「地元新聞の取材ですか」
雅紀が、部顧問の坂下から電話をもらったのは、大会翌日のことだった。
尚人は「課外があるから」ととっくに家を出た後で、雅紀は、大会明けで疲れが溜まっているだろうにサボらず課外に行く尚人のタフさに感心しつつ、午後からの仕事のため、そろそろ家を出ようとしていた時間だった。
「地元新聞は、日頃から、県下の学校をよく取材されていまして。学校が何らかの活躍をしたり、取組をしたりした場合は、記事を掲載して地元に情報発信をしているんです。それで、昨日のディベート大会で本校が優勝したことも記事にしたいからと。今、取材の申し入れが入っているんですが。出来れば出場したメンバーの顔写真入りで掲載したいとの申し出なんです」
坂下は非常に丁寧に状況説明をしてくれたが、雅紀は、坂下の説明がなくとも状況は察した。なぜなら、雅紀は高校生の時、東の青龍という渾名がつけられるほど全国的にも注目されていた選手で、地元新聞の担当記者とは顔見知りになるぐらい取材を受けていたし、インターハイで優勝した時も真っ先にコメント取りをしに来たのは地元新聞の記者だった。なので、地元新聞に、地元に密着した情報を発信したい、地元の子供達の頑張りを応援したい、という熱意があることは知っている。
「顔と名前が世間に公表されるようなものですから、保護者の方の意向確認が必要かと思いまして」
坂下は言う。その配慮を雅紀は素直にありがたいと思った。しかし今回のことは、慶輔絡みのスキャンダルでハイエナのごとくまとわりついていたマスコミとは違う話で、尚人自身の頑張りによるものだ。それを雅紀が横からごちゃごちゃと、口を挟むのもどうかという気がする。
「いろいろと思うところがあるのは事実ですが、頑張りに対する称賛を受けるのはナオの権利ですから。ナオの意思に任せたいと思います。もちろん、ナオ自身が新聞に写真が掲載されるのは嫌だと言うなら、無理強いして欲しくはありません」
「わかりました。では、これから、このやりとりも含めて生徒たちと話をします。取材を受けることになったら、明日の新聞に掲載されますので」
「わかりました」
それで電話は切れた。
尚人はどう判断するだろう。少々気になりながら、雅紀は仕事へ向かった。
午後八時過ぎ、雅紀は仕事を終えて帰宅した。裕太と尚人は先に夕飯を食べ終わっていて、一人食卓についた雅紀の前に尚人は夕飯を並べて向かいに座った。
「いただきます」
手を合わせて箸をつける。今日のおかずは、豚の生姜焼きだ。それにポテトサラダとインゲンの胡麻和えがついている。味噌汁の具はナスと豆腐だ。
雅紀が食べ始めると、向かいに座る尚人は、楽しそうに今日一日の出来事を話し始めた。
「今日学校に行ったら、駐輪場で中野と山下が待ち構えててね。すげーって何回言うのってくらい中野が連発してさ」
「昨日は山下の家に、中野と桜坂三人でライブ配信見ようって集まったらしいけど、大会ホームページのサイトがダウンしたらしくて見れなかったんだって。中野がすごく残念がってた。けどそれに対して山下が、よくよく考えれば、見れても何言ってるかはほとんど分かんなかっただろうけどなって、冷静に突っ込むのがおかしくてね」
「クラスでも昨日の結果紹介があって。みんなから、おめでとうの拍手されて。そんなことされたことがないから、ちょっとくすぐったくってさ」
おしゃべりが止まらない尚人は、今日一日皆から祝福されたことが嬉しそうで、雅紀も嬉しくなる。
「とにかく今日一日、いろんな人に、おめでとうとか、すごいとか言われて。全国優勝したんだって実感が湧いた感じ」
「そうか」
よかったな、と雅紀は心の底から思う。頑張りが実を結んで、皆から労いや祝福を受ける。尚人が正当な評価を受けるのは、雅紀にとっても喜びだ。
「で、新聞社の取材も受けた」
尚人はそう言って、にこりと笑った。
「坂下先生に、頑張りに対する称賛を受けるのは俺の権利だって、まーちゃんが言ってたって聞いて。俺、すごく嬉しくって。まーちゃんのこと考えたら、変に注目浴びないほうがいいのなかって、思ったりもしたんだけど。そんなふうにまーちゃん、考えてくれてるんだって」
「当然だろう。全国優勝なんてすごいことだし」
そうだね、と尚人はうなずく。
「でも俺は臨時部員だったし。一年の時からずっと頑張ってきた杉本や清田と同列みたいに取材受けるのはどうかなって、っても思ったんだけど。でも、杉本や清田がチーム戦だったんだから、取材受けるならチーム全員揃ってないとおかしいって言うし。そう言われたら、それもそうだなって」
それで、いつも部の活動場所にしていた多目的教室で取材を受け、顧問の坂下も入った四人で優勝トロフィーを手に写真を撮った、と尚人は語った。
––明日掲載だって言ってたっけ?
雅紀は、坂下の電話を思い出す。
––永久保存版だな。
「でね。今日取材に一緒に来たカメラマンがね、記念にって、これくれたんだ」
尚人はそう言って、雅紀の前に茶封筒を差し出した。
「何入ってんだ?」
「開けてみて」
何やら思わせぶりな顔で尚人が言う。雅紀は箸を置くと、茶封筒を手に取って封筒の中身を確認する。中に入っていたのは一枚の写真で。雅紀は取り出してから軽く目を見張った。
「これ、インターハイ決勝の」
「あ、やっぱりわかるんだ」
写真には、剣道の防具に身を包み、今まさに一本を決めようとしている瞬間の剣士の姿が写っている。防具をつけているためその表情は窺えない。しかし写真全体から、その場の張り詰めた緊張感や気迫といったものが立ち上がってくるようだった。
垂れに付けている『瀧芙高校 篠宮』の名札が懐かしい。
「今日来たカメラマンの人が撮ったんだって。今までインターハイの取材は何回も行って、たくさん写真撮ってきたけど、この写真以上の写真が撮れたことがないって。だから、すごく思い出に残ってる写真なんだって」
確かこの写真は、インターハイで勝利を飾った翌日の地元紙に大きく掲載されたはずだ。しかしあの時、篠宮家はすでに新聞をとる経済的余裕はなかった。だから尚人が目にするのは初めてなのだろう。
「そっか。秋山さん、まだ頑張ってたんだな」
「まーちゃん、カメラマンの人の名前、覚えてるんだ」
「あの時は、結構何回も取材受けてたからな。インターハイの時は、初戦から張り付いてたし」
それが本当はちょっとだけうざいと思っていたのは秘密だ。
しかし、そんなセピア色の思い出全て含めて、剣道をしていた頃のことは過去に過ぎない。
雅紀はわずかに苦笑して写真を尚人に返した。
「え、まーちゃんが持ってなくていいの? 多分、カメラマンの人もまーちゃんに渡したかったんだと思うけど」
「ナオが貰ったんだから、ナオが持っとけばいいさ」
雅紀が言うと、尚人は感動したように目を潤ませた。
「本当にいいの? すっごく大切にするね。この写真のまーちゃん、卒倒しちゃうくらいにかっこいいんだもん。全身から気迫が出てて。どこにも隙がないって感じで。––––よくよく考えたら、この写真のまーちゃんと今の俺って同い年なんだよね。全然信じられない。まーちゃんがすごいのは重々知ってるけどさ、同い年って考えたら、もう、すごいってしか言えないよね」
雅紀は苦笑する。これだけ持ち上げられて、気分が悪かろうはずがない。
しかし、
––ナオだって、十分すごいんだけど。
雅紀は思う。昨日の全国大会決勝。スピーチの内容もさることながら、雅紀は壇上で尚人の放つ力に視線が釘付けだった。ディベートは、最終的に聞く者を惹きつけないといけない。それは、正論を言えばいいとか、隙のない理論武装をすればいいとか、そういったものとはまた別の要素だ。耳障りのいい声質で、テンポの良いリズムで、穏やかながらも堂々とスピーチする尚人はとても高校生とは思えない雰囲気で、しかも理知的な双眸は引き込まれそうな不思議な光を帯びていた。
あんなの、高校生の時に真似しろと言われても、絶対に無理だ。今だって、できるかどうか怪しい。ジャッジも尚人のあの雰囲気に呑まれたのだ、と雅紀は思う。理屈を超えたところで魅了された、その結果のあの判定だった。そう雅紀は思っている。
「まーちゃん、ご飯の後はお風呂入るでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、お湯張りしてくるね」
そう言って席を立った尚人を雅紀は呼び止めた。
「ナオ」
「何?」
「風呂、一緒に入ろっか?」
雅紀が言うと、そんなことを言われるとは思いもしなかったらしい尚人は、一瞬息を呑み、そして、耳の先を赤くしつつも、こくりと頷く。
その姿が、舐めまわしたいくらいに可愛い。
「明日は?」
「……休み」
ぼそりと返ってきた答えに、雅紀はにっこりと微笑んだ。