「ナオが全国大会に出場する⁉︎」
雅紀は、尚人の言葉に驚いて思わず声を上げた。
隣に座る尚人は、ナスの煮浸しをパクリと口に放り込んでから、可愛らしくこくりと頷く。
「うん。先週の日曜に地区大会があってね。それで優勝して、県代表に選ばれたんだ」
「……」
雅紀は少々唖然と尚人を見やる。
部活もやりたいことも我慢して、家と学校を往復するだけの毎日。そんな尚人が三年生に進級してすぐに弁論部の部員に頼まれて臨時部員になったことは知っていた。
その時の尚人の説明によると、尚人の通う翔南高校には弁論部なるものがあり、伝統ある公立の進学校らしく高校生弁論大会ではなかなかの強豪校だという。
しかし、その弁論部の部員の中で有志を募り、ここ数年チャレンジしているという即興英語ディベート大会の方ではなかなか成績が振るわず苦戦続き。というのも、国際派を掲げる私立の方が英語に強い、というか、そもそも英語で育って来たような帰国子女が出場してくるため、どうしても即興という部分での英語力で負けてしまうらしい。それでも昨年は地区大会ベスト8の好成績を修めたとかで、今年はそれ以上の成績を狙っていた。らしいのだが––
「去年出場したメンバーの一人が三年生で、その人が卒業した後に一緒に参加してくれる人がいないんだって」
即興英語ディベート大会は三人ひとチーム。メンバーが揃わなければ、出場すらできない。それで昨年出場組のメンバー二人が『カップルガイド』騒動で「英語ができる」と認識された尚人をスカウトしに来たようなのだ。
「毎日放課後英会話の練習してるみたいなんだけど、それは免除してもらって。ディベートのコツ? みたいなものを習得するために、週一で来てくれればいいからっていうから」
尚人はOKした。その話は聞いていた。
しかし、
「優勝したんだ」
「うん。みんなすっごく喜んでた」
それは、そうだろう。今までの最高成績がベスト8だったのに、いきなりの優勝。全国大会出場だ。
全然分野は違うが、雅紀だってインターハイ出場経験者。全国優勝した雅紀だが、だからといって地区大会が楽勝だったわけではないし、地区大会で負ければ当然全国には進めない緊張感もあった。県内には力の拮抗したライバルもいて、一試合一試合が真剣勝負で、優勝を決めた瞬間に感じた喜びは今も鮮明な思い出だ。
「……でね。全国大会は東京大学の講堂が会場で、1日目が予選で、勝ち進んだら二日目が決勝なんだけど。決勝進出が決まったらいろいろ作戦会議する必要があるからってことでホテルに泊り込むんだって。でも、決勝進出が決まってからホテル捜すのは無理だから、事前にホテルは押さえてて、予選で負けても次の日の決勝戦を見てから帰るらしいんだ」
尚人がほんの少し視線を向けてポツリと言う。その横顔を見つめながら、雅紀は、尚人が何を言いたいのかわかった気がした。
おそらくは、全国大会に出場する交通費と宿泊代が個人負担だと言われたのだろう。優勝してもこのテンションの低さは、それが原因としか思えない。
中学から剣道に明け暮れ、部活の強豪校に通っていた雅紀にとって、遠征費問題は身近な話だ。
瀧芙高校では、そもそも全国大会出場を目標としていたから、部費や学校に払う諸経費に遠征費や大会参加費というものが最初から含まれていて、そこにOBなどからの寄付も加わり、いざ全国大会出場となったときの個人負担はかなり抑えられていたが、翔南高校の、しかも弁論部という文化系部活動ではそういった積み立てなどしていないのだろう。
それはある意味、当然のような気もした。
「もし、出場するための交通費や宿泊代のことを気にしてるんなら、心配する必要なんかないからな。ナオが全国大会なんて晴れの舞台に出場するんだから、金ならいくらだって出してやるさ」
それに、都内に行く交通費や一泊のホテル代などたかが知れている。というのは、仕事柄ホテル泊が当たり前になってしまった雅紀の感覚で、尚人にはとんでもない負担に感じるのだろう。なんと言っても、散々金の苦労をしてきたのだから、その辺りは仕方ない。
「それより、全国大会っていつあるんだ?」
「8月頭」
「へぇ。ちなみに観覧って可能?」
「うーん、その辺は確認してみないとわかんない。……けど、雅紀兄さん来たりしたら、みんなパニックになっちゃうんじゃない?」
「どうかな。全国大会って結構みんな自分のことに集中しているし、有名人見かけても、わーきゃーする余裕なんてないんじゃないかな」
「そんなもん?」
「ディベート大会なんて行ったことないからわかんないけど。大会なんだから、場の緊張感はたぶんどこも似たり寄ったりだろう」
雅紀は、ディベート大会がどういったものかいまいちイメージできなかったが、何はともあれ、尚人が全国という舞台で頑張ろうというのだ。その姿を見れるものなら見たい。それは当然の思いだ。
「観覧可能だったら絶対行く。ナオが頑張ってるとこ、超見たい」
雅紀が言うと、尚人は初めてほんの少し照れたようにはにかんだ。
* * *
「おおー、すげーじゃん」
校舎の屋上から吊り下げられた幔幕を見上げて中野が声を上げた。
そこには
『高校生即興英語ディベート大会 全国大会初出場』
の文字が踊っている。
超進学校である翔南高校は、部活動もそれなりに頑張っているものの全国大会出場など滅多になく、よってこういった出場を祝う幔幕が校内を飾ることは珍しい。
他の生徒たちも鮮やかに目に飛び込んでくる幔幕を見上げて、
「へぇ、全国大会に出場するんだ。すげー」
「即興英語って、やばくね」
「おれ、日本語でもディベート無理なのに」
などとさざめきあっている。
「篠宮投入した効果絶大だよな」
中野が山下を振り返ると、幔幕を見上げていた山下も神妙な顔でうなずいた。
弁論部の部員が、即興英語ディベート大会に出場するため尚人を臨時部員としてスカウトしにきた話は、尚人から直接聞いていた。
中野と山下は三年生のクラス編成でも尚人と一緒のクラスになれなかったし、代表委員でもなくなって定期的に顔を合わせる機会もなくなっていたが、昼休みなどに時々
「近頃は裕太が随分家のこと手伝ってくれるようになったから、週一くらいの活動なら大丈夫かなって思うんだ」
スカウト話を受けるかどうかという時、尚人はそう言って結構前向きだった。
修学旅行の時に尚人の英語力を見せつけられていた中野や山下は、
「篠宮参加したら、うちの学校、優勝しちゃうんじゃね?」
と言い合っていたのだが、まさか本当に優勝するとは、である。
「さすが、篠宮だよなぁ」
そもそも尚人の言葉には、妙な説得力というか、つい聞き入れてしまう力がある。強いリーダーシップを発揮するわけではないのに、尚人の言葉によって、それぞれが、それぞれの落とし所に納まり、クラスが纏まっていく。そんな感じだ。困りごとがあると誰もが尚人を頼る。尚人は決して八方美人ではないし、無理なことは無理ときっぱり言いもするが、それでもいい加減に聞き流さないからか、尚人に相談することで解決への糸口が掴める不思議さがある。
ディベート大会は、英語の「表現力」と、主張の「内容」の二つの要素でジャッジされ、どちらのチームにより「説得力」があったかということで勝敗が決まるというので、尚人はまさに適任。弁論部の連中もいいところに目をつけたとしか言いようがない。
「行けるもんなら、応援、行きたいよな」
しかし、全国大会があるという8月頭は、翔南高校ではまだ夏季課外中だ。出場メンバーは当然公欠扱いだろうが、応援のための欠席は認められないだろう。
二人は軽くため息を吐きながら、それぞれの教室へと向かったのだった。
終礼後、教室内が一瞬のざわめきに満ちて、部活へ行く者、帰宅する者、それぞれ別れて教室を出ていく。桜坂も配られたばかりのプリントを仕舞って鞄を手にすると、駐輪場へ向かうべく教室を出た。
桜坂は空手をやっているが、学校の部活動ではなく道場に通っている。そのため授業が終わればすぐに帰路に着く帰宅部だ。先に教室を出た尚人も同じで、自分と同じ昇降口へ向かうものと疑っていなかった桜坂は、階段を降りずに廊下をまっすぐ進んだ尚人を不思議に思って声を掛けた。
「篠宮。帰らないのか?」
その声に尚人が立ち止まって振り返る。桜坂と視線があって、微かに微笑んだ。
「今日は部活して帰るから」
「弁論部の活動は週一だったんじゃないのか?」
それは確か火曜だったはずだ。それで昨日は、尚人が昇降口とは違う方へ向かっているのを見ても不思議に思わなかった。
「うん。そうだったんだけど、全国大会にむけて杉本と清田がすっごくやる気出してるから。俺もできる限り参加しようと思って」
尚人が言う。
「へぇ」
尚人自身がそう決めたのなら、桜坂に文句はないが。
「家の方は、大丈夫なのか?」
「うん。裕太も、帰りの時間さえわかっていれば毎日でもいいって言ってくれたし」
「そうか」
桜坂は呟く。
「大会、来月頭だっけ?」
「そう」
ならば、ひと月切っている。大会までにもうひと成長できるか、という大事な時期だろう。まあ、空手とは違うのかもしれないが。
「無理しすぎんなよ」
桜坂が言うと尚人はにっこりと笑った。
「うん。ありがとう、桜坂」
「じゃあな」
桜坂は尚人と別れて階段を下りる。
その背を見送って、尚人も弁論部の部室へと向かった。