「好きだ、ナオ」
突然の告白に、尚人は固まる。
受け止め方がわからなくて。
どう言う意味なのか判断がつかなくて。
さらには、なぜか涙が溢れて止まらなくて。
自分でも自分がわからない。
泣きたいわけじゃないのに。
そんなつもりはないのに。
「——ごめ………」
声を発しようとすれば、なぜだか涙はさらにあふれ出して。
何もかもがぐちゃぐちゃだ。
「ナオ………」
そんな尚人に、雅紀がやさしく口付ける。
涙に濡れた頬に。
しゃくりあげる唇に。
あやすように。
なだめるように。
なぐさめるように。
「こんなに、泣くつもりなんてないのに。——変だよね」
事件のせいですっかり不安定になっている自分が嫌になる。
怪我はしたけど、幸いにも打ち身とすり傷くらいで命に別状はなかったし、桜坂が犯人を捕まえてくれたおかげで、また襲われるかもという心理的不安もない。
それなのに——
「ナオ、何でもいい。何でも、思ったことを言ってくれ」
何でもする。雅紀はそう繰り返す。
でも——
すでに何でもしてもらっている。これ以上は望まない。
むしろ雅紀に、こんな切実そうな声で何度も繰り返させることが申し訳なくて。不甲斐ない。
「ただ、知りたいだけだ。ナオが今、何を思っているか」
雅紀は尚人を抱きしめながら、耳元でそう囁く。
雅紀の柔らかい声が好き。
頭を撫でてくれる大きな手も、体を包み込む力強い腕も。
安心する。
雅紀が好きだから。
「………抱っこして」
尚人が雅紀の胸の中でつぶやくと、雅紀が耳元でくすりと笑って抱きしめる腕に力を入れる。
「抱っこ、してるぞ?」
「頭、撫でて。………昔みたいに」
言うと雅紀が頭を撫でてくれる。
あの頃の、ただの仲の良い兄弟だった頃のように。
——好き。
「好き」
——まーちゃんが。
「俺も、好き」
ぎゅっと抱きしめられて、抱きしめ返して。
「——まーちゃんが好き」
けどこれは、家族としての情とどう違うのか。
尚人は雅紀にしがみつき、とめどなく流れる涙を雅紀の胸でぬぐった。
* * *
「——まーちゃんが好き」
そのひと言に雅紀の心臓が跳ねた。
抑えていた感情が溢れ出し、体温が一気に上昇する。
——まーちゃんが、好き。
尚人が言う「好き」の意味。それが自分が言う「好き」と全く同質のものではないとしても。——心が揺さぶられる。
「ナオ」
——好きだ。
家族の情を超えて。それ以上のものを望んでいる。——浅ましくも。
尚人のほっそりとした体を抱きしめて、たまらずキスをする。
「ナオ」
背に手を回して自分に抱きつく尚人に欲情する。
「ナオ」
体が火照る。
鼓動が激しく打ち付ける。
キスが止まらない。
否が応でも下半身が熱を帯びる。
たまらずベッドに押し倒し、唇を貪る。
すると、
「ま、………待って」
重ねた唇の隙間から尚人が喘いだ。
「今日はしないって。………言った」
「………ナオはなかなか意地悪だな」
余裕がない。
興奮が止まらない。
尚人を抱きたくてたまらない。
しかし、たったいま約束したばかり。尚人の嫌がることはしない。無理強いはしない、と。
尚人との約束は、何が何でも守らなければならない。
それでも、——腕の中の尚人の温もりと離れがたくて。
重ねた唇の感触が甘美で。
「これは、ただの抱っこだ」
下手な言い訳で誤魔化して、尚人を抱きしめる。
もっと、もっと、もっと。
尚人を感じたい。
裸に剥いて、素肌で抱き合いたい。
身体中にキスをして、俺のものだという証を刻みたい。
「………まーちゃん」
「大丈夫。今日はしない。ナオとの約束だからな」
抱っこしているだけ。
頭を撫でているだけ。
心の中で何度も言い訳を繰り返しながら、雅紀は何度も何度も尚人に口付けた。
* * *
近頃雅紀が、——甘い。
醸す雰囲気が、目線が、言葉が、——すべて、甘い。
「好きだ、ナオ」
繰り返されるその言葉に、尚人はどうしていいかわからない。
「俺も………、好き」
その言葉に嘘はない。
歳の離れた兄が、子どもの頃から大好きだ。
父が突然家族を捨てて。
母が慣れない仕事に体と心を弱らせて。
兄が家族の責任の全てを背負わざるを得なくて。
優しい優等生の顔ばかりしていられないと知った後だって。
尚人の思いは変わらなかった。
けれども………
あの夏の夜から、二人の関係は変わった。
ただの、兄と弟ではいられなくなった。
雅紀が何もなかったことにしてくれなかったから………
——俺が怖いか?
かつて雅紀がそう問うた。
わからない。
わからない。
………いまだに、わからない。
好きって言われて、——うれしい。
なのに同時に、——どうしていいかわからない。
雅紀に抱かれて、初めの頃のように体がすくむとかはもうないけれど。
何もなかった頃に戻れるのなら、——と、いつも心のどこかで考える。
ただの、仲のいい兄と弟。その関係の中で交わされる「好き」ならば。尚人は何の躊躇いもなく受け取っただろう。
「俺も、まーちゃんが好き」
二人の歪な関係が。
表と裏の関係が。
ねじれて対になっている。
二重螺旋構造。
これは因果か。
宿命か。
あるいは、——————————。
『ナオが嫌がることはしたくない』
雅紀はその言葉どおり、あれ以来無理強いしない。ただただ甘く、優しいキスをするだけ。
『キスから始めよう』
あの時宣言したあそこに立ち戻るかのように。
ひたすら甘く。
優しく撫でるような。
浅く、深く。
泣きたくなるほど丁寧なキスを。
髪に、指に、首筋に。
そして、繰り返し繰り返し口にする。
「ナオ、好きだ」
それは、耳に直接流し込まれる甘露。
それは、毒か。蜜か。
わからない。
わからない。
戸惑うくせに、——求めている。
「まーちゃん」
キスする雅紀にしがみつく。
「まーちゃん」
もっとしてと、ねだるように。
深く、もっと。
——舐めて。
——吸って。
——噛んで。
身体中に、もっと。
「まーちゃん!」
二人の体が熱を帯びて、このまま溶け合ってしまいそうだと尚人は思った。