「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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3巻「攣哀感情」で、尚人を暴行した犯人に関する仰天事実がすっぱ抜かれた、その周囲の反応を雅紀のマネージャー市川視点で描いたSS。



真実の在処

「ねぇ、市川さん。これって、事実ですかね?」

 そっと耳打ちしてきた同僚の問いかけに、市川は差し出された週刊誌を見やってしんなりと眉を潜めた。見開きページの冒頭には、先頃何かと世間を騒がせていた自転車通学の男子高校生ばかりを狙った暴行犯の正体ついてセンセーショナルな見出しが躍っている。

『用意周到に練られた襲撃か?』

『MASAKI 実弟を襲った犯人 まさかの実父愛人の妹と幼馴染み』

 記事の内容にざっと目を通すと、愛人M姉妹とMASAKIの実弟を襲撃した少年Sのどちらもが、状況は違うが両親の愛情が不足する家庭環境で育ったという共通項があり、二人がいつ頃からの知り合いで、どういう間柄であり、なぜ今回の襲撃に至ったのか、慶輔とMASAKI達兄妹弟との確執を絡めて憶測混じりに書き立ててある。

 記事の内容がどこまで事実であるのか、そんなことは市川も知らない。しかし、この記事を雅紀が目にすれば怒髪天をつかんばかりに怒り狂うだろうと予測がついた。

 雅紀の怒り方は、感情発露型ではない。静かに深く怒るのだ。

 それが返って怖い。

 青味を増した双眸はブリザードのごとく冷たく、声は静かに抑えながら、それでいて身体中から発する殺気は連火のごとく容赦がない。

 市川は、そんな雅紀を一度だけ見たことがある。

 いや、あれは、市川自身が雅紀の地雷を踏んだのだ。数年前の記憶に、市川はぶるりと小さく身震いをした。

 モデル界の帝王加々美蓮司に見出されてデビューした雅紀は、見る者を惹きつけるその圧倒的な容貌ばかりでなく仕事に対する真摯な姿勢もあって、順調にキャリアを重ねていた。だから市川は、雅紀がプライベートな部分で多少の羽目を外しても目を瞑っていた。「女喰い」という噂が密かに囁かれ「日替わりで女を持ち帰る」と陰口を叩かれても、「あの容貌じゃ、それで当然だろう」と周囲も納得せざるを得ないほど雅紀の容貌は群を抜いていたし、仕事に穴を開けることは当然、手を抜くこともなく、仕事とプライベートはきっちり別物という姿勢は返って現場スタッフに好評で、「プライベートの充実は、仕事の充実にもつながる。若い男性なら余計に」と、市川はそう捉えていた。

 しかし、デビューから二年ほど経った頃からだろうか。雅紀の表情に時々影がさすようになった。仕事が順調に増えて行く中で次第に夜遊びは減っているようだったが、なぜか郊外の実家住まいを辞めようとしない雅紀は、都内との往復に時間を費やす分だけ睡眠時間を削っているようなもので、さすがに疲れが溜まっているのだろうと市川は思っていた。

 雅紀の家庭は少々複雑で、雅紀の稼ぎで家族を養っている、というようなことは社長から聞いていた。正直なところ、芸能の世界にそんな者は数多いる。だから市川は、雅紀の家庭事情を聞いても「そうなんだ」と思った程度のことで、そういう事情があるなら簡単に辞めはしないだろう、という安心材料にした程だった。

 実際、雅紀は事務所の期待以上の成長を見せた。おかげでギャラも順調に上がった。駆け出しの頃ならまだしも、これからは拠点を都内に移し、家族へは仕送りをする形をとっても充分やっていけるはずだ、と市川は思った。今だって、仕事が立て込んだ時は都内のホテルに連泊することも多い。そのくらいならいっそ思い切って都内に移り住み、実家には休みの日にだけ帰る、というふうにした方が生活にメリハリが付くし、睡眠時間の確保だって出来る。それに、家の中のことは中学生の次男が全てやっている、ということも聞き及んでいた。洗濯掃除炊事、何でも主婦ばりにこなすらしい。だったら、生活費の心配さえなければ、家の方はうまくいくという事だろう。家族の様子が気になるなら、電話でもネットでも連絡手段はいくらでもある時代だ。

 だから市川は、マネージャーとして雅紀に言ったのだ。

「そろそろ拠点を都内に移してはどうですか。その方が、仕事もしやすいでしょう? もし、一人暮らしでのハウスキーパーを心配しているなら、信頼のおける業者を紹介しますし」

 直後、雅紀の目の色が文字通りスッと変わると、心臓が止まりそうなほどの苛烈で冷たい気配を全身から吹き上げた。突然のその豹変に、市川が息を呑んで固まると、雅紀はひたと市川を見据えたまま、恐ろしいほど低く静かな声で言ったのだ。

「家は出ません。その話、二度としないでもらえますか?」

 今でも、あの発言の何があんなに雅紀の怒りを買ったのか、わからない。でもその後、雅紀にとって弟は何より大事な存在であるらしい、ということは理解した。それは、あの事件後のマスコミ報道や雅紀自身の記者会見発言があったから、ではない。決して仕事に穴を開けることがなかった雅紀が、あの日市川に電話をしてきて言ったひと言が市川にとって衝撃的だったからだ。

「市川さん、明日の仕事全部キャンセルしてください」

 その日は人気雑誌『MARCURY』の秋物コレクションのグラビア撮りが入っていた日だ。予定では四時には終了するはずだったので、六時半過ぎに雅紀から着信があった時、市川はようやく「終わった」という連絡が来たのだと思った。プロ意識の低い相手との絡みで撮影が押すとものすごく不機嫌になる雅紀だが、互いに良い仕事をするために時間が押す分には全く気にならないらしい。そんな雅紀にとって今日の仕事は押しても苦にならなかったはずだ。だから市川は、特に構えることなく出た電話で、感情のこもらない淡々とした声でそれを告げられた時、冷水を浴びせられたかのように驚いたのだ。

「突然、どうしました? 何か、トラブルでも?」

 言いながら市川は、慌てて明日のスケジュールを頭の中に並べた。

 明日は、数日後に開催されるショーで着る衣装の最終確認が朝イチであり、その後ピンでのグラビア撮影。そのまま雑誌の取材が入り、夜にはMASAKIがメインを張っている雑誌出版社の取締役との会食が予定されている。その出版社は、近々海外メディアも入れた大きなショーを開催する計画を立てているらしいという情報があって、明日の会食は、そのショーでMASAKIを使ってもらうための大事な根回しを兼ねている。ドタキャンとなれば心証が悪い。下手をすると、雑誌の方も降板させられるかもしれない。

 そんな市川の心配を察したかのように、雅紀は静かな口調のまま告げた。

「それでその後の仕事がダメになっても、仕方ありません。頭を下げる必要があるところへは、後でいくらでも下げに行きます」

 静かな声には決意があった。

 それで市川は、ここで押し問答しても仕方がない、と頭を切り替えたのだ。

「まずは、何があったのか説明してください」

 市川が促すと、

「ナオが……、下校中に事故に遭って、病院に搬送されたと。先ほどナオの同級生から連絡があったんです」

 思いがけない返答に、市川は息を飲む。

「怪我の具合は? ひどいんですか?」

「……詳しいことは、まだ何も。今、病院に向かっている途中なんで」

 返ってきた声音は、市川の知る雅紀とは思えないほどに心許ない。そのことになぜだかどきりとしたが、市川は自身の動揺はさておいて、マネージャーという立場に徹することにした。

「では、状況が分かり次第連絡ください。思いの外、軽度であることもありえるでしょう? 仕事の調整は、それから、ということで」

 市川が言うと、

「また、連絡します」

 そう答えただけで電話は切れた。

 市川は、回線の切れた音を聞きながら、ひとつ息をつく。

 ナオ、とは当然弟の尚人のことだろう。雅紀を送迎した時に何度か顔を合わせたことがある。最初、雅紀とは兄弟と言われても信じられないほど似ていないことにびっくりし、次に中学生とは思えないほどしっかりした対応に驚いた。複雑な家庭環境と聞いていたので、多少の偏見があったことは否めない。その最初の驚きが去ると、どこからどう見ても普通なのに、雅紀と並んでも見劣りするわけでもなく、しっとりと視界に納まる不思議さに驚いた。

 市川はこれまで、雅紀とのツーショットでグラビア撮りした相手に「かわいそうに」と思ったことが何度かある。イケメンで通していても、雅紀と並べば見劣りする相手がどうしてもいる。どんなイケメンにだって多少はある短所が、普段は気にならなくても、雅紀と並ぶと如実に浮き彫りになってしまう。それはおそらく本人も出来上がった写真を見れば自覚することで、それで雅紀との共演をNGにした者もいるくらいだ。

 それなのに、どこからどう見ても普通な弟が、雅紀と並んでも見劣りしない不思議。それに対して市川は、

 ––やっぱり、兄弟だから?

 とりあえずそう結論づけることで自分を納得させる以外に答えが見つからなかった。

 その時の記憶にある尚人の顔を脳裏に浮かべながら、市川はスマートフォン画面の通話終了ボタンを押した。

 ––さて、どうしましょうかね。

 スケジュール帳を確認しながら、市川はいくつかのパターンに雅紀の予定を組み替えてみる。しかし、衣装の最終確認はショーの本番が迫っていることから日程をずらすことが難しく、会食のキャンセルだけは避けたい、と思うとスケジュールの変更は現実問題ほぼ出来ないに等しく、市川が雅紀からの連絡を待ちながら頭を抱えている間に、驚きのニュースが飛び込んできたのである。近頃世間を騒がせている自転車通学の男子高校生ばかりを狙った暴行事件に新たな被害者が出たというのだ。その被害者が千束市在住の翔南高校生だと聞いて、もしや、と市川は思った。それで十一時過ぎに再度雅紀から電話があった時、市川は真っ先に確認したのだ。

「まさかと思いますが、弟さんの事故って、例の暴行事件に関係していますか?」

「……」

 沈黙が回答のようなものだった。

「十時のニュースで流れたんですよ。例の暴行事件に新たな被害者が出て、それが千束市在住の翔南高校生だって。弟さん、確か翔南高校に通ってましたよね?」

 市川が言うと、雅紀が電話の向こうで深々とため息をついた。

「病院の前にメディアが(たか)っているのは知っていましたが、もうニュースになっていたんですか」

「それで、弟さんの具合は?」

 暴行事件の被害者となれば、軽度では済まないかもしれない、と市川は覚悟していた。これまでの被害者の中には、いまだ意識が戻らない者や半身不随の重症を負った者がいるとも聞き及んでいる。

「打撲と捻挫。自転車ごと倒された時に側頭部を壁に強打したらしく、頭部から出血がありましたが、検査の結果脳波に異常はないと。先ほど意識が戻って、会話も出来たんで、しばらく入院すれば大丈夫と思います」

「––そうですか」

 市川はひとまず安堵の息をつく。

「これから入院手続きをとって、今日は一旦家に帰ります。明日は朝から入院に必要な着替えなんかを届けついでにナオの診察に付き添います」

 キッパリとした口調に、これは決定事項だ、という雅紀の意思を読み取る。

 それで市川は、

「わかりました」

 そう、答えるしかなかった。

「明日の日程ですが、ショーで着る衣装の最終チェックは午後に回します。これだけはしてください。十四時入りで調整しておきます。そのくらいの時間なら、朝から病院へ行ってからでも間に合うでしょう? グラビア撮影と雑誌の取材は別日で調整をしてみますが、調整不可の場合はキャンセルします。––会食は、……仕方ありません。こちらから断りの連絡を入れておきます」

 市川がいろいろ考えた末の調整案の一つを提案すると、

「ありがとうございます」

 雅紀はただひと言そう答えた。

 雑誌出版社との会食のドタキャンは、やはり取締役達の心象をかなり悪くしたようだったが、暴行事件の被害者がMASAKIの実弟であったことが報道されるや状況は一変した。ドタキャンせざるを得なかった事情を汲み取り、仕事よりも家族を優先させたことが返って印象をよくし、記者会見での応対ぶりに家族思いの人間性が垣間見え、今後とも是非ともMASAKIを使っていきたいと社長直々に事務所に連絡があったのである。雅紀が暴行犯を殴りつけた、という報道に対しても世間はどちらかと言えば同情的で、市川は事件の余波が最小限に留まってほっと胸を撫で下ろした。

 その後は、暴露合戦のように篠宮家の家庭崩壊劇やMASAKIがカリスマモデルへと転身を遂げるサスセスストーリーがありとあらゆる媒体を賑わせたが、雅紀は一切を黙殺した。市川の目には、雅紀にとって世間のそんな騒動など関心がないように見えた。

 その雅紀が、尚人に関することには異常なくらいに神経を使っていたのが市川には意外だった。尚人の病室にメディア関係者が潜り込んでくるのを防ぐため、雅紀は自分の伝手のある病院に早々に尚人を転院させた。そこでは見舞客すら気軽には立ち入れない特別病棟の個室を準備するほどの念の入れようで、尚人を世間の喧騒から引き離し、治療に専念できるよう環境を整えた。それから雅紀はどんなに遅くなっても毎日病室を訪ね、回復具合を確認し、退院の際には絶対にメディアに写真を取られないよう気を配った。

 市川は正直、ここまでするのかと驚きを隠せなかった。

 写真を撮られたところで、一般人のしかも未成年である尚人の顔にはモザイクが入る。しかしどうやら雅紀は、篠宮家の事がスキャンダラスに報道されることは構わなくとも、尚人個人がターゲットになるのは、例えそれが『無事退院』というどちらかと言えばおめでたいニュースであっても、許せない事のようであった。

 それを目の当たりにしていたから、市川は、同僚に見せられた雑誌の記事に眉を潜めたのだ。

 記事は、愛人M姉妹や慶輔を悪者にするため、篠宮家を不幸にした金で愛人Mの妹が私立のお嬢様学校に通っているのに対し、生活費も養育費も払われない極貧生活の中でMASAKIの弟が塾にも通わず公立の超進学校に合格して毎日五十分もの道のりを自転車通学しているとあり、その片道五十分の通学時間が今回の事件で次男がターゲットにされた要因で、少年Sは最初から篠宮家の次男を襲うことが目的でヤンキー仲間を『ゲーム』に誘ったのだと、まるでそれが真実であるかのように書いてある。それが証拠に、少年Sは逮捕された時に

「こんなことなら、鉄パイプでさっさと、あいつの頭カチ割っときゃよかった」

 と、発言したらしい。だったら今回の事件は『暴行事件』ではなく『殺人未遂事件』なのではないか。そして、少年Sの本当の目的が『暴行』ではなく『殺害』であったのなら、それは次男と面識のない少年S の計画したことではなく、誰かの教唆があったのではないのか。とまで、記事はまことしやかに煽り立てている。

 市川は、深々と息を吐き出して、雑誌を広げ持つ同僚に視線を向けた。

「命が惜しければ、その雑誌、今すぐにでもシュレッダーにかけた方がいいですよ」

「え?」

 虚を突かれた顔で同僚は市川を見返す。市川はそんな同僚に真剣な眼差しを向けた。

「この後、雅紀さん事務所で打ち合わせなんです。予定では、後一時間もすれば顔を見せるはずですから」

 市川がそう告げた直後だった。入り口の受付にいる女性事務職員の甲高い声が事務所内に響いた。

「あ、MASAKIさん、お疲れ様です! 予定より早かったんですね♡」

 その声に一瞬で蒼白になった同僚は、悪あがきのようにあたふたと雑誌を書類の束の中に突っ込んだのであった。

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