「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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波紋の跡 5

 『タカアキ』は『アズラエル』期待の新人としてデビューした。街角でスカウトマンの目に止まった見た目の良さに加え、がんがん行こうぜという勢いのあるキャラクターが受けてスタートはとても順調だった。『アズラエル』という看板あってのこととは言え、デビューしてすぐに老舗宝飾店とのスポンサー契約が決まったし、カウント・ダウン・ランウェイ出演も果たした。このままいけば事務所の新たな『顔』になってくれること間違いなし。そうした期待感に溢れるポテンシャルを持っていた。

 『タカアキ』を加々美二世にする。『アズラエル』としてはそうした思惑があった。人たらしでヤンチャ。ポジティブでワイルド。加々美が第一線を退(しりぞ)いたことでぽっかり空いたその席に『タカアキ』を据え、事務所の看板を背負うモデルに育て上げる。そうした方針があって『タカアキ』には新人としては破格の初期投資がかけられた。もちろんのことながら、その方針決定にはモデル部門本部長である榊も深く関わっている。

 榊は、『タカアキ』が周囲の期待値を勘違いして増長し、それが元であちこちで細々としたクレームを生じさせていることは当然承知していた。しかし社会的に問題となる不祥事を起こしたわけでもない『タカアキ』の言動は業界的に見れば些末なことに過ぎなかった。

 『タカアキ』が事務所の大先輩である加々美にかまって欲しくて積極アピールする姿も最初は皆微笑ましく眺めていたのだし、他事務所の『MASAKI』にライバル心剥き出しな姿勢も現場ではどちらかと言うと好印象だった。

 ただ、どちらもやり過ぎた。これは明らかにマネージャーの失敗だ。新人に自信を持たせるため多少調子に乗せるのは必要だが、勘違いし過ぎないよううまくコントロールするのがマネージャーの仕事。手綱は常に握っておく必要がある。しかし加藤はそれに失敗した。その結果として生じたのが『ジュエリー・テッサ』の一件であると榊は分析している。これ以上の放置は危険。そう感じてマネージャーの交代を決めた。珍しくも加々美から苦言を呈されたように「最悪なことになる前に」経験の浅い加藤からベテランの狭山に変えて緩んだ手綱を引き締め直すことにしたのだ。なにしろ『タカアキ』には破格の初期投資がかかっている。不良債権にしてしまえない会社の事情もあった。

 狙い通り狭山はよくやっている。一時はどうなるかと心配したが、『タカアキ』のモデルへの執着心を利用して再びやる気を起こさせた。まだまだ躾は必要だが、リ・スタート、そうした見通しが立った。

 そうした矢先の今回のこの事態。喜びも束の間。榊は今、非常に厄介な案件に頭を悩ませる。

 カウント・ダウン・ランウェイでの一件がどうにも具合が悪い。

 イベントバックステージで『ジェイミー』が転倒し救急搬送された件については当然ことながらすぐさま報告を受けた。『アズラエル』は『ジェイミー』が日本で活動する際の代理店契約を交わしているので、『ジェイミー』の一件は決して余所事ではない。

 それに『ジェイミー』側——というより、少々過保護気味のマネージャーダニエラが相当な立腹ぶりで、運営側の責任を追及すると息巻いていると聞けば『アズラエル』としては看過できない事態で、当然ながら『アズラエル』を飛び越えて直接イベント運営会社を訴えるなんてことをされるわけにはいかないので間に入ることになった。

 『アズラエル』としてはダニエラの気持ちもわかりはするができるだけ穏便に。そんな考えだった。当然だ。カウント・ダウン・ランウェイは日本のモデル業界においてとても重要なイベントで、万が一にもそこから自社所属のモデルが締め出されるような因果を作るわけにはいかない。業界最大手がそんな目に合うはずもないと思う人もいるかもしれないが、大手と慢心をすれば蟻の穴から堤も崩れるような事態を招きかねない。

 ただ榊の本音を言えば、今回の事態を最初に転倒したという新人モデル『NAO』一人に被せてしまえるのだったら、それが一番手っ取り早いし簡単だったのにという思いがある。そうすれば『アズラエル』側としても運営側としても責任の大半を彼に押し付けて今後の改善案さえ提示すれば格好がつく。『NAO』が弱小事務所所属だったら榊はまず間違いなくそういう方向へ持って行った。

 しかし実際には『NAO』のバックには加々美がいる。ステージモデルとしては第一線を退いたとは言え、まだまだ『アズラエル』の顔であり、モデル界の帝王として一モデルの枠では収まらない影響力を会社に対して持っている加々美に対し正面切って喧嘩を売るような真似は榊とてできない。『ジェイミー』にも『NAO』にも配慮しつつ、うまい着地点を模索しなければならない。

 そんなことで頭を痛めてると、事態は違った様相を呈し始めた。

 『ジェイミー』本人から『NAO』の転倒については第三者の関与が疑われるとの申し出がなされたのだ。そして弁護士を通じた正式文書として、『ジェイミー』が目撃したという『NAO』が転倒した際に『NAO』のすぐ横通路脇に立っていた男の存在の確認と、彼が何の目的でそこにいたのか。また、『ジェイミー』の目には彼が意図的に『NAO』の足を引っ掛けたように見えたその事実に対して調査すると共に、これらに対する『アズラエル』として公式回答するよう求められたのである。

 え? 第三者?

 通路脇に立っていた男?

 わざと足を引っ掛けた?

 どうしてそういう話に?

 と思っていたら、すぐさまゴシップ誌が似たような疑惑を取り上げた。それと前後する形で自社モデルに記者が接触してきたという報告があちこちから上がってきて。慌てて進めた内部調査で浮上した疑惑の人物が『タカアキ』だった。

「で、『タカアキ』君。もう一度聞くが、君が事故現場に居合わせたってことはないんだね?」

 榊が再度問い直す。

「実は君を現場で見たっていう証言もあるんだが」

 榊が言葉を重ねると、貴明は視線を伏せしばらく何やら思案している顔つきだったが、やがてふうっと大きく息を吐き出すと居住まいを正して視線を上げた。

 覚悟を決めた。そんな顔つきに見えた。

「仲間を売るのもどうかなって思ってましたけど。……俺自身が疑われてるんであればそうも言ってられないですよね」

 声を抑えて貴明が言う。その引き締まった表情は今までの雰囲気から一転して。——榊は不覚にも魅せられた。

 さすがモデルなのだ、と。榊は頭の片隅で思う。

 こう言った顔を見せられると、加々美二世と目論んだ経営方針は間違いではなかったと、——皮肉にもこんなタイミングで思ってしまう。

「実はあの場にいました。——『ショウ』を待ってたんです。少しでも早くお礼を言いたくて」

 貴明は少し言葉を溜めて、続けた。

「俺はここずっと、いろんなことがうまくいかなくて。——それは榊さんもご存知でしょう? 頑張ろうって思う気持ちばっかり空回りしてる感じで。カウント・ダウン・ランウェイだってギリギリまで出演が決まらなくて。だから、そんなことをずっと『ショウ』に相談してて。弱音を吐くなんて、あまり好きじゃないんですけど。あいつは同期だから。話しやすくて。だから、無事にイベントに出演できたことや、今まで励ましてもらったお礼とか、そう言ったことを少しでも早く『ショウ』に伝えたくて。バックステージに戻る通路の途中で待ってたんです」

 なるほど、——辻褄は合う。

「あの例の新人モデルは、確かに俺の目の前で(つまず)きました。それについては、はっきりその瞬間を見たわけじゃないんで。多分、としか言いようがないんですけど。『ショウ』が、後ろから押したんだと思います。あの新人モデルが体勢を崩した瞬間『ショウ』と目があって、すごくバツが悪そうな顔をしたんで。だから、俺は何が起きたのか悟って。俺がその場にいないほうがいいんだろうって俺的にそう判断して。——俺は、何も見てないって。そう『ショウ』にアピールするつもりで何も言わずにその場を去ったんです。……今になってみれば、俺は自分のことで一杯いっぱいで、『ショウ』の思いに十分気付いてやれなかったって思うんですけど。あいつだって『ヴァンス』の専属勝ち取って頑張っていたのに、ぽっと出てきた新人に大きい顔されたら気分が良くなかったのなかって。思えばあのCMが流れたあたりから表情がどこか暗かったようにも思うんです。——あいつは同期だから。できればかばってやりたいって思ってたんですけど。……でもそれで俺が疑われるんなら、それはちょっと違うかなって。それでも、あいつに悪いなって思うんで。俺がこんなこと言ったって、……出来れば知られたくないって思うんですけど」

 思いもしなかった貴明の告白に、榊は唸るしかできなかった。

 

 

 * * *

 

 

 室内に重苦しいため息が一つ落ちた。

 狭山と貴明はすでに退室していて、残っているのは榊と加々美の二人だった。ため息の主は榊で、加々美は憮然としたままの榊に特段声をかけることもなくカップの底に残っていたコーヒーを飲み干す。

 そして、そのままゆったり組んでいた足を解いて立ち上がった。

「じゃ、俺もこれで」

 加々美は自ら同席を申し出たわけでもなければ、何かをジャッジするために同席したのでもない。榊に同席を懇願された。だから引き受けた。「オブザーバーでよければ」と言うことで。その役目が終わったのだからこの場に留まる理由はなかったし、何かを言う必要も感じなかった。

「——『タカアキ』君の話、どう思いました?」

 戸に向かって歩き出した加々美の背に榊が言葉を投げかける。

 加々美は歩を止めて心の中だけで苦笑した。

(おい、おい、おい、おい。俺は、オブザーバーじゃなかったのかよ)

 オブザーバーはただの傍観者。同席はするが口出しはしない。成り行きを見守る第三者。榊的には、「『タカアキ』君も、加々美さんの前なら全てを正直に話すと思うんですよ」という思惑があったようで、それが同席を求めてきた理由。加々美的には「さて、どうかな?」と疑問ではあったが、「居てくれればいい」という榊の顔を立てたのだ。

 そもそも加々美は、先ほど『タカアキ』が語ったことが本当なのか嘘なのか興味はない。『ショウ』が全く別の事を言っていると知っているが、『タカアキ』にとってはあれが真実なのかもしれないし、保身のために『ショウ』に罪をなすりつけようとしているのかもしれない。しかしそれは『ショウ』に対しても言えることで、あるいはお互いがそれぞれ事実誤認をしているという可能性だってある。

 しかし、そんなことはどうでもいい。加々美は事実を明らかにして誰かを断罪する立場にないからだ。

 もし、『タカアキ』が嘘をついていたとしても、それならそれで構わない。と思う。この業界は綺麗事だけでは片付かない事が山程あるのだ。時には他人(ライバル)を押し除けてでも仕事を掴むくらいの気概が必要になる。自分の成功のためには何をしたって構わないというような、他人を貶めるやり方を良しとするわけではないが、そういう行為に眉を(ひそ)めはしても断罪するほど自分だって聖人君子なわけでもない。自分の(ごう)を自分で背負うだけの覚悟があるなら好きにしろと思う。

 とまあ、いろいろ理由を並べたところで本音を言えば、『タカアキ』に興味がない。それに尽きる。

「今日の俺はただの置物だから、ノーコメントで」

 加々美はあえて軽やかにそう答えると、部屋を後にしたのだった。

 

 

 * * *

 

 

 マネージャー狭山が運転する車の後部座席。自宅マンションまで送ってもらいながら貴明はどちらかと言えば気分が良かった。

 かなりうまいこと榊の追及から逃れられた。そんな手応えを感じていた。自分でも驚くほどすらすらと言葉が出てきて、——今更ながら驚く。加々美の手前無様な姿は見せられないと腹を括ったのだが、あれが真実だったのではないかと自分自身勘違いしそうだ。

 結果的に奨に全てを(かぶ)せてしまう形になったが、罪悪感は正直ない。おそらく奨はこれから事実確認を受けるだろう。それが榊本人からなのか、榊の意向を受けた別の誰かなのかまでは分からないが。その時奨は否定する。当然だろう。奨は誰にでもいい顔をする優等生だが、流石にスケープゴードにされかかっていると知れば黙ってはいないはずだ。ひょっとすると、自身の無実の証明として貴明の名前を出すかもしれない。しかし、それならそれでいいと思う。互いが互いに「相手がやった」と思っていると証言すれば、決定的な証拠でもない限りどちらかを犯人にすることはできないはずだからだ。そしてそもそも、その決定的な証拠がないから証言集めをしているのだろうと貴明は踏んでいる。最終的には、嫌疑不十分、疑わしきは罰せず、で落ち着くしかないはずだ。

 そこまで考えて、ふと思う。

(あのヤローが俺に足を引っ掛けられたって主張したら?)

「勘違いじゃないですか?」あるいは「俺のせいにしたい理由でもあるんすかね?」そんな返しで切り抜けられるだろうか。

(いや。そもそもそんな主張をしてるんだったら、あの時榊さんが言うはずだ)

「君を現場で見たっていう証言もあるんだが」

 そう問いかけてきたくらいだ。

「相手がね、君に足を引っ掛けられたって言っているんだが?」

 そう言ってきたっておかしくない。だから、あの場でその話が出なかったと言うことは、そんな話は出ていないと言うことだろう。あるいは新人の証言なんて端から重要視されていないかだ。当事者であれば保身でどんな証言をするか分からないし、そもそもこの世界は事務所の規模がものをいう。どこの事務所に所属しているかも分からない新人の証言なんて相手にされないだろう。

 ……と、そこまで考えてふと思う。

「狭山さん。今さらなんすけど、イベントでずっこけたあの新人モデルって、どこの誰なんすか?」

「え……。——『タカアキ』君、知らないんですか?」

 本当に驚いた。そんな気配が口調に滲む。そんな狭山の反応に貴明はなぜだかカチンと来た。

「ええ。『アズラエル(うち)』じゃないってだけは聞いてますけど。どこの誰か知ってなきゃおかしい相手なんすか?」

「いえ。そう言うわけでは。……『タカアキ』君が『NAO』さんのことを随分とライバル視しているようだって噂を聞いていたものですから。てっきり面識があるのかと」

「ライバル? 俺が、あの新人を?」

(コネゴリのクソガキをどうして俺がライバル視しなきゃなんねーんだよ)

 ただただ目障りなだけだ。実力もないくせにコネで『GO-SYO』や『ヴァンス』を引っ張り出して、周りのお膳立てで得られた成功を自分の実力だと思っている勘違いヤローだ。

「彼は、加々美さんが個人的に預かっているモデルですよ」

「はぇ?」

 驚き過ぎて思わず変な声が出た。

「加々美さん自ら口説き落として代理人(エージェント)になったと言う話です。加々美さんはプロデュース業のための個人事務所をお持ちなので、その事務所所属のモデルということもできるんでしょうけど」

「—————————-……」

 途端、胃がズドンと重くなる。同時に、言語化しづらい感情が渦巻いて、視界から景色が飛んだ。

 

 その後の貴明の記憶は非常にあやふやだ。

 はたと我に返った時、貴明は自宅マンションの室内にひとり立ち尽くしていたのだった。

 

 

 

 

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