栄光を手にする者がいるその裏には、必ず挫折を味わう者がいる。
光あるところには影ができ、成功のメソッドはあるようでない。
良くも悪くも、それが真理で、華やかな舞台でスポットライトを浴びるためには、努力だけではどうにもならないこともある。
幸運の女神は気まぐれだ。
しかし、そんな分かった顔をしてみたところで現状打破できるわけでもなく、結局は自分が出来ることを最大限やり続けるしかない。
そんなモデル業界において、
新人はもとより更なるステップアップを望む者達にとっては、とにかく『顔』と『名前』を覚えてもらうことが重要だ。
一月後半から二月にかけての新年会シーズンは、そんな思惑が入り乱れ、昨今縮小気味のこういうイベントが一番活気付く時期である。
とはいえ、イベント参加には招待状が必要で、コネやツテを使ってそれをゲットするところから勝負は始まっている。当然大手事務所に所属していた方が有利で、有名になりたいだけの個人が入り込める余地はない。だからこそこの業界は、きちんとした事務所に所属することが重要なのだ。
沙也加は唐澤の指示で、『神南堂』主催の新年会に参加することになった。『神南堂』といえば誰もが知る大手広告会社。そこのパーティーに新人モデルが参加できるのは、もちろん『アズラエル』が業界最大手だからだ。
「これまでの企業周りと同じと思わないでください」
唐澤からはそう言われて、衣装から身につける宝飾品まで事務所に用意された。当日はスタイリストがついて完璧にメイクもヘアもセットしてもらい、まるで今からグラビア撮影に臨むかのようだった。
完璧に整えた格好で、沙也加は唐澤と共にハイヤーで会場のホテルに向かった。大庭園が有名な都内高級ホテルで、今日は貸し切りだと言う。その規模の大きさに沙也加は度肝を抜かれた。
(まるでシンデレラにでもなった気分?)
ホテルに到着した瞬間、沙也加はそんなことを思ったが、しかしそんな浮かれ気分は、ホテルのエントランスを潜るまでだった。
会場にずらりと顔を揃えていたのは、沙也加でも知っているような、有名俳優や、歌舞伎役者、大物政治家達。そんな人たちが、ウェルカムドリンク片手ににこやかに談笑していて、とても沙也加が気軽に声を掛けて入っていける雰囲気ではない。参加者達の醸し出す
––––パーティー会場では、とにかく私にくっついて歩いて、勝手な行動はしないでください。
––––私が自己紹介するよう話を振るまで、自分から声を掛けたり、話をしたりはしないでください。
––––とにかくいつ誰に見られているかわからないと言う気持ちで、堂々としていて下さい。パーティー会場は、謂わばオーディション会場と同じですから。
事前にそうレクチャーされていて、沙也加は場の雰囲気に圧倒されて萎縮しそうな自分に喝を入れ直した。
(沙也加、勝負所よ!)
メイン会場に足を踏み入れると、沙也加は言われた通りに唐澤について歩く。唐澤は周囲に視線を飛ばしながら人混みの中を抜けていき、とある人物の前で足を止めた。
「相沢さん、ご無沙汰しております」
唐澤が声を掛けると、ホールスタッフから新しいグラスを受け取ったばかりの男性が視線を向けてにこやかに笑った。
仕立ての良さそうなスーツを着こなす四十代半ばぐらいの男性だった。
「あー、唐澤さんじゃないですか。お久しぶりですね。お元気でしたか」
「おかげさまで。相沢さんこそ、お元気でいらっしゃいましたか」
「ええ。昨年はちょっと忙しくしてたんですが、おかげさまで何とか」
「シンガポール支社を立ち上げられたとか?」
「さすが唐澤さん。情報が早いですね」
そうして、しばらく互いの近況を伝え合う挨拶が続く。二人のやりとりをそばで聞きながら、沙也加は唐澤の事前リサーチとそれを頭に叩き込んでいる情報量に密かに感心していた。
(まさに大人の世界って感じ?)
沙也加がそんなことを思っていると、ようやく唐澤が切り出した。
「––––で、こちらが現在私が担当しているモデルです。自己紹介させていただいてもよろしいですか?」
「ああ」
相手が頷いて、唐澤が視線で合図する。沙也加はようやく回ってきた出番に事前に練習していた通りに挨拶をした。
「『アズラエル』所属のモデル『SAYAKA』と申します。どうぞ、よろしくお願いします」
にっこり笑顔をつけることも忘れない。
そんな沙也加に相沢が品定めするような視線を向けた。
「『SAYAKA』って。もしかして……。彼女が、そうなの? あの『MASAKI』の」
「そうです」
唐澤が首肯すると、相沢は改めて沙也加を見やったが、それだけだった。
「へぇー、そうなんだ。お兄さんにもよろしくね。じゃ、唐澤さん。また」
「はい。では、失礼します」
唐澤は沙也加を売り込むような言葉を付け足すでもなく、ただ謝辞を言ってその場を離れる。沙也加は結局、相沢なる人物が、どこの誰なのか、わからなかった。ただ漠然と、シンガポールに支社を必要とするような会社の経営者なのかしら? と思った程度だ。
沙也加はまた歩き出した唐澤にくっついて、会場内を歩く。しばらくして唐澤は、先ほどと同じようにある人物の前で足を止めて声を掛けた。
「野田社長。ご無沙汰しております。お元気でしたか?」
「おお! 唐澤くんじゃないか。久しぶりだなー」
それから近況を報告し合う会話が始まる。
びっくりするくらい、先ほどと同じ流れだった。
唐澤が見知った顔に声を掛け、近況を報告しあい、沙也加を紹介する。沙也加は唐澤に促されて自己紹介する。
すると相手が、
「ああ、あの『MASAKI』の?」
と問いかけ、唐澤が首肯するも、特にそこから話が広がるでもなく別れる。
そこまでがパターンで、沙也加は、唐澤にくっついて歩いて、笑顔が引きつりそうになる程それを何度も繰り返した。
(これって本当に仕事に必要なの?)
沙也加は、途中から内心うんざりし始めた。
事務所に用意された衣装を着て、事務所に用意された宝飾品で身を飾り、ただただ笑顔を浮かべて自己紹介する。その自己紹介だって、唐澤に事前に言われていた通りの所属と名前を言うだけのもの。
これでは単なるマネキンだ。
ここに、自己など存在しない。する意味がない。なぜなら沙也加の内面などカケラも必要ではなく、笑顔という
『外見』だけを品定めされ、『
外見も含めて個性。そう言えば聞こえはいいが、沙也加は急に自分が、『見た目』だけが重要な『商品』という『物』に貶められた気がした。
唐澤が『商品』を売り込む。相手は『商品』を値踏みする。気に入れば買い、気に入らなければ買わない。そんな売買は、『女性』であることを『商品』にする
(嫌だ。……帰りたい)
唐突に思う。
自分を見る他人の目が突然気持ち悪いものに変わった。
値踏みするかのようなその視線が、情事の相手を見つけているような、そんな視線に見えた。
一度そう思ってしまうと、どうにも我慢ができなくなってしまった。
今すぐにでも帰りたい。
この場から立ち去りたい。
でも、そんな我がまま、通るはずがないこともわかっていて。
それでも、このままこの場にい続けられる気がしなくて。
「––––あの。唐澤さん」
沙也加は、前を歩く唐澤に小さく声を掛けた。
唐澤が足を止めて振り返る。その視線は、「どうかしましたか?」と言いたげだ。
「あの。お手洗いに行ってはいけないかしら?」
小声で沙也加が問うと、唐澤は「ああ」という頷く。
「気づかずに済みません。レストルームは、確かエントランスホールの先にあったはずです。近くまで一緒にいきましょう」
唐澤がそう言って先導する。
一旦人混みを抜けられることに安堵しながら、沙也加は唐澤の後について行った。
「私はここで待っていますから」
レストルームが見えるホールの端で、唐澤はそう言った。
「すみません」
沙也加はそう言って、レストルームに足早に逃げ込む。化粧直しする空間が別に設けてある広いレストルームで、沙也加は化粧室の空席に腰を下ろした。
とりあえず、ほっと息を吐く。
男性の視線がなくなって、それだけで呼吸が楽になった。
考えすぎだというのは分かっている。しかしそれでも、母と兄のあの行為が、目に焼き付いたあの情景が、沙也加のトラウマだった。
性的な感じが少しでもすると、沙也加はどうしても嫌悪を覚えてしまうのだ。
ハンドバックから口紅を取り出す。備え付けのティッシュで軽く抑えてから、口紅を付け直す。普段はつけないような真っ赤な口紅は、スタイリストに持たされた物だ。
元が派手な作りの沙也加の顔は、化粧をすることで華やかさが増す。それは自分でも分かっている。しかし、日常生活ではその華やかさが悪目立ちするので、沙也加は普段あまり化粧をしない。しても薄く軽くナチュラルに見える程度だ。だから、バッチリメイクを施した自分の顔は見慣れない。
––––本当に自分なのかしら?
沙也加は鏡に写る自分の顔をしげしげと眺めて、そんなこと思う。
こんな、素顔も分からなくなるほど化粧して。ますますここにいるのが「自分」である必要があるのかわからなくなってくる。
鏡の中の姿に、本当の自分が存在するのか。沙也加は探すように鏡を見続ける。
すると、空けて一つ隣の席に座っていた女性が、ぷっと笑った。
「あなた、そんなに自分の顔眺めて楽しいの? ナルシストなのかしら?」
急に声を掛けられて、沙也加は驚いて振り向く。自分に対する声掛けなのかどうかも確かではなかったが、今ここには、沙也加とその女性しかいなかった。
「それとも、魔法をかけてもらったシンデレラ? 自分の姿に驚いているとか?」
女性は楽しげに言葉を続ける。
その女性を確かめて、沙也加は小さく驚きの声を上げた。
芸能界に疎い沙也加でも知っている大物女優、天地貴子だった。
思いもしない出会いに、沙也加は固まる。
––––こんな時ってどうするのが正解なの?
適当に流す?
きちんと挨拶する?
万が一この後仕事で一緒になることがあったら?
たった一度の印象が、その後を左右するかも?
瞬時ぐるぐると思考を彷徨わせ、
––––私が自己紹介するよう話を振るまで、自分から声を掛けたり、話をしたりはしないでください。
唐澤に言われていた注意事項が頭をよぎる。
しかし、最初に声を掛けてきたのは天地の方で。それでも、自己紹介するのが正しいのか迷っていると、天地は沙也加の顔をじっと見遣ってわずかに首を傾げた。
「あら……、あなた、どこかで会ったことあったかしら?」
「いえ。初対面です。ご挨拶させてください。私は『アズラエル』所属の新人モデル『SAYAKA』と申します。お見知り置きください、天地さん」
沙也加が半ば勢いで立ち上がって自己紹介すると、天地が「へぇ」という顔をした。
「『アズラエル』の新人さんなのね。……ってことは、ひょっとしてあなたが『MASAKI』の妹さんなのかしら?」
「……はい、そうです」
「私、『MASAKI』とは一緒に仕事したことあるのよ。知ってるかしら?」
「はい。存じ上げています。『アウラ』ですよね?」
天地貴子は長年、老舗ジュエリーブランド『アウラ』の
雅紀に会いたくても会えない沙也加にとって、雅紀のグラビアを集めることは一種心の支えだった。しかし、『アウラ』のグラビアだけは、沙也加はコレクションしていない。仕事とわかっていても写真から滲み出てくる雅紀と天地が醸し出す甘やかな雰囲気が、どうにも受け入れられなかったからだ。
だからこそ却って、記憶に残っているとも言えた。
「あの、兄がお世話になりました」
沙也加がそう言うと、天地が鏡を見ながら口紅を抑え、くすりと笑った。
「『MASAKI』は完璧だったわ。仕事の姿勢も、テーブルマナーも、ベッドの上でもね」
(––––え)
聞き間違い?
沙也加は、大人の色香漂う天地の横顔を凝視する。
「『MASAKI』に伝えておいて頂戴。またルームキーが欲しくなったら、いつでもいいわよって」
天地はそう言ってハンドバッグを手に立ち上がると、そのままレストルームを後にする。
一人残された沙也加は、言われた意味が受け入れられなくて、わかりたくもなくて、ただただ茫然と立ちすくんでいるしかなかった。