「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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鳳雛(ほうすう)ノ翼 1

(おや、あれは確か……)

 アズラエル本社ビル三階モデルフロア。

 加々美は、その階での用事を済ませて最上階にある高倉の執務室へ向かう途中、偶然視界に入って来た人物に若干歩調を緩めた。

 ロングストレートの黒髪。手足の長い抜群のプロポーション。遠目にもわかる力強い眼差しと全身を覆う硬質な雰囲気。どことなく『MASAKI』に似ていなくもない。二十歳そこそこかと思える若い女性。

 雅紀の実妹、篠宮沙也加、で間違いなかった。

 昨年『ニューヒロインを探せ』をコンセプトに、人気ファション雑誌『KAGUYA』とウェブTV『ビーラム』が共同で仕掛けたモデル発掘オーディション、カールズ・コンテスト。彼女はそれに出場し、入賞こそ逃したものの、高倉の引きによって『アズラエル』所属のモデルになった。

 つまりは、事務所の後輩、なわけだが、加々美はまだ沙也加と直接言葉を交わしたことはない。機会がなかったし、わざわざ声を掛けにいくような理由もなかった。それだけのことだが、顔と名前はコンテストに出て来た時からチェックしていた。

 もちろん、雅紀の実妹だからだ。

 現在カリスマモデルとしての地位を不動のものとし、他の追従を許さない『MASAKI』は、加々美自ら足繁く通ってスカウトした。外国人クラブで働いている姿を初めて見た時から、雅紀にはそれだけの価値があると思ったし、高校生の素顔を知ったのちは余計に、この出会いを出会っただけの関係で終わらせたくない、そんな感情が湧いた。

 見た目は抜群、背筋がスッと伸びた後ろ姿が綺麗で、腰の位置がぶれないしなやかな足取り。モデルとしての素質十分だったが、それ以上に加々美は、目があった瞬間に感じた雅紀が内包する「何か」に惹かれた。

 学校に特別に配慮してもらって夜のアルバイトをしている状況を鑑みれば、家庭に何らかの問題があるのは間違いなかった。恐らくはその関係で、警戒心バリバリで、言動に可愛げがないのだろうとも思った。しかし加々美は、それさえも良い、と思った。いや正確には、他人にこれほど警戒心を見せるこの青年が、自分にだけは心開いてくれる、そんな関係になりたいと思った。

 早い話が、高校生の雅紀に魅せられたのだ。

 二人の関係を、年齢差を越えた深い付き合いにしたい、と本気で願った。

 だから加々美は、雅紀から「もう少し詳しく話が聞きたい」と電話があった時には天にも登る気持ちだった。他人からの電話があれほど嬉しかったことはない。モデルの世界がどんな世界か、経験を踏まえて話してやり、熱心に、そして真摯に、雅紀を口説いた。雅紀がデビューしたのちは、モデルとして直接役に立つことも立たないことも、あちこち連れ回して経験させた。

 何も知らないままにこの世界に引っ張り込んだ責任。それが自分にはあると加々美は思っていた。

 そして、そんな交わりの中で見えて来た、雅紀の頭の良さと勘の良さにはとにかく感心したが、それ以上に、物事に動じないその鋼の神経に舌を巻いた。

 ––––こいつ、本当に十代かよ。

 何度もそう思った。

 その一方で、時々に垣間見せる大人に対する不信感。

 その理由を加々美が知るのはずっと後になってからのことだが。こいつにだけは信頼される大人でいたい。加々美はそう思って雅紀と付き合って来た。

 常に感情を隠し、仕事用以外では笑顔など滅多に見せない冷静沈着な雅紀が、二人きりの時だけに見せる素顔。それが自分だけの特権に思えて、加々美は満足していた。

 しかし––––、

 雅紀の忘れ物を届けに弟が現場に来た時に雅紀が見せた、とろけるような笑顔。

 それを見た瞬間。

 ––––こいつ、こんな顔できるのかよ。

 正直、マジで、驚いた。

 クールビューティ。鉄壁のポーカーフェイス。居るだけで現場の体感温度が下がる。などと言われる雅紀がメロメロなのだ。例えるなら、永久凍土が溶けて、荒涼とした大地に一気に春が来たという感じだった。ツンドラ地帯に色とりどりの花が咲き乱れる映像まで脳裏に浮かんで、加々美は一瞬自分の目を疑ったほどである。

 この一件で加々美は、雅紀にとって弟がものすごく大切な存在なのだと思い知らされた。その時すでに篠宮家の愛憎劇は世間にだだ漏れになっており、雅紀の「弟大事」は一般にも知れ渡っていたが、正直「あれ程」とは思わなかったのだ。

 聞くにつれ、呆れるほどの猫かわいがりで。弟は大事な「箱入り」で。

 それ程までに弟を可愛がっているのならば当然妹も。

 普通はそう思う。

 しかし、実際は全然違った。

 ドライを通り越して、いっそ無関心?

 それ位、雅紀の弟と妹の扱いは違った。

 一体なぜなのか。理由はわからない。

 突っ込んで、聞いてはいない。

 ただ、察するものはある。

 ––––ナオが思っている以上に妹のやっかみがひどい。

 ––––見当違いの嫉妬やくだらないやっかみでナオが不当に八つ当たりされるのが我慢できない。

 その言葉に雅紀の本心が凝縮されていたように思う。

 妹との間に決定打となる何かがあったのか、なかったのか、はわからない。しかし、雅紀の中で妹は弾かれた。そう言うことなのだろう。

 人の愛情は等分されるものではないのだから、仕方ない。それを薄情だと糾弾するのはただの偽善者だ。加々美はそう思う。

 それにしても……

(尚人君より、よっぽど雅紀に似てるよな)

 際立つ美貌。半端ない目力。出会った頃の雅紀のような、排他的な刺々しさ。それは一つの個性だ。しかし……

(雅紀の妹って認知された中では、どうしたって雅紀の二番煎じになるかな)

 そんな思いはある。

 男と女の違い。それを差し引いても、「『MASAKI』の妹」という世間のフィルターを超えるほどの個性がない。それがデビューしてから一年経とうというのに、高倉が狙っていたほどには売れていない理由のような気がする。

(ウェブTVが入ったオーディションを選んだのがミスだったかもな)

 沙也加が出場したオーディションは、その様子がウェブTVで放送され、インターネットを通じて一般人も投票できるのが売りだった。

 オーディションの過程を公開するメリットは、悲喜交交(ひきこもごも)の現場を視聴者に擬似体験させることでオーディション参加者たちに感情移入させ「この子の活躍を応援したい」と言うファンをデビュー前に作ることにある。オーディション優勝者が事務所指名できる権利を与えられたのも、優勝者は審査員の求める基準をクリアしていることにプラスして、事前のファンを獲得していると言う付加的な商品価値があると判断されたからだ。

 しかし沙也加の場合は、一人状況が違った。ネット上で「『MASAKI』の妹」の情報が流出した途端、一般投票一位に浮上した。それは、主催者側が期待した事前のファン数とは違うものだ。だからこそ沙也加の総合順位は4位に終わったと言える。『MASAKI』ブランドの功罪であるが、とにかく、オーディションの状況が一般に公開されたことで「『MASAKI』の妹が見たい」という大衆の欲求は満たされてしまった。彼女は売り出すための最大の武器をデビュー前に使い果たしてしまったことになる。

 とはいえ、そもそもが、「『MASAKI』の妹」というだけの価値で仕事ができる世界ではないので、デビュー後は色々な戦略で勝負させていくのがマネージャーの腕の見せ所だ。しかし、唐澤が付いていてもいまいちパッとしない現状を考えれば、「『MASAKI』の妹」に続く次なる武器がないのか、弱いのか、どちらかなのだろう。

(ま、引っ張って来たのは高倉だし? 今後どうするかは高倉が考えるだろ)

 加々美はやって来たエレベータに乗り込むと最上階のボタンを押した。

 

 

 

 モデル事務所最大手『アズラエル』本社内、統括マネージャー高倉真理(たかくらまさみち)の執務室。加々美がその部屋に顔を出すと、常にポーカーフェイスの高倉が珍しく渋い顔をして執務椅子に座っていた。

(お、ヤバイときに来ちゃったかな)

 そう思ったが、顔を出してすぐ引っ込めるわけにもかいず。加々美は、いつもの如くコーヒーを自分で()れると皮張りのソファーにゆったりと腰を下ろした。

 俺はコーヒーを飲みに来ただけだから、すぐに退散しますよ。

 そんな雰囲気を出して。

 しかし、加々美のそんな思いとは裏腹に高倉はおもむろに立ち上がると加々美の前に移動して腰を下ろした。

「尚人君の件なんだが」

(……前置きもなく、いきなりそれかよ)

 加々美は心の中だけで身構えて、高倉に視線を向けた。

「尚人君が、どうかした?」

「受験が終わりさえすれば、スカウト交渉が解禁されると言う噂が業界内でまことしやかに流れている」

 ––––は?

 加々美は思わず動きを止め、口に運びかけたカップをそのままソーサーに戻した。

「なんでそんな噂が?」

「この前、『MASAKI』が記者会見を開いただろう?」

 もちろん知っている。下校中の尚人を盗撮して放送した番組があり、それに対し雅紀が怒りの記者会見を開いたのだ。

 相変わらず(尚人)のことになれば雅紀は過剰反応を示す。

 それも、今更ではあるが。

「それがどうした?」

「あの会見で『MASAKI』が、『受験生である弟の学習環境』とか『落ち着いた環境で受験に専念』とか言っただろう。だから、弟が受験生である今はダメだが、受験が終わればオッケーだと。そう受け止めた連中がいると言うことだ」

「はぁぁぁぁ?」

 加々美は思わず驚きの声を上げた。

「あの会見で、どうしてそう言う解釈になるんだ? ありゃ、尚人君を盗撮した報道機関を非難して、もし繰り返すなら許さないって牽制する内容だっただじゃないか。スカウト話とはまるっきり違う話だろう?」

「趣旨は、まぁそうだったな」

 高倉は頷く。

「しかし、そう拡大解釈した連中がかなりの数いるのは事実で。すでに業界内では『受験後』を見据えた動きが活発化している」

(雅紀が知ったらぶちきれそーじゃねーか?)

 加々美は深々とため息を()いた。

「そこでだ。そんな動きがあるとわかっていながら、指を咥えて眺めているわけにはいかないってことは、わかるだろう?」

 加々美は渋い顔でコーヒーを口に運んだ。

「そうは言うが。『アズラエル(うち)』はもう何回も断られてるじゃないか。これ以上のゴリ押しは逆効果にしかならないと思うけど?」

「では、諦めろと?」

「 もう少し機が熟すのを待てって言ってんだよ。そもそも尚人君自身は現時点でモデルをやりたいって思ってるわけじゃないんだし。だったらどっかが交渉を持ちかけたところで、雅紀がオッケーするわけないじゃないか」

「お前が『MASAKI』をスカウトした時も、最初はモデルをする気はないって言ってたんだろう?」

「けど、あいつはあの時すでに、何らかの方法で金を稼ぐ必要があった。尚人君とは全然状況が違う」

 高倉が黙り込む。到底納得したようには見えないその表情に加々美は小さく息を()く。高倉が尚人に固執するその気持ちはわかるが、加々美としては、あまりしつこくこの話題を雅紀に振りたくなかった。無理を通し過ぎれば雅紀との関係が捻れてしまう。それを危惧するからだ。

 加々美は、高倉の気を逸らすために話題を変えた。

「それより、妹の方をどうにかした方がいいんじゃないのか?」

「妹……。沙也加嬢のことか?」

「素材としては悪くないのに、いまいちぱっとしない。このままじゃ『MASAKI』の妹ってだけで終わるぞ。ものになるかならないかは本人の努力次第って部分があるのは事実だが、お前自ら引っ張って来たのに何年も売れずに燻ってますってことになったら、『アズラエル(うち)』の事務所としての力量だって侮られることになるぞ」

 加々美が言うと、高倉が表情を変えてメガネのブリッジを押し上げた。

「それについては、つい今し方唐澤とも話したところだ」

(へ、そうなの?)

 それで三階フロアに彼女の姿があったのだろうか。

「で、唐澤は何だって?」

「素材は悪くない。努力できる性格でもある。地道な企業回りも嫌な顔せずにする。––––が、どうしてもモデルとして成功したいんだって言う気概みたいなものがいまいち足りない。と言うのが唐澤の評だ」

「要はやる気が足りないと?」

「簡単に言うと、そうなるかな? やる気を持たせるのもマネージャーの腕の見せ所ではあるんだが。彼女の場合は明からさまなやる気のなさではないし、アドバイスすればなまじ返事はいいだけに、唐澤もどう発破をかけたものか悩んでいるようだ」

「うーん。まあ、どんなに素材が良くて、本人が努力しても、幸運の女神に愛されない者がいるのは確かだけど……」

 残酷な話だが、それが現実だ。沙也加がそうだと断言するわけではもちろんないが。世間にだだ漏れの篠宮家の事情や雅紀から聞いた話から察するに、彼女のこれまでの人生が幸運に恵まれて来たとはとても言い難いのもまた事実である。

「人生の一発逆転だってあるわけだし?」

「その一発逆転のための戦略なんだがな。この際、彼女最大の武器『MASAKI』の妹全面押しと言うのはどうかと、唐澤から相談された」

「……というと?」

「『MASAKI』とのツーショットグラビアだよ。どこかの雑誌とタッグを組んで掲載する。––––で、その衣装提供に『ヴァンス』を絡ませるのはどうかと考えてたところだ」

「そりゃ、おまえ……」

 何と言ったものか。

 加々美は驚き過ぎて言葉を失った。

「俺たちはナイブス氏に結構貸しがあるはずだよな? 尚人君の件然り。旗艦店のプロモーション・ビデオの件然り。そろそろまとめて返してもらってもいいと思わないか?」

(いや、思わないかって言われても……)

「ということで、俺はナイブス氏への交渉にあたるから、『MASAKI』への根回しはお前に任せる」

「おい、勝手に決めるなよ」

「お前が言った通り、社運がかかってる。頼りにしてるからな」

 加々美は何となく高倉に(はめ)められた気がして、盛大に顔を(しか)めたのだった。

 

 

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