「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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尚人を暴行した犯人についての「独占仰天スペシャル」を目にしての裕太の反応。


現実の切れ端

「はあぁぁ!」

 家には裕太以外誰もいない平日の昼下がり。自室でパソコンと格闘していた裕太は、何気にクリックしたニューストピックスの記事に、思わず声を上げた。

 そこには、カリスマモデルMASAKIの実弟を暴行して捕まった犯人の正体について、仰天事実をスクープした雑誌の紹介という形でニュースが掲載されており、雑誌からの転用だと注釈が付いたその記事によると、尚人を襲った犯人は、あのクソ親父の愛人の妹の幼馴染みとある。それであの事件が実は、不特定多数を狙った不良少年たちの暇つぶしなどではなく、最初から尚人をターゲットにしたものだったのではないか、と書き立てているのだ。

 ネット記事のコメント欄には、

『まじか。ありえんの、こんなこと』

『今年どころか、ここ数年で一番驚いたニュース』

『これが事実なら、父親鬼畜すぎて、まじトリハダ』

『世の中にはこんな親もいる。それが現実』

『まてまて、オヤジの教唆とは限らんでしょ。愛人の方の指示じゃないの? そもそも暴行犯は愛人姉妹と知り合いみたいだし』

『他人不幸にした金でお嬢様学校に通える厚顔無恥の愛人妹。それだけで、すごすぎ』

『経済的な困窮に追い込むだけじゃ満足できずに、不良の幼馴染みけしかけたって理解でいいの?』

『母親自殺したのも、愛人からの嫌がらせが背景にあるんじゃない?』

『母親の方は精神的に追い込んでコ○し、息子の方は暴行してコ○そうとした。こんな女のどこがよくて愛人にしてんの?』

『そりゃ、アッチの方の相性がいいんでしょ』

『下半身の欲望に負けた。ある意味男らしい』

『実は姉だけじゃなくて、妹の方も喰ってたりして』

 ネットユーザーたちは言いたい放題だ。所詮他人事。真偽など、どうでもいいに違いない。

 裕太は、コメント欄を読むのを途中でやめた。

 おそらく、ここに真実など何もない。

 パソコン初心者の裕太にとって、最初ネットの世界は驚きに満ちていた。家にいながら、ありとあらゆる情報が検索できる。最新のニュースも、新聞やテレビで確認するまでもなく、検索サイトのトピックスとして上がってきて、気になればそこをクリックしさえすればいい。

 だが、篠宮家のスキャンダルに関する記事を何度か目にしている内に、ネットに書かれていることが全て事実なわけじゃない、ということに裕太は早々に気が付いた。というより、ネット記事は無責任でいい加減で、ほとんどが憶測混じりの虚構だと言ってもいい位だ。

 それを思い出して、裕太はネット記事に反射的に驚いてしまった自分に舌打ちした。

 裕太は、他人に感情を揺さぶられることに不快感がある。それは今まで散々、親の都合、大人たちの都合、上の兄姉たちの都合を押しつけられた、という事に対する怒りがあって、そして、そのどうしようもない怒りの持って行き場がなくて周囲の全てを拒否するという行動を取ったものの、実はそれが独りよがりの身勝手でしかなかった、ということに気付いたからだ。

 ––これからは周りの人間には振り回されない。自分で考え、自分で結論を出す。

 裕太はそう決意したのだ。

 雅紀は、尚人を襲った暴行犯と対面するなりその顔面を思い切り殴りつけた、らしい。雅紀にとっては、相手がクソ親父の愛人と繋がりがあろうがなかろうが関係ないに違いない。尚人に手を出した時点で、殴り殺してやりたいくらいの相手なのだ。

 事件後、尚人が深刻な精神的後遺症を抱えていると裕太が知ったあの夜、雅紀の見せた不穏な気配は背筋がぞくりとするほど本気だった。もし尚人があの事件で最悪命を落としていたら、雅紀は本当に相手を殴り殺していただろう。

 では、自分はどうか。

 姉の沙也加からの電話で、尚人が近頃世間を騒がせている暴行事件に巻き込まれたかもしれないと知った時、裕太は言葉にできない恐怖に襲われた。家に一人取り残されることの得も言われぬ寒々しさ。足が(すく)んで、部屋に戻ることすらできなくて、雅紀が帰って来るまでリビングのソファーで一人膝を抱えて過ごした。

 あの時裕太の中にあったのは、犯人に対する怒りではなく、一人ぼっちになってしまうかもしれないという恐怖だった。

 今の篠宮家が何とか三人で家族という形を保っているのは、尚人がいるからだ。尚人がいるから雅紀はこの家に執着し、尚人が裕太を構うから雅紀は裕太をこの家に置いている。尚人がいなくなれば、篠宮の家はあっさり消えて無くなるだろう。

 もし、そうなれば自分は一体どこへ行けばいいのか。

 堂森の祖父母の家? あり得ない。

 沙也加がいる加門の祖父母の家? それはもっとあり得ない。

 ––この家を出て、俺は……どこへ行けばいいわけ?

 かつて尚人はそう言ったが、それは裕太だって同じだ。この千束の篠宮の家以外に裕太の行き場はない。この家だけが裕太にとって家なのだ。そして裕太の唯一の居場所であるこの家は、尚人の存在で持っている。

 だから裕太は、尚人の怪我が思ったよりも軽度だったと知ったとき、心底安堵したのだ。

 ––だけど、本当にそれだけ?

 近頃心の奥底で、そんな声がする。

 尚人の怪我は思ったよりも軽度で済んだ。だが尚人は、見た目とは裏腹に精神的後遺症を抱えた。事件以降、尚人は時々、夜中にうなされる。背後から襲われた恐怖が何かの拍子に刺激され、パニックを起こすのだ。呼吸もままならないほどに体を固く硬直させ意識を失う。放置すればそのまま呼吸が止まって死んでしまうのではないかと思うほどの症状だ。それが怖くて裕太は、尚人が寝ついてしまうまで眠れなくなった。階下の気配を伺い、尚人が就寝したはずの十二時過ぎ、一度尚人の部屋の前まで行って耳をすまし、何の声も聞こえないことを確認する。それが裕太の習慣になった。

 それが、尚人を純粋に心配する行為なのか。自分の居場所を失わないための行為なのか。それとももっと別の意味を持った行為なのか。

 裕太自身、わからない。

 とにかく毎日、尚人が寝静まるのを確認する。

 そうしないと裕太自身落ち着いて眠れなかった。

 もちろんそれは、雅紀がいない日に限った話だが。

 雅紀は家に帰れば必ず尚人を抱くから、そんな時に階下の部屋から聞こえてくるのは尚人の淫らな喘ぎ声だ。日頃の尚人からは想像もできなくらい艶っぽい声を出す。その声に裕太の下腹部は刺激される。熱く猛って先っぽが湿り、思い切り精を吐き出したい衝動に駆られる。最初は受け入れ難かったが、どうしようもない事実だ。事実を事実として受け入れなければ、何も進まない。それが、裕太がこの五年で学んだ真実だ。だから裕太は、尚人の嬌声に刺激され、自慰にふける自分を受け入れることにした。

『俺はナオにしか発情しないんだよ』

 雅紀は、見事なまでに開き直ってそう言った。

 雅紀の言う『発情』は『愛している』の同義語だ。それは、一度二人がセックスしている生々しい現場を覗き見て思い知らされた。雅紀は裕太が見たこともない程の優しい眼差しを尚人に向け、それはそれは愛おしげに尚人を撫で回し舐め回していた。セックスの経験などない裕太だが、あのセックスが単なる性処理ではないことは一目瞭然だった。

 では、尚人の艶声に刺激される自分は、何なのだろう。ケダモノには違いない。兄二人のセックスに興奮しているのだから。しかし、他に経験がないから、尚人以外の声にも刺激されるのかどうかが解らない。だが、解らないからと言って、アダルトビデオをレンタルしてこようという気にはならないし、ましてやそれが男同士のものならなおさら、考えただけでも嫌気が差す。

 尚人が特別なのか。

 尚人だから特別なのか。

 いまだ結論が出ない。そのことに裕太は近頃もやもやしている。

 その時不意に、階下で音がした。

 裕太は一瞬どきりとする。あのクソ親父が家の権利書を狙って家に侵入してきたのはついこの間だ。気持ち悪い猫なで声で裕太の名を呼んだ。それが鳥肌が立つほど不快で、気が付いた時には手にしていたバットで殴っていた。

 その時のことを思い出したのだ。

 しかし、あのあと雅紀はすぐさま家のセキュリティーを強化し、玄関は電子錠に変えた。あのクソ親父が合鍵を使って侵入してくることは二度とないはずだ。

 そう思っていると、階段を上がってくる足音が響く。一定のリズムを刻むゆったりとした少し重いこの足音は雅紀のものだ。

 雅紀の予定などほとんど把握していない裕太にとって、この帰宅が予定通りなのか違うのか知らないが、仕事を終えて帰ってきたのだろう。モデルをしている雅紀の帰宅時間は本当に不規則だ。

 雅紀は、扉を開けたままの裕太の部屋の前を素通りする。廊下から裕太の姿が見えるはずだが、裕太になどわざわざ声を掛けない。「ただいま」という言葉すらだ。そして裕太も「おかえり」などと言わない。それも、いつものことだ。

 裕太は時計に目をやる。

 午後一時過ぎ。そろそろ尚人が課外を終えて学校から帰ってくる時間だ。多分ではなく絶対、雅紀はこの時間に間に合うように帰ってきたのだ。

 定刻、再び階下で音がする。尚人が帰って来た音だ。続いて、雅紀が階段を降りて行く。

「ただいまー。って、まーちゃん、帰ってたの。おかえり!」

 予想通り、弾んだ尚人の声が響いた。

 普段の尚人は静かで落ち着いた声質なのに、雅紀の前だと数トーン跳ね上がる。それは電話でも同じことで、だから裕太は、尚人が雅紀と電話している時はすぐにわかる。

「お昼は? 食べてきた?」

「いや、家で喰おうと思って帰ってきた」

「じゃあ、今から作るから、ちょっと待っててね」

「昼からの予定は?」

「んー、特にないかな。スーパーに買い出しに行こうかなとは思ってるけど」

「じゃあ、車出してやるよ」

「え、本当? じゃあ、ディスカウントストアも寄ってもらっていい? トイレットペーパーとか買いだめしときたいから」

「ああ、もちろん」

 何気ない兄二人の会話に耳を傾けながら、裕太はパソコン画面に開いたままだったネットニュースを閉じた。

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