「––で、どうだった?」
アズラエル統括マネージャー高倉真理の執務室。呼び出した二人の社員に高倉がそう問いかけると、沙也加のマネージャーである唐澤とタカアキのマネージャーである加藤は、ほぼ同じ内容の報告をした。
「なるほど」
高倉は優雅に紅茶を一口すすって呟く。
正直なところ高倉は、二人が個人的に親密な仲であるのかないのかは、どちらでもよかった。若い男女のこと、健全な交際をすることに反対はない。モデルはアイドルと違う。ファンを繋ぎ止めるためにフリーを装う必要はない。ただ、会社として正確なところを把握しておきたかっただけだ。
––しかし問題は、写真に撮られたのが本当に偶然かってところだろうな。
高倉は、そこが一番引っかかっていた。
二人で何度も会っている中で撮られた一枚なら、週刊誌の記者も話題が欲しくて張っていたんだろうと思う所だが、二人の話が本当だとすると、たった一回、二人きりになった所を狙いすましたかのように撮られたのだ。もしこれが本当に偶然なら、その記者はラッキーだったとしか言いようがないが、世の中、そんなラッキーはなかなか転がっていない。
––最初から、沙也加嬢を張ってたのか?
何せ、SAYAKAは、あれだけ世間を騒がせた篠宮家の長女で、あのカリスマモデルMASAKIの妹なのだ。何かあればすぐに世間の話題をさらう。そういう存在は、週刊誌にとって美味しい存在だろう。
かつては一般人の未成年ということで、顔出しもあまりしつこい取材もNGだったが、今はモデルデビューしたのだ。ならば公人同然で、週刊誌にモザイクなしで写真を掲載しても何の問題もない。と思うのが世論だろう。
まあ、細かいことを言えばモデルとしての肖像権の問題が生じるのだが、覗き見趣味の世論と正論のどちらがマジョリティになるかはケースバイケースで、会社としてもメリットデメリットは常に天秤にかける必要がある。
それに今回の記事は、多少読者を煽るような表現を使っているが嘘を書いているわけでもなく、名誉毀損といきり立つような話でもない。どちらかと言えば、顔と名前を売るための話題作りの一つになる可能性が高く、わざわざ「そのような事実はありません」と事務所発表するほど大袈裟な話でもない。
「現状、様子見だな」
高倉が呟くと、二人も同意するように頷く。
「もしこの件で何か動きが生じるようだったら、速やかに報告するように」
高倉は二人にそう告げて、この場は解散とした。
––にしても、タカアキと沙也加嬢ねぇ……。
一人になって、高倉は執務椅子に深々と腰掛けた。机の上には例の週刊誌。二人が並んで写っている写真を今一度確かめる。
アズラエル一押し新人モデルタカアキが、カリスマモデルMASAKIを意識しまくりなのは、もはや業界内の常識だ。しかもそのMASAKIには歯牙にもかけられず、一人ライバル心剥き出しなことも。
そのことがまた、タカアキの
そのMASAKIの妹とわざわざ二人きりになった、タカアキの真意。
マネージャーの加藤は、
––タカアキくんは、同じ事務所の後輩の面倒を見てやろうという気持ちだった、と言っています。SAYAKAさんは、先日雑誌でモデルデビューをしたばかりだし、何か困っていることがあるんじゃないかと。皆と別れた後に一人でカフェに入るところを見かけて、ひょっとするとそうなのかもと思ったから追いかけた、とそう言っています。それで、SAYAKAさんから特に相談されたわけではないけれども、何らかのアドバイスになればと思って自分の経験を少し話した、と。
聞き取った内容をそう説明した。
その説明に特に違和感はない。沙也加側の話とも一致する。
だから何がこんなに引っかかるのか。高倉自身もわからない。
しかし喉に刺さった魚の小骨のように、無視できない違和感が高倉にはあった。
––ま、現状様子見するしかないんだがな。
雑誌を閉じて執務机の端に放り投げる。ノックもなく部屋の扉が開いたのはその時だった。
「よう、おつかれさん」
陽気に現れた加々美に高倉は視線だけで返す。それに対し口の端で軽く笑む、そのさりげない仕草さえ色男の匂いぷんぷんで、高倉はひっそり苦笑した。
––こいつは幾つになってもこうだよな。
いやむしろ、年齢を重ねるごとに男の色気が増している気がする。
加々美は、いつものようにセルフでコーヒーを淹れると、当たり前のように革張りのソファーにゆったりと腰を下ろした。
その様は、まるで自室で休憩しているかのように馴染んでいて、高倉は時々、加々美はここを自分専用の休憩室と勘違いしているのではないかと錯覚する程だ。
「今、唐澤と加藤が揃って出て行ったけど、何かあったのか?」
さすが
高倉は小さく笑う。
加々美が単なるモデルで終わってしまわないのは、こういうところだ。
「明日発売の週刊誌の記事の件で、ちょっと確認したいことがあって。報告を受けたところだ」
「週刊誌?」
問うような視線を向けた加々美に、高倉は雑誌を見せた。
「へぇ……」
目を通し、加々美がひと言呟く。それきり何も言わない加々美に、高倉は軽く片眉を上げた。
「お前にとっては、どうでもいい記事だったか?」
「うーん。コメントしようがない、と言うのが正直なところかな」
加々美はコーヒーをひと口運んでから呟く。
「まあ、若い男女のことだからな。恋愛くらいするだろう。別に、問題ないんじゃないか?」
「本人たちは、個人的な付き合いはない、と言っている。たまたま一緒にカフェにいたところを写真に撮られたらしい」
「それで? 事実ではありませんと、事務所発表でもして欲しいと?」
「いや、それはない。沙也加嬢の方は、内心ではかなり
「自分からマスコミ相手に事実じゃないと
「そういう事はしないよう唐澤が釘を刺したようだ。下手に喋ると、火のない所に煙を立たせようとするからな、マスコミは」
「まあ、そうだな」
「父親の件で散々マスコミに付け回されたんだから、その辺はマネージャーに言われずとも十分心得ているとは思うが」
「親父さんの功罪だな」
加々美は口の端で笑った。
「この件でMASAKIが何かしら動くと思うか?」
高倉の問いかけに、加々美は肩をすくめた。
「そりゃ、ないだろう。マスコミが雅紀のコメントを欲しがっても完全黙殺だと思うぞ、俺は」
「妹のことなのに?」
「何か言うだけマスコミの思う壺ってのを十分知ってるからな、あいつは」
確かに父親がらみの騒動で、コメントを求めて群がるマスコミをMASAKIはいっそ惚れ惚れするほど完全黙殺していた。あれを見せられたら、自社のモデルが束になっても敵わないと、認めざるを得なかった。
あの騒動でMASAKIの知名度は一気に上がり、そしてカリスマの地位を不動のものにした。彼が見た目だけでカリスマと呼ばれるようになったわけではないと、視聴者の誰もが納得したからだ。
そのMASAKIが、マスコミのぶら下がり取材に反応したのは、たった一回。父親である篠宮慶輔が暴露本を出版した時、マスコミの質問に何も答えないMASAKIにある記者が投げかけた言葉が引き金だった。
––このまま何も言っていただけないのなら、弟さんに直接伺うことになりますよッ!
その一言にMASAKIは足を止め、殺気のこもった冷たい視線を記者に対し向けたのだ。刹那、
MASAKIは、記者の発言を、弟を人質に取る行為だと断言し、それは自分に対する強迫だと明言した。そして、未成年である弟にマイクを突きつけて、しつこくまとわりついて付け回すようなクズには一切容赦しない、と宣告したのである。
MASAKIのあの苛烈さには、正直高倉も驚いた。
真夏のスタンドイン事件で、初めて尚人と二人でいるところを見たときに、今まで見たことのない、とろけるよう笑顔を尚人に対し見せていたのが衝撃的すぎて、MASAKIが弟を溺愛しているのはわかっているつもりだったが、あそこまで全力で弟を守ろうとする姿勢を見せるとは思いもしなかった。家庭環境が最低最悪で、兄妹弟肩よせ合って様々な苦労を切り抜けて来たのだろうと思えば、兄妹弟の絆は普通の家庭より強固であって不思議はないが、それをマスコミに対し隠しもしないどころか、正々堂々喧嘩を売ってまで、というのが意外だったのだ。
今まで高倉が抱いていた、おそらく世間一般の抱いているイメージと大差ないはずの、超クールというMASAKIのイメージからかけ離れすぎていたせいかもしれない。
しかしそのギャップがまた、視聴者の心を鷲掴みにした。
日頃はクールで通していても、いざとなれば家族を守る。
その男気が、カリスマをさらにカリスマにした。
最強の守護天使。それが、MASAKIの代名詞になった。
若い女性は、彼みたいな彼氏が欲しいと願い。年配の女性は、彼みたいな息子がいれば最高だろうとさざめきあった。若い男性は、彼のようにありたいと願い。父親世代の男性らは、家族を大切にすることの意味を改めて痛感させられた。
そうして、老若男女誰もが、MASAKIに魅了された。
沙也加はそんなMASAKIの妹で、その事はすでに、ガールズコンテストに出場した時から世間バレしている。そして高倉も、MASAKIの妹だからこそスカウトした。
MASAKIという紐付きがメリットなのかデメリットなのか。今のところまだ答えは出ていない。アズラエルとしても、SAYAKAを売り出すのにMASAKIを前面に押し出すのはやめた。世間バレしていなかったらMASAKI押しはインパクトがあって話題をさらうが、既に世間バレしてしまっている状態では、いまさら感が出てしまってかえってマイナスだろうと判断したからだ。
沙也加にキャリアを積ませて、世間に実力を認めさせた上で、兄妹グラビアを企画する。それが高倉が描いている構想だ。
沙也加の真価が問われるのはこれからだ。
さすがMASAKIの妹、と評されるようになるのか否か。
大化けする可能性は十分にある、と高倉は見る。
ただそれも、沙也加が抱えているらしい雅紀に対するコンプレックスを克服した先にしかありえないが。
「でも、尚人くんが対象になったら、違う反応を見せるんだろう?」
高倉が口にすると、加々美は明らかに眉を寄せた。
「……そりゃ、おまえ。俺は考えただけでも肝が冷える」
「MASAKIにとって、妹と弟はそれほど違うのか?」
その辺が高倉にはいまいちわからない。
篠宮家の事情は、マスコミ報道や慶輔自身の暴露本によってだだ漏れではあったが、高倉は沙也加がアズラエルと正式に契約を交わした後、リスクヘッジの一環として社内独自に再調査した。それで篠宮兄妹弟の中で沙也加一人が、高校受験に専念するためと祖父母宅へ身を寄せ、そのまま今もそこで生活を続けている事は知っている。
母の死の瞬間に家にいた者といなかった者。
母の葬儀に参加した者としなかった者。
そこに線引きでもあるのか。ないのか。
そんな家族の内情までは、どれほど優秀な調査機関に依頼してもわからない。
「妹と弟がって言うより、尚人くんとそれ以外が違うって感じじゃないか」
「へぇ」
加々美の言葉に高倉は軽く目を見張る。
「じゃあ、もう一人いると言う弟と尚人くんも違うのか」
「あいつははっきり言って、家の話する時は尚人くんの話しかしねぇよ。まあ、家が最低最悪の状態だったときに、尚人くんばかりに苦労かけたって思ってるみたいだからな。雅紀と下の弟二人で愚痴のサンドバックにして、家のことは全部尚人くんが一人で引き受けて、したいことも我慢して家と学校を往復するだけの毎日だったみたいだから。それでも文句ひとつ言わずに頑張ってくれた尚人くんが、雅紀は可愛くて仕方ないんだよ」
そりゃ、可愛かろう。しかも、あの素直さだ。
尚人とは知らない仲ではないだけに、高倉も理解できる。
「だから、おまえにだって尚人くんは預けられないってわけか」
高倉が呟くと、加々美は軽く肩をすくめた。
一度加々美を通して雅紀に、尚人をアズラエルで預かると言う話を振ってみたのだが、見事断られた。MASAKIが加々美にだけは懐いているというのは業界の常識だったので、案外すんなり話がまとまるかもと期待したのだが、簡単にはいかないようだ。
しかし先日、尚人にユアンのサポートをお願いして、尚人の様子を間近でじっくり見させてもらった高倉は、益々尚人が欲しくなった。
あの自然さ。あの柔軟さ。あのクレバーさ。
そして何よりも、ユアンと並んでも遜色ない、独特な雰囲気。
静かで凛としてたおやかで、しなやか。強烈な個性を包み込む無色透明さ。
他には見ない、オリジナリティだ。
尚人には、単なるモデルでは終わらないポテンシャルがある。
正直に言えば、沙也加よりもよっぽど面白い。
なのに、その姉の存在がネックになっていると知ったときは、正直舌打ちしたい気分だった。
家族問題は、こじれると赤の他人より厄介だ。
篠宮家の一連の騒動は、まさにそれを世間に知らしめたようなものである。何しろ、父が息子を刺すという傷害事件にまで発展したのだから。
だが一方で、何があっても、何かをきっかけに全てを許してしまえるのも家族だ。世間には、親から虐待まがいの暴言を受けて育ち、絶対に許さないと思っていても、老後弱った親の姿に何もかもどうでも良くなってしまったと親身に親の介護をしている者だっている。
誰も彼もがそういう気持ちになれるわけでは当然ないが、逆もまた然りが真実だ。
となると、沙也加が何かをきっかけに雅紀に対するコンプレックスを払拭したとき、兄妹弟間の関係はあっという間に変わるかもしれない。
そして、若い女性が変わるきっかけというのは、往々にして恋愛だ。
のめり込まれると困るが、誰かに愛されているという実感は、確実に女性を輝かせる。多くのモデルを間近で見てきて、高倉はそれを肌で感じてきた。
––そう考えると、タカアキと沙也加嬢の組み合わせは、悪くないかもな。
MASAKIへのコンプレックスを抱えている者同士だ。うまくいけば意外な相乗効果を生むかもしれない。
––これは、ひょっとすると瓢箪から駒か?
高倉にこれまでなかった構想が浮かんだ。