「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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一陣ノ風 4

 その日尚人が部活に顔を出すと、定位置に座る清田の横に一年生の姿があった。

 皆川亜湖だ。

 清田が机に広げている記録ノートを横から覗き込むようにして、皆川がわずかに体を乗り出している。

 それが何だかいい雰囲気に見えて、

 ––ひょっとして、おじゃまだったかな。

 と尚人は内心焦る。

「杉本はまだみたいだね」

 場を繕うように尚人が声を掛けると、視線を上げた清田が、

〔日直だから、少し遅くなるって〕

 なぜか英語で答えて、

〔そうなんだ〕

 つられて尚人も英語で返した。

 日頃英語を使うことが増えたせいか、近頃尚人は、英語と日本語の切り替えが無意識だ。部活動の成果としては喜ばしいのかもしれないが、それで昨夜は少し恥ずかしい思いをした。

 昨夜はカレルから届いたビデオメッセージを見て、その返信を書いていた。雅紀から電話があったのがその直後で、尚人は無意識に、

〔Hallo,Ma-chan.〕

 と電話に出たのだ。

〔どうした。えらくご機嫌だな〕

 問われて首を傾げ、

〔え、そう、でもないけど?〕

 と答えると、

〔ふーん〕

 雅紀は呟き、

〔何してたんだ?〕

〔カレルからメール届いてたから、それに返信したとこ〕

 尚人が返すと、

「だから英語なのか?」

 日本語で問われて初めて、自分が英語で喋っていたことに気づいたのだ。

「あ、ひょっとして気づいてなかった?」

 笑いを含んだ声音に、尚人の顔がかっと熱くなった。

 恥ずかしいことではないはずだが、無意識だったのが何とも気まずい。

〔いいんじゃないか? 部活の成果だろう?〕

 あえて英語で言ってきたのが丸わかりで。

「……まーちゃんのいじわる」

 尚人がぼそりと言うと、電話口からはさらにクスクスと笑いがこぼれ落ちた。それでなんとなく意地になって英語で会話を続けたら、雅紀はあろうことか英語で睦言を仕掛けてきたのだ。

〔ナオ、〇〇って知ってる?〕

〔××って何のことかわかる?〕

 それらはおそらくスラングで。わかるようで、わからない。が、想像がつかないこともなくて。

 でも、とてもそんなこと口には出せず。

〔〇〇は、〇〇って意味でしょ〕

 普通に返せば、雅紀は予想通りという反応で。

〔別の意味があるんだけど。ナオ、知らない?〕

〔……知らない〕

 そう答えれば

〔じゃあ、今度。じっくり教えてやる。きっと、ナオ好きだよ〕

 などと思わせぶりなことを言われて。いたたまれなくなった尚人は、一方的に電話を切ったのだ。

 それにしても雅紀は、一体どこでそんなスラングなど覚えるのか。

 雅紀が一時期派手に女遊びをしていたことは知っている。雅紀に相手にされなくなった相手が、どこからどう調べるのか、自宅にまで電話を掛けてくることがあったからだ。その電話は、尚人との肉体関係が始まってからもしばらくは続いた。だから尚人は、雅紀の相手は自分一人ではないのだろうと、過ぎる期待を持ってはダメだと言い聞かせていた。

 自分は雅紀のものでも、雅紀は自分のものではない、と。

 ––ナオとするのが一番気持ちいい。

 そう言われるたびに、比較する相手がいるのだと思い知らされた。

 しかし今は、そんなことどうでもいい。

 雅紀が自分以外の誰かと肉体関係があったとしても、そんなことは関係ない。

 愛し愛されていることを知っている。それで十分だ。

 ……しかし。

 ––やっぱり、そういうことだよね?

 だからスラングを覚えるようなきっかけだ。

 実践で使ったこともあるのだろうか。

 それが脳裏をかすめた瞬間、気持ちがもやもやしたので、それ以上は考えるのを止めた。考えたところで不毛なだけ。なことを、悶々と考えたところで意味はない。

〔篠宮先輩、こんにちは〕

 顔を上げた皆川が英語で挨拶する。それで尚人も英語で返した。

〔こんにちは、皆川さん〕

〔今、ノートを、見ていました〕

 少々ぎこちないが、皆川が英語で話しかけてくる。それが彼女のやる気に思えて、尚人は微笑んだ。

〔そうなんだ〕

〔このページ。篠宮先輩が書いたところですよね?〕

〔そうだよ〕

〔えっと……。この単語、どういう意味ですか?〕

〔これは、こうこうこういう意味〕

〔では、これは?〕

〔これは、こういう意味〕

「じゃあ、この英文の意味って『××については、〇〇できない』って意味ですか?」

 皆川の会話が日本語になる。それで尚人も合わせて日本語で返した。

「否定強調だから『××については、どんなに〇〇しても、し過ぎることはない』って意味だよ」

「……あ、そうなんですね」

「高一じゃまだ習わない表現だから、わかんなくって当然」

 清田がさりげなくフォローしたので、尚人は、

 ––へぇ……

 清田をちらりと横目に見て、心の中だけで呟いた。

「ってか俺も一年の時は、こんな表現絶対わかんなかったし」

「でも、清田先輩って、一年の時から即興英語ディベート大会に参加してるんですよね?」

「まあ、散々な結果だったけどな。荒木先輩に誘われて、俺と杉本と三人でチーム組んで出たんだ。俺、中学の時結構英語できる方で、英語弁論大会に出場して県大会で優勝した経験もあったからさ。ディベートも楽勝だと思ったんだよな」

「弁論とディベートって、何が違うんですか?」

「自分の主張を一方的にいうのが弁論。相手と討論を交わすのがディベート」

「あ、なるほど」

「一方的に喋るだけの英語弁論大会はさ。事前に用意した原稿を頭に叩き込んで、まあいうなれば、そこそこの発音でスピーチすればいいんだけどさ。ディベートは、そういうわけにはいかないだろう? 特に今回参加してる即興型はさ。相手の主張内容や質問に即座に対応しなきゃいけないわけだし。何言ってるかわかっても、とっさに返す言葉が出てこなかったりさ」

「私も、結構英語できる方だって自信あったんですけど。昨日の先輩たちの討論内容、半分もわからなかったです」

「まあ、俺も、完璧に聞き取りできるようになるまで結構苦労したしな。前はどうしても英語を日本語に翻訳しながら理解しようとしてしまうところがあって。一個でも意味がわかない単語出てくるとそこで引っかかって、置いていかれちゃう感じで」

「わかります。私も、そんな感じなんです」

「でも、部活で記録取りやってるうちにいちいち変換しなくなったかな。英語聞いて英語書くのに日本語挟んでたら、二回訳してるみたいなもんだし。それでいつの間にか聞き取りの方も英語を英語で聞く感じになって。わからない単語も、一応その音のまま頭においとくって感じで」

「そうなんですね。篠宮先輩はどうですか?」

「英語と日本語が頭の中で同時に並んでいってる感じかな? まあ、でも俺の英語は実践的じゃないから。英会話の参考にはならないかも」

「実践的じゃないってどういうことですか?」

「英検受けるのが目的だったから」

「でも、それで一級って。凄すぎだよな」

 清田がぼそりと呟く。

 それに皆川が驚いたように何か言いかけたが、ちょうどその時杉本と顧問の坂下が現れて、三人の雑談はそこで終了した。

 

 

 * * *

 

 

 部活終わり。昇降口へ向かっていた杉本は、部長の小坂井に声を掛けられた。

「例の一年生二人。頑張ってるな」

「うん。二人とも正式入部してくれたし。めっちゃ頑張ってる」

 杉本は頷く。

 一週間の体験入部の後、皆川と渡辺は二人とも正式に入部届を出した。

 元々人懐っこい感じの皆川は、すぐさま馴染んで英語での雑談に加わるようになり、その皆川に引っ張られる形で大人しい渡辺もメンバーの輪に入れている。

 渡辺は照れがあるのかなかなか英語での会話で言葉が出てこないが、喋ればさすが英検準二級だけあってそれなりにちゃんとした英語を使うし発音も綺麗だ。一方皆川は、度胸だけはあるのでいろいろと英語でチャレンジする。文法がめちゃくちゃな時もあるが、そういう時は三年生の誰かがすかさず訂正する。それが板書しながらの英文法説明会になったりするので、三年生メンバーも基礎振り返りのいい勉強になっていた。

(まあ、皆川ちゃんはどう見ても篠宮くん狙いだけどね)

 あからさまではないが、それが透けて見える程度には皆川の行動はわかりやすい。雑談の時も尚人に話を振る割合が高いし、「勉強になるから」ということで始めている討論内容のまとめ––––これは杉本が、皆川と渡辺の二人ともに提案して、二人とも取り組んでいるのだが––––を、顧問の坂下に提出する前に必ず尚人に見せてもいる。

「篠宮先輩、この英文って合ってます?」

「もっといい表現ってありますか?」

 そんな感じで声を掛ける。

 一方、そういったことに初心(うぶ)(うと)そうな尚人は、皆川の質問に丁寧に答えてやってはいても、あくまで後輩の面倒を見てますといった様子だ。皆川も、今のところは自分の気持ちを前面に押し出してぐいぐい攻めようという感じではなく、尚人への恋心を英語学習の原動力にしているようなので、杉本としては暖かく見守っている。

 何しろ、恋愛は自由だ。

 とはいえ、

(篠宮くんが誰かと付き合ったりしたら、嫉妬が凄そうだよね)

 杉本がそう思う程度には、尚人は結構同級生女子の人気が高い。しかし、尚人の周りは常に男子が取り囲んでいたし、あの事件があって、尚人がカリスマモデルMASAKIの弟だと言うことが周知の事実になって以降は、まさに手が出せない高嶺の花になった。

 杉本のクラスメイトの中にも尚人ファンが何人かいて、

「今、廊下で篠宮くんとすれ違った! めっちゃラッキー」

 と騒いでいる女子がいる。が、彼女ら曰く

「篠宮くんと付き合おうだなんて、考えるだけで恐れ多過ぎる」

 らしい。

「大会の方の準備はどう?」

「ふふ、それはもう抜かりなく。坂下先生が、色々とコネを当たってくれて。今度の日曜、桜ヶ丘国際大学の学生相手に実践練習することになってるんだよ」

「すげーな」

 小坂井が軽く目を見張って驚く。

「やっぱり、二年間コツコツ続けた成果だよな」

 そう呟く小坂井は、実は早々に英語ディベートを諦めた口なのだ。当時は大会で全然結果を残せなかったし、同学年の清田と杉本は、小坂井から見て「こんなに喋れるなんてすげー」と思うほど英語ができる二人だったにも関わらず、大会では「翔南の英語ってあのレベル」と他校生に笑われ、自分には到底無理だと痛感したのである。

「まあ、私も清田くんも負けず嫌いだからねー」

「それは言えてる」

 小坂井は笑う。二人とも主張の強い者が多い弁論部の中では大人しい方だが、こうと決めれば貫き通す我の強さがある。でなければ、他校生に英語レベルを笑われて「やる気スイッチが入った」とはならないだろう。

「がんばれよ。応援してるから」

「おう!」

 杉本がいつもの調子で答えると、小坂井は破顔した。

「じゃ、俺。鍵返しに職員室に行くから」

「じゃーねー」

 階段前で二人は別れ、杉本はそのままテンポ良く階段を駆け下りた。

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