「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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銀波ノ雫 10

 翌日、アズラエル本社。統括マネージャー高倉真理の執務室で加々美蓮司はやや緊張の面持ちでその時を待っていた。

 昨夜、深夜0時を回った頃、高倉から連絡が入り、

「今、唐澤から連絡が入った」

 との前置から始まった電話は、

 うそ?

 マジで?

 それって本気?

 の驚きの連続だった。

「まさか弟を人質にとって兄に要求を飲ませるとは。––いやはや、何というか」

 さすが篠宮の血統?

 加々美はつい思わず、そんなことを思ってしまった。

 やることが過激で半端ない。

「俺はむしろ沙也加嬢の評価を上げたよ。MASAKI相手にここまでやるとは」

「そりゃ、お前はそうかもしれなけどさ。俺は胃が痛いぜ」

 加々美は嘆息する。

「尚人くん巻き込むなんて、完全に雅紀の逆鱗に触れてるだろう。今後絶対、うち(アズラエル)に尚人くん貸してくれないと思うぜ、俺は」

「そこは、まあ。……兄妹喧嘩。な、わけだし?」

 ––本当にそれで納まると思ってるのか?

 加々美がじろりと高倉を()め付けると、高倉はわずかに肩をすくめた。

 時間が迫って来て、高倉はPC画面を室内の大画面モニターに映し出す。雅紀が今日参加するトークイベントはネットでライブ配信されるのだ。

 昨日急遽名古屋に向かった唐澤も、イベント会場に向かうことになっている。

 モニターが会場を映し出す。まだイベント開始前のステージ上には開始時間を告げるパネルだけが置いてあり、TVではありえない、ネット生配信ならではの画面垂れ流し状態になっていた。

 その画面を見続けていると、イベント開始数分前、ようやく司会進行役のインタビュアーが登壇した。今回のイベントがチャリティーであることの説明や、ネットからの募金方法などの説明をひと通り終えて時間になると、

『さあ、ではいよいよ、本日のゲストをお呼びしましょう。カリスマモデルMASAKIさんです。みなさま、拍手でお迎えください!』

 高らかにMASAKIを呼ぶ。

 と同時にバックステージからMASAKIが登場し、周囲はものすごい歓声に包まれた。

「……いや、すごいな」

 加々美はモニター越しに響いて来る歓声の凄さに素直に驚く。もはや悲鳴に近い。それが五分以上は続いた。

 進行役のインタビュアーも、いつまでも収まらない歓声にインタビューを始めようにも始められず、途中から少々苦笑気味になっていた。

 イベント中、雅紀は終始笑顔だった。穏やかな表情でインタビュアーの質問に答えていく。主にファッションショーのステージに関する内容で、本番に臨むまでの気持ちの持って行き方や、裏舞台での様子などについて軽快に答えていた。

 ––演技なんてできないって言ってたくせに、随分な役者じゃねぇかよ。

 加々美は思う。

 溺愛する弟を人質に取られているなど誰も思うまい。

 いや、そもそも、妹が弟を人質にとって兄に要求を突きつけるなど、そんなことがあるなど世間の誰も思いもしないだろうが。

 イベント時間は三十分だ。そろそろ終わる。

 進行役も終わりの時間が近づいて来ていることを口にする。

「そろそろ、だよな?」

 唐澤経由の話では、イベント終了間際、観客に紛れ込んでいた沙也加に雅紀が気づき、妹が来てくれていたと歓迎ムードで壇上にあげ、近頃事実と異なる内容の報道がなされて兄として(いきどお)っていること、妹に手を出す奴は許さない、と言った内容のことをMASAKIが言うことになっている。

 あれだけ世間を騒がせ、美族のDNAと世間に浸透した篠宮兄妹初のツーショットだ。一人ずつの画像はすでに公表されているとはいえ、二人並べば当然、世間の話題をさらうこと間違い無い。おそらくはすぐさま、妹をかばうMASAKIの発言もろとも、ネットで拡散するだろう。

 そしてそれは、イベント主催者が気を悪くする話ではなく、スポンサー関係に迷惑をかけるわけでも無い。沙也加の一発逆転を狙ったメディア戦略は、いいところに目をつけた、としか言いようがなかった。

『残念ながら、時間となってしまいました』

 進行役が終了を告げる。

 それを合図に、MASAKIが軽く腰掛けていたハイスツールから立ち上がった。

『MASAKIさん、お忙しい中、今日は本当にありがとうございました!』

 その言葉とともにMASAKIは観客席に笑顔を向け、––––そしてそのまま、バックステージに姿を消した。

 ––あれ?

 加々美は、モニターの前で固まる。

 壇上に一人残った進行役は、今一度募金のお願いをし、観覧者たちに感謝とイベント終了を伝え、そしてネット配信は何事もなく終了した。その後モニターに映し出されたのは、映画のエンドロールのようにしてネット画面から募金する方法の告知のみだ。

「どういうことだ?」

 説明を求めるように高倉を見やると、高倉はわずかに肩をすくめた。

「さあ?」

「予定が変わったってことか?」

 それとも、沙也加の要求を跳ねのけた?

 いや、あの雅紀が尚人を見捨てることだけは絶対にない。

 それだけは確実だ。

 ただ、当初の予定どおりにイベントは終了した。

 その事実だけがあった。

 

 

 

 ––うそ、なんで。

 雅紀の消えたバックステージを見遣って、沙也加は呆然とした。

 呼ばれなかった。

 それが信じられなかった。

 ––尚のこと、見捨てたってこと?

 それとも、見捨てられたのは自分なのか。

 観客は、ざわめきを残しつつも、ゆっくりと引いていく。ひょっとすると再登壇のサプライズがあるかも、と粘っていた観客らも、十分もすれば、どうやら本当にイベントは終了らしいと去っていく。

 その中に沙也加は、ぽつんと取り残されていた。

 意味がわからない。

 状況が飲み込めない。

 何が起きたのか、さっぱり理解できない。

 沙也加はただ憮然と立ちすくむ。

 ここまできて雅紀に無視されるなど、思ってもいなかった。

 あり得ない。

 あり得ない。

 あり得ない!

 足が縫い付けられてしまったかのように沙也加はその場から一歩も動けない。

 固まったまま空っぽのステージをただただ見つめる。

 たった今まで、雅紀のいたステージ。

 目と鼻の先で、雅紀が微笑んでいたステージ。

 そのステージ上の雅紀を見つめながら、あの視線がいつ自分を捉えてくれるのかと、心(たかぶ)らせていた待っていたのに。

 あの落ち着いた声音にほんの少しの甘さを加えて、いつ自分の名を呼んでくれるのだろうと、はやる気持ちを(おさ)えて待っていたのに。

 雅紀の視線は最後まで沙也加に向けられることはなかった。

 雅紀の笑顔が沙也加に向けられることはなかった。

 雅紀が沙也加の名を呼ぶことはなかった。

 それはまるで昨日の約束など、なかったかのように。昨日の電話でのやりとりが、沙也加ひとりの妄想だったのではないかと錯覚してしまうほどに。雅紀は最後までMASAKIだった。 

 ただただ呆然と、沙也加はたたずむ。

 そんな沙也加に、

「沙也加さん」

 背後から静かな声がかかった。

 名を呼ばれ、沙也加ははっと我に返る。

 名古屋に知り合いなんていない。

 そんなことを思いつつ、ぎくしゃくと振り返ると、視線の先にいたのはマネージャーの唐澤だった。

 ––どういうことよ。

 沙也加は、反射的に眉を潜めた。

 なぜ、唐澤がここにいるのか。

 どうしてここにいると、わかったのか。

 沙也加は軽く混乱する。

 唐澤がここにいて、雅紀が自分を呼ばなかった––––その理由。

「尚人さんは、私が保護しました。今頃控室で、MASAKIさんと再会しているはずです」

「どういうことよ」

 思わず口をついて出た、沙也加の声が震えた。

 どうしてここで唐澤が絡んでくるのか。唐澤がどうして尚人の居場所を突き止められたのか。

 スマートフォンは、雅紀と会話したときだけ繋いだ。

 パソコン関係に強くない沙也加とって、どういうふうに位置情報がキャッチされるのかわからなかったからだ。とにかく電源を入れていると居場所がバレる。そう思っていた。

「沙也加さんがMASAKIさんに送った写真に位置情報がついたままでした。MASAKIさんに写真を転送してもらって、私がPCで確認したんです」

 唐澤は淡々と告げる。

 沙也加は驚きに目を見張った。

 写真から位置情報がわかるなんて知らなかった。

 では、むしろ尚人を眠らせないで、電話口に出した方が良かったのか。

 沙也加は愕然と震えた。

 せっかくの計画が無駄になってしまった。

 あれだけ必死に考えて、意を決して実行したのに––

 途中まで、うまくいっていたのに!

「帰りましょう、沙也加さん。マスコミ対策の方は私がきちんとしますから。……沙也加さんの希望に添える形に持っていける方法を考えますから」

 その言葉に沙也加は、唐澤が何もかも知っているのだと気づく。

 雅紀が何もかも唐澤に話したのだと。

 そのことに気づく。

 雅紀のその行為が、他事務所のモデルへの苦情を担当マネージャーに言うかのような、そんな行為に思えて。雅紀ではなくMASAKIとして突き放されたような気がして。沙也加の体から血の気が引いた。

 そんな沙也加を前に、いつも淡々とした唐澤が、どこか寂しげに笑う。

「至らないマネージャーで本当にすみません。でも、もう少しだけ頑張らせてください。沙也加さんを一流のモデルに育て上げるのが私の夢なんですから。だから、もう少しだけ、一緒に。……一緒に、頑張ってくれませんか」

 その言葉に、沙也加はくしゃりと顔を(ゆが)めた。

 欲しくて欲しくてたまらなかった言葉を、雅紀にこそ言ってもらいたかった言葉を、他人に言われたその寂しさが、どうしようもなかった。

 雅紀とはこれで本当に終わったのだ。

 沙也加の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

 

 * * *

 

 

 イベントが終了し、雅紀はイベントホール裏に設けられた専用通路を通って控室に戻った。

「ナオ!」

 雅紀は、控室にいた尚人を抱きしめる。

 実質会わなかったのはたった一日なのに、数ヶ月ぶりにようやく再会できたような気持ちだった。

「まーちゃん、ごめんね。心配かけたみたいで」

 腕の中で尚人が小さく呟く。

 雅紀は尚人の頭の天辺にキスをして、尚人の匂いを思い切り嗅ぐ。

 こんなとき、どこにでもマネージャーがついて来るような事務所でなくてよかったと思う。控室には、雅紀と尚人の二人きりだった。

 とにかく無事でよかった。

 こうして自分の元へ帰って来た。

 それだけで感無量だった。

 が、

「……なんかいつもと違う匂いする」

 雅紀は腕の中の尚人の匂いを嗅ぎまくって呟く。

 いつもすっきりグリーン系の匂いがするのに、今日は何とも甘い。

「ここに来る前にホテルでシャワー浴びたからかな」

 尚人が呟く。

「唐澤さんに、しっかり目を覚ますためにシャワー浴びたほうがいいって言われたから」

 見知らぬ男性に起こされてびっくりした、と言いつつも、状況説明に納得すると、初対面の相手の言葉にも素直に従うのが尚人らしいといえば尚人らしい。

 ––こんな甘い匂いさせてたら、今すぐ喰いたくなっちゃうだろう。

 雅紀は、尚人を抱きしめながら思う。

「よし、ナオ。さっさと帰ろう」

 帰ってナオを好きなだけ喰おう。

 思い切りキスをして、身体中舐めまわして、密口をしつこいほどに擦り上げて、声が枯れるほどに啼かせて、明日ベットから出られないほどに何度もいかせてやろう。

 もう、どこにも行かないように。

 尚人がずっと、自分の腕の中にいるように。

「仕事は、もう終わったの?」

「ああ」

 雅紀は尚人を腕の中から解放し、荷物を手早くまとめる。

 もはやさっさとここを退散し、一刻も早く新幹線に乗りたい。

 新幹線に乗る前に駅弁を買おう。いつもならそんなものに興味はないが、遠出したことがない尚人は喜ぶに違いない。

 雅紀はゆったりと微笑む。

「あ、そうだ。これ、ナオに返しとかないとな」

 雅紀はカバンから尚人の携帯電話を取り出す。それを見て、尚人は溢れんばかりに目を見開いた。

「まーちゃん。もしかして、拾って来てくれたの?」

「ああ。ナオと連絡取るための大事な電話だからな」

 まあ、見つからなければ買い直せばいいだけなのだが。昨日は、携帯電話の場所に尚人が一緒にいるかどうかも確認する必要があったのだ。

「ごめんね、まーちゃん。携帯、落としちゃって」

 雅紀はくすりと笑う。どう考えてもあの状況は『落とした』ではないが、そういう言い方をするのが尚人らしかった。

 ––それとも、見つからなかったことにしてスマートフォンに買い直したほうが良かったかな。

 ちらりとそんなことが脳裏をよぎったが、まあ、いい。瞳をうるませながら感動している尚人を見れば、こちらのほうが正解だ。

 雅紀は尚人と仲良く並んで通用口へ向かうと、イベント関係者に見送られながら待っていたタクシーに乗り込む。その後部座席。雅紀が尚人の手をそっと握ると、照れたように小さく笑った尚人がたまらなく可愛かった。

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