「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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銀波ノ雫 エピローグ

 隠れ家的和食ダイニング『真砂』。加々美と食事をするときにはすっかり定番になっているこの店に、雅紀は約束の時間より少し早めに到着した。

 先日の騒動の一件で、加々美にも随分迷惑と心配をかけた。そのお詫びを兼ねて今日は雅紀の方から声をかけたのだ。なので、自分が遅れるわけには行かない。それで早めに来たのだが……

「よう、おつかれさん」

 通されたいつもの個室には、既に加々美の姿があった。

 雅紀は軽く驚いて、慌てて居住まいを正す。

「すみません、加々美さん。こちらから声をかけたのに、お待たせしてしまって」

「なあに。俺の方が早く着きすぎたのさ。なにせまだ、時間前だ」

 加々美は腕時計を見せて指先で軽く叩く。

 ハイブランドのプレミアもので、人によってはこれ見よがし感が出まくるのだが、加々美の腕にあると似合いすぎていてかっこいい。

「先日は本当にご迷惑とご心配をおかけしました」

 雅紀は座敷に上がって改めてきっちりと腰を折る。加々美は艶っぽく笑った。

「とりあえず、乾杯しようぜ」

 そう言って、加々美はビールを頼む。雅紀が誘おうとも、場の主導権があるのはいつだって加々美だ。そのことに異存はない。

「納まるべきところに納まったってことで、いいんだろう?」

 運ばれて来たビールで乾杯し、ひと口流し込んだところで、加々美がほんの少し上目遣いに雅紀を見る。雅紀はわずかに口元を歪めた。

「その納まるべきところがどこなのかはわかりませんけど。俺的には、ナオが無事だったんで、それだけでいいです」

「ま、そりゃ、そうだな」

「唐澤さんから報告受けたんでしょう?」

「まあな。中途半端に首突っ込んだ以上、気になるからな」

 それは当然、そうだろう。

「俺もあの日唐澤さんがいろいろ動いてくれて、とても助かりました」

「写真から尚人くんの居場所、割り出したんだってな」

「そうなんです」

 雅紀は頷く。

 まさか雅紀も、スマートフォンで撮影した写真に位置情報がくっついているなんて知らなかった。

 あの日、沙也加との電話が終わって、雅紀はすぐに唐澤に電話を入れた。

 その会話の中で、唐澤に指摘されたのだ。

「ひょっとすると、写真に位置情報が記載された状態のままかもしれません。よければ転送してもらえませんか。PC持って来てるんで、すぐ確認できます」

 尚人の寝顔を他人に見せるのに抵抗がなかったわけではないが、背に腹は変えられなかった。運転交代要因としてアシスタントと一緒に移動中だと言う唐澤からはすぐに返答があった。

「位置情報ついてました。地図を送ります」

 それで確認すると、思いの外、尚人が近くのホテルにいることが分かったのだ。

 本当はすぐにでも迎えに行きたかった。

 沙也加に飲まされたらしい睡眠薬の影響も心配だった。

 特に母が睡眠薬の飲む量を間違えて死んでいるだけに、杞憂と流すことができなかったのだ。

 それでも、唐澤と話し合って、尚人に一番影響のでない方法で尚人を保護するには、沙也加がイベント会場に出発したのち、尚人が一人になったタイミングを待つのが一番だろうと言うことになった。

 もちろん、そのタイミングでは雅紀は迎えに行けない。それで唐澤が尚人を迎えに行ったのだ。そして唐澤は、沙也加のマネージャーという立場をフル活用し、ホテル側から部屋の鍵を借りるのも難なくやってしまったのである。あの日唐澤が名古屋へ来てくれていなければ、もう少しややこしい状態になっていたのは間違いない。

「唐澤さんには本当にいろいろ助けてもらって。電話ではお礼を言ったんですが、いつか改めてお礼をさせてください」

「いや、それには及ばないさ。唐澤の方も、担当モデルのことでお前に迷惑かけたって恐縮しきりだったからな」

 加々美はそう言って唐澤の話を思い出す。

 アズラエル本社、高倉真理の執務室。名古屋から戻って来た唐澤は、当然、上司である高倉に報告にやって来たのだが、いろいろ気になる加々美もその場に同席させてもらった。それで、写真データから位置情報を掴んだことや、イベント前に尚人を保護して雅紀にも連絡したこと。イベント終了後に沙也加と接触し、唐澤の運転で沙也加を東京まで連れ帰ったことなどを知ったのである。

 高倉は篠宮兄妹のツーショットが実現せずに残念な様子だったが、今後の雅紀や尚人との関係を考えれば、ベストな終わり方をしたのではないかというのが加々美の結論だ。

 何しろ世間的には、何もなかった、のだから。

 もともとこじれているらしい雅紀と沙也加の関係は、今回の件で決定的なものになっただろうが、沙也加にとってはむしろその方がいいだろうと加々美は思う。中途半端な期待など、邪魔なだけだ。

 それよりも加々美は、報告が終わって、ほんの少し雑談タイムのような状態になった時に唐澤がため息混じりに呟いたことの方が気になってしょうがない。

「それにしても、社内で加々美さんの秘蔵っ子って噂になっていた彼が、まさかMASAKIさんの弟だったとは、びっくりしましたよ」

 位置情報を取得するために雅紀に送ってもらった写真を見て、唐澤は気づいたらしい。

「加々美さんが社内で連れ回しているところをちらりと見た時に、随分雰囲気のある子だなと思っていたんですが。……寝起きの色っぽさは、本当ヤバかったです」

 は?

 加々美は唐澤の呟きに耳を疑った。

 色っぽいって、尚人くんが?

「起きている時は、爽やかさと言うか、涼やかさの方が前面に出て、イノセントな雰囲気ですけど」

「寝起きは全く違った?」

 加々美が興味津々にほんの少し前のめりになると、唐澤は至極真面目な顔つきでゆっくりとうなずいた。

「無垢な色っぽさってあるんですね。あれはある意味衝撃でした」

 無垢な色っぽさ?

 加々美は想像がつかなくて唸る。しかもそれがよく知る尚人であれば余計に。

 尚人と色っぽさも結びつかなければ、無垢と色っぽさも結びつかない。

 その後唐澤にいろいろ説明させたが、最終的には『あれは実際目にしないとわからない』と言われてしまった。

 加々美はそれが気になってしょうがないのだが、まさか雅紀に面と向かって

「尚人くんの寝起きって、色っぽい?」

 なんて聞けるはずがない。

 恐らくそんなこと口にしたら、雅紀に視線で殺される。

 どういう目で尚人を見ているんだと。

 ひょっとすると、尚人に二度と会わせてもらえないかもしれない。

「にしても、お前のトークイベント、一体どんなことになるんだとドキドキしながら見てたのにさ。まさか本番前に決着ついてたなんて。正直教えて欲しかったぜ」

「すみません」

 雅紀は謝る。しかしまさか、加々美がライブで配信を見ていたなんて思いもしなかった、と言うのが本音だ。

「唐澤さんが実際ナオと接触できるまで、どうなるか読めないところもあって。それで唐澤さんには全部終わるまで、ナオの位置情報掴んでいることまでは漏らさないで欲しいとお願いしてたんです」

「まあ、それもそうだよな。尚人くんの安全確保が第一だし」

 加々美の呟きに、雅紀もその通りと頷く。

 本当に無事で良かった。

 それに尽きる。

 ただそれでも、なぜ尚人が沙也加の呼び出しに素直に応じたのか、それは疑問だった。前回のあの平手打ち事件があって、尚人の中でも沙也加は、家族から切り離した存在になっていたはずだったからだ。

 話があるなら電話で済む。

 そのはずだからだ。

 それで、あの日の帰路の新幹線内。ほとんど乗客のいないグリーン車の座席に着いて、雅紀は聞いたのだ。

「ナオ、沙也加に何て言って呼び出されたんだ?」

 すると尚人は少し気まずそうな顔をして、ぽつりぽつりと口にした。

「……聞きたいことがあるから、今から出て来れるって。そんな感じで」

 それだけで?

「最初は裕太に用事なのかなって思ったんだけど、俺に話があるっていうから。 ……ひょっとして、ピアノのことかなって、思ったんだ」

 ピアノ?

 雅紀は全く話が見えずに尚人を見つめる。

「ちょっと前に、沙也姉、家にあるピアノ引き取りたいって裕太に電話して来てて」

 なんだその話は?

 聞いてない。

 全くの初耳の話に雅紀は眉を潜めた。

「もう一度ピアノが弾きたくなったからとか、裕太に言ったみたいなんだけど。その時裕太、家のピアノが欲しいなら雅紀兄さんに直接言えって言ったみたいで」

 そんな連絡はもらってない。

 ま、当然か。沙也加がそんなことで、連絡して来るとは思えない。

 ––にしても、ピアノねぇ。

 雅紀は口の端で笑う。

 今さら感が否めない。

 沙也加がピアノをしていたのは、慶輔(父親)が家を出ていくまでだ。それからみるみる家計が困窮し、ピアノ教室など通える余裕は無くなったし、受験時期とも重なって、尚人と担っていた家事の合間に優先すべきはピアノよりも学業だった。

 あれから五年だ。

 また弾きたくなったからと言って練習を再開したところで、今さらそれが仕事になるわけではない。趣味の話だ。ならばもう、いつ出ていくかわからない祖父母宅にピアノを入れるというのは、少々やりすぎの話だろう。ピアノを入れるためにはそれなりに床の補強がいる。防音対策のリフォームもいる。そのためにまるまる一部屋潰さなければならない。金がかかる割に、沙也加が家を出て行ってしまえば、どうしようもないお荷物だ。

 ––でもま、沙也加が可愛い、じーちゃんとばーちゃんなら、それでいいって言ったんだろうな。

 案の定、

「そのことで、ばーちゃんからも連絡があったみたいで」

 尚人が呟く。

「でも裕太。それも無視したみたいで。……だから、今度は俺に、その話するつもりなのかなって」

 なるほど。

 雅紀は納得する。

 ついに沙也加が直談判に動いた。

 尚人はそう思った、ということなのだろう。

「で、図書館に着いたら、沙也姉に、どこにマスコミいるかわからないから車に乗れって言われて。車の中で話をするのかなって思ったら、急に運転し出して。……で、そのまま高速乗って」

 気付いたら名古屋?

 尚人の話を聞いて、雅紀は溜息をつく。

 信じられないほどの狡猾(こうかつ)さだ。

 よほど用意周到に計画を練ったとしか思えない。

「ごめんね、まーちゃん。沙也姉に呼び出されたこと、まーちゃんが仕事から帰ってきてから話せばいいって思って。……まさか、こんな大事になるなんて思いもしなくて」

 尚人はしゅんとうなだれる。

 その姿が可愛すぎて、雅紀は抱きしめたくってしかたなかったが、乗客が少ないとはいえ今は新幹線車内で、雅紀はぐっと我慢した。

 そもそも、姉が弟を拉致して人質に取るなんて、常識的にあり得ない。

 まあ、尚人は今回の騒動を、そこまで認識はしていないのだが。

 あくまで、沙也加に振り回されて一時行方不明状態になり、それで裕太と雅紀が心配して捜していた。としか思っていない。

 それでいい、と雅紀は思う。

 尚人を悩ませることにしかならない事実を、わざわざ知らせる必要などない。

 尚人だって今後、沙也加と二人きりで会おうとは思わないはずだ。

 尚人が無事だった。

 だから、今回は見逃そうと思う。

 しかし二度はない。

 同じことを繰り返すなら容赦はしない。

 今回は唐澤に随分助けられた。

 だから見逃すのだ。

 ––出来るマネージャーを付けてもらったことに感謝するんだな。

 それが偽らざる雅紀の本音だった。

 一歩違っていたら、沙也加はいずれ、MASAKIの妹であることを呪わしく思う日を迎えることになっていただろう。

 そのくらい雅紀のはらわたは煮えくり返っていたのだ。

「で、話は変わるが。今、ネットでかなり話題になっている『リアル・コスプレ選手権』。お前すごいことになってるみたいだな」

 それを皮切りに、加々美との話題はいつもどおりの仕事がらみの話に変わる。

 雅紀もすっかり気持ちを切り替えて、加々美との食事を楽しむ。

 が、その途中のふとした瞬間、

 ––あのね、まーちゃん。今回のことはいろんな人に迷惑かけちゃったし、結局沙也姉が何したかったのか最後までわかんなかったけど。……でも、途中で立ち寄った公園の桜がすごくきれいでね。ほんのちょっと、来て良かったかなって、思ったんだ。

 あの日、尚人が帰りの新幹線の車内で、駅弁を食べている最中に、ちょっぴり上目遣いで言った言葉が急に胸をかすめた。

 ––遠くに見える海に沈む夕日と桜の対比がとってもきれいで。……いつか、まーちゃんと一緒に見れたらいいなって。

 その時の、尚人のはにかんだ笑顔が脳裏に浮かぶ。

 雅紀の頬は、知らずゆるんだ。

 よし、今度は尚人と一緒に遠くへ出かけよう。

 尚人が行ったことがない所へ連れて行って、尚人が見たことがない物を見せてやろう。尚人はこれから受験生だから、しばらくは無理かもしれないが、一年後には高校を卒業する。来年の今頃は、たっぷり時間があるはずだ。

「ね、加々美さん。加々美さんがお勧めするお花見スポットってどこですか?」

 雅紀が問いかけると、加々美は一瞬きょとんとした顔をした後、盛大なため息をついた。

「お前。俺の話、全然聞いてないだろう」

 その加々美の様子が何だかおかしてくて雅紀は口の端で笑う。加々美はわざとらしいため息をつきつつも、とっておきだという場所を雅紀に教えてくれたのであった。

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