「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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13巻『水面の月』最終節「終業式」より少し前の話


区切り

「なあ、明日第二土曜だろう? 暇なら一緒に本屋行かね?」

 代表委員会の終わった帰り道、いつもの面子(めんつ)で駐輪場へ向かっている道中、中野が山下に話し掛けた。

「いいぜ。どこの本屋行く?」

「欲しい参考書あってさ、ちょっと大きめのところ行きたいんだよな。駅前の丸文か、ショッピングモールの中に入ってる福武屋書店」

「あ、それなら俺、ショッピングモールの方がいい。ついでにフィギュアショップ覗きたいし」

「いいぜ。––なあ、篠宮。お前も時間あるなら付きあわねぇ?」

 中野が振り返って尚人に声を掛ける。桜坂と並んで中野たちの後ろを歩いていた尚人は、向けられた視線に顔を上げた。

「ごめん。明日は、ちょっと用があって」

「あ、そうなんだ。残念」

「裕太の卒業証書、受け取りに行かなきゃいけなくって」

 尚人が言葉を付け足すと、中野は軽く目を見開いた。

「え、あ。……そうかぁ。中学の卒業式って大体どこも三月の第二土曜だもんな」

「じゃあ、裕太くんもいよいよ卒業なんだ」

 山下が感慨深げに呟くのが何だかおかしくて、尚人は小さく笑った。

「結局、最後まで登校しなかったけどね」

「人にはそれぞれペースがあるんだから、それでいいんじゃね?」

「そうそう。裕太くんには心強い兄ちゃんが二人も付いてるしな」

 中野の言葉に山下が頷く。尚人はわずかに苦笑した。

「雅紀兄さんはまだしも、俺のことはそんなふうに思ってないよ。裕太によく、うざいって言われるし」

 まあ、それも、近頃はずいぶん減ったような気はするが。

「態度と心の中で思ってることが同じとは限んないじゃん」

「そうそう。兄ちゃんのこと好きじゃないと、文化祭見に来たりしねぇって」

「……あれは、リハビリ兼ねてたし」

 それに、文化祭を見に行きたくても行けない雅紀の代わりに写真を撮る使命もあった。

 まあ、動機がなんであれ、裕太が自分から外へ出て行こうと思ってくれたことは、尚人にとって喜ばしいことではあったが。

「俺、篠宮が自分の兄ちゃんだったら、すっげー感謝するけどなぁ。引きこもった当初はいろいろあって、自分の感情すら持て余して、存在がうざいと思っててもさ、落ち着いたら支えられてたんだって気づくじゃん。毎日飯作ってくれて、洗濯も掃除もしてくれてさ」

「まあ、そこら辺は家族だから」

「俺、同じことしろって言われても絶対できないし」

「いや、それはお前だけじゃなくて、ほとんどのやつができねーって。篠宮って、何気にすげーこと、さらっとやっちゃうから」

「ああ、あの修学旅行の時の通訳とかな」

「あれはまじびびった。篠宮、急にペラペラ英語喋りだすし。俺一応英検準2級持ってるけどさ、日常会話おぼつかないし」

「俺も、長文読解は得意な方だけど、実践では使えないんだよなぁ。独学であれだけ喋れるって、どういうことだよ」

「クラスまとめるのもうまいしさ」

「そうそう。先頭に立って引っ張るわけでも、自分の意見押し付けてくるわけでもないのに。うまい落とし所見つけてくれるみたいな」

 ––急にどうしちゃたんだよ、二人とも。

 突然持ち上げられて、尚人は背筋がむず痒くなる。

 褒めても何にも出ないよ? と、心の中でそっと呟いていると、

「卒業証書受け取るって、具体的にどうするんだ?」

 今まで黙っていた桜坂が尚人に視線を向けた。尚人はわずかに首を(かし)げる。

「多分。職員室で担任の先生から預かればいいと思うんだけど」

 裕太の担任の麻木から卒業式に関する連絡があったのは、先月下旬のことだ。てっきり定例の様子伺いの電話かと思っていたので、卒業式の話が出てきたとき尚人は少しびっくりした。

 ––あ、そうか。もう、そんな時期なんだ。

 頭ではわかっていたはずなのに、裕太の中学校卒業を実感した瞬間でもある。

「卒業生は、九時登校で式典の開始は十時からです。––もし、その、教室には入りにくいけれども式典には参加したい、という場合は、別室で待機して体育館入場の際に他の卒業生と合流するというような対応を取ることも可能です。……で、篠宮くんの参加は、どうでしょうか?」

 麻木なりに裕太が参加しやすいよう色々考えてくれたのだろう。

 しかし、

「一回も登校してないのに、卒業式だけ行くわけないだろう」

 というのが裕太の意思だった。

 それで裕太の不参加を伝えると、それでは家族の誰かが卒業証書の受け取りに来て欲しい、と言われたのである。それで雅紀とも話し合ったのだが、その日は雅紀がスケジュール的にどうしても無理ということで、尚人が受け取りに行くことになったのだ。

「担任の顔、知ってるのか?」

「うん。裕太の担任、三年間一緒だから。俺がまだ中学にいたときは、時々プリント預かったりしてたし」

 尚人は何度か会ったことがある麻木の顔を思い浮かべた。少しぽっちゃり体型で、トレードマークは銀縁の丸メガネ。担当学年が違ったので尚人は麻木の授業を受けたことはないが、一部の生徒たちからは『あさぎん』と呼ばれ慕われていた。

 裕太が入学して間もない頃は、麻木は足繁く家庭訪問を行い、自らプリントなどを自宅へ持って来ていたが、それがいつ頃からだったか、家庭訪問は電話連絡に変わり、必要なプリントは尚人が預かるようになった。月一くらいで担任から「帰る前に職員室の麻木先生を訪ねるように」と伝えられて職員室に寄っていたので、尚人にとって職員室は案外思い出の場所だ。

 複雑な思いを抱えて向かっていた職員室。二年経って、またそこを訪ねることになるとは思いもしなかった。

 中学卒業の時、尚人に感傷はなかった。卒業式の三日後にある高校の合格発表だけが頭を占めていた。何にもできない自分から脱却し、未来のために歩き出す。高校合格は、そのための一歩、と思っていた。しかし、翔南一本しか受験しなかった尚人は、万が一の場合のことを覚悟しないわけにはいかず、密かに緊張を抱えていたのである。

 ––俺は、前に進む。

 卒業式を終えて中学の学び舎を去る時、尚人は決して振り返らなかった。必要なのは過去ではない。自分は今日、義務教育を終えたのだ、と自分自身に言い聞かせていた。

 ある面、(かたく)なにそう思わなければ、あの時は自分を支えきれなかったというのが正しい。

 期待と不安の中で、まだ不安の方が断然大きかった時だ。

 しかしあれから尚人の環境は劇的に変化した。自分にも何か出来ることがあるという証明にしたかった高校に合格した。そこでは、中学時代一人もいなかった友人に恵まれた。(うと)まれていると思っていた雅紀から愛されているとも知った。

 裕太も引きこもりをやめて、変わろうと動き出している。

 今ならかつての学び舎も違ったふうに見えるかもしれない。

「俺、久々に中学校行くの楽しみかも」

 尚人が桜坂を見やってそう呟くと、桜坂は軽く目を見張った後に、口の端で小さく笑った。

「そうか」

 たったそれだけのことが、尚人はうれしかった。

 

 

 翌日、尚人は翔南高校の制服を着て母校明和中学に向かった。三年間毎日歩いて登校していたその道を、今また歩いているのがなぜだか新鮮だった。

 道中、式典に参加して帰宅する在校生の集団とすれ違う。卒業生たちよりも一足早く下校になったのだろう。自分の時もそうだった。中学時代のことをあれこれ思い出しながら、尚人は懐かしい中学校の校門をくぐった。

 校門の横には立派な桜の木があるのだが、まだ開花の気配はない。硬い蕾を見遣って、尚人はそのまま視線を落とす。桜の向こうに校庭が広がっているのだが、見る限り人影はなく、校内は思いのほか静かだった。在校生はすでに下校し、卒業生はまだ各クラスで最後のホームルームの最中だからだろう。尚人は慣れた足取りで生徒昇降口とは別の校舎正面口に向かうと、そこから入って来客用のスリッパに履き替えた。職員室へ向かい、ドアをノックする。その直前。

「あら、ひょっとして篠宮くんじゃない?」

 背後から声を掛けられた。振り返って、尚人は軽く目を見張る。

「あ、高尾先生。お久しぶりです」

 理科の教科担当だった高尾教諭がそこに立っていた。三年の時はクラスの副担任でもあり、懐かしい顔に尚人から自然と笑みが(こぼ)れた。

「久しぶりだねー。元気だった?」

「はい」

「翔南の制服似合ってるじゃない。かっこいいなぁ」

 高尾は二三歩離れた距離から、しげしげと尚人を見回してにっこりと笑った。

「それに、いい顔つきになってる」

「ありがとうございます」

 尚人が微笑んで会釈すると高尾の笑みは深まった。

「実は今年ね、翔南受験した生徒が二人いるのよ。先輩に翔南合格者がいるっているのが励みになったみたい」

 言って高尾は、当時を思い出したのか、ふふっと笑った。

「あの当時小沢先生は心配しかしてなかったけどねぇ。翔南一本なんて心配すぎて痩せ細るって。––それに、今だから言うけどね。小沢先生、あそこの兄弟は揃いも揃って頑固者、ってよく職員室で愚痴(ぐち)ってたのよ。まあ、それも心配の裏返しだけど」

 懐かしい名前に尚人は笑む。三年生の時の担任だった小沢が、まさか雅紀の二年生の時の担任だったと知った、あの時の三者面談も今では懐かしい思い出だ。

「で、今日はどうしたの?」

「弟の卒業証書を受け取りに来たんです」

 尚人が告げると、高尾ははっきりと苦笑した。

「もう一人の頑固者ね」

 高尾のその言いように尚人も苦笑する。高尾は裕太の登校拒否をそう受け止めていたということだ。ある意味、正しい。裕太の引きこもりは、裕太なりの主張だったのだから。

「でも最近、動き出したんですよ。裕太なりに色々考えているみたいです」

「そう」

 高尾が笑顔で(うなず)いたその時だった。

「あ、篠宮くん。お待たせしちゃいましたね」

 ホームルームを終えたらしい麻木が職員室へ戻って来たのだ。礼服姿の胸にはまだコサージュが付いていて、卒業式の雰囲気を醸し出している。

 高尾は麻木の姿を見やると、じゃあね篠宮くん、と一声掛けてから職員室の中へと消える。尚人は会釈して高尾と別れ、麻木に向き直った。

「今日は、お世話になります」

「いえいえ、こちらこそ。わざわざ来てもらって、申し訳ないです」

 麻木は尚人を職員室前で少し待たせて手ぶらで戻ってくると、なぜか尚人を別室へと案内した。

 ––卒業証書受け取るだけじゃないのかな。

 と思っていると、通された先は何と校長室で、そこには担任の麻木の他、三人が待ち構えており、校長と学年主任、クラス副担任だと紹介された。

 ––え、何かすごく大事なんだけど……

 内心戸惑う尚人に対し、校長は、卒業式というのは学校として大事な行事で、筒に入ったままの証書をはいっと渡して終わりだというわけにもいかないのだと説明し、校長室で参加者四人という小規模ながらも卒業証書の授与式が行われた。校長は尚人を前にして証書内容を読み上げ、尚人は式典同様に校長から証書を受け取る。読まれた名前は当然裕太だったが、尚人は中学校を卒業し直したような、何だかとても不思議な感じがした。

 あるいは、裕太と共に、これできっぱり過去から卒業するのだという証をもらったような––。

「三年間、本当にお世話になりました」

 尚人は深々と頭を下げて校長室を後にした。

 それから、正面口まで見送りに来た麻木と一言二言言葉を交わしてから尚人は校舎を出る。一歩外へと踏み出すと、晴れ渡った空の青さが目に染みた。

 やはり、今日来てよかった。

 尚人は目を細めて空を仰ぐ。

 何とも言えない清々(すがすが)しい気持ちだった。

 苦しみと悲しみと孤独を内に抱え込んで過ごした中学校の三年間。懐かしく思い出すことなどないと思っていた。しかし、もう、かわいそうな子供でしかなかったあの頃の自分はいない。

 自分たち兄弟は、暗く長いトンネルから抜け出して、これからは本当の意味で、未来へ向かって歩んでいくのだ。

 今日、雅紀が帰って来たら、今のこの自分の気持ちを話そう。うまく伝えられるか分からないけれども、伝える前に諦めることだけはもうしない。

 それにきっと、雅紀は分かってくれる。

 気持ちを通じ合わせるのに必要なのは言葉だけではないからだ。

 ––よし、帰ったら張り切って晩ご飯作ろう。

 何しろ卒業のお祝いだ。

 尚人は、卒業証書の入った筒を片手に、晴れやかな気持ちで帰路についた。

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