「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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一陣ノ風 6

 七月某日、朝八時三十分。雅紀は尚人を助手席に乗せ、自宅を出発した。一学期の終業式を間近に控えた日曜の朝。本来なら課外も部活も休みの日曜日は、日頃家事に勉学にと追われる尚人がほんの少しゆったり過ごせる日であるのだが、今日は特別に部活動があるというので、雅紀が送迎を買って出たのである。

 正確に言えば、昨夜、「明日部活がある」ことを理由にセックスに消極的な姿勢を見せた尚人を(なだ)(すか)してガッツリ食べるために、「送る」を一方的に宣言し、しかもそれを雅紀は免罪符としたに過ぎない。何せ尚人とのセックスを楽しみに五日ぶりに帰って来たのに、ベッドに押し倒した後にそんなことを言われても「じゃあ、今日は止めとくか」などという選択肢は雅紀の中にはなかった。

 もちろん、それなりにセーブするつもりではいた。「送る」と言っても、実際腰が立たないのはまずいし、部活の内容が「ディベート」なので声が(かす)れて出ない、なんてことになったら目も当てられない。にもかかわらず、尚人の嬌声に煽られて、途中から「明日」のことが雅紀の頭からすっぽり抜け落ちてしまった。尚人を散々啼かせた挙句、精の全てを尚人の中にぶちまけた。その結果、朝起きたとき尚人の声は掠れていたし、腰が立たずに起き上がるのもひと苦労だった。

 その状態に、さすがの雅紀も「しまった」と思いはしたが、

「……まーちゃん、ひどい」

 ちょっと泣きそうな顔で剥れた尚人も可愛くて。何より昨夜の情事の気配が残った気怠(けだる)そうな尚人が色っぽすぎて。

(やば。こんなナオ、誰にも見せられないんだけど)

 と思うと当時に、いつまでもベッドの上で尚人とくっついていたくて。

(今日は休ませようかな)

 と、本気で葛藤したくらいだ。

 もちろん、そんなこと出来ないことは雅紀もよくわかっている。尚人たち英語ディベートのメンバーは、全国大会に向けて本気で頑張っているのだ。今日はそのための貴重な実践練習である。自分の経験を振り返ってみるまでもなく、そんな大切な日に

「ちょっと羽目を外し過ぎまして」

 なんて理由で休めるはずがない。

 本当は、昨日尚人に告げられた時点で、我慢するのが兄として取るべき選択であったのはわかっている。ただ、その辺の常識を持ち出せば、踏み(とど)まるべきラインはもっとずっと前にあって、そこをすっかり超えてしまった今の雅紀にしてみれば、これもそれもどれも、

 ––ナオが可愛すぎるのが悪い。

 と言うことになるのだ。

 まあ、そんな内なる言い訳はさておき、剥れた尚人の機嫌が少しでも直るよう雅紀は朝から尚人を温かい風呂に入れてやり、喉にいいと聞く生姜入り紅茶も飲ませてやった。それで、家を出るまでには何とか尚人の腰も回復し、声も若干掠れてはいるが支障ない程度になったのだが、内に残る気怠さがあるのか、車に乗ってからも尚人はめっきり無口だったし、制服を纏って醸すアンニュイな雰囲気がそこはかとなく艶っぽくて、雅紀の心をざわつかせた。

「ナオ。まだ怒ってる?」

 信号停車時。チラリと横顔に視線を向ける。雅紀を見やった黒目がちな双眸が無自覚に誘って見えるのは、単なる雅紀の願望だろうか。

「最初から、怒ってないよ。……どうしようって、焦ったのは確かだけど」

「そう。なら、いいけど。珍しく、ナオが無口だから」

「まーちゃんこそ。せっかくの休みなのに。––もう少し、寝ときたかったんじゃない?」

「最初から、送るって言ってただろう?」

「……そうだけど」

 ひょっとして、それを気にしていたのだろうか。それを思うと、尚人の口に出さない気遣いに雅紀の口元が自然と綻んだ。

(そう言えば、こうやってナオを送るのも一年ぶりか)

 ふと、雅紀は思う。

 尚人が自転車通学の男子高校生ばかりを狙った暴行事件の被害に遭って足を捻挫した時、雅紀は自転車通学ができない尚人をしばらく車で送迎していた。その頃はまだ、雅紀と尚人の関係は微妙だった。雅紀は自分の願望の形も欲望の在処も自覚していたが、自分と尚人を繋ぐ鎖を強固なものにすることに腐心するあまり、間抜けなことに、尚人への切なる思いを言葉にしてきちんと伝えることを忘れていたのだ。それで尚人は、雅紀の教え込んだ肉体的快楽に身悶えながらも、兄弟相姦という二重禁忌に身を(すく)ませ、さらには「捌け口にされているのでは」と思い込んでいた節がある。

 ––好きだ、ナオ。

 そう初めて告げた時、尚人の背中はヒクリと震えた。

 その震えが、言葉にされるより明確に、尚人の心情を表していた。

 驚きと、戸惑い。自分に与えれることはないだろうと思っていた、思いがけない言葉。それに素直にしがみ付いて良いものか。躊躇するのは捨てられる悲しみと痛みを知っているから。一度は耐えられても、二度は耐えられないと思う恐怖。いい子であり続けた尚人が内に抱え込んでいた孤独を思うと、雅紀はその震えさえ愛おしくてならなかった。

 ––俺は、お前しかいらない。

 ––お前だけがいればいいんだよ。

 仮にその思いに応えがなくても雅紀は尚人を手放すことなど出来なかったが、幸いにも尚人は応えてくれた。

 ––まーちゃんが好き。

 思い思われ、身も心も一つに繋がることの幸福。

 それだけで良かったはずなのに。近頃雅紀は、時々どうしようもない感情を持て余す。部活を始めた尚人は忙しい。ばかりでなく、庇護されるべき子供のままではいてくれないのだと実感させられるからだ。一年前よりほんの少し大人びた尚人の横顔にそれを見る。表裏一体の喜びと不安。雅紀はその感情をかき消すように、青になった信号にアクセルを踏み込んだ。

 

 

 家から桜ヶ丘国際大学までは、車で行けば二十分もかからない。特に日曜の朝は道も空いていて、あっという間だった。

「適当に、そこら辺でいいよ」

 そう告げる尚人の言葉を聞き流し、雅紀は待ち合わせ場所だという大学正門前に車を横付けする。すると、そこにはすでに翔南の制服を着た高校生が三人立っていた。

 女子が二人に、男子が一人。そのうち二人が車に視線を向けるなりわずかに驚いた顔をしたのは、恐らく、雅紀の車に見覚えがあるからだろう。尚人を学校へ送迎していた時、正門前は毎朝黒山の人だかりだった。それでも駆け寄って来て雅紀に握手を求めたり、不躾にカメラを向けたりする生徒が皆無だったのは、さすがは超進学校の生徒達。場を(わきま)えているというか、事件被害者である尚人への配慮があったのだろう。

 しかし、今の雅紀の関心は、そこではなかった。

(部員って、二人じゃなかったのか?)

 雅紀は内心首を傾げる。

 三人ひとチームのディベート大会に出場するのにメンバーが足りないから尚人を臨時部員としてスカウトしに来た。そのはずだ。

「あれ? 今日、皆川さんも参加するんだ」

 尚人が、驚きを(はら)んだ呟きを口にする。それから察するに、どうやら一人はイレギュラー参加者のようだ。

「皆川さんって?」

「先週正式入部したばっかりの一年生。あの、髪の長い方の女子」

(へぇ)

 この時期に、新入部員とは。瀧芙高校ではありえない。

「こんな時期に部活に入る生徒がいるんだな」

「んー。何か英語ディベートに興味があるっぽい。全国出場が決まって校内に幔幕が飾られたから。それで、そんな活動があるって知ったんじゃないかな」

(それは何ともミーハーな話だな)

 雅紀は思う。最初から英語ディベートがしたいと思っていたなら、もっと前に調べてわかっていたはずだ。尚人の話を聞く限り、英語ディベート大会へ出場するための活動は、数年前から翔南高校で行われていたのだから。

(まさか、こいつ。ナオが参加してるって知って入って来たんじゃないだろうな)

 思わず穿(うが)ってしまう。

「じゃあ、雅紀兄さん。ありがとう」

 尚人が助手席から降りる。そのあまりにもあっさりした別れが何となく雅紀の気持ちをささくれさせて。雅紀は、尚人の背中を見遣りながら運転席から降りた。

「ナオ。帰り迎えに来るから、終わったら電話しろよ」

 声を掛けると、尚人がぎょっとした顔で振り返る。

 ––なんでわざわざ降りてくるの。

 その目がそう言っているのが丸わかりで。雅紀は思わず口の端で笑う。その表情で確信犯だと悟ったのだろう。尚人がわずかに口の端を歪めた。

 一方、正門前で待っていた三人は、雅紀を認めて固まっている。その様子を見て、尚人がため息を吐いた。

「……雅紀兄さん。もう、行っていいよ」

(そんな邪険にするなよ)

 心中拗ねる。

 その時だった。

 正門の内側から一人の女性が現れた。

「ああ、みんな揃ってたわね。って、あら、篠宮君のお兄さんもいらっしゃったんですね」

 雅紀を見やってにっこりと微笑む。どうやら引率の教員らしい。雅紀の見知った教員ではなかったが、丁寧に頭を下げた。

「弟がお世話になっています」

「顧問の坂下です」

「日曜までご指導いただいて。ありがとうございます」

「いえいえ。篠宮くんには教えることより教えられることの方が多くて。それに、ディベート実践練習の時は、私は完全にギャラリーなんです。今日も、この子達がどんな戦い方を見せてくれるのか、それが楽しみでして。––––ところで篠宮さんは、ディベート大会を観戦したことありますか?」

「いえ。残念ながらまだ機会がなくて。それに恥ずかしながら、ディベート大会がどういったものかも、よくわかっていないんです」

 雅紀が言うと、坂下は、まあ、と微笑んだ。

「では、せっかくの機会ですから、観覧して行かれませんか? もちろん、時間があるならばですけど」

「いいんですか?」

「ええ、もちろん」

 それは、願ってもない提案だ。尚人はなぜか微妙な顔をしたが、雅紀はさっくりと無視した。

「あちらの守衛室で臨時入構の手続きをすれば、大学内に車の乗り入れ可能ですから」

 坂下はそう言って、正門から少し入った先に見える小さな建物を示す。その先に入構を制限する車止めのバーが見える。

「私も一緒に参りますので、車をあちらまで移動させてください」

 雅紀は坂下の言葉にありがたく従った。

 

 

 * * *

 

 

「びっくりしたー。一体、何のサプライズだよ」

 雅紀が車を移動させるために一時的にその場からいなくなって、緊張の糸が切れたようにぼそりと呟いたのは清田だった。

「篠宮送って来ただけでもびっくりだったのに。しかもいきなり観覧とか。……坂下先生、浮かれすぎだろ」

「あ、……やっぱり?」

 尚人もそんな気はしたのだが、あからさまにわーきゃーしなかったので口を挟み込み兼ねたのだ。

 大人の対応恐るべし、である。

「にしても篠宮の兄貴って、やっぱ生で見ると迫力あるよな。一般人とは違うオーラ出まくりって感じ」

「そう?」

 尚人は首を傾げる。雅紀が超絶美形なのは尚人も認めるところだし、時々相手を威圧するような無言の圧を放つことがあることも知っているが、今日の雅紀は至って普通だった、はずだ。

「そりゃ、篠宮は慣れちゃってるかもしれないけどさ。俺たち一般小市民の前に急にカリスマ現れたら、普通ビビっちゃうって。ほら、女子二人だって」

 そう言う清田の言葉に促されて尚人が女子二人に視線を向けると、皆川は確かに固まっていたが、杉本の目は完全にハートマークになっていた。

「はぁぁぁ。篠宮くんのお兄さん、カッコ良すぎるー♡ 目の保養。超やる気出た。今日来て良かったー。ってか、坂下先生、グッジョブ! カリスマに見守られながら実践練習なんて、もう天辺取ったも同然‼︎」

「……なんかよくわかんないけど。杉本のやる気に繋がったのなら良かったよ。……で、ええ、と。皆川さんは、大丈夫?」

「え、あの。はい。大丈夫です。……っていうか、やっぱり本当だったんですね」

 尚人の声かけに、皆川はようやく我に返る。

「カリスマモデルのMASAKIが、篠宮の兄貴ってこと?」

「そうです」

 清田の問いかけに皆川がこくりと頷く。

(やっぱり一年生だって知ってるよね)

 昨年あれだけ世間を騒がせたのだから、ある意味当然だろう。尚人がそんなことを思っている横で、杉本が皆川に真顔で囁く。

「皆川ちゃん、今日来てラッキーだったね。ご利益あるよ」

(それ、どういうこと?)

 尚人は首を傾げたが、何となく、突っ込むのはやめた。

「ところで、今日は一年生も参加だったの? 渡辺さんは?」

「一年生は自由参加。なべっちは塾があるとかで欠席」

「そうなんだ」

 大学生相手の模擬戦は見るだけで勉強になるとは思うが、わざわざ日曜の休みを潰して参加するとは。よほど英語ディベートにやる気を持っているのか。はたまた別目的があるのか。

 尚人は、偶然か必然か並んで立っている清田と皆川を見やって、自分が斜め上のことを考えていることなど思ってもいなかった。

 

 

 

 坂下と合流して会場となるゼミ室に尚人達一行が姿を見せると、案の定、会場は一時騒然とした。

「えー、うそ!」

「まじで!」

「本物⁈」

 幸いだったのは、日曜とあって廊下で誰ともすれ違わなかったことと、ゼミ室で尚人達を待っていたのも、教授プラス学生三人という最低限の人数だったことだろうか。

「今日はお世話になります。翔南高校で弁論部の副顧問をしている坂下と申します。日曜日のお休みの日に対戦練習を受けてくださって本当にありがとうございます。貴重な実践練習ですので、今日は色々と収穫を得て帰りたいと思います。なお、急遽保護者の方が一名観覧することになりましたが、全国大会の決勝トーナメントでは、観覧席が一般開放されますので、観客の視線に慣れる練習になればと思っています。どうぞよろしくおねがいします」

 坂下がさらりと雅紀の存在を説明して挨拶する。保護者、という言葉に学生らは、ハッとして、ピンと来て。そして、ミーハーな雰囲気を引っ込めた。こういう時は、篠宮家の事情が世間にだだ漏れというのも悪くないと思ったりもする。

「では、時間がもったいないので、早速始めましょうか」

 このゼミ室の(あるじ)だと言う猪瀬教授が告げる。

「ディベートの進行は、今回翔南高校さんが参加する即興英語ディベート大会の規定通りとします。学生達にも事前にルールは説明済みです。ただ、本来ジャッジは奇数であるべきなんですが、今日はジャッジが私と坂下さんの二人しかいませんので、もし票が割れた場合は、私の方のジャッジを勝ちとするということにしたいのですが、いいですか」

「はい、それでいいですよ」

 坂下が答える。

 尚人達も依存はない。ディベートの練習試合で、勝ち負けはあまり重要ではないからだ。それよりも票を入れなかった方のジャッジが「なぜそう評価したのか」の方が重要で、そこに、自分たちの反省点と改善点がある。

(よし。まーちゃんにいいとこ見せるためにも、頑張らなくっちゃ)

 尚人は気合を入れる。

 練習試合が始まった。

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