「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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縹色(はなだいろ)ノ雲 4

 都内の某ホテルラウンジ。雅紀はそこでマネージャーの市川を待っていた。仕事の打ち合わせなのだが、事務所ではなくホテルなのは、市川の都合だ。今日はこの近くで、事務所の新人モデルに帯同しているらしい。雅紀の所属するオフィス原嶋には三人のマネージャーがいるが専任はなく、市川も数人のモデルのマネジメントを掛け持ちしている。

 今日一日フリーの雅紀は、昼近くに起きると尚人が作り置きしていた弁当を食べてから家を出て、会員になっているスポーツジムで一時間ほど汗を流してからここへ来た。

「すみません、雅紀くん。お待たせしてしまいました」

 市川は十分ほど遅れてやってきた。新人モデルの売り込みが時間通りに進むはずがない。その辺の事情はわかっている雅紀は、市川に視線だけで「問題ない」と返し、近頃持ち歩くようになったタブレット端末を閉じた。

 雅紀は、市川にイタリア出張の報告をし、今後のオファーを打診された件について、近々事務所の方に連絡が入るはずだと伝える。雅紀のメールに直接来た連絡も市川に転送した。市川の方からは今後の仕事についての説明がひと通りあって、雅紀はその場でスケジュールを埋めていく。

「実は、日野氏から新ブランド立ち上げのイメージモデルをやってくれないかという打診が入ってまして」

「日野って、日野一平?」

 雅紀は軽く目を見張って確認する。日野一平は、日本での一般的知名度は低いが、世界四大コレクションに参加経験のある世界的デザイナーで、ファション業界では結構な有名人だ。

「そうです。二、三十代の男性をターゲットにした個性的なスマートカジュアルの新ブランド立ち上げを進めているようでして。同じアイテムでも着こなし次第でフォーマルよりにもカジュアルよりにも出来るモデルを探している、というのが雅紀くんを指名してきた理由だそうです」

「具体的な仕事内容は?」

「ブランドイメージの顔になるような仕事全般です。具体的には広告のためのグラビア撮影やコマーシャル出演。それと、世界展開を見据えた各国で開催されるショーへの参加です」

 雅紀は瞬時黙る。おそらくこれは、雅紀が今まで受けてきた仕事の中でも、かなり規模の大きな話だ。

「世界各地で行われるファッションショーの開催に合わせて、世界中を飛び回ることになります。なので、日野氏としては出来れば専属契約を結びたいという意向ですが、既に入っている仕事もありますから、そこはこの仕事を受けるにしても要検討といったところですか」

「ちなみに、新ブランド立ち上げって、どういうスケジュールです?」

「今年の十月に新ブランド立ち上げに関する記者発表。十二月の国内のファッションショーで初お披露目。年明けから、ワールドツアー開始です。記者発表のイメージ写真から雅紀くんを使いたいと言っていますので、了承の回答をすればすぐにでも衣装合わせが始まると思います」

「そのスケジュールって、入ります?」

 雅紀が既に決まっている仕事との絡みを頭に浮かべながら問うと、市川はわずかに微妙な顔をした。

「……詰め込めば、可能です。が、非常にタイトになると言わざるを得ません」

「俺に、休みなく働け、と」

「……休みが取りづらくなるのは事実ですね」

 冗談じゃない。

 雅紀は心の中だけで愚痴る。

 尚人を大学へ行かせるためなら、スケジュール帳が真っ黒になるまで頑張れる。その言葉に嘘はないが、実際真っ黒になったら尚人とセックスする時間がなくなってしまう。そうなったら、一体何を活力にすればいいのか。一週間で結構ギリギリなのに、これ以上の長期不在は耐えられない。

 昨日だって、尚人が帰ってくるなり我慢できなくなって押し倒してしまった。本当は、楽しみにしていた晩飯を堪能し、気になる送り主不明の本のことを軽く聞き出してから、甘く尚人を啼かせるつもりだった。しかし、ただいまのキスをして、腕に抱いた尚人のほっそりとした抱き心地の良さと久々に嗅いだその匂いに、あっけなく理性が吹っ飛んだ。

 そのせいで晩飯が九時過ぎになって、裕太が「いい加減にしろよ」という目で雅紀を睨みつけていたのは別にどうでも良かったが、尚人に無理をさせたのは申し訳なかった。雅紀は別に無理をしてまで尚人に晩飯を作らせるつもりはなかったのだが、尚人が「まーちゃんに食べてもらいたくて準備してるから」というので折れたのだ。とはいえ、痛む腰を我慢して台所に立つ尚人を見ていられなくて、雅紀も率先して手伝った。それはそれで結構楽しくて、こういうのも悪くない、と思う日常の一コマだったりしたのだが。そういうささやかな日常が、雅紀には必要なのだ。

 それに……、と雅紀は心の中で独りごちる。

 尚人の周りで看過できない事態が起きている今、あまり家を空けたくない、というのが雅紀の正直な気持ちだった。何かあった時に駆けつけることすらできないのでは、何のために仕事をしているのかも分からなくなる。

「いい話ですが、現状、お断りします」

 雅紀がきっぱりと告げると、市川ははっきりと渋い顔をした。

「以前にも伝えていましたが、年明けにはナオの大学受験が控えています。それに向けて出来る限りのサポートをしてやりたいってのが俺の意向です。実際問題何ができるのかって言うのはありますが、俺が忙しく仕事に飛び回っていれば、ナオは何かあっても気を遣って俺に言わない。そう言うのが嫌なんですよ。どんな些細なことでも不安とか心配事があったら相談できる状況にしておきたいんです」

 仕事を好き嫌いで選ぶつもりはないが、優先順位はある。そう言うことだ。それについては、マネージャーにも理解しておいてもらわなければならない。

「わかりました」

 市川は溜息はついたものの、余計なことなど何も言わずに頷いた。

「日野氏には、そのように伝えます」

 事務所的には逃したくはない仕事のはずだが、市川が存外にあっさりと引き下がったのは、短くはない付き合いの雅紀の性格をよくわかっているからだろう。ひょっとすると、事務所の別モデルを推すつもりなのかもしれないが、雅紀は自分の後釜には興味も関心もなかった。

 打ち合わせを終わらせて、雅紀はホテルを後にする。それから数件馴染みのショップを周り、加々美との待ち合わせ場所である『真砂』へ向かった。

「よう。おつかれ」

 雅紀が店に着くのとほぼ同時に、加々美も現れる。連れ立って店に入り、いつもの座敷に通された。

「昨日帰ってきたんだっけ? 帰国早々すまんな」

「いえ。加々美さんからのお誘いなら、いつでも歓迎ですよ。とはいえ、今日は車で帰りますので、お酒の相手はできませんが」

「ま、それはまた今度ゆっくりな」

 加々美は席に座りながら艶っぽく笑う。

 雅紀が加々美から「ちょっと話があるんだが、近々会えないか」と連絡をもらったのはイタリア出張中のことだ。いつもは特に理由もなく食事に誘ってくる加々美にしては珍しく「話がある」と言うのが気になった雅紀は、帰国したらすぐに会うとの約束をしたのである。

「今日はさすがにフリーだったんだろう?」

「ここに来る前に、マネージャーと打ち合わせだけしてきました」

「相変わらず、お前も忙しいな」

 お通しが運ばれてきて、会話が一時中断する。雅紀に合わせたのかどうかはわからないが、加々美も今日は酒を頼まなかった。

「そういえば、日野一平がお前とタッグ組みたがってるって噂聞いたんだけど?」

 さらりと加々美が口にした言葉に、雅紀はそっと息をつく。

(ほんっとこの人って、どこでそんな噂聞きつけるんだか)

 情報が早すぎて、驚くよりも呆れる。

「俺だって今日初めて聞いたのに。どこでそんな噂拾ってくるんです?」

「どこって。……まあ、それは置いといて。やっぱり本当だったんだな。聞いた時から、俺的にありだなって思ってたんだが」

「そうなんですか?」

「ああ。噂じゃ、スマートカジュアルに特化した新ブランド立ち上げのイメージモデルなんだろう? 同じアイテムできっちりフォーマルにもカジュアルにも着こなして見せるモデルって、俺の中じゃ、二、三人しか思い浮かばないし。その中ではお前が断トツだしな」

「それは、ありがとうございます」

 雅紀は素直に頭を下げる。加々美に評価してもらえるのは、理屈抜きで嬉しい。

「でも、断りましたけど」

「は?」

 加々美は、通しで出された焼きなすを箸で掴みかけてポロリと落とす。唖然としたその顔はなかなかの見ものだったが、もちろん茶化す気になどならなかった。

「なんで?」

「1番の理由は、年明けからワールドツアーが始まる計画になってたことですかね。その頃は、ナオの大学受験が本番の時期なんですよ。俺にとってはそれが最優先事項なんで。そんな大事な時期に、家を長期に空けたくないんです」

「そっか……」

 加々美は呟いて、小鉢に落ちたナスを掴みなおして口に運ぶ。

「尚人くん、受験生だもんな」

「イタリア出張の前に三者面談があったんですけど。ナオがはっきり志望大学を言ってくれて、正直ほっとしました。今まで本当に色々あって、ナオにはずっと我慢させてきましたから。これからはナオがしたいと思うことを思う存分して欲しいし、そのためのサポートを惜しむつもりはないんで」

 雅紀の吐露に加々美は柔らかな眼差しを返す。こんな時に茶化したりしない、加々美のような存在があることに雅紀は素直に感謝する。加々美がいるからこそ、雅紀は肩肘ばかり張らずに、時々、年齢相応の青年の顔をすることができるのだ。

 テーブルに、ハモの湯引きと夏野菜の天ぷらが並んで、旬の味に雅紀はしばし舌鼓を打つ。海外出張中は栄養バランスを気にしつつも、できる限り現地の物を楽しむようにしている雅紀だが、やはり和食の方がうまい、と思う。

 もちろん、尚人の手料理が一番なのは言うまでもないことだが。

「正直言うと、やりたいことを思う存分やった尚人くんが、どう成長するのか。俺も興味ある」

 加々美の呟きに、雅紀は視線を上げて、チラリと加々美を見る。

(やっぱりまだ、諦めたわけじゃないんだろうな)

 だから、尚人のアズラエル預かりの件だ。

 雅紀はきっぱりはっきり断ったのだが、その後もなし崩し的にアルバイトの依頼があって。加々美からの「お願い」であれば断りきれない雅紀は、心情的に非常に複雑なのだ。

「こないだのディベート大会もすごかったしな」

 加々美が、口に端に笑みを載せる。

「スピーチ内容もさることながら、あの時の尚人くんの雰囲気。鳥肌ものだったぜ」

 言いたいことはよくわかる。雅紀もまさにそれを実感した一人なのだから。

「ステージ上で人目を惹きつける力を持っているか否かって言うのは、見た目の美醜とか努力とかとはまた違ったところにある。まあ、こんなこと、お前には言うまでもないことだけど。––––今までも、尚人くんには、お前みたいな派手さはなくても人を惹きつける凛とした涼やかさがある、と思ってはいたが。ステージ上であれほど観衆を惹きつける力を放つとは思わなかった、と言うのが正直な感想だ」

「加々美さん」

 尚人を褒められて悪い気はしない。それは当然だ。しかし、その先に終わった話をぶり返すつもりであるのなら、雅紀としては看過できない。そんな心情がつい口調にこもって、加々美が苦笑した。

「そう、尖るなって。お前の気持ちはわかっているし、尚人くんが嫌がることを無理強いするつもりもない。……けどな、そうじゃない連中もいるってことを覚悟しておいた方がいい」

 雅紀はわずかに目を眇めた。

「どういう意味です?」

「実は、尚人くんの存在は前々から水面下で結構話題にはなっていたんだが。それこそ色々あって。お前の地雷源だってことも認識されて。それで、興味はあるけど誰も手が出せないって状態だったわけだ。でも、お前の妹がモデルデビューした後ぐらいから、妹の次は当然弟もって、またざわつき始めてさ。––––それで、他所に取られる前に正式な交渉権を得てしまおうって。そう考えてる事務所があるようなんだ」

「それは、どこ情報なんです?」

「高倉」

 加々美の返答に雅紀ははっきりと眉を(ひそ)めた。業界最大手の敏腕マネージャーである高倉が情報源だというなら、業界内に間違いなくそういう動きがあるのだろう。

「ひょっとして、加々美さんの話っていうのは、これですか」

「そうだ。現在尚人くんは未成年で、お前が保護者代わりってのは周知の事実だ。だから、尚人くんとの交渉に動こうと思えば、当然お前のところに話が来る。––––事前に、耳に入れといたほうがいいと思ってな」

「それは、ナオにいきなりスカウトマンが接触することはないってことですか?」

「俺の聞いてる範囲じゃ、そうだ。まあ、どんなルート使ってみたところで最終的にお前は避けて通れない存在だし? なら、下手に策を弄するより最初から正攻法で攻めようって。つまりは、それだけ本気ってことでもあるが」

「その動きにアズラエルは関わってくるんですか?」

「高倉的には、思案中ってとこだな。正直言えば尚人くんは欲しい。でも、一度断られてるし、まだ高校生だから慌てる必要もないって思ってたみたいだが。周りが動くとなれば、手をこまねいて傍観しているわけにもいかないって、なるだろ?」

「にしても、なんで今なんです?」

(タイミングとしては最悪だろう)

 と雅紀的に思う。高校三年生という受験期に余計な雑音など入れたくない。それでなくとも今現在、尚人の周りで不可解な出来事が起きているのだ。

「さっきも言った通り妹がデビューしたことが大きい。が、それと合わせてこの間のディベート大会も無関係じゃ無い」

「どういうことです?」

 高校生が高校生のための大会に出場したからといって、それが全国大会であっても、業界が騒ぐことになるはずがない。

「あの大会って、準々決勝からネット配信されてたんだろう?」

 それは知っている。尚人にも事前に聞いていた。だから、あの日予定が押して準決勝に間に合わないとなったとき、せめてネットで確認しようと思ったのに、何故かホームページに繋がらなかった。

「あの日の午前中の配信後にさ、お前の弟が出てるってネットで話題になってたらしい。それで、ひと目見たいって連中のアクセスが殺到して、午後の配信の時にサーバがダウンしたらしいんだが。それと合わせて、決勝の場に俺がいたってことが、ネットで取り上げられてたみたいでさ」

 ––––なるほど……

 何となく、先が読めてきた。

 なぜ、あの加々美蓮司が高校生の大会など見に行っていたのか。兄だと世間に認知されているカリスマモデルMASAKIと加々美との関係性と絡め合わせて、さぞかしいろんな憶測が駆け巡ったことだろう。

「つまり、加々美さんにも一因があると」

 含むところがあったわけではないが、雅紀がポツリと呟くと、加々美はわずかに苦い顔をした。

「後悔先に立たずとは言うが、あの時はまさかこんな事になるとは思わなかったんだ。俺としても、大事な受験期の尚人くんを大人の都合で引っ掻き回したくはない。––––で、だ。これは高倉にも話していない、俺個人からの提案なんだが」

 瞬時に、加々美の表情が変わる。加々美が時々見せる、誤魔化し無しの本気の顔つきだ。

 加々美がこの視線を自分に向けてくる時、雅紀は同時に自分も試されているのだと言う気にさせられる。この質量を持った眼差しに本気の答えが返せるのか、と。

「実は俺、プロデュース業のための個人事務所を構えていて。これはモデルとしてのマネジメント契約を結んでいるアズラエルとも合意の上の正式な事務所なんだが」

 加々美の告白に、雅紀はわずかに目を見張る。

 これまでそういう噂を耳にしたことはあっても、加々美自身それを公表したことはない。雅紀に対してだって、チラリともそんなことを匂わせるような話すらしたことがなかった。なのに、このタイミングでそれを持ち出す意味。雅紀はそれを嫌でも考えざるを得なくて、刹那押し黙った。

「その俺個人の事務所で尚人くんを預かるってはどうだろう。尚人くんが今後どういう道に進むにしても、それを後押しする、いわゆるプロデュース契約ってことで。これならば、尚人くんとマネジメント契約を結びたい事務所も俺の事務所を通さなきゃいけないってことになるし、尚人くんが成人した後も、直接本人にスカウトマンが押し寄せることはなくて、やりたい事に集中できるっていうメリットもある」

「随分と有難い話ですが、加々美さんに何かメリットがあるんですか?」

「もちろん、ある」

 加々美は頷く。

「俺は尚人くんのプロデューサーって事になるわけだから、大手を振って尚人くんを色んな所に連れ回して、色々経験させてやることができる。デビューしたばっかのお前をあちこち連れ回したみたいにさ。芝居見に連れて行ったり、うまい飯食わせてやったり、一緒に酒飲んだり。お前の時も随分楽しかったが、尚人くんはまた違った楽しさがあるだろうって思ってる」

 加々美はそう言うと一転艶っぽく笑った。大人の寛容さと色っぽさを兼ね揃えた、雅紀には到底真似できない帝王の笑みだ。

(本当に、この人は……ずるい)

 雅紀は、心の中で息をつく。

 人たらしの本領発揮だ。

 加々美の真摯な忠告は有難いし、それに対する提案も、もったいないくらいにいい話には違いない。ただ、雅紀の兄としての矜持と男としての悋気(りんき)()(むし)られのはどうしようもない。

「タイミングを見てナオに話してみます。それで、いいですか?」

「ああ。じっくり話し合って決めてくれ」

 状況は刻一刻と変わりつつある。自分の思いはさておいて、すでに以前と同じ回答ではいられないのだろうと言う予感が雅紀の中にあった。

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