「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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鳳雛(ほうすう)ノ翼 8

 『G線上のアリア』の厳かな調べが、翔南高校の体育館に響いていた。

 整然と並んだパイプ椅子の後方の席は、礼服に身を包んだ保護者ですでに埋め尽くされていたが、ステージ側の前方の椅子は、金属性の硬質な光を反射させながら、座るべき人物の登場を静かに待っている。

 三月一日。雲ひとつない晴天。そんな麗かな春の日に、尚人がついに卒業の日を迎えた。

「卒業生、入場」

 BGMを邪魔しない、けれども力強いアナウンスが会場内に響く。それと同時に体育館後方からきりりと身が引き締まるような冷気が流れ込んできて、胸に華やかなコサージュをつけた生徒たちが整然と並んで姿を見せた。生徒たちは、保護者席の間に設けられた通路を通り抜けて、順番に前方の席を埋めていく。まっすぐ前を向いて、胸を張って入場するその姿は一人一人が輝いていた。

 万感胸に迫るものがあるのか、保護者席の中からはすでに啜り泣くような声がどこからともなく響く。皆同じ格好。同じ制服。しかし、雅紀はその中にすぐ尚人の姿を見つけた。

 三年間着続けたブレザーは流石に体に馴染んで、その姿にはどことなく風格すらある。まだまだ子供と思っていた尚人が急に大人びて見えて、雅紀の心は複雑に揺れた。

 全員が揃うと、一斉に着席する。

 その揃った音が、程よい緊張感の中で清々しかった。

「只今より、翔南高校、卒業証書授与式を挙行いたします」

 壇上に上がった教頭が開式を宣言する。

 学生の頃は学校の式典など面倒くさいと思っていた雅紀だったが、今日このように厳粛な雰囲気のなか盛大に卒業式を開催してくれる学校に感謝しかなかった。

 尚人の卒業式に雅紀はどうしても参加したかった。

 しかし、やはり遠慮と懸念はあった。自分のせいで余計な混乱やトラブルが起きたら申し訳ないという思いがあった。それで雅紀は事前に学校に相談したのだ。

「卒業式に参加したいと思っているのですが、可能でしょうか」と。

 学校側の回答は即答だった。

「もちろんです。保護者の方には是非参加していただきたい」

 さらには、会場運営は学校の責任であり、懸念されるような混乱が極力起きないように配慮するので安心して参加してほしい、とまで付け加えられた。

 それで今日雅紀は礼服に身を包み、学校へやって来たのである。

 学校に到着すると、保護者の車を入れているグランド側とは反対側の駐車場に誘導され、そこからすぐに校舎に上がり控え室に通された。

 そこで雅紀は、

「来賓入場の直前に会場へ案内します」

 と伝えられ、特別に設けられた控室で一人、時間が来るまで大人しく待った。そして時間になると、案内の教諭の誘導ですっかり人気(ひとけ)のなくなった校舎内を通り抜け、卒業生が入場のために整列していた出入り口とは別の出入り口から体育館に入り、空けてあった一番後ろの席に着席したのである。

 ほぼ同時に来賓が入場し、彼らが座り終わると、すぐさま卒業生入場のアナウンスが流れた。座席後方にいた数人が雅紀の存在に気付いて驚いた視線を向けたが、場がざわつくことも混乱することもなかった。

 国歌斉唱があり、すぐさま卒業証書授与へ進む。クラス毎に生徒の名の読み上げがあり、一人一人名を呼ばれて、卒業生は大きな返事とともにその場に立つ。最後にクラス代表が壇上で校長から卒業証書を受け取って次のクラスへと移る。三組の尚人の順番は、早い段階で回って来た。

「麻生隆」

「はい!」

「井上康太」

「はい!」

「桜坂一志」

「はい!」

「海原春樹」

「はい!」

 三組の生徒が順番に立ち上がっていく。

「篠宮尚人」

「はい!」

 よく通る透き通った声だった。桜坂と比べればその背は小さい。けれども背筋のスッと伸びたその後ろ姿は美しく、決して見劣ることはない。

 雅紀はその背に見惚れる。

 昔、雅紀と加々美が出会ったばかりの頃。加々美は雅紀を口説くのに「後ろ姿に惚れた」と言った。雅紀はその時「この人、けっこうズレてんじゃないか」なんて思ったが、今ならその心境が嫌と言うほどわかる。

 努力に裏打ちされた自信。謙虚さを兼ね備えた自尊心。自分が自分であることの意味。飾らない等身大の自分であることで得る、たおやかな強さ。

 そういった尚人の内なる輝きが背中に出ていた。

 人の魅力は背中に出るのだと、雅紀は知る。

 しかしその背は、座席後方の生徒が立つとすぐに見えなくなってしまった。

 それを残念に思っていると、サプライズはその後にあった。

「三組代表、篠宮尚人」

「はい!」

 名を呼ばれて、尚人が壇上に上がる。

 クラス代表だなんて聞いていなかったので、雅紀は驚いた。

 尚人は演台まで進み、校長に一礼する。

 ランウェイでも見ているかのような綺麗な歩き方だった。

「三年三組七号、篠宮尚人。右の者は本校において高等学校の過程を卒業したことを証する。おめでとう」

「ありがとうございます」

 尚人が校長の手から卒業証書を受け取る。

 その瞬間、隣の席から嗚咽が響いた。雅紀が目をやると中野大輝の母親だった。

「篠宮さん。––––よかったですねぇ。尚人君がこの日を迎えられて」

 どうやら壇上の尚人の姿に感極まったようだ。しきりに目元の涙をハンカチで拭っていた。

「おめでとうございます。篠宮さん」

 こういう風に全くの他人が卒業を喜んでくれる。これが、尚人がこの学校で三年間積み上げたものの一つの成果なのだろうと思うと、雅紀の顔は自然と綻んだ。

「ありがとうございます」

 壇上から降りてくる、尚人の姿が眩しい。

 雅紀はその姿を、しっかりと目に焼き付けた。

 

 

 

 

 式典が終わり卒業生が退場すると、保護者代表による謝辞があり、その後保護者はそれぞれの教室へ移動することになった。

「教室へは担当者が案内しますので、それまで保護者の皆様は着席したままでお待ちください」

 アナウンスが流れ、三組の前に案内役の職員が現れる。

「では、まずは三組の保護者様を教室へ案内いたします。私について来てください」

 そう言われて、三組の保護者が一斉に立ち上がる。教室へ向かう列の中、雅紀の横に並んだのは桜坂の父親だった。

「篠宮さん。今日ご列席できてよかったですね」

「ありがとうございます。学校側にもいろいろ配慮いただいて。ありがたい限りです」

「篠宮君には一志が本当にお世話になりました」

「いえ。こちらこそ、桜坂君にはお世話になりました。学校生活ではいろいろ心配することもあったのですが、桜坂君がいてくれると思うだけで安心感がありましたから」

「それを言うなら、こちらの方こそ。篠宮君と出会えてよかった。一志は、篠宮君と出会ったことで明らかに変わりました。それまでは、他人との関わりを積極的に持つ方ではなかったのですが。勉強以上に大切なものを学ぶことができたみたいです」

「篠宮さん。今日は本当によかったですね」

 山下広夢の母にも声を掛けられる。

「ありがとうございます。山下君にもお世話になりました」

「あら、やだ。お世話されたのは、広夢のほうですよ。篠宮君と同じクラスにならなかったら、三年間ボーとしたまま過ごしてたって言ってましたから」

「うちの子なんてもっとですよ。家でも篠宮君の話ばっかりで。何かもう、我が子みたいな気分になってしまって」

 中野の母も加わって、保護者同士話をしているうちに、あっという間に教室に着いてしまった。

 他の保護者と連なって初めて尚人の教室に入る。

(へぇ、こんなところで授業受けてたんだな)

 学校の教室なんて、どこも代わり映えはしないが、尚人が一日の半分を過ごしていた場所だと思えば興味深かった。

 そして案の定と言うか、予想通りというか。雅紀が教室に姿を見せると、教室内がざわめいた。

 ––––すごーい、本物だよ!

 ––––まじやばい!

 ––––私、目つぶれるかも。

 ––––最高の卒業祝い。

 ––––私、一生の思い出にする。

 ザワザワ、ガヤガヤ。女子がひそひそと顔を寄せ合って盛り上がる。

 しかしそれでも雅紀に殺到したり、スマホを向けたりしないのは、さすが翔南高校生というべきだろうか。あるいは、尚人の兄と認識されているだけに、その辺暗黙の配慮があるのかもしれない。 

 そんなざわつく生徒たちに、担任が一言。

「えー、後ろが気になると思うが、先生との最後の別れだ。先生を見ろ」

 そう言って笑いを取る。

 クラスの雰囲気がそれだけでわかった。

 最後のホームルームも終始、親しげな笑いと、穏やかな空気と、別れを惜しむ友情に満ちていた。

 最後に、生徒保護者全員揃って記念写真を撮って別れる。桜坂、中野、山下の三人は最後の最後まで尚人との別れを惜しんでいた。

 大学の合格発表後に一度絶対会おう、と口々に言い合う。合否の結果に関係なく必ず、と。

「うん。必ず、会おうね」

 尚人も手を振って笑顔で別れる。

 国立大の合格発表は、十日後だ。

 後ろ髪ひかれる気持ちは十分理解しながら、雅紀は助手席に尚人を乗せて翔南高校に別れを告げた。

 

 

 

 

 走り出した車から顔を出し、尚人は皆が見えなくなるまで手を振っていた。

「何だか、あっという間だった気もするな」

 雅紀がポツリと呟くと、姿勢を戻した尚人が隣でくすりと笑う気配がした。

「びっくりするくらい、いろんなことがあった三年間だったけどね」

「––––まあ、そうかもな」

 そこには、雅紀的に胸を張れない出来事がいくつか含まれてはいるが。しかし、雅紀と尚人にとっても、岐路となる三年間だった。それだけは間違いない。

「俺ね、本当に翔南高校に行けてよかったって思ってる。中野や山下や桜坂っていう友達もできたし。縁がないって思い込んでた部活だって経験できたしね」

 そして尚人が、ふふっと笑う。

「それに、あの距離を毎日自転車で通えたってことで、自分の体力に妙な自信がついちゃったし」

 本当にその通りだと、雅紀は思う。

 毎日片道五十分の距離を、猛暑だろうが、厳冬だろうが、通ったのだ。すごいと思う。しかも道は平坦ではなく、車なら気にならない坂道も、自転車では結構な負荷だ。週に二、三回、時間を見つけてジム通いしている雅紀よりも、よほどトレーニングしていたことになる。

「にしても、今夜は本当に家でいいのか?」

 せっかくの卒業祝いだ。外で豪華な食事でも、と思った雅紀だったが、尚人が卒業祝いは家でしたいと言ったのである。

「もちろん。だって、裕太が準備するって張り切ってるんだよ。特別すぎでしょ?」

 尚人がそう言って笑う。

 そうなのだ。卒業式の夜は三人揃って家で食事がいいと言う尚人に、

「だったら、その日の夕飯は俺が用意する」

 と裕太が買って出たのである。

「だって、ナオちゃんのお祝いなのに、ナオちゃんが準備するんじゃ、おかしいだろ?」

 そう言って。

「夕方六時までに準備しとくから、その時間まで帰ってくんなよ」

 さらにはそう付け足したのである。

「ま、期待半分、怖さ半分だが。夕方まで帰ってくるなって言うんだから、このままナオとランチデートだな」

「俺、制服だけど大丈夫?」

「着納めだ。俺が脱がすまで、着とけばいいさ」

 雅紀が囁くと、尚人が可愛らしく耳の先を赤くした。

 

 

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