今年最終日の大晦日。雅紀は午前中に予定されていたトークイベントに参加してから定宿にしているシティホテルに入った。そしてホテルのラウンジで、かなり早めの夕食を取る。
これから毎年恒例のカウント・ダウン・ランウェイのイベントに参加するのだ。このショーは、レディース&メンズのモデルが一堂に会して本年を締めくくるファッション業界の一大イベントで、このショーでランウェイを歩けるかどうかで来年のステータスが決まると言っても過言ではない。ゆえに、受験生である尚人をサポートするためかなり仕事を絞っていた雅紀も、このイベントだけは
––––ナオとの年越しセックスも魅力的なんだけどな。
数日前、尚人に年末年始のスケジュールを確認されて。雅紀がため息混じりにそう答えると、尚人は耳を真っ赤にして固まっていた。その姿を思い出して、雅紀は思わずにやける。
本当に、どうしてああもいつまでも
そんなことを考えながらシャワーを浴び、バスルームから出て来たところでテーブルに置いてあるスマホが鳴った。
表示を確認して思わず雅紀は顔を
デジャブ?
電話の相手は加々美だった。
「はい、雅紀です」
『俺だけど。今、どこ?』
「ホテルです」
『そっか。……って、バリバリ嫌そうな声だな。何か警戒してる?』
「そりゃ、そうでしょう。加々美さんだって自覚あるんじゃないですか?」
『まあ、そう言うなって。今日は尚人君絡みじゃないから』
「当然でしょ。ナオはあと二週間でセンター試験本番なんですから」
『ああ。もう、そんな時期か。まあ、尚人君なら大丈夫だと思うけど』
何を根拠に?
そう思わなくもなかったが、雅紀は本題を聞き出すために頭を切り替えた。
「……で、用件はなんですか?」
『打ち上げの誘いだよ』
「は? ……ずいぶんと気が早いですね」
嫌な予感しかない。
『予約入れとかないと、お前つかまらないだろう?』
「打ち上げ会場には顔出しますよ?」
本当はそのまま直帰したいが。そういうわけにもいかないのは十分承知だ。
『ま、そういうことだ。じゃ、お前のランウェイ楽しみにしてるからな』
つまり、今詳しく話す気はないと?
そんなことを思っている間に加々美の電話は切れていた。
加々美からのよくわからない電話に気持ちをモヤモヤさせながら、雅紀はイベント会場に向かった。会場入りすると、すぐさまスタイリストにメイクとヘアセットをしてもらう。本番に着る衣装のフィッティングを行い、演出家立ち合いの最終リハーサルに参加して、衣装に着替えて本番を待つ。ショーは一発勝負だ。やり直しは効かない。スポットライトを浴びながらランウェイを颯爽と歩く。その姿は一見華やかだが、何百何千という目が自分の一挙手一投足を見つめているのだから、その緊張感たるや並ではない。とはいえ主役はあくまで服であってモデルではなく、モデルはその主役の魅力を最大限引き出して見せるのが役目だ。
しかし、業界人だけで行われるこのカウント・ダウン・ランウェイは、モデル披露の一面もあった。ファッション業界の各方面に携わる人たちが、今後仕事で使うモデルを品定めに来ている。よって、ランウェイで見せる決めポーズで自己アピールできるかどうかも重要で。このワンステージで翌年の仕事が決まることもザラだった。
今年一番の注目株は、何と言っても『ヴァンス』の専属を射止めた『ショウ』だ。新人でありながら大口契約を引き寄せただけに、業界内での注目度は高い。もちろんその背景に所属事務所『アズラエル』のお膳立てがあったことは誰もが知るところで。その契約内容に実力が伴っているのかどうか。注目はイコール値踏みされるという意味合いもあった。
『ヴァンス』専属モデル『ユアン』の実力はすでに世界で認められている。それと比べて遜色がないのか。そんな視線を向けられると分かっていながらランウェイを歩くのは、なかなかに胆力を必要とする。『ショウ』にとっては勝負所だろう。
そんなことが気になったわけでもないが、『ヴァンス』とは今年一発目から色々あっただけに、第一部の自分の出番が終わって、雅紀は第二部の『ヴァンス』のステージを舞台袖から観覧した。
続いて『ショウ』がランウェイを歩く。
(悪くはないんだけど。まあ、『ユアン』と比べるとな)
雅紀がそう思うのだから、会場にいる目の肥えた業界人たちも同じ印象だろう。『ユアン』との実力が雲泥の差だ。衣装の着こなしも、『ユアン』と比べるとどうしたって見劣った。
ひと言で言ってしまえば、『ユアン』とのバランスが悪い。それに尽きる。
(だからと言って、ナオに固執されても困るけど)
加々美の無茶振りから始まった『ヴァンス』との因縁。通訳のアルバイトをしに行っただけでどうして「モデル指名」に発展するのか。雅紀的に全く意味がわからなかったが、ひと言で言ってしまえば、尚人の持つ魅力が『ヴァンス』のチーフデザイナー、クリストファー・ナイブスの琴線に触れてしまったということだろう。しかしそれでも「ごめんなさい。モデルなんてする気ないです」と本人の口からきっぱりはっきり断られれば諦めるのが普通であろうに、「それは分かった。でさ、ユアンと友達になってくれない?」なんて変な
(ど素人のナオ見てモデルに使いたいって思うくらいだから。今ならもっとやばいかもな)
雅紀は密かに心配している。
というのも、昨年、学校の課題でモデル現場の裏方の職場体験をしたことや、その後の『アズラエル』でのアルバイトなどを通して、尚人も何かと考えることがあったのか。時々、雅紀に仕事の話を聞いてくるようになった。
––––モデルのポージングって、何か決まり事みたいなのってあるの?
とか、
––––ポーズを決める時のコツっていうか。まーちゃんのこだわりみたいなのってあるの?
とか。
––––俺のことにそんな興味ある?
雅紀がニマニマしながら問うと、尚人が可愛らしくこくこくと頷くので。フレームへの収まりや、体のラインと見え方の効果について説明してやり。尚人にも実際にポージングさせてみたりして。そんなことを遊びで繰り返していたら、尚人はあっという間にコツを掴んでしまった。
勘がいい。
これには雅紀も驚いた。
運動全般を苦手とする尚人は、体を使って何かを表現することも苦手だろうという勝手な思い込みがあったのだ。しかし実際やらせてみると、「雅紀の真似」では終わらなかった。
モデルとしての素質があるかどうかは、見た目以外に、カメラマンの要求を理解して体現できるかという部分も大きい。モデル志願の者たちは、レッスンを受けてモデルとしてのスキルを身につけるわけだが、相手の要求を読み取る「勘の良さ」はレッスンでは鍛えられない。それでいくと尚人は、相手の言わんとする所を理解する「勘の良さ」が抜群に良かった。
それに尚人は、「他人にはない個性」というモデルとして最も重要な要素も兼ね備えている。加々美が初見で指摘したところの「イノセンス」。世間の汚泥を啜ってもなお無垢でいられる尚人のその個性は、「着る者を選ぶ」とさえ言われる『ヴァンス』の独特の色使いさえもしっとりと馴染ませてしまう。今年初めのアルバイトで『ヴァンス』に押し付けられた衣装を尚人に着せてみた時に受けた衝撃。あの時は流石に、着こなしていた、とは言えなかったが、尚人の涼やかさと『ヴァンス』の個性が共存するという事実に雅紀は眼から鱗が落ちる思いだった。
ポージングのコツを覚えた尚人が改めて『ヴァンス』の衣装を纏えば、あの頃より確実に着こなすだろうし、おそらく、派手さを我がものとする『ユアン』と並べば、動と静、陽と陰、太陽と月、そんな感じの「対」として、互いの個性を引き立て合うだろうと思えた。
クリストファー・ナイブスが尚人に目をつけたのも今なら嫌というほど理解できる。が、それと尚人がモデルをする件を了承できるかどうかは別の話だ。
これから尚人は大学受験をして、うまくいけば春には大学生だ。万が一うまくいかなければ浪人生になる。これは雅紀の中の決定事項だ。大学の一浪や二浪なんて珍しい話じゃない。ただ尚人は、大学受験に失敗すれば大学を諦めると言い出しそうなので、説得のための言葉を雅紀は考えていた。
これから尚人は自分のやりたいことを自分で見つけていって、自分なりに世界を広げていくのだ。その過程において、思惑だらけの大人たちに横槍など入れられては堪らない。大人たちの勝手な都合に振り回されるのは、もう十分だ。
第二部のステージも終わって、雅紀は再びステージに上がった。イベントの締めは、出演者全員でのカウントダウンだ。「スリー、ツー、ワン」とカウントされて、「ゼロ!」の斉唱と共に会場内にド派手な紙吹雪が舞った。同時に『Happy New Year!』の声が会場内に響く。この年明けを告げる声が同時にイベント終了の合図でもあった。
雅紀はステージを降りて、舞台裏へと向かう。着替えてメイクを落として、これから打ち上げだ。
(そう言えば加々美さん。待ち合わせ場所とか何も言わなかったな)
そんなことを思いながらメイク室へ向かう通路を歩いていた時、雅紀は『ユアン』と行きあった。別に、雅紀に用事はない。だから声を掛けることもなくすれ違おうとしたのだが。
〔あ、……あの〕
まさか、ユアンの方が声を掛けて来た。
超絶人見知りと影で揶揄されるほどコミュ障と言われるユアンが自分から声をかけたものだから、周りにいた者達がびっくりしたように足を止めて二人を見やった。その視線せいでユアンを無視するわけにもいかなくなって。雅紀は、内心ため息を
〔何か?〕
〔––––あ、あの……。…………。〕
そのままユアンが固まる。しかし視線だけは雅紀をガン見で。
(面倒くせーな)
思わず舌打ちしそうだった。
〔用事がないなら、行くけど?〕
雅紀がそう口にすると、ユアンの瞳が揺れた。
〔––––今日の……ステージ。とても、よかった〕
(何様だよ)
もちろんそんな本音は表に出さない。
〔そう。ありがとう〕
〔––––ナオは。……来てないの?〕
(聞きたいのは、それかよ)
正直イラッとした。
〔ナオは受験生だから。今は家で勉強してる〕
暗に、邪魔するな、と込めて雅紀が伝えると、ユアンは〔そう〕と小さく呟いて去っていった。
(……ったく。コミュ障すぎだろ)
あんなのと、どうやったら話が弾むのか。尚人の凄さを改めて感じてしまう。その一方で変なものを手懐けてしまう尚人の天然っぷりは心配の種でしかない。何しろ尚人にその気がなくても、勝手に懐いて来てしまう。野上にしろ、零にしろ。尚人の癒し効果にどっぷりハマってしまって、無自覚に尚人を傷つけた。
雅紀の目にはユアンとて同類に見える。これ以上近づけさせたくはなかった。
着替えを済ませてセキュリティーボックスから私物を取り出す。近頃の現場は、盗難防止のため貴重品を管理するセキュリティーボックス常備が当たり前だ。とりあえず尚人に「あけおめメール」をしようとスマホを起動させるとショートメールが一件入っていた。
加々美からだった。
【ホテルのカクテル・ラウンジで待ってる】
まるで逢引かのようなメッセージに雅紀は思わず苦笑する。それに了解の返信をし、尚人にメールを送った。
【あけましておめでとう!】
もしかしたらもう寝たかもと思っていたが、尚人からはすぐに返信があった。
【あけましておめでとうございます。まーちゃん、お仕事お疲れ様でした! ゆっくり休んで帰って来てね。お雑煮作って待ってます】
(今すぐ帰りてー)
それが雅紀の偽らざる本音だった。