〔私たちは論題に対し賛成です。理由は、増え続ける世界の人口によって引き起こされる様々な問題を解決するためには、人口を減らすか、新天地を切り開くか、二者択一しかないからです。世界の人口は、十八世期の産業革命以降急激に増え、今や七十億人を突破していると言われます。この七十億人を養っていくだけの食糧や水が潤沢にあるならばいいのですが、そうではないので世界各地で貧困や飢餓が問題になっているのです。かつて日本では、子供が生まれても養っていけないと判断した場合「間引き」というものが行われていました。「間引き」は、生まれたばかりの赤ん坊の命を奪う行為です。明治時代初期まで行われていたと言いますが、私たちは、こんな愚かな方法を繰り返すわけにはいきません。また、人口増加への抑制策としては、中国で一人っ子政策が取られましたが、これは、二人目が生まれても出生を隠すという事態が多発し、無戸籍状態により学校教育や医療などの行政サービスが受けられない子供を生じさるという別の問題を発生させました。つまり、命や人権などが大切にされて当たり前の現代において、私たちは、人口を減少させる手段も、人口を抑制するための手段も持ち合わせてはいないのです。となると、残された手段は新天地の開拓しかありません。火星移住と聞けば、まるでファンタジーのような話に聞こえるかもしれませんが、それは火星移住が簡単ではない、と認識されている裏返しでもあります。しかし、簡単ではないからこそ、早めに、そして本気で、開発を進めなければならないのです。以上のことから、私たちは、世界的な人口爆発を解決する手段として火星移住計画を本格的に推し進めるべきであると考えます〕
〔火星移住が実現するまでにかかる費用は、いくらだと試算していますか?〕
〔試算するための資料を持ち合わせていませんので、お答えのしようがありません〕
翔南高校側の答えに、青山清峰高校のメンバーたちが小さく頷き合う。
〔私たちは、論題に対し反対です。理由は二つあります。一つは、課題解決の方法として火星に移住するのは、あまりに非現実的であること。二つは、人口爆発の問題は、地球内で十分解決可能であると考えるからです。まず、理由の一つ目である、火星移住が非現実的であると考える理由についてですが、とにかく費用がかかりすぎます。ロケット開発のコストは、世界各国が開発するようになって段々下がってはきていますが、現在日本で開発しているロケットで約二千億円です。それを打ち上げるための費用が約百億円です。搭乗人数は七人程度。開発がさらに進むことで、その金額が百分の一になったとしても、一機につき製造と打ち上げでかかるコストは二十一億円ということになります。これを使用して人類が火星に移住する場合、仮に全世界人口の二割にあたる十四億人が移住対象と考えても、二億機のロケットが必要となり、二十一億掛ける二億の合計四十二京円と言う、とんでもない金額が、移動だけでかかることになります。繰り返しますが、これは移動だけで必要になる金額です。当然、移住先の火星の開発費用、居住地建設などにはもっと多額の費用が必要になる、ということは容易に想像できることです。これだけの金額を投入するのであれば、わざわざ地球外の荒野を開拓するより、地球上の荒野、砂漠を農地に変える方法を開発する方が現実的であり、かつ、有益であると言わざるを得ません。現在耕作できない荒地で作物が育てられるようになれば、食糧不足の問題は解決します。そこに雇用が生まれれば、雇用不足の問題やそれから生じる貧富の格差も是正されます。このようなことから私たちは、人口爆発の問題は、地球上で十分解決可能であると考えます〕
〔砂漠を農地に変える具体案はありますか〕
〔すでに様々な実験が行われています。例えば、そもそも乾燥に強い作物を開発するということもそうですが、少ない水で作物を育てられるよう多孔質ガラスを土壌に混ぜ込んだり、どのような場所でも敷くだけで土壌の代わりとなるマットを利用する方法が試されています〕
(へぇ……)
加々美は、高校生のやりとりを眺めながら、心の中で呟いた。
正直加々美は、即興英語ディベートというのがどういうものか分からずにやってきた。「英語ディベート」というのだから、英語を使ってディベートをするのだろうという想像はついたが、その程度のことで、そもそも、尚人が出ているというので見にきた。それだけの興味だった。
しかし始まってみると、なかなか面白い。最初「火星移住」と聞いたときは「そんなこと議論するのかよ」と笑ってしまいそうになったが、翔南高校側の賛成意見を聞いて、「お」っと思い、「なるほど」と納得させられてしまった。単なるファンタジーの話ではなく、問題解決のための方法であると、その理路整然と意見を述べる様子に感心した。が、今度は反対側の意見を聞いて、またまた「なるほど」と納得してしまった。
やっぱり火星移住なんて、現実的じゃないよな、と。
ディベートなのだから、おそらくは観衆を唸らせた方が勝ちだろう、という気がする。それが理詰めなのか、情に訴えるのか。方法はあるだろうが。それでいくと今のところ、相手の高校に
もちろん、心情的には尚人の通う翔南高校に勝ってもらいたい気持ちはある。
が……、
(やっぱ、このお題で賛成意見は厳しいだろ)
くじ運も勝負の一つ、と言ってしまえばそうなのだろうが。
(てか、尚人くんがめっちゃ納得顔だしな)
加々美は、うんうんと小さく頷きながら相手の発言をメモしている尚人を見やって、小さく苦笑した。
〔人口爆発の問題は、砂漠が農地になりさえすれば解決するのでしょうか。ある意味そんなに単純なことであるなら、なぜ世界はまだその課題を解決できないでいるのでしょうか。先ほど反対派の方が自ら述べたように、すでに砂漠を農地化する様々な方法が開発されているというのなら、なぜ実用化を加速させないのでしょうか。––––理由は、実に単純明快です。砂漠の農地化というのが、国や民間の行う人道支援や社会奉仕、あるいは研究者の研修対象枠内のことに留まり、世界経済の中でビジネスに繫るような市場価値がないからです。そもそも人口爆発を引き起こした要因は、大航海時代から始まった植民地主義と産業革命が結びついて生まれた大量消費社会にあります。現在急激な人口増加に悩まされている国や地域は、アフリカや南米、東南アジアといった発展途上国が占めていますが、その理由は、豊かな国が、それらの国の人々を工場で働かせる安い労働力として使役してきたから、ということにあります。つまり、安い労働力を使って大量消費社会を支えるという、企業にとって旨味のある構造だったのです。一方、この社会構造は、貧困国の人々に労働力としての家族が多ければ多いほど、世帯収入を増やすことができる、という構図を生み出しました。このことが、人口爆発に繋がったのです。しかし、発展途上国は、増えた国民に見合うだけの食料調達が国家としてできなかった。だから、飢餓の問題が発生したのです。つまりこの問題は、食糧不足で困っている国に食料を支援してあげればいい、あるいは、砂漠を農地に変えて自給自足できるようにしてやればいい、という単純な問題ではないのです。大量消費という世界経済の流れの中で生み出された問題は、世界経済の流れの中でしか解決できないのです。先ほど火星移住に必要な経費は、移動だけで四十二京円との試算が示されました。つまりは火星移住はそれほど大きな市場であり、民間企業にとってもビッグビジネスに繋がるかもしれない、美味しい話ということになります。これから宇宙ビジネスは注目を集めていく分野でしょう。ロケットだけで二億機必要だというなら、それだけ人手も必要になるということです。ビジネスチャンスがあれば企業が動きます。企業が動けば経済が回ります。この経済の流れの中に人口爆発によって生じている問題を組み込むこと。これが問題解決に必要不可欠なのです〕
アラームが鳴る。持ち時間いっぱいであることを警告するアラームだ。スピーチをしていた翔南高校の二番手は、それでスピーチをやめた。
〔経済の流れの中に人口爆発の問題を組み込みさえすれば、問題が解決するという考えは、絵に描いた餅、としか言いようがありません。人口爆発に悩む発展途上国の国々が抱えている問題は、食料問題だけでなく、教育問題もあるからです。十分な教育を受けることができず、専門知識はおろか、そもそも読み書きすらできない。そんな境遇に置かれているがゆえに、低賃金の単純労働に使役されてきたのです。そのような人々が宇宙ビジネスに携わることが可能でしょうか? 賛成派の方の理論は、まさに「パンがなければお菓子を食べればいい」というような、問題の根本をわかっていない、机上の空論です。空を見る前に地に足をつけなければいけません。途上国の国力をつけ、生活の質の向上を目指し、衣食住を整え、そして教育を整備していくのです。そのための一歩が、自給自足できる農地の確保なのです。一朝一夕に行かないこの方法は、なんとも気の長い話に聞こえるでしょうが、それが問題の根本を解決していく唯一の方法です。先ほど、砂漠を農地化する技術の実用化が加速されていないとの意見がありましたが、それは先進国に住む私たち若者も反省すべき点です。世界の問題に目を向け、関心を持ち、ほんの少しの募金をするだけで実用化が進むかもしれません。遠い他国の話だと思わず、同じ地球に生きる仲間のことだと考え、問題解決に向けて一人一人が出来ることを行えば、わざわざ宇宙に行くまでもなく解決できる問題であると私たちは考えます〕
〔日本の食料自給率は、約三八パーセントです。その他の先進国においても百パーセントに満たない国は多々あります。食料を自給自足することにこだわる必要はあるでしょうか?〕
〔日本は技術大国です。工業製品を売って外貨を得、それで海外から食料を輸入しています。山林が多く、農地に適した平野が少ない日本においては、農業立国を目指すよりも適した国のあり方であったと言えるでしょう。それに日本は、鎖国を辞めたときに、海外に売り出す様々な物や技術を持っていたという強みもあります。しかし、途上国は海外に売りに出すような製品も技術も持たないから途上国であり、まずは自分たちの生活を整えるのが先です。日本と同じように考えるわけにはいかないでしょう〕
〔私たちの意見をまとめます。人口爆発を解決する手段として火星に移住することは、コストの面から非現実的であると考えます。移住に要する費用は、移動だけで四十二景円と試算され、これに移住先の火星の開発費や居住地建設などを加えると莫大な資金を要することが容易に想像されるからです。これだけの資金を火星移住に投入するくらいならば、砂漠を農地化する方が現実的であり、かつ、有益であると考えます。砂漠を農地化する方法はすでにいろいろ試されています。それが実用化されれば、問題解決に向けた大きな糸口となることは間違いありません。空を見る前に地に足をつけること。私たち日本に住む若者も世界の問題に目を向け関心を持つこと。そして一人一人が出来ることを行えば、わざわざ宇宙に行くまでもなく人口爆発の問題は解決できる、と私たちは考えます〕
青山清峰高校側のスピーチが全て終わる。
加々美は考え込むようにステージを見ていた。
どうやら三番手は、これまでのまとめを言うだけの役割らしい。ということは、互いの意見は出尽くした、ということなのだろう。
(うーん、正直なところ、いい勝負って感じかな)
翔南高校側の理論展開はなかなか面白いところをついているが、相手チームの「空を見る前に地に足をつけなければならない」という言い回しは、情に訴えるなかなかいい表現だ。
(それにしても高校生ってすげーな)
心の中で呟く。
そのとき加々美は、壇上の尚人の表情がスッと引き締まったのを見た。
〔火星移住というのは、現実問題として、実現可能でしょうか〕
ゆったりと落ち着いたスピードで最後のスピーチが始まる。
〔現在、火星探査は、アメリカやロシア、また日本においても行われていますが、探査機による無人探査においても失敗が多く、有人探査に至っては実際に行われた例がありません。そのような現状の中で、火星へ移住するというのは、ファンタジーにしか聞こえなくても仕方がないことでしょう。しかし、人類がまだ火星へ到達してはいなくとも、宇宙開発は着実に進んでいます。すでに宇宙ステーションが築かれ、そこに人が長期滞在し、様々な実験が行われています。人はもう宇宙へ飛び出しているのです。人口爆発の問題は、大航海時代の植民地主義と産業革命が結びついた大量消費社会が生み出した社会問題です。決して、問題を抱える国のみの問題として片付けてはいけません。大量消費社会の恩恵を受けている国全てが当事国であり、日本に住む我々も当事者なのです。恩恵と慈悲を与えるという上から目線はやめようではありませんか。地球を一つの地域と考え、地球に住む全人類の発展を目指すのです。火星移住がファンタジーに聞こえても、宇宙ビジネスはこれから間違いなく拡大していく分野です。ビジネスチャンスがあればお金が動きます。お金の流れは経済にとって血の巡りと同じです。滞れば病気になり、状況によっては死に直結します。流れ続けることが大切で、それは川の流れのように
* * *
アズラエル統括マネージャー高倉真理の執務室。加々美はいつもごとくセルフで淹れたコーヒを手に、本革張りのソファーに腰を下ろす。執務机でパソコンに向かっていた高倉は、チラリと視線を投げてよこしたが、何も言わずにまたPC画面に視線を落とす。それで、忙しいんだろうと判断した加々美は、気にせずひとりコーヒーブレイクを堪能することにした。高倉が忙しいのはいつものことで、加々美もコーヒーだけ飲んで特に何を言うでもなく部屋を去るのは珍しいことではない。
「お前、ネットで話題になっているぞ」
それで高倉が、前置きも何もなく、いきなりそんなことを言ってきたので、加々美はほんの少し驚いた。
「へぇ」
呟いて、何かしたかな? と考える。
近頃は、表に出るような仕事はしていない。プロデュースを計画中の写真集があるが、まだ世間には公表していない。週刊誌やワイドショーを喜ばせるような不祥事も起こしていない、はずだ。
「高校生即興英語ディベート全国大会決勝の会場に、あの加々美蓮司がいたって」
「ああ。あれか」
加々美は頷く。尚人の応援に行くと言う雅紀に半ば無理やり付いて行って、即興英語ディベート大会を観覧したのは先週のことだ。あれはなかなか刺激的な体験だった。高校生侮りがたし、とつくづく実感させられた。
「尚人くん、出てたみたいだな」
「ああ、すごかったぜ。英語が堪能なのは、よーく知ってたけどさ。ディベートってなるとどうなんだろう、って思ってたんだが。いやはや。もう脱帽って感じだった」
加々美が言うと、高倉は執務机から加々美の前へと移動した。
「詳しく聞かせろ」
そう言う高倉に、加々美はできる限り詳細に説明する。
しかし、
––あの、ぞわりとする感覚までは、伝えられないだろうな。
と思った。
加々美はあの後、即興英語ディベート大会のルールを知ったのだが、最後尚人が務めた三番手は、前二人の主張やそれまでのやり取りをまとめ、自分たちの意見の方が相手よりも
正直、尚人があれほど遠回しながらも的確な攻撃をするとは思っていなかった。あれこそがディベートのあるべき姿、とはいえだ。しなやかな雰囲気の裏に潜む強靭な精神力を垣間見て、加々美は尚人が雅紀とかぶって見えた。しかし、そのよくよく聞けば相手をけちょんけちょんに
ただ、さすが審判員たちはわかっていたようだ。が、ジャッジに時間がかかったのは、あまりにも尚人のスピーチのインパクトが強すぎて、それだけの判断になってしまってはいないか、と言う自問があったからだろう。
正直、尚人がスピーチするまでは、互角の勝負、というのが加々美も抱いていた印象だったからだ。
「で、結果が翔南高校の完全勝利というわけか。こちらもネットでかなり話題になってる」
「いやー、すごかった。あの場に立ち会えてめちゃくちゃラッキーだった」
心底そう思う。
あの日はたまたま、雅紀が近くのビルで撮影していると知って、陣中見舞いのつもりで寄ったのだ。都合がつきそうなら食事に誘うおうとも思って。そこで、尚人が全国大会に出ていると聞かされて興味を持った。出場している大会の内容は正直どうでも良かったが、ディベートと聞いてちょっとだけ意外だった。尚人には、他人との意見の対立を避けそうな勝手なイメージがあって、ディベートみたいな活動は苦手なのではないかと思ったからだ。
しかし、実際は違った。あんな遠回しなディスり方があるんだと言うくらい尚人のスピーチは痛烈だった。しかも、笑顔を引っ込め、キリッと引き締まった表情の尚人の双眸は、引き込まれそうな不思議な力があった。スポットライトが当たっているわけでもないのに、壇上で一人その存在感を放ち、目が離せない。こんな存在をなんと言うか加々美は知っている。
金の卵、だ。
しかも、羽化が近い。加々美はそれを実感を持って悟った。そして、それを雅紀が、尚人を可愛がることで遅らせようとしていることも。
しかしそれは、悪あがきに過ぎない。雅紀も重々わかってるだろう。
「で、お前がなんでわざわざ高校生の大会なんて見に行ってたんだってことが、あちこちで噂になってるわけだが」
––あー、そういうことね。
加々美は納得する。アズラエルがMASAKIと親しい加々美を使って尚人を獲得しようと動いている。そんな感じの憶測がまわっているのだろう。まあ、それは、完全に誤りとも言えない憶測ではあるが。
「言いたい奴には言わせておけばいいじゃないか?」
「それが、そう言うわけにも、いかなくてな」
珍しく高倉が、歯切れ悪く言う。問う視線を加々美が向ければ、高倉はいつものポーカーフェイスにほんの少しの苦々しさを見せた。
「うちが動いているなら、契約が成立する前に割って入ろうと。そう思っているところがあるようだ」
高倉がこういう言い方をするならば、ほぼ確実な動きなのだろう。
「どこ?」
その問いに返ってきた答えに、加々美は眉根を寄せたのだった。