「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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鳳雛(ほうすう)ノ翼 6

 二月に入って、尚人はいよいよ追い込みシーズンに入った。雅紀も裕太も

「飯はなんとかするから、作らなくていい」

 と言ったのだが、

「気分転換になるから」

 と言って尚人が譲らず、どうせ作らなくてはいけない弁当込みの朝ごはんと、夕飯の主菜は相変わらず尚人が作っていた。

 尚人が言うには、

「料理している間に、一回頭をリセットする感じがいい」

 のだという。

 まあ、嫌でも染みついてしまった生活のリズムなのかもしれない。

 飯の手間をかけさせることを思えば、いっそ仕事を詰め込んで、家に帰る回数を減らした方がよっぽど尚人のためになるじゃないかと、そんなことを思ってもみた雅紀だったが、

「近頃まーちゃんが、いっぱい家にいてくれるから安心する」

 と言われれば、気分の悪かろうはずがない。尚人はどうしてこうも可愛いのか。雅紀はますますメロメロで、尚人の腰が立たなくなるような激しいセックスは流石にご無沙汰だったが、一緒にくっついて眠る、甘やかな夜は増えた。

 夕方仕事を終わらせて家に帰り、三人で一緒に食卓につく。そんな日の後片付けは雅紀が買って出て、尚人は夕飯後すぐに机に向かう。一区切りついたところで朝飯の仕込みをして風呂に入り、寝るまでまた机に向かう。雅紀は、その間尚人の部屋のベットの上でタブレットを操作して、仕事に必要な資料を読み込んだり、メールでやりとをして時間を過ごし、就寝時間が来ると尚人と一緒に眠った。

 時々は、尚人のものをしゃぶってやって、溜まったものを吐き出させることもあったが、腕の中ですぐに安心したように眠りにつく尚人を見るのが雅紀にとってこの上ない幸せだった。

(もう、これでいいって感じだよな)

 心底、そう思う。

 箱庭の幸せ。それでもよかった。

 しかし理想と現実は、いつだって乖離してるものだ。

 毎年一月下旬から二月にかけては新年会シーズンで、『MASAKI』ほどになれば不義理できない相手もできる。要は、無視できない招待状がやってくるのだ。

 いい迷惑、なんて口が裂けても言えないのは、所詮モデルは使ってもらってナンボの世界であり、天狗になれば足元を救われる。

 傲る者は久しからず。は、(いにしえ)からの真理だ。

 ということで、

「明日は、まーちゃん、泊まりだよね」

 尚人にそう確認されて、雅紀は頷いた。

「本当は、顔だけ出してさっさと帰りたいけど。そう言うわけにもいかないしな」

 酒も入るし、当然泊まりになる。

「せっかくだし。楽しんできてね?」

「終わったら、おやすみコールする」

「準備万端にして待ってる」

 はにかみながらそんなことを言う尚人が可愛くて、雅紀は腕に抱き込んで頭の天辺にキスをした。

 

 

 * * *

 

 

 その日雅紀が顔を出したのは『イプシロン』の新年会だった。

 『イプシロン』とは、雅紀がメインを張っているメンズ雑誌を含めたファッション系出版社である。会場のホテルは、スポンサー、デザイナー、カメラマン、モデル、スタイリストなどなど、業界関係者で派手に埋め尽くされていた。

 まずは出版社のお偉方に挨拶し、礼儀にやかましい重鎮を順番に回る。そこで交わされる会話は新年の挨拶の定型文のようなものだが、ふと飛び出した話題に地雷が埋め込まれていることもあるので、会社の経営方針や派閥の人間関係などはできる限り頭に叩き込んでいる。知ってて知らない振りが基本ではあるが、知らずに自爆は身を滅ぼすことがあるからだ。

 スポンサーやデザイナーとの挨拶の中では、具体的な仕事の話になることも多い。新人の頃はそれで仕事に繋がることを期待しているわけだが、『MASAKI』レベルになると、向こうも酒が入って口が軽くなったところで言質(げんち)を取りたいと手ぐすねを引いて待っていることがあるので、交わす会話は慎重を期す。うっかり口約束、酔った勢いのリップサービス、が後々自分の首を締めかねない。

 つまり、パーティーというのは、『MASAKI』にとって基本楽しむところではない。それに、極力顔を合わせたくない人物とばったり遭遇ということだってある。

 その代表格と言えるような男とよく似た巨体が視界の端をかすめた時、雅紀は最初見間違いかと疑った。

 この場にいるはずがない。

 こんな場所、呼ばれても来そうにない。

 偏屈を絵に書いたような人物。

 その時点で、視線を流してさっくり無視してしまえばよかったのに、思わず焦点を合わせてしまったのは、ビュッフェの一画をまるで我が物顔で占拠して、堂々と食事を堪能するその姿が突き抜けすぎていたせいである。

(––––伊崎さん?)

 その瞬間を狙ったかのように、伊崎が振り返った。

「おう、雅紀」

 視線がバッチリあって、伊崎が片手を上げる。

 名指しされて、雅紀は今更無視するわけにもいかなくなってしまった。

「お久しぶりです。……珍しいですね。こんなところに顔を出されるなんて」

 雅紀が仕方なく歩み寄って挨拶をすると、当の伊崎は周囲の驚きなど意に介する様子もなく、不遜な笑みを浮かべた。

「お前が来るってんで、わざわざ顔出したんだぜ」

「…………」

 何と返すのが正解なのかわからず、雅紀は思わず黙り込む。

(俺は、会いたくなかったけど)

 本音はそれだ。

「今度のPV撮影のプロットだ」

 そう言って伊崎は、ポケットからクシャクシャのメモ用紙を一枚取り出すと雅紀に渡した。

 伊崎の言うPVとは、『ミズガルズ』が結成10周年を記念して作成するDVD BOXに特典映像として収録されるもので、『MASAKI』出演で伊崎が撮ることが決まっていた。

 撮影は、三月下旬に予定されている。もちろん、雅紀の都合だ。正直なところ雅紀は、結構な無理難題というか、一方的な我が儘を押し付けて、相手側に「スケジュールが合いません」と言わせるつもりでいたのだが、『ミズガルズ』のメンバーもカメラマン候補として上がっていた伊崎も「それでいい」と言う返答をしたものだから、雅紀はこのオファーから降りることができなくなったのである。

 まあ、尚人がコアなファンらしく目をキラキラさせて、その10周年記念DVD BOXの販売日を

「すっごく楽しみ」

 と言う以上、頑張るしかないのだが。

 雅紀は渡されたメモに目を通し、思わず眉を(ひそ)める。伊崎にちらりと視線を向ければ「できるだろ?」と言わんばかりの太々(ふてぶて)しい笑みを浮かべていて、挑発されているのだと確信した。

「確かに受け取りました」

 雅紀はそれだけ言って、メモをジャケットの内ポケットに仕舞う。

 これで用事は済んだだろうと思った雅紀だったが、伊崎は

「あー、それで。ついでなんだが」

 と言って、ポケットから何やらもう一つ取り出した。

「尚人に渡しといてくれ」

 あまりに、さらっと、普通に言われて、雅紀は反射的にムッとする。

(友達感覚かよ)

 尚人の携帯にむりやりメールアドレスを登録した時に

『これで、俺はお前のお友達だ』

 などとほざいていた伊崎だが。本気で友達になったつもりなのだろうか。

 高校生と三十過ぎのおっさんが。

「何ですか、それ?」

 見た目だけで言うなら、USBメモリーであることは間違いないが。

 問題は、そこではない。

「まあ、何と言うか。俺からの激励だな。受験が終わってからのお楽しみだと伝えておいてくれ」

「…………(怒)」

 しかし、ここで

「ナオへの荷物なら自分で郵送したらどうですか?」

 と言うのもおかしいし、

「データならメールで送ればいいじゃないですか」

 と言うのも、直接の交流を促しているようで言いたくない。

 一番無難なところとして、ここで受け取るしかないのだが。

(ソッコーで、踏み潰して破壊してやろうか)

 つい、そんなことを思ってしまう。

 伊崎からのプレゼントだと言えば、尚人は間違いなく喜ぶ。一流写真家からの個人的な贈り物という特別感ではなくて、尚人は純粋に写真家『GO-SYO』の撮る映像美に感性を刺激されているからだ。

 それでなければ、わざわざ伊崎の写真集を(カレル)に贈ったりしない。

 雅紀に事前承諾も得ずに、伊崎の写真展に行くと決めたりしない。

 このUSBを渡した時の驚きと喜びが混じった尚人の顔が容易に想像できる。

 受験後のお楽しみ、なんて言われれば、ワクワクしてその時を待つ尚人の顔が目に浮かぶ。

 自分以外の男にもらった物を尚人が喜ぶのは、正直腹が立つ。しかしその一方で、尚人の楽しみを奪うこともできない。兄でありながら尚人の唯一の(おとこ)でありたい、雅紀のジレンマだ。

「じゃ、俺は用事済んだから。これで帰る」

 伊崎はそう言ってさっさと会場を出て行く。伊崎のその俺様な振る舞いに取り巻き連中が慌てふためいた様子で追いかけて行くのを、雅紀はあきれた視線で見送った。

 

 

 * * *

 

 

 机に向かって黙々とテキストに取り組んでいた尚人は、区切りがいいところで手を止めて大きく伸びをした。

 時間を確認する。

 午後十時半。

(––––そろそろかな)

 尚人はそう思ってちょっぴりドキドキする。

 今夜雅紀は泊まりの仕事で家にいない。そんな日は『おやすみコール』が定番で、尚人はその時をそわそわしながら待っていた。

 雅紀からの電話が掛かってくる時間は、十時から十一時の間が多く、仕事が押してホテルに戻るのが遅くなると十二時近くになることもある。でも今日は仕事関係の新年会だから、そこまで遅くなることはないはずだ。

 まだかな。

 ……まだかな。

 …………まだかな。

 携帯電話を一度確認し、電話もメールも着信履歴がないことを確認する。

(––––今日は、遅いのかな)

 『イプシロン』の新年会は、業界関係者が多数参加する随分規模の大きなパーティーだと聞いている。挨拶回りが忙しくて飲み食いなんてほとんどできない、と雅紀は言っていたが、それは裏返せば、それだけ多くの人が雅紀と挨拶したがっているということだと思う。さっさとホテルに帰りたくても帰してもらえない。何てこともあるかもしれない。

 何せ雅紀はカリスマ・モデルなのだから。

 雅紀の美貌は、子供の頃から突き抜けていた。近所では評判の美少年だったし、道を歩けば誰もが振り返った。スカウトなどそれこそ日常茶飯事で、家族旅行中に断って歩くのが大変だったこともある。

 今の雅紀を見ていると、モデルは天職だと思う。

 見た目の美貌が生かされている、というだけでなく、仕事にやりがいを感じているように見えるからだ。

 ただ、それでも……。尚人は思うところがある。

 あの時、あの男が、自分たちをゴミ屑のようにポイ捨てしなければ。

 あるいは、せめて親としての責任を全うし、養育費を払っていれば。

 雅紀は、夢も進学も諦めることはなかったはずだ。

 雅紀が高校生の頃、どんな夢や希望を抱いていたかなんて、聞いたことはない。雅紀と尚人の間にある年齢差は大き過ぎて、そんな話をする関係ではなかった。しかし、日々剣道の練習に打ち込み、インターハイで日本一の栄冠を手にしていたことを考えれば、その先だってさらに精進を重ねて、ゆくゆくは全日本チャンピオンに––––と考えていたかもしれない。

 しかし、家計が底をついて。母が日に日に弱っていって。雅紀の稼ぎに頼るしかなくなって。

 そんな中雅紀は、家族を養うために、否応なしに夢や希望を諦めざるを得なくなって……。

 その時雅紀は、どんな思いだったのだろう。

 何を考えていたのだろう。

 自分たちの存在が、どれほど雅紀の(かせ)になっていたのだろう。

 勉強の合間のふとした時間に、尚人は近頃よく、そんなことを思う。

 雅紀が人生の決断を迫られた時と同い年になったからだ。

 自分と同じ高校三年生だった時、雅紀がどんな気持ちでいたのか。いくつもあったはずの道が閉ざされて選べるものがたった一つになった時、何を思っていたのか。周りが大学進学に向けて邁進する中で、ひとり道を逸れていかなければならない現実。それをどんな思いで飲み込んだのか。

 深夜一人、薄暗い家のリビングでタバコを吸っていた雅紀の背中を思い出すと、尚人は今でもやるせない気持ちになってしまう。

 けれどもそんな気持ち、安易に雅紀には言えない。

 雅紀の失ったものが大き過ぎて、その領域にずかずかと踏み入ることなどできない。

 傷は見えないだけで、まだ疼いているかもしれない。

 あるいは、何気ない一言が、塞がっていた傷を穿(ほじく)り返すことになるかもしれない。

 でも、本当は、いろいろ言い訳してみたところで、自分の無知をリアルに突きつけられることが怖いだけ。––––だったりする。

 自分はチャンスをもらえた。

 純粋に嬉しいし、雅紀に感謝している。

 与えられた機会を大切にしたいと思う。

 でも、自分の喜びの背景には雅紀の犠牲があるのだと、思わずにはいられない。

 雅紀の犠牲がなければ、自分が今こうして大学を目指すなど、到底無理なことだったのだから。

 それを思えば、安易に、ありがとうとも、ごめんとも言えなくて……。

 尚人は、胸に(しこ)りを抱えながら、結局は、自分にできることを一つずつ積み重ねて行くことしかできない。

 その時、電話が鳴った。

 尚人は急いで通話ボタンを押す。

「もしもし、まーちゃん?」

『今、ホテルに戻ってきた』

「お仕事、お疲れさま」

『そっちは何もないか?』

「うん。いたって平和だよ」

 尚人の口元が思わず綻ぶ。

 雅紀の声を聞くだけで、ほっとした。

『––––こっちは、あまり平和じゃなかったかな』

「どうかしたの?」

『……伊崎さんに会った』

「え? ––––伊崎さんって、パーティーに参加したりするんだ?」

『俺もびっくり。……でな、ナオに渡してくれって荷物預かった』

「そうなの? 何を?」

『USBメモリー。何が入っているのかは知らない。受験が終わってからのお楽しみだってさ』

「そうなんだ。––––すっごい気になるよね」

『明日の昼には帰るから』

「うん。ゆっくり休んで、気をつけて帰ってきてね」

『ナオも、あんまり根つめて頑張りすぎるなよ』

「ありがとう。まーちゃん」

『じゃ、おやすみ。ナオ』 

「おやすみ。まーちゃん」

 電話が終わった時、尚人は先ほどまで下がり気味だった気分が一転、ぽかぽかと暖かな気持ちに包まれていた。

 

 

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