「それでは、即興英語ディベート大会模擬戦第一試合を始めます。チーム代表はくじを引いてください」
坂下教諭がジャッジ兼進行役を務める。完全ギャラリーだと言っていたのは、冗談だったのだろう。雅紀は、急遽用意された観覧席に座って興味深く会場内の様子を眺めた。
多少離されて準備された向かい合わせの長机に、三つずつ席がある。その下座に審判席。正面には、スポーツの試合で使いそうな大型のデジタルタイマーが準備されており、そこそこ本格的だ。
互いのチーム代表が、歩み寄って握手をし、ジャンケンをする。そして勝った方の大学生チームが先にくじを引いた。くじと言っても、机上に置かれていたA4番用紙を二つ折りにした紙だ。それぞれが引いて、同時にくじを開く。大学生チームの方に『賛成(肯定)』とあり、翔南高校チームの方に『反対(否定)』との記載があった。その結果を受けて、大学生チームが向かって左手の席に着席し、反対側に高校生チームが座る。どうやら『賛成(肯定)』意見を述べるチームの方が左手に座るというルールがあるようだ。
「それでは論題を発表します。論題は『選挙での投票を国民に義務付け、投票を怠った者には罰金を科すべきである』です。それでは討論開始まで十五分の準備時間を取ります。では、始めてください」
そのアナウンスとともに、正面のタイマーが動き出す。同時に、各チームがそれぞれ三人集まって話し合いを始めた。この時間は、持ち込んだ資料を見ることが許されているようだ。
(にしても、結構難しい社会問題を論題にするんだな)
そのことが雅紀的に驚きだった。こんなこと、高校時代に聞かれても
『は? 選挙なんて行きたい奴が行けよ』
で終わらせただろう。要は、興味も関心もない、というやつだ。しかし尚人達はこれからディベートをしようと言うのだから、資料を持ち込んでいると言っても、それなりの予備知識が頭に入っているはずだ。それはつまり、日頃からそう言った社会問題に目を向け、情報を収集し、それに対し「どう思うか」ということを思考しているということで。それを思うと、家事の合間に効率よく勉強しているのでさえ「すげーな」と密かに感心しているのに、部活を始めてからの尚人の頭が日常どれだけ回転しているのか。雅紀は想像もつかない。
時間が来て、大学生チームの先頭に座っていた学生がスピーチを始めた。
〔私たちは論題に対し賛成です。理由は、ここ数年の国政選挙において投票率は常に50%を割っており、半分にも満たない投票結果が国民の意思を正しく表しているとは考えられないからです。2年前に総務省が行った意識調査によると、若者が選挙に行かない理由として「関心がない」「投票に行くのが面倒」「政党・候補者がよく分からない」が上位を占め、そもそも選挙に「行かなければいけない」という意識が希薄であることを示しています。これは、自分の周囲の友人知人の言動と照らし合わせても納得する調査結果です。では、このような若者達に政治に関心を持ってもらい、投票に行くようにするにはどうしたらいいのでしょうか? 長期的な視点を持てば、学校による教育も考えられます。子供の頃から投票することに関心を持たせ、選挙権を持つようになったら必ず選挙に行くよう意識づけを行う。そうすれば、今よりは若者が投票に関心を持つようになり、投票率も上がるかもしれません。しかし、この方法が確実に投票率を伸ばすと言えるでしょうか?〕
さすが国際大学に通う大学生、というべきか。すらすらと流暢に英語で賛成意見を展開していく。しかしそんな大学生を前にして動揺など見えない高校生も大したものだ。真剣な顔をして大学生の意見に耳を傾けている。これから反対意見を述べるのはわかっているのだから、もっと敵愾心みたいなものを露わにするのかと思っていたが、その真摯な姿がちょっと意外だ。三番手に座っている尚人に至っては、うんうんと納得顔で頷きながら相手の発言をメモしている。雅紀の勝手なイメージだが、ディベートなのだから「言い負かした方が勝ち」つまりは「相手の意見に納得したら負け」的なイメージがあるのだが、違うのだろうか。
〔以上のことから、選挙に対する無関心から生じる投票率の低さを解消するためには、罰金を科すという方法が最も即効性のあるカンフル剤であると考えます〕
学生側のスピーチが終わる。即座に翔南高校の一番手がスピーチを始めた。
〔私たちは、論題に対し反対です。理由は大きく二つあります。一つは、選挙権はあくまでも権利であって義務ではないこと。もう一つが、投票率が低いことがなぜ問題なのか、ということに疑問を持つからです。賛成側の意見は、投票率の低さを問題とし、投票率が50%に満たない選挙結果に対して、果たしてそれが国民の意思の表れと言えるのかという疑問を呈していましたが、私たちは、投票率の低さも含めて民意である、と捉えるべきと考えます。つまり、投票率の低さは「選挙に行くほどの争点がなかった」という国民の意識の現れであり、「その程度の論点ならば、誰がやっても同じ」政治をやっているのだという判断を国民にされたのだということです。このように考えると、無投票も国民の意思であり、無投票という意思表示をしている国民に対し、罰金を科すなど言語道断だと言わざるをえません。しかも、選挙権は我々国民の権利であって、そこには権利を行使しない権利も含まれていることも看過してはならないでしょう〕
高校生の反論に雅紀は唸る。まさか、こんなにしっかりした反論展開をしてくるとは思わなかった、というのが正直なところだ。相手の意見をきっちり盛り込んで理論展開しているが、それが最初から「こういうふうに言ってくるだろう」と見越していたものがぴたりとはまったのか、本当に即興で返しているのかは分からない。が、前者なら相手の攻め手を読んでいたということで、それはそれで凄いことだ。
〔棄権する権利がある、と言うのであれば、それは、白票を投ずることで守られると思いませんか〕
大学生側が質問する。高校生側が「受け入れ」を表明した。
〔投票することで意思表示をしろと強制するのであれば、その方法を取らざるを得なくなるでしょう。しかし、投票に行かなかった人たちの中には「行きたくても行けなかった」という人たちがいることを無視してはいけません。賛成チームが先ほど取り上げた、2年前に総務省が行った意識調査によると、最初から選挙に行かないと答えた人は全体の一割強程度でしかありません。つまり国民の大多数は「行こうとは思っている」けれども実際の投票率には結びついていない現実があるのです。それは「行こうと思っていたけど、当日になったら面倒になった」ということもあるかもしれませんが、「体調不良で行けなかった」「急な仕事が入った」「子育てや介護に追われている間に行きそびれた」ということも考えれます。そいういった個々の事情を鑑みることなく、一概に投票に行かなかったら罰金というやり方は暴挙としか言えません〕
翔南高校側のスピーチが終わる。
間を置くことなく、大学生側の二人目がスピーチを始めた。
〔投票率の低さそのものが民意である、との見方は、果たして現実を反映していると言えるでしょうか。最初に示したように、若者が選挙に行かない理由の上位は「関心がない」「投票に行くのが面倒」「政党・候補者がよく分からない」です。このことは、政党・候補者が何を訴え、何が選挙の争点となり、それをきちんと理解した上で投票に行かないことを選択したわけではない、ということを示しています。投票に行かなかった若者の多くが、そもそも政治に関心がなく、投票に行くことそのものが面倒だと感じているのです。この若者の政治に対する無関心をこのまま放置するとどうなるでしょうか。時間の経過とともに無関心層の年代は広がります。国民全体に政治への無関心の風潮が広がれば、政治に対する国民のチェック機能は働かないことになります。そうなると、いつの間にか一部の人々にのみ都合の良い法案が成立していた、ということにもなりかねません。つまり、投票率を高く保つことは、健全な国家運営という観点からも非常に重要と言えます〕
〔無関心層が義務だけで投票に行った場合、政策内容も何も分からないまま適当に投票することで、返って民意が歪むとは思いませんか?〕
高校生側からの質問が入る。大学生側が「受け入れ」を表明した。
〔そういった懸念が発生することは否定できません。が、必ず起きる現象であると断言することもできません。それより、誰もが投票に行かなければならないとなれば、政策への関心は自ずと高まり、自分の投じた一票が国政を左右するという実感を国民が持つようになるメリットが生じる可能性の方が高いと考えます〕
それから大学生側は、世界の国では実際投票を義務付け罰金を科している国がある事例があることを紹介し、その国での投票率の回復に触れてスピーチを終えた。
高校生側の二人目が、間を置くことなくスピーチを始める。
〔投票率を上げるために投票を義務化するというのは、あまりにも安直ではないでしょうか。投票が義務になれば、嫌々投票する事態が生じ、自分たちが国政を左右していると感覚よりも先に、させられている感が生じることになりかねません。それは例えるなら、勉強は自分のためにするものであるのに、「勉強しろ」と口うるさく言われると、勉強する気がなくなるのと同じようなものです。それよりも、投票率を上げるための手立ては他にあると考えます。現在日本の選挙において、投票日は日曜の一日しかなく、しかも住民票上の居住地によって投票する場所が決められています。投票日に用事がある場合に限り、期日前投票も認められていますが、時間も場所も限定的です。この現状が投票から足を遠ざけている要因になっていると考えます。例えば、投票期間を数日設けることで、「うっかり忘れていた」あるいは「急な用事が入ってしまった」という場合でも、「明日行けばいい」という選択肢が生まれますし、学校や職場で投票ができれば、わざわざ投票所へ行かなければいけないという面倒臭さは解消します。本人確認の課題はありますが、インターネットによる投票ができるようになれば、スマートフォンを使い慣れた若者の投票率は一気に上がることが予想されます。これらのことから、投票率を上げるためにまずすべきは、投票の義務化よりも、投票しやすい環境を整えることではないでしょうか〕
高校生側のスピーチが終わる。次は順番で大学生側がスピーチするのかと思ったら、尚人がスピーチを始めて雅紀は少々驚く。どうやら三番手は、順番が入れ替わるらしい。
〔健全な国家運営とは、どのようなものでしょうか〕
尚人が流暢な英語で喋り出す。
前二人も、高校生にしてはそこそこ流暢に喋っていたが、尚人の英語はネイティブよりもネイティブらしい。癖がなく、聞き取りやすい。そしてしっとりと、耳馴染みが良かった。
〔日本は間接民主主義の国です。よって、国民が代表者を選出し政治を委託することで国家が運営されています。この代表者を選出する大切な選挙において、投票率が50%に満たないということは、選挙に立候補した全員分の得票数を合わせても国民の半数以下の信任しか得られなかったことを意味します。このような状況で選ばれた人々が、果たして国民に選ばれた代表者と言えるか、ということを考えたとき、低い投票率で推移することは、健全な国家運営がなされている、とは言い難いように思います〕
––?
雅紀の頭に小さな疑問符が浮かぶ。
(ナオって、否定意見を述べる立場だよな?)
どうにも理論展開が、真逆をいっているような気がするが……。
思わず心配になってしまうのは、尚人を信頼していないからではなく、保護者を自認する兄バカ気質だ。
〔しかし、先ほど述べたように、投票率の低さも含めて民意であり、「その程度の論点ならば、誰がやっても同じ」だというメッセージを含んでいるものであると考えると、「その程度」では収まらない争点が生じた場合や、魅力ある政党が登場した場合など、投票率は一気に跳ね上がる可能性があります。そういう動きの読めない大多数の票が存在しているという状態は、常に選挙によって選ばれている政治家にとって、ある意味脅威ではないでしょうか。政権与党であっても、沈黙して見えた国民が投票に動いた時、たちまち政権を追われるかもしれない可能性を否定できないからです。このように考えると、投票を義務化し、嫌々投票に行かせて票の固定化を生じさせるより、低い投票率であっても投票しない自由を維持する方が健全な国家運営ができると言えます。そして、沈黙した国民をより脅威に感じさせるものが投票環境の改善であり、投票しやすい環境を整えることは、罰金を科してまで投票を義務化するよりも、個々の事情に配慮し、個人の意思が尊重される、より良い未来の構築に寄与すると言えるのではないでしょうか〕
(なるほどなぁ……)
雅紀は頷く。
(ナオの言うとおりだよな)
雅紀自身、律儀に投票に行っているわけではない。多忙を理由に棄権したこともあるし、海外ロケや地方での仕事で忙しく飛び回っている間に選挙が終わっていたということもある。
それに、
––選挙なんて、やりたい奴だけでやってろよ。
そんな気分になるのは、仕事関係で行ったパーティで政治家と出くわすことも少なくなく、「選挙運動に来たのかよ」と思う場面に巻き込まれることも多々あるからである。そんな時も一応表面上はそつなく対応するため、ある程度政治家の顔と名前は頭に叩き込んではいるが、どんなに「清き一票」のお願いをされても投票してやる気になれないのは、そもそも政治に関心がないからだ。しかしその一方で、頭の片隅に、大人としての責任を果たしていないような罪悪感があったりもする。それは雅紀の中に、弟たちに大人としての兄の背中を見せたい、と願う気持ちがあって、社会的責任を果たすということが、大人の一つの条件であるように思っているからだ。だから、投票を何度も棄権しているという事実に、雅紀はほんの少しの罪悪感を抱く。いや、今まで抱いてきた。明確に自覚する感傷でなかったとしてもだ。しかし今、尚人の主張を聞いて、雅紀の心は少しながらも軽くなった。
自分がここだと思った時に、動けばいいのだ。
そんなふうに肯定された気がしたからだ。
そんなことを考えている間に、大学生側の最後のスピーチが終わっていた。
「では、判定に入ります。ジャッジは、票を入れる側の手を挙手してください」
進行役の坂下教諭の言葉に、審判員を務めていた二人の右手が上がる。同時に、審判員の右側に座っていた翔南高校生から「よしっ」という小さい声が上がった。尚人が隣に座っていた男子生徒に促されるようにハイタッチしている姿が微笑ましい。
その後、審査員による総評があり、十分ほどの休憩を挟んで第二試合が行われた。次の論題は、『学習意欲を高めるため、小学校の教科書は、国語を除いた全ての教科書を漫画にすべきである』という本気か冗談かわからないものだったが、これが予想外に議論が白熱して、雅紀的に面白かった。
三回の実戦練習が終わると正午を超えていた。全国大会の一日目予選が三試合あることを想定しての模擬戦だったようだが、十分程度の休憩を挟んで立て続けに行うディベートは、雅紀の目からもそれなりにハードだった。
(ディベートって、言論を武器にした武道みたいだな)
本気でそう思った。それほどに集中力がいる。そう感じた。しかも、順番にスピーチしていくディベート方式は、一対一の個人戦のように見えて、実は全体で理論展開してく団体戦である。ということにも雅紀は気がついた。それは剣道の団体戦にも似て、個人の勝敗もさることながら、次に繋げる試合運びを意識した試合展開に通じるものがあるように思い、それを言えば最後を務める尚人は主将戦で、先方次鋒の稼いだポイントをきっちりと勝利に結びつける重責を担っている感じがした。それに先にスピーチをする高校生二人も、最後に尚人がしっかり締めてくれる、という信頼を寄せているように見えて、チームワークの良さが感じ取れた。
尚人の取り組む即興英語ディベートがどういう活動であるか、わかったこともさることながら、尚人の学校生活が充実している様子が垣間見えたことが雅紀的に何よりの収穫で、雅紀の表情は自然と綻んでいたのだった。