「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

40 / 122
縹色(はなだいろ)ノ雲 5

 大学二年生の夏休み。沙也加はそこそこ多忙で充実した毎日を過ごしていた。

 一時期、ありもしない恋愛騒動を週刊誌に書き立てられて精神的に参ってしまった沙也加だが、メディアの喧騒はひと月もしない内に嘘みたいに静かになって、沙也加の日常生活はあっという間に元に戻っていた。それはそれで、良くも悪くも旬なものにしか興味を示さないメディアの実態を垣間見た気がして複雑な気分にさせられたのだが、とりあえず平穏な日常に文句はない。

 今週はデザイナー主催のオーディションを一件受けて、雑誌のグラビア撮りが一本あった。初グラビアを飾った雑誌『ノエル』には、それなりに評価してもらったようで、コンスタントに仕事が入ってくる。とはいえ、モデル一本で食べていけるには程遠く、モデルのステータスとも言えるランウェイデビューがまだであることが沙也加の矜持を燻り続けていた。

 もちろん、ステージに拘らないモデルは多くいる。雑誌やCMの仕事の方が世間的認知度が上がりやすく、ギャラも高い、ということもある。しかし、沙也加の中には常に雅紀の存在があって、雅紀の見ている世界を自分の目で見てみたい、というのがモデルの世界に飛び込んだ動機でもある以上、ステージを中心に活躍している雅紀と同じ舞台に立つことが沙也加の目標であった。

 そのためのレッスンも受け続けている。しかし、ハイヒールを履いて真っ直ぐきれいに歩く、と言うのは案外難しく、沙也加は悪戦苦闘していた。如何せん運動部経験などない上に、大学生になってからはどこへ行くにも車移動をしていた沙也加は、圧倒的に腹筋背筋が弱い。そのため、インナーマッスルを鍛えるためのトレーニングも受ける必要があった。大学の授業を受けつつレッスンやトレーニングに通い、その合間にバイトもする生活はなかなかハードだったが、頑張ってきた甲斐あって「デビューしたての頃より随分マシになった」と自信がついてきた。そういった自信が雰囲気にも現れるのか、マネージャーの唐澤からも「モデルが板についてきた」と言ってもらい、それが励みになっている。

 しかし、モデルとしての実力と実績を着実に積み上げている一方で、沙也加を悩ませる事態も起きていた。いわゆるモデル仲間からの『いじめ』だ。聞こえよがしの陰口悪口は可愛い方で、ウォーキングのレッスン中に足を引っ掛けられる。少し目を離した隙にレッスン用のハイヒールを折られる。荷物を入れていたロッカーの鍵が壊されて中の荷物が水浸しにされる、なんてこともあって。泣き寝入りはしたくないが、泣き言も言いたくない沙也加は、

 ––––こんなことして、ばっかじゃないの。

 と、思うことでやり過ごしてはいたが、それでも胸は燻り続ける。それで、夏ゼミで久々に大学に顔を出したその日、講義終わりに大学構内のカフェテリアでお茶の流れになったいつものメンバーを前に、沙也加は雑談の最中にポロリとこぼれた愚痴をきっかけに、ため込んでいた鬱憤(うっぷん)がここぞとばかりに(あふ)れ出た。

 沙也加の話に加持や相田達は、最初びっくりした顔をしたものの、すぐに一緒に憤慨してくれて、

「信じられなーい! 仮にもモデル目指してる子達がやることとは思えなぁい」

「ひょっとしてモデルって、見た目綺麗でも腹の中は真っ黒? 皆んなが皆んな、そうというわけじゃないだろうけど」

「そりゃ、周りは仲間っていうよりライバルかもしれないけど。そんな卑怯な手を使ってライバル蹴落として仮に売れたとしてもさ、それってうれしいのかな?」

「競争倍率激しい世界だから。売れたら何でも嬉しい、って人もいるのかも?」

「でも私ならー。もし、自分が雑誌見て素敵って思ったモデルがそんなことしてたって知ったら幻滅するぅー」

「まぁねぇ。でも、そういうのは、絶対表には出てこないんだろうね」

 喧々諤々、三者三様。沙也加の代わりに怒ってくれて、沙也加はようやく胸の内に燻っていたものが落ち着いた。

「皆んな、ありがとう。なんか、愚痴言うのもカッコ悪いって、わかってるんだけど。このところ、何だか気持ちのやり場に困っちゃって」

「そんなのー。全然いいのにぃ。溜め込む方が良くないよぉ」

「そうだよ、沙也加。なんかあったときには、言ってくれて構わないよ」

「私たちは、聞くくらいしかできないし」

 口々にそう言ってくれ、やっぱり持つべきものは友人だと、沙也加は感謝する。と同時に、頑張って志望する大学に合格できて本当に良かった、と改めて思う。この大学に入れたからこそ友人もできたのだ。

 高校時代は自分が心を閉ざしていたこともあって、友人と呼べるような存在は一人もいなかった。家庭環境が最低最悪でも、自分の頑張り次第で道は切り開けるのだと示して周囲を黙らせるつもりでいたのに、合格間違いなしだったはずの滑り止めに落ち、起死回生を信じて半ば意地で受けた第一希望の高校にも落ちた時、沙也加のプライドはズタズタに引き裂かれた。屈辱とも言える後期二次募集を受けたのは、祖父母になだめられるまでもなく流石に中学浪人だけはできなかったからだが、合格したところで少しも嬉しくなかったし、校名など恥ずかしくて口にもできなかった。

 そこから這い上がれたのは、大切なのは最終学歴だ、と思い直したからだ。大学を出れば出身高校など関係なくなる。それこそ県下随一の進学校を出ようが、大学進学率数パーセントの三流高校を出ようが、同じ大学を卒業しさえすれば学歴は同じ。そう思うことで沙也加は奮起した。

 いや、そうとでも思わなければ立ち直れなかった。それが正しい。

 私は、こんなところで腐って終わったりしない。大学は絶対、第一志望に受かってみせる、と。

 その甲斐あって、見事沙也加は第一志望の大学に合格できた。そのことで自尊感情を取り戻せたし、気持ちにゆとりも生まれた。それが、良好な友人関係の構築にも寄与したと沙也加は思っている。

 自分の頑張り次第で未来は開ける。その経験が自分を大きく成長させてくれた。そう思うから沙也加は、この大学に合格できて本当に良かった、と思うのだ。

「話は変わるんだけど。そういえば、こないだ。地元の友達から気になるラインが来てね」

 話がひと通り終わったあと、柏木がそう言って、スマートフォンを取り出した。

「その子。私が沙也加と友達って知ってて、送ってきたんだけど。これって、沙也加の弟?」

 沙也加は、柏木がなぜそんな話題を始めるのかと怪訝に思いながら、差し出された画面を覗き込む。そこには、切り抜きされた新聞記事のような写真が表示されていた。

 沙也加は、反射的に息を飲む。写真に写る三人の高校生の左端に写るのは間違いなく尚人で、そこに『翔南高校英語ディベートチーム 全国大会初優勝』の見出しがついていたからだ。

 ––––全国大会って、何それ。

 ––––英語ディベート? 尚、そんなことしてたの?

 しかも、優勝って……

 刹那、理屈ではない嫉妬心がこみ上げ、やり場のないどす黒い感情に沙也加は固まる。

 そんな沙也加の様子を見やって、柏木がどう受け取ったかはわからないが、とりあえずは事実だと確信したのだろう。

「やっぱり、これ、沙也加の弟なんだ。友達から送られてきた時に、MASAKIの弟ってハッシュダグついてるけど本当? ってコメントついてて。一時期、弟の顔も見たいってネットで騒ぎになってたから、そういうのに便乗したデマかもって思ったんだけど」

 その言葉に、相田も加持も興味深そうに画面を覗き込む。

「あ、すごぉーい。全国優勝って書いてあるぅ」

「弟どれ? 左端?」

 加持の問いかけに、沙也加は頷く。

「やっぱり弟くんもぉ、整ったきれいな顔してるねぇ」

「うん。なんか、そこらへんにいる高校生とは違う感じ。しかも、英語ディベートで全国大会優勝って。超進学校に通ってるっては聞いてたけど、沙也加の弟、本当すごいんだね」

 加持の何気ない言葉に、沙也加の胸は掻き毟られる。

 わかっている。加持や相田らに悪気はない。沙也加が弟である尚人を毛嫌いしていることなど、彼女らは知らない。そんな状況では、兄弟のことは褒めるのが普通だ。

「問題は、そこじゃなくって」

 柏木は少々険しい顔でそう言いながら画面をスクロールさせる。すると、切り抜かれた新聞記事の下に明らかに書き加えられたとわかる状況で、

『左端が、MASAKIの弟の篠宮尚人』

 とあり、さらには千束の住所まで書いてあった。

 最後の番地までバッチリ。間違いなく千束の篠宮家の住所だ。

「沙也加ぁ、これって?」

 相田が驚いた顔をして、わずかに上目遣いで伺う。沙也加は自分を見つめる三人を見返し、ゆっくりと首肯した。

「ネットで勝手に住所ばらしたりするのって、犯罪じゃないのぉ?」

「そもそも誰が何のためにって、思うけど。考えるとこれって、同時にお兄さんであるMASAKIの住所もばらしてるってことになるよね?」

 加持のその一言に、沙也加ははっと息を飲む。

 正直、尚人のことなどどうでもいい。ネットで顔を晒されようが、住所を暴露されようが、そのことで尚人が何らかの実害を被って悩まされようが、沙也加には何の関係もない。むしろ、昨年の騒動で沙也加ばかりが割りを食ったその分を、今度は尚人が受ければいいとすら思う。

 しかしそれが、雅紀にまで波及するとなると、話は別だ。

 ––––尚のせいで。

 そう思うと、苦々しい思いが沙也加に込み上げた。

 あの時も、尚人が黙っていたから、あんなことになった。

 今回も、尚人が目立つことをするからこんなことになる。

 そもそも、新聞の取材など受ける必要があったのか。昨年あれだけ騒ぎになったのだ。同居する雅紀のことを考えれば、世間の衆目を集めるようなことは極力控えるのが当然ではないのか。

 そんな思いが、沙也加の中に湧き上がる。

 おそらくは、全国大会優勝に浮かれて、そんな配慮すらできなかったのだろう。『チーム』とあるのだから、優勝は尚人ひとりの実力ではない。記事にあるように英語が少しできるから頭数合わせで入れてもらったにすぎないはずだ。

 それでも、全国大会優勝という結果は、尚人の一つの経歴になるのは事実。

 そのことが、どうしようもなく悔しい。

 県下随一の進学校である翔南高校に合格して、英語が堪能になって、将来グローバルな仕事をするのは沙也加の夢だった。しかし、高校受験に惨敗した時、沙也加の夢は夢で終わった。もう一度頑張ろうと気力を取り戻すまで一年以上かかった。その直後のことだ。尚人が翔南高校を受験すると知ったのは。

 落ちろと願った。自分と同じ辛酸を尚人も味わうべきだと思った。自分がどんな気持ちだったか、その一端でも思い知るといいと期待した。

 しかし、沙也加の願いも虚しく、尚人は合格した。沙也加が行きたくて行きたくてたまらなかった翔南高校に、尚人だけが合格した。

 そして今、その翔南高校で尚人は英語がペラペラになり、英語ディベート大会で全国優勝するという栄冠まで手に入れた。

 許せない。

 こんなこと、到底受け入れがたい。

 篠宮の家を崩壊させた元凶は慶輔(あいつ)であることは間違いないが、沙也加の視界の先をいつもいつも邪魔するのは尚人だ。

 だから沙也加は、尚人が憎い。尚人が目障りで、苛々する。

 沙也加が踏ん切りをつけて、自分の気持ちに折り合いをつけて、次に進もうとするその先を、いつもいつも尚人が邪魔をする。

 しかも尚人は、いつもすることなすこと雅紀を巻き込んで、雅紀にその尻拭いをさせている。

 本人にその自覚がないのも、腹立たしくてたまらない。

「ねぇ、それって、出所がどこかってわかるの?」

「さあ、そこまでは。友達も、別の友達からラインで送られてきたみたいだし。でも、その友達が言うには、この情報が嘘か本当か確かめに行こうって、盛り上がってる人たちもいるって話で。 ––––大抵は、その場のノリの冗談らしいけど」

 それでも、実際に行ってみようと思う人が出てきたっておかしくはない。

 雅紀は、こんなことになっていると知っているのだろうか。

 マスコミが家に押しかけるのと、一般人が家にやって来るのは全然ちがう。マスコミは一応彼らなりの協定やルールや法令遵守の精神があって、家を取り囲んでも私有地内に無断で入って来ることまではしないが、一般人にその常識が通用するとは限らない。特に、MASAKIのファンが自宅の場所を知ったりしたら、どういう事をしでかすか。犯罪紛いのことだって、平気でするかもしれない。

 ––––お兄ちゃん……

 電話してみようか。

 こんなことになってて、心配してるって。

 そう理由をつけて。

 篠宮の家を出て以来、沙也加はずっとずっと雅紀に電話したくて。ほんの少しでもいいから雅紀の声が聴きたくて。でも勇気が出なくて。いろんな理由を頭の中でこねくり回して、馬鹿みたいにシミュレーションして。それでも出来なくて……。

 そんな中、マスコミに嘘ばかり書かれて精神的に追い詰められて、藁にもすがる思いで掛けた電話は、沙也加の思い描いていたものとは全く違うものだった。冷たく突き放された、というよりも、ばっさりと切り捨てられた。

 その事実が受け入れ難くて、尚人をだしにある計画を実行したが、失敗した。その時のことを思い出せば、雅紀に電話などできるはずがない。それはわかっている。わかってはいるが……。

「悪いけど、それ、私にも送ってくれない?」

 沙也加は、柏木にそう言うと、自分のスマートフォンを取り出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。