年明け一発目の講義で松葉杖を付いた尚人の姿に安藤は驚いた。
「どうしたんだ、その足」
問いかけると年末に自分の不注意で足を捻ったと言う。それで今日は兄に大学まで車で送ってもらったとかで、どうりで電車内で姿を見かけなかったはずだと納得した。
「大丈夫なのか?」
「うん。固めてるおかげか、痛みはそんなにないかな」
尚人は平然とそう言うが、やはり教室の移動はそれなりに難儀している様子があったので、荷物を持ってやったり、エレベーターでの移動をサポートしてやったり。……したかったのだが、いつも尚人にべったりの鷺原がなんだかんだと邪魔をした。
なぜ鷺原はああも自分は尚人の特別みたいな感じでいるのだろう。安藤は不満でしょうがない。
鷺原はいつだってそうなのだ。あのCMデビューの時だって、周りはみんなびっくりしてたのに一人だけ「あの話やっぱり受けたんだな」なんて知った顔だったし、雑誌にデカデカ
そういったすべてに安藤はもやもやした気分になってしまう。
午前中の講義が終わり昼はいつも通り学食へ向かった。本当は尚人と二人でゆっくり昼休憩できたらいいのだが、やっぱり鷺原が当たり前についてくる。兎にも角にも三人で学食へ向かって、足がこんなだから今日はさすがに自前の弁当はないだろう——だから、オーダーやら配膳やらのサポートをしてやろうと思ったのだが、違った。
「今日もちゃんと弁当作って来るなんて。なんか、さすが篠宮だな」
「え、別に。台所に立つのは問題ないし」
「そんなもん?」
弁当持参がそんなに驚かれるとは思わなかった、といった様子の尚人に安藤は感心すべきか呆れるべきか悩む。
実家暮らしでは台所に立つのはカップ麺を食べるためにお湯を沸かす時か、ほんのたまに手伝いで食器を洗う時か。家事全般なんでもこなすらしい尚人の生活ぶりを聞いて「少しは自分も」と安藤も思いはするのだが、全然実行には移せていない。
「たまーに足のこと忘れてお醤油取ろうとしてズキーンってきちゃったりもしたけど。概ね大丈夫」
「それって、本当に大丈夫なのか?」
尚人はしっかりしているようで時々抜けているので安藤はちょっと心配になる。捻挫は甘く見ると癖になる。捻ったところを無意識に庇おうとして別のところを悪くしたりすることもある。完治するまで無理しない、は結構重要なのだ。
「帰りはどうするんだ?」
「えっと。帰りも兄が迎えに来るって」
「そうなんだ。じゃ、そこまで荷物持ちしてやるよ」
「え、悪いし、大丈夫だよ」
「こう言う時はな、ありがとうって言っとくんだよ」
安藤が生姜焼き定食を口に運びながら言うと尚人は小さく苦笑した。
「……あの、申し出は本当にありがたいんだけど。本当に大丈夫だよ?」
そんな尚人の様子に何か思ったのか、黙々と丼ものをかき込んでいた鷺原が唐突に割って入った。
「よし、じゃあ。俺もつきあう。迎え待ってる間、イタリア語の練習相手になってくれよ」
「それは構わないけど」
尚人が小さく首を傾げると鷺原が勝手に頷く。
「じゃあ、決まりな」
さも当然という顔で話に割って入ってきた上に、何気に尚人が断りにくい状況にさらりと持っていった鷺原に安藤はイラッとした。
今日最後の講義が終わって尚人が兄に連絡を入れると迎えが来るまで一時間ぐらいかかると言う。ということで、時間になるまで学生ラウンジで時間をつぶそうと言うことになって三人で移動した。
ラウンジの席を適当に陣取って座り、鷺原と尚人がイタリア語と時々英語混じりで会話する。安藤もちょいちょいそれに混じったが二人ほど外国語が堪能ではない。鷺原の「聞いているうちにだいたい覚える」とかいう嫌味な語学センスには腹が立つが、さらにその上をいく尚人の語学力にはただただ感心しきりだった。
(てかもう、イタリア語ペラペラじゃん?)
この短期間でどうしてこんなに喋れるようになるのか、安藤には不思議でしょうがない。
一時間ほど経過して尚人が待ち合わせの門まで移動すると言うので当然ついていく。門が目の前に見えて尚人の携帯電話が鳴った。どうやらメールを着信したらしい。
「もうすぐ着くみたい」
メールを確認した尚人がそう告げる。
「じゃ、ちょうどよかったな」
そう言いながら門を出た直後だった。
「こんにちはー。『NAO』さんですよね?」
馴れ馴れしげに声をかけてきたのは中年に足をかけたぐらいの男性だった。着古した紺のダウンに色あせたジーパン。メガネこそちょっとおしゃれなスクエアだが、それが却って胡散臭さを生んでいた。
「知り合い?」
安藤が小声で問うと尚人はちょっと小首を傾げて呟く。
「たぶん……知らない人だと思うけど?」
「ちょっと、話を聞きたいんだけど、いいかな?」
「何の話です?」
答えたのはなぜか鷺原だ。
「答えるかどうかは内容次第ですけど」
「君には聞いてないよ」
男は軽く微笑んだまま鷺原をバッサリ切り捨て、名刺を取り出す。
「私はこう言う者なんだけどね」
横から覗き込むと、名前と携帯電話の番号のみが書いてある至ってシンプルな名刺で、安藤はその胡散臭さにそっと眉を寄せた。
(名刺って、社会的所属が書いてあるのが普通じゃ?)
なぜなら名刺は基本的にはビジネスシーンで必要なものであり、そのため会社名や所属、あるいはどんな職業を担っている人間であるのかを相手に伝えるためのツールだからだ。
これではまるで一昔前のナンパである。
「出演したカウント・ダウン・ランウェイの感想を聞きたくてね。その足、イベントで怪我したんだよね?」
(は?)
男の言葉に安藤は驚く。色々と突っ込みどころが満載だったが、一番は男が口にした「出演したカウント・ダウン・ランウェイ」の部分だ。
ファッションにそこそこ興味のある安藤は、カウント・ダウン・ランウェイがどう言ったイベントであるかそれなりに知っている。ジャパン・コレクションなどと同じ一般非公開のショーだが、デザイナーが新作を発表する場であるコレクション・ショーとは異なりモデル披露の面が強いファッションイベントだ。日本で活動するモデルの夢の舞台とまで言われており、ファッション雑誌のインタビュー記事にもよく新人モデルが「カウント・ダウン・ランウェイに呼んでもらえるように頑張る」とか「カウント・ダウン・ランウェイに出るのが目標」などコメントしており、素人ながら雑誌で人気のモデルでも簡単には出られない舞台なんだな、との認識だった。
(それに、篠宮出てたんだ)
純粋に驚く。
でも、同時に納得する。
CMで見た尚人。
雑誌のグラビアで見た尚人。
どちらも静かで穏やかでたおやかでしなやか。独特の雰囲気があって、一度視界に入れてしまうと惹きつけられて魅せられる。視線を捉えて離さない不思議な引力があって、きっとそれはステージでも発揮されたことだろう。
(で、それで怪我って?)
思わず尚人の足元を見てしまう。自分がドジ踏んで捻った。尚人はそう言っていたはずだが。
門前に一台の車が横付けしたのはその時だった。運転席から圧倒的なイケメンが颯爽と降りてくる。
(え! 『MASAKI』!)
反射的に驚く。いや、これは驚かない方がおかしい。
イケメンもここまでくると言葉を失う。と言うのを安藤は実感する。そして同時に変な非現実感に包まれる。目の前に突然CG? そのくらいのインパクトだった。
「ナオ、遅くなった」
(へ? 何? どういうこと?)
「ううん。今来たところだから」
「こちらは?」
「鷺原と安藤。大学の友達だよ」
「そう。わざわざ付き添ってもらって悪いね」
「いえ」
答えたのは鷺原で、安藤は驚きのあまり喉の奥が張り付いて声が出なかった。
(——て、何で鷺原。そんなに反応普通なんだよ)
あまり芸能人とかに興味なさそうだから『MASAKI』のことも知らないのかも。などと思ってしまう。
いや、それでもこれほどの非現実的イケメンには問答無用で圧倒されるが普通ではないのか。——などと思ってると、『MASAKI』の登場に一番あからさまな反応したのは胡散臭い中年男だった。
「これはこれは。『MASAKI』さん。こんなところでお目にかかれるとは。怪我した弟さんのために、わざわざお迎えですか」
(は?)
「ちょうど『NAO』さんにカウント・ダウン・ランウェイの感想をお聞きしていたところなんですけどね。『MASAKI』さん的にはどうなんでしょ? 『ジェイミー』さん側は訴訟も辞さないって話らしいじゃないですか」
「ナオ、助手席乗って。じゃ、二人とも本当にありがとうね」
「だけど弟さんも実は被害者ってことだったら、やっぱり兄として黙ってられないじゃないですか?」
最後まで胡散臭い男をガン無視して『MASAKI』は尚人を乗せてあっという間に走り去る。
本当に、あっという間の出来事だった。
「タイミング失敗したな」
男はそう呟くと、自身の手に残ったままの名刺をポケットに突っ込んでこちらには一瞥もくれることなく去っていく。
後には安藤と鷺原、二人が門前の路上に残された。
「じゃ、俺も帰るわ」
何事もなかったかのように鷺原が言う。
その軽く上げられた手に安藤は不本意ながらしがみついた。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待て!」
「なんだよ」
「お前、知ってたのか?」
「何を?」
「いや、篠宮が。あれって」
「あれって何だよ」
「…………『MASAKI』の弟」
「ああ。知ってたけど?」
それが何? と言う視線がむかつく。……が、苛立ちを抑えてさらに問う。
「なんで?」
「何でって。翔南高校出身の篠宮って言えば、俺たち世代じゃピンとくる奴の方が多んじゃないか?」
「篠宮って翔南高校出身なの?」
「ああ、そうか。俺は高三の時、即興英語ディベートの全国大会の決勝の相手が篠宮のいる翔南高校だったからな。あの時会場に兄貴もいたし。俺の中じゃあの二人が兄弟って当然の認識だったわ。じゃ、俺はこれで」
鷺原はそう言って道路の向こうへと消えていく。それにプイッと背を向けて
(『MASAKI』のこと兄貴って。……なんだそれ)
安藤は今日イチ、ムカついていた。
* * *
尚人を助手席に乗せてアクセルを踏み込んだ雅紀は、少々どころか結構腹を立てていた。
記者、と
大学の門は一つじゃない。どこから出てくるかは賭けのはずだし、高校までと違って授業終わりが同一ではない。それを考えるとかなり運が良かったのか、それとも構内からつけていたのか。いずれにせよ、尚人をターゲットに大学まで調べ上げて待ち伏せしていたのだから、これからも同じことが二度三度、繰り返される可能性がある。
昨年までなら「未成年の一般人」であることを盾に牽制できたが、CMデビューした今では使えない。何を言われても無視することはできるだろうが、かけられた言葉に、向けられた悪意に、尚人の心が傷つかないとも限らない。そこまではなくとも、不安に心が揺さぶられる、そんなことだってありえる。
今だって、男から発せられた『ジェイミー』の名に尚人の心が無反応だったとは思えない。年末イベントのあの事件の後の尚人の様子を思い返せば容易に想像がつく。だが、それをわざわざ確認するのは嫌だったし、雅紀が問いかけることで尚人のあやふやな気持ちが言語化されてしまうことも嫌だった。
とりあえずマスコミ対策は後でじっくり考えるとして、尚人が今日一日の終わりに考えることが自分だけのことであって欲しい。雅紀はそんなことを考えながら帰宅した。
「ナオ。ここ座って。体マッサージしてやるから」
尚人が風呂から上がってくるのを待ち構えていた雅紀は、柔らかく微笑んで手招きする。
「え? まーちゃん、急にどうしたの」
「だって今日は疲れただろ? 昨日まで家で大人しくしてたのに一日中松葉杖ついて動きまわったんだからな。それに、松葉杖使うとどうしたって左右のバランスが悪くなるから、ちゃんと体ほぐしとかないと」
ほんの少し戸惑いの表情を浮かべる尚人に雅紀は言葉を重ね、促すように座る場所をポンポンと叩く。
「そう? でも、……まーちゃんだって疲れてるのに、なんか悪いよ」
「ナオ」
素直にうんと頷かない尚人に対し雅紀がほんの少しトーンを落として名を呼ぶ。すると案の定、尚人の視線がわずかに揺れた。
「あの、……じゃあ、お願いしようかな」
遠慮がちにそう言って雅紀に背を向けて座る。
雅紀は小さく笑うと、眼前に差し出された尚人のうなじを舐めるように見つめながらほっそりとした肩に手を置いた。
そして首筋から肩甲骨にかけてゆっくりと指圧する。
「ちょっと左の方が張ってるかな。ほら、ここ。わかる? 左の方がちょっと硬いの」
「う、うん。なんか、そこ押されるとちょっと痛いかも」
張っている部分を丁寧に揉みほぐす。そうしていると最初こそ緊張気味だった尚人の体から徐々に強張りが抜けていく。
「ナオ、ベッドにうつ伏せになって。背中から腰にかけてもマッサージしてやるから」
雅紀がそう言うと尚人は言われるがままにベッドにうつ伏せになった。
雅紀は躊躇いもなく尚人のパジャマをまくりあげ、あらわになった背中をスッと撫でる。
ピクリと尚人の体が反応した。
その反応が雅紀を煽る。
「この辺かな?」
雅紀はそう言いながら、指圧しては撫で、指圧しては撫でを繰り返し、マッサージと称して徐々に臀部まで剥き出しにする。
雅紀が触れるたびに尚人の体がピクピクと反応し、尚人は抱えた枕に熱い吐息を噛み殺している。
その様に、雅紀は思わず舌舐めずりした。
「あ、ここ。まだあざが残ってる」
雅紀はそう呟いて、横腹を舐める。
「んんッ!」
尚人が鼻にかかった吐息を漏らす。
「あ、ここも」
くちゅり…、と太腿を吸う。そんなことを繰り返していると尚人の息が徐々にみだらに熱を帯びていく。
室内の空気さえも色めいて、甘くしっとりとした気配に満ち始める。
「ま、……まーちゃん」
「ん? どうした?」
「そこは……。だ、……ダメ」
「何が? マッサージしてるだけなのに。感じちゃったかな?」
雅紀は尚人の下腹部に手を伸ばす。硬く立ち上がったそれを軽く握ると尚人の息がさらに上がった。
「怪我してからお預けだったもんな。たまっちゃってた?」
耳たぶを
「どう言えばいいんだった?」
して欲しいことは言葉にしなければしてやらない。これまで雅紀が散々尚人に刷り込んできたことだ。
「しゃ、……しゃぶって」
羞恥と興奮が混じった声で尚人が啼く。
「俺の、しゃぶって。お願い。まーちゃん」
「それから?」
「先っぽぐりぐりして、乳首も舐めて噛んで」
「いいぞ。ちゃんとおねだりできたからな。ナオの好きなとこ全部いじくり回して、ぐりぐり揉んで、舐めまわして吸ってやるよ」
雅紀は甘くささやくと尚人を上向かせて下着を剥ぎ取る。
「ほら、ナオ。足開いて。じゃないと、舐めてやれないぞ?」
雅紀が促すと尚人が足を開いて全てを曝け出す。
雅紀はその姿に満足げに微笑んで、たっぷりとそして執拗に尚人の物をしゃぶり尽くしたのだった。