 ウェズレイさんが帰国する際の空港での様子が届いていますので、ご覧ください』

 

 ニュース画面が切り替わり、空港ロビーが映し出される。

 雑多な人混みの中、見るからにモデル体型のイケメンにカメラがズームアップする。

「ジェイミーさーん! お怪我されたとのことですが、もう大丈夫ですか?」

 記者が規制線から身を乗り出してマイクを向ける。SPらしき黒服がぴったり寄り添っていたジェイミーは、記者の呼びかけにわずかに歩調を緩めて笑顔を見せた。

〔この通りさ。何の問題もない〕

「お怪我された時はどういう状況だったのですか!」

 記者の質問が終わる前に、黒服がジェイミーに何やら耳打ちする。先を促し、このまま通り過ぎそうな気配に記者も食い下がる。

「ジェイミーさん! 日本のファンに一言お願いします」

〔次は、ジャパン・コレクションで会いましょう〕

 片手を上げて爽やかに去って行く。

 その場面でこのニュースは終わった。

 

 

 * * *

 

 

 朝7時。篠宮家。

「ナオ、準備はできたか?」

 雅紀はノックもせずに戸を開けて尚人に声をかける。ベッドの端に浅く腰掛けて着替えをしていた尚人は、その手を止めて視線を上げた。

「あ、まーちゃん。もうちょっと待ってね」

 そう答える尚人の下はまだパジャマだ。着替えに時間がかかるのは捻った足首の痛みがいまだ引かないせいだろう。

「慌てなくていい」

 まだ時間はある。

 ただ、大学と言うところは松葉杖ついてでも行かなきゃいけない所なのか? とは思ってしまうが。

 年末のイベント出演後、初ステージを終えた尚人は、バックステージに戻る通路で(つまず)いて左足首を捻挫した。診断の結果は全治二週間。雅紀はしばらく家で安静にしていればいいと考えていたが、尚人が言うには、大学は特に冬休みという期間はなく、正月三ヶ日が明けると授業が始まると言う。

「なら、しばらく休んだらどうだ?」

 雅紀はそう言ったのだが。

「どれも受けたくて取ってる授業だから休みたくないし。それに、出さなきゃいけない課題レポートもあるし」

 尚人がそう言って譲らない。ならば、ということで雅紀が送迎することになったのだ。

「でも、まーちゃん。本当に大丈夫? 俺送って行くと遠回りになるでしょう?」

 着替えの手を止めた尚人が、そのままちょっと上目遣いで雅紀に問いかける。このくだりは散々したのだが、いまだ往生際悪く口にする尚人に雅紀は小さく息をついた。

「どうせ俺も都内に向かうんだし」

 多少の遠回りは事実だが、尚人を送るのは苦でも何でもない。

「それに、ナオ。足が治るまで電車での登校は認められない。それは、散々言っただろ?」

「………………うん」

 どうしても大学に行きたいと言う尚人に雅紀が出した条件だ。尚人は一回松葉杖生活をしたことがあるから勝手はわかると言い張ったが、雅紀的には松葉杖をついて電車に乗るなど危険しかない。そんな状況は絶対に認められなかったし、

「心配すぎてとても仕事に集中できない」

 と言うのも本心だった。

「ほら、着替え手伝ってやる」

 雅紀はそう言って、パジャマの下に手をかける。尚人を脱がすのはお手の物だ。軽く腰を浮くよう促しするりとはぎ取る。捻った足首に負担をかけないよう慎重に着替えのパンツに足を通す。細身のパンツを履くことが多い尚人だが、今日はサポーターで固めた足を楽に通せるようストレッチのきいた少し太めのパンツだ。ダボっとしたシルエットが、これはこれで尚人に似合う。

「荷物はこれだけか?」

 雅紀は机の横に置かれた鞄を手に取る。持って行く物は寝る前にきちんと揃える。尚人の子供の頃からの習慣だ。

「あ、うん。それとキッチンのお弁当」

 尚人の言葉に、雅紀は鞄を手にキッチに向かうと、食卓に弁当と水筒が詰め込まれたランチバックがちょこんと置いてある。それも一緒に車へと積み込む。

「忘れ物ないな?」

「うん。大丈夫」

 松葉杖をついて立ち上がる尚人をサポートしつつ、車へと誘導する。助手席のドアを開けてエスコートしてやり、シートベルトを締めてやるところまで忘れない。

「よし。じゃ、出発するか」

 サングラスを掛けると雅紀は車を発進させた。

 

 

 

 

 何度か送迎したことのある大学までの道のりは、ナビに頼らずとも頭に入っている。雅紀は正月明けすぐの()いた道路をスムーズに運転しながら、尚人が怪我をしたあの日のことを思い返していた。

 あの日、——カウント・ダウン・ランウェイに出演した尚人が初ステージを終えて、バックステージへと戻る途中、通路で(つまず)いて()けて、担架で運ばれたと聞いた時は本当に肝が冷えた。転倒したと聞いた場所が場所だけに、打ち所が悪ければ軽症では済まないと瞬時に脳裏によぎったからである。

 かつて尚人は、自転車通学の男子高校生ばかりを狙った悪質な暴行事件の被害にあったことがある。その時、突然かかって来た見知らぬ電話。下校中に事故にあって病院に運ばれたと聞かされて。深夜の病院に駆け付けそこで見た、ベッドに力なく横たわる尚人の姿。顔面は血の気が引いて真っ白で、頭部に何重にも巻かれた包帯が目に痛かった。雅紀が到着した時はすでに薬が効いてぐっすり眠っていたが、薬のせいだと説明されても翌朝目を覚ますまで気が気ではなかった。

 あんな経験はもうごめんだ。心底そう思っていた。

 それにあの時の、全身打撲と捻挫という外傷は、他人からしてみれば「不幸中の幸い」「とにかく命に別状がなくてよかった」という程度のものだったかもしれないが、予想外の転倒による頭部への強い衝撃は無意識化に強い恐怖を植え付け、その後尚人はPTSDを発症して何度も苦しめられることになった。

 自分でもコントロール不能で、いつ引き起こるのかわからない発作。落ち着いて来たかと思えば些細なことでぶり返し、平気なフリをしていても確実に尚人を消耗させている。

 ありとあらゆる苦難から尚人を守り、ありとあらゆる苦痛を尚人から遠ざけたいと願っているのに。

 あの悪夢の再来かのような出来事。そして二度目は「不幸中の幸い」では済まないかもしれない、と反射的に思ってしまう恐怖。

 あの日。周囲のざわめきを聞きつけて、医務室へと駆け込んだ雅紀が気が気ではなかったのは、そう言った危惧も抱いていたからだ。

 だから——

「……ま、……ちゃ?」

 雅紀の呼びかけにうっすらと目を開けて、反応があったことにひとまず安堵した。

「ナオ。大丈夫か? どこか痛いところはないか?」

 頭をそっと撫で怪我の具合を確認する。ぱっと見外傷はないが、これだけ意識が朦朧としていると言うことは相当な衝撃を受けたのだろう。内臓の損傷のようなことも心配だったし、近頃治っていた発作の再発も心配だった。

「……心配かけて、ごめんね」

「謝らなくていい。ナオの心配をするのは俺の特権なんだから」

「……俺、ホント……… 〜 〜 〜 ——-。ジェイミーに、も、………あやまらな………きゃ」

 ぐったりと寝台に横たわった尚人が途切れ途切れに呟く。途中うまく聞き取れなかったが、『ジェイミー』の名前を口にしたのはわかった。

 その事実に、雅紀は反射的に眉を寄せた。今この瞬間の、意識が朦朧としている状態にありながら尚人が別の男の名を口にしたと言う事実が、どうにも雅紀の神経をざらつかせた。

 これについては後ほど、尚人が転倒した時にその場に居合わせたジェイミーを巻き込んでしまったからと知ったが、それでも雅紀の心のざらつきは解消されることはなかった。

 いや、むしろ雅紀をより懸念させることになった。

 なぜなら、尚人が罪悪感を抱く理由が正当であればあるほど、尚人の心の中に『ジェイミー』が住み着く理由になってしまうからだ。

 尚人の心の中に自分以外の男が、それが如何なる理由であろうと、住み着くことは許せない。完全なる嫉妬だ。もちろんわかっている。そして雅紀は、その嫉妬をエゴと自省するなんてことはしない。

 尚人は俺のもの。——俺だけのもの。

 身も心も、思考さえも。

 他人が割り込んでくることは許さない。

「ナオ、帰りも迎えに行くから、終わったらちゃんと連絡入れるんだぞ」

「うん。わかった」

「変に気を回して、一人で帰ったりしたら許さないからな」

「……う、うん。ちゃんと連絡するから」

「無理はするな」

「うん。わかってる」

 ホントか? 雅紀はほんの少し疑いつつ、尚人を送り出した。

 

 

 * * *

 

 

 モデル事務所最大手『アズラエル』本社、高倉真理の執務室。いつもはそこはかとない緊張感漂うこの執務室も、正月休み明けのこの日ばかりはしっかり休養した後の穏やかな空気が多少なりとも漂うものなのだが、——今年は違った。

 例年なら艶悪(いろあく)めいたフェロモンをナチュラルに垂れ流しながら軽やかな新年の挨拶と共に顔を出す加々美が、真剣な顔して革張りのソファーに座っている。若干、前のめり気味に見つめているのはモニターで、映し出されているのは年明け今日まで各局で放送されたニュース映像だ。

 もちろん、年末に行われたカウンド・ダウン・ランウェイに関するニュースである。今年は誰が出演しただの、どういう演出だったかなど、一般人が入れないステージをチラ見せする民放番組が例年いくつかあるのだが、加々美が気にしているのはそう言う(たぐい)のニュースではない。舞台裏で起きたあの騒動がどの程度世間漏れしているのか。どの程度世間の関心をさらったのか。それを確認しているのだ。

「思ったほどは取り上げられてないな」

「まあ、正月三が日はどの局も撮り溜めした特番だらけだからな。もともとニュース枠自体が小さい」

 チェックを終えて加々美は小さく息をつく。どちらかと言うと安堵のため息だ。この程度で済んでよかった。そう思った。

 あの騒動の際、加々美は「大変なことが起きた」と内心青ざめ、救急搬送する事態に至ってはとにかく二人の無事を祈りつつ、下手にマスコミ連中に騒がれると厄介だと危惧していたのだが、この様子ならこのままこれで収束しそうだ。

 メディア各局が休みに入る大晦日の出来事だった事もタイミング的には恵まれたし、世界で活躍するモデルとは言えジェイミーの知名度が日本ではまだまだだったことも幸いだったと言える。

 そのジェイミーだが、救急搬送時は意識がなく心配したが、病院に到着する頃には意識を取り戻した。全身打撲の診断だったが幸いにも軽傷で、多少の痣はできたが一晩の経過観察入院で済み、一昨日予定通り帰国した。

 一方の尚人は、(つまず)いた際にどうも足を捻ったようで全治二週間の捻挫という診断で、ジェイミーの助けがなければもっととひどい怪我をしていだだろうことを思えば不幸中の幸いであった。

 二人とも大怪我でなくて良かった。とは加々美の本音だが、ただ、ジェイミーのマネージャーであるダニエラは怒り心頭で、危険箇所への対策を怠った運営側への責任追及とジェイミーが怪我をする直接的原因となった尚人に対し損害賠償請求を辞さない構えを見せている。加々美はその対応に追われている最中で、とりあえず互いに弁護士を入れるというところまでしか話が進んでいない。

 加々美的には「あれは不運な事故であり、故意ではないのだからこちらに非はない」と言いたいわけではないが、相手に言われるままに過大な謝罪や賠償をする事態は避けたいと思っている。責任の範囲を明確にすることが何より尚人のためだと思ってるからだ。

 病院での診察を終えて、意識がはっきりしてきた後の尚人の気落ちのしようと言ったらなかった。ジェイミーを巻き込んでしまった、ジェイミーに怪我をさせてしまった、泣きそうな顔で何度もそれを繰り返し、自分みたいな素人があんな大事なイベントに参加したのがそもそも間違いだったと口にされると、加々美は心のいろんな部分が痛んだ。

 尚人の参加を強く望んだのは自分を含めた周りの大人達。そして加々美は密かに今回一回きりの参加で終わらせたくない、と思っていた。今だってまだ思っている。だが、今回の出来事が尚人の心理状態にかなり影響するのは間違い無く、騒動の決着の付け方を間違えば時間をかけてようやく口説き落とした尚人を失うことになりかねない、という強い懸念が加々美にはあった。

 そんな状況の中で外野の騒動を歓迎しないのは当然のこと。最近の世の中は、聞きかじりの情報で勝手に想像を膨らませて事態を複雑にねじ曲げてしまうということが往々にして起きてしまうから、下手な炎上でこれ以上尚人の心に負荷をかけたくなかった。

 それもあって、ニュースの取り扱いが小さかったことにひとまず安堵したのだ。

 明日明後日になれば、生番組のワイドショーの放送が開始される時期になるが、今回の件はそう言った番組で扱うほどビックなニュースでもなければフレッシュなニュースでもない。それを考えれば、あとは当事者間で冷静に話し合えばそれなりの落とし所で決着するだろう。尚人へのフォローはその後時間をかけてゆっくりすればいい。

 そう思っていたのだが——

 加々美はこの時まだ知らなかったのだ。

 「自分の不注意で(つまず)いた」尚人がそう言うのだから、そうなのだろうと。それを信じて。と言うより、それ以外の事が念頭に浮かぶことがなくて。

 尚人の転倒にはとある疑惑があり、それが波紋を呼ぶことを。

 ゴシップ誌がそれをスクープするのにさほど時間はかからなかった。

 

 

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