「じゃじゃーん。今日は、これを見ようと思います!」
そう言って、英語ディベートメンバーのリーダーを務める杉本が鞄から取り出して見せたのは、一枚のDVDだった。
「それ、何?」
反応したのは清田だ。
この杉本と清田の二人が尚人をスカウトしにきた弁論部の部員で、二人は一年生の時から英語ディベート大会に参加しているという。
二人が言うには、
「一年生の時は恥かきに行ったようなものだった」
らしいが、それで本気モードに火がついた、というか負けず嫌いスイッチが入ったらしく、
「翔南の英語ってあのレベル」
と笑った連中を見返すべく、英会話の猛特訓を積んできたらしい。現在二人とも英検二級まで取得済み。日常会話は全く問題ないレベルだ。高校最後の参加となる今年は三年間の集大成。念願だった地区大会で優勝し、レベルが地区大会とは段違いと噂の全国大会でも「せめて一勝」と燃えていた。
「過去の全国大会の決勝戦の映像です! 坂下先生が極秘ルートで入手してくださいました」
杉本が何やら含みを持たせて二人に告げる。
しかし、DVDのジャケットには、『第八回英語即興ディベート大会決勝戦』の文字と共に『開催事務局監修 3,000円』の記載があり、正規販売されていたものだというのがわかる。
「へぇ。そんなDVD販売してんだ」
清田が呟くと、杉本は人差し指を立てて小さく振った。
「販売されてるからって簡単に手に入ると思わないでよね。これは会場で購入予約しないと買えないレアものなんだから」
「え、ってことは。坂下先生、全国大会見に行ったことあるんだ?」
清田が驚いたように呟くと、杉本は軽く咳払いした。
「これは、借り物です」
「ああ」
なるほど、と清田が納得したように頷く。
だから『極秘ルート』なのか。
坂下は、英語教師だ。弁論部には主顧問として国語科の教師がいるのだが、英語ディベート大会に出るようになってから副顧問として英語科の教師がつくようになった。英語ディベートの方の指導専門で、杉本と清田は弁論部の活動と並行して坂下に英語力を鍛えてもらってきたらしい。
その坂下が、いろいろと知り合いを頼ってこのDVDを借りてきてくれた、というのが杉本の説明だった。
「ところで、どこで見るの?」
尚人が素朴な疑問を口にする。弁論部が活動場所として使っている多目的学習室には、テレビもDVDデッキもない。
「パソコン室の使用許可をもらっています!」
杉本が抜かりなしと言った顔で告げる。既に鍵も借りてきていたらしく、ポケットから取り出した鍵を二人の前に掲げた。
「じゃあ、さっさと移動しようぜ」
清田が荷物を手に立ち上がる。常にハイテンションな杉本と冷静沈着な清田はいいコンビだ。
三人は揃って教室を出てパソコン室へ向かった。
『只今より、第八回即興英語ディベート大会決勝戦を行います。チーム代表はくじを引いてください』
会場アナウンスが響く。
再生されたDVD画面を尚人は興味深く眺めていた。
映し出された会場がどこかはわからない。地区大会があった体育館のような場所ではなく、劇場あるいは講堂のような、最初から観衆のための椅子が設置されている場所だ。今年の会場と同じ東大講堂かもしれない。その舞台上に各チームの代表がいて握手してジャンケンをする。くじをどちらが先に引くのか決めるためで、それは地区大会でも同じだった。
くじは、提示された論題に対し「賛成」意見を述べるか「反対」意見を述べるか決めるためのものだ。
尚人は今回弁論部の部員に誘われるまで、ディベートがどんなものかよくわかっていなかった。イメージ的には、賛成反対に分かれて自分たちの意見を声高に言い合う討論のようなものかと思っていたが、今回参加している英語即興ディベート大会には明確なルールがあった。
最初に「賛成(肯定)」意見を述べるか「反対(否定)」意見を述べるかをくじ引きで決める。そして次に、発表された論題に対し与えられた時間内(おおよそ十五分)で、くじで決められた方の意見を述べるための理論構築をする。これは出場する三人全員で考えていい。そして、ディベートがスタートすると、まず論題の肯定側の第一スピーカが肯定する理由を述べる。その次に、否定側の第一スピーカが、肯定理由に対する反論を述べて、なぜ自分たちが否定するのか理由を述べる。肯定側の第二スピーカは、否定側の第一スピーカが述べた内容に反論し、自分たちがなぜ賛成なのか理由を補強する。否定側の第二スピーカは、その意見にさらなる反論を述べて、自分たちの意見を補強する。スピーカの順番は固定で、スピーチ時間は各三分。持ち時間を過ぎると強制終了させられる。途中質問も可能だが、スピーカ側が質問を拒否することも可能で、質問時間も持ち時間の三分に含まれる。質問を自分たちの意見補強にうまく使えるかどうか。あるいは、相手の意見に切り込む鋭い質問ができるかどうか、も評価の内だ。逆にスピーチを邪魔する意図だけで質問しているとジャッジに判断されるとマイナス評価になる。各チームの第二スピーカまでのスピーチが終了すると、三番手が、前二人の主張やそれまでのやり取りをまとめ、自分たちの意見の方が相手よりも勝っていた理由を述べる。この時、前二人が言ってもいないことを「自分たちの意見」として新たに付け加えることはできない。あくまでも遣り取りされた意見のまとめ役である。
どの学校も大体この三番手に三人の中で一番英語力が低い者を置く、という話だった。なぜなら、まとめ役は、事前にある程度定型文を用意することが可能だからだ。最初の二人が何を言うかは理論構築する十五分の時間で一応わかっており、そこに、ディベート中に出てきたワードをうまく一つか二つ入れこめられれば、まとめ、になるからである。まとめのスピーチ中は質問受付もないから、突発的なことに対応する必要もない。
しかし部顧問の坂下は、あえてこの三番手に尚人を置いた。
「篠宮くんの英語力とその発音の綺麗さは、うちの学校の武器になる」
「必殺の武器は、最後の最後まで取っとかないとね」
というのが理由だった。
尚人はよくわからなかったが、二年連続で大会に出場して、それなりに「ディベート独自の戦い方」の感覚を掴んでいるらしい杉本と清田は、顧問のその発言に大いに頷いて、それで尚人は地区大会では三番手を務めた。
要は、みんなの話をよく聞いてまとめを言う役だ。それは、二年生でクラス代表委員を務め、行事毎にクラスの話し合いをやった時とほぼ同じ感覚だった。クラスの代表としてみんなの意見を最後にまとめる。言語が日本語か英語か違いがあった程度のことだ。Aさんの言うこともわかるけど、今回はこう言う理由でBさんの意見の方を採用しよう。みたいな感じだ。
週一で部活動に参加し、ディベートのコツとやらを学んで、反論する時のポイントや質問のタイミングなどの練習もした尚人だったが、よってそれらを活用する場面はなかった。それが尚人的にほんの少し残念で、同時にホッとしたところでもある。杉本や清田のディベートを見ていて、自分にはああいう主張はできない、と思うことばかりだったからだ。一年生の時から弁論部に所属しディベート力を鍛えてきた二人はやはりさすがで、自分の意見を相手が納得するように伝えるってこういうことなんだ、と勉強になることばかりだった。
発表された論題は『日本も飛び級制度を導入すべき』。尚人たちも練習で使用したことがある論題だ。
賛成意見側のチームのスピーチが始まる。
〔なぜ年齢が同じというだけの理由で、日本国中で同じことを学ばなければいけないのでしょう〕
〔個々人の能力差に目を瞑り、同年齢であれば同じ学習能力を有するという決めつけは、ある意味国家の怠慢とさえ言えるのではないでしょうか〕
賛成側が個人差を強調して肯定意見を述べる。それに対し反対側が反論する。
〔学校は学習だけを行う場所ではありません〕
〔出来る子が出来ない子に手を差し伸べること。そこから生まれる協和、友情も大切です〕
質問の手が上がる。
〔友情は、同年代でしか育まれないという考えですか?〕
なかなか鋭い質問だ。
スピーカ側が質問の受け入れを表明する。
〔友情自体は、年齢差があっても生まれるでしょう。しかし、人はアイデンティティの形成期において、自他との差を自覚することも大切です。その自他との差は、同い年の子と比べて自分はどうか、というのが非常に重要と考えます〕
否定側のスピーチが終わると、すかさず肯定側のスピーチが始まる。否定側が使った「アイデンティティの形成」というワードをうまいこと織り込んでいく。
ディベートは、自分たちの理論形成の際に、相手側がどういった反論展開をしてくるか予想しつつ組み上げるのがポイントだ。こう言われたらこう返すというのをある程度予測して準備しておくためである。スピーチ時間は三分しかない。もたつけばジャッジの心証が悪い。かと言って論点外れの反論はもっと悪い。
地区大会では、相手の意見などそっちのけで自分たちが用意した意見を述べるだけのチームがいくつか存在した。もちろんそんなチームはすぐに姿を消して行ったが、「思いもしなかった質問」には「質問拒否」で対応しているのが見え見えのチームも多かった。しかしDVD映像は、さすがは全国大会決勝というべきか。どちらのチームも出てきたワードに即座に対応してスピーチを展開している。質問内容がよほど見当違いでない限り受けるのが前提のようで、まさに即興の英語ディベートだ。
「全国大会やばすぎ!」
最後まで見終わって杉本が叫ぶ。
清田も、同調するように頷いた。
「スピーチ内容もだけど、使ってる英語がハイレベルすぎ」
「『ん?』ってなってる間に途中から置いて行かれちゃった」
みんな早口すぎるー、と杉本が頬を膨らませる。
「けどさ、難しいっぽいこと言えばいいって感じにも受け取れたかな。俺、この論題で練習した時さ、篠宮が言った『飛び級できたら親の経済的負担が減る』って言葉に一番納得したもん」
「確かにー。公立の小中学校では授業料も教科書代も無償だけど、学校ってその他にもいろいろお金かかるもんね」
「篠宮の感想は?」
「おもしろかった」
「どのあたりが?」
「どちらのチームも、学校生活が充実してるんだろうなってのが透けて見えたところが」
尚人が言うと、杉本が興味津々といった感じで身を乗り出した。
「どういうこと?」
「んー。ディベート内容の論点まとめると、賛成側の着目点が学習能力で、反対側の着目点が精神的成長だったでしょ? それって車の両輪みたいなもので、どちらかだけ一方ってわけには行かないと思うんだよね。多分それはどちらのチームも気づいていて、だから賛成チームは能力があるならどんどん先に学習を進めていくべきだという理論展開しつつも、他者との関わりを否定しない学習環境を想定してて、反対チームは学校は協同こそ大切としつつ個人の学びは塾で補填できるって理論展開してたわけだよね? それって結局、どちらのチームも学校って場所が大事って思ってて、そう思う彼らは学校が楽しいんだろうなぁって」
「……そんなこと考えながら見てたわけ?」
「うん」
尚人が頷くと、杉本と清田は二人同時に息を吐き出した。
「いつも思うけどさ、篠宮って一人違う視点から物事見てるよな。達観とは違うけど
「そうかな?」
「なんかわかるー」
首を傾げた尚人に対し、杉本が頷いた。
「地区大会の決勝の時のまとめスピーチでさ、私、篠宮くん急に何言い出してんのー! ってびっくりしてたんだけど、最後にすっごく納得したもん」
「ああ、それ俺も」
「え、そうだったの?」
「でも、あれで勝ったと俺は思ってる」
「ジャッジも、ちょっとびっくりした顔してたもんね。そんな展開でくるか! みたいな」
「そうかな」
尚人は首を
尚人的には奇をてらった訳でもなんでもない。
地区大会決勝の論題は『未成年の携帯電話所持は法律で禁止すべきである』だった。「賛成」のくじを引いた翔南高校は、ゲームや動画視聴による長時間使用の問題。SNSを利用した犯罪に巻き込まれる危険性などを軸に「賛成」の理論展開をした。
それに対し相手チームは、緊急時に家族と連絡が取れる利便性、GPSを利用した見守り機能など有益性を強調し、「賛成」側の理論は、使い方のルールを家庭や学校で学べば解決する問題であると反論した。
そういった応酬のまとめとして尚人は自分の経験を踏まえてこう言ったのだ。
〔携帯電ははとても便利なものです。いつでも家族の声を聞くことができ、また電話に出られない状況の時もメールで用件を伝えることができます。いつでも連絡が取れるという安心感は携帯電話最大のメリットと言えます。動画視聴やSNSの問題は、利用制限をかけることで簡単に解決する問題であるようにも思います〕
しかし、と尚人は続けた。
地震などの大規模災害では回線がパンクして携帯電話は繋がりにくいこと。そういう時は公衆電話の方が有効だが、近頃の小学生の中には公衆電話の使い方を知らない子もいること。携帯電話を持たせているから「安心」というのは、ひょっとすると幻想かもしれないこと。
尚人は、相手チームへの反論として清田が持ち出した「家族と連絡をとりたいなら公衆電話という方法だってある」という言葉を利用してまとめをしたのだ。
〔携帯電話は麻薬と一緒です。一度持てば手放せなくなります。それくらい便利なものです。だからこそ、子供たちに持たせるのは慎重にならなければなりません。しかし、持たせていた方が安心という考えがある限り、子供に携帯電話を持たせる親は後を絶たないでしょう。であるならば、法律で禁止するのもやむなしと言わざるを得ないのではないでしょうか〕
「もはや何言っても最後に篠宮くんがうまいことまとめてくれるって感じだよね」
「しかも、篠宮の落ち着いた声質と完璧な発音で言われると、なんかもう何言われても納得するって感じだし」
「さすがうちの最終兵器」
それって、なんか違うくない?
尚人は心の中で苦笑する。
けれども、二人にそこまで言ってもらうと、仲間として認めてもらっている感じがして、尚人はくすぐったくもうれしかった。
最初に二人から誘いを受けたとき、大会というものに今まで出たことがない尚人は、なんとなく尻込みする気持ちもあって、どうしようか迷ったのだ。しかし、元旦正月の通訳アルバイトの時のことを思い出して考えを改めた。自分に何ができるか。漠然とした悩みを抱えている中でチャレンジした初アルバイト。思いのほか楽しくて、誰かの役に立てたことが嬉しくて、自分にもできることがあると実感できて。これからは機会があればもっともっと、いろんなことにチャレンジしてみようと思ったのだ。
その時のことを思い出して、自分を奮い立たせた。
これは、前へ進んでいくための次なるステップだ、と。
勝ち負けがある勝負事だから、頑張りが必ず結果に結びつくわけではないし、チーム戦となれば、自分一人よければという話でもない。
けれどもチーム戦であるからこそ、尚人は挑戦してみようと思ったのだ。
それは、夏休み中の職場体験やアズラエルでのアルバイトで、モデルの裏方で働いている人たちが、一つのチームのようにそれぞれの役割を果たしていることが印象的だったからだ。
チームで一つの目標を目指す。
その体験をする貴重な機会だと思った。
もしこれが、まったくのど素人ばかり三人集まって大会に出場する、という話だったら尚人も断ったかもしれない。
杉本や清田の真剣さに当てられたのも事実だ。
尚人のイメージ的には、前線に出て奮闘している二人を後方支援している程度にすぎない。
それでも三人ひとチーム。それぞれが、それぞれの役目を果たす必要がある。
第一スピーカの杉本が元気いっぱいに自分たちの主張を展開し、第二スピーカの清田が冷静に受けて意見補強をする。それを受けて尚人がまとめる。
このコンビネーションは地区大会を通して徐々に補強された。
「篠宮くんさえいれば、全国制覇だって夢じゃないかもね!」
杉本がドヤ顔をすると
「お前はまず全国のスピードに慣れろよ」
と清田が冷静に突っ込んだ。