「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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鳳雛(ほうすう)ノ翼 9

 隠れ家的和食ダイニング『真砂』。加々美と食事をする時はすっかり定番になっているこの店に、雅紀は久々に訪れた。

 諸々お礼を言いたくて、雅紀の方が誘ったのだ。それで約束の時間より前に到着しのだが。

「よう、おつかれ」

 いつもの個室に通されると、すでに加々美の姿があった。

「すみません。お待たせしました」

 雅紀が言うと加々美が太く笑う。

「俺も今来たところだ。とりあえず、ビールでいいだろう?」

「はい」

 雅紀がコートを脱いでいる間に、加々美がサクサク注文する。場の主導権があるのはいつだって加々美で、雅紀はそれに異存はない。

「また、忙しく動き出したみたいだな。この間の記者会見見たぜ」

 加々美が茶目っ気たっぷりに笑む。恐らくは先日行われた『ミズガルズ』結成十周年記念DVD BOXの特典PVに関する記者発表の件だろう。記者発表など、別に必ずしなければならないものでもなかったのだが、アキラがのりのりで半ば強引に開いたのだ。あれは一種コメディーだった。––––と、雅紀は密かに思っている。

 ま、尚人が楽しんでくれたようなので、雅紀的にオッケーではあるが。

「加々美さん。ナオの卒業に関しては、お心配り本当にありがとうございました」

 電話ではすでに礼を述べていたが、雅紀は改めてきちんと頭を下げる。

 卒業の日、加々美から豪華なアレンジメントが自宅に届いたのだ。箱入りの花束などもらったことなどない尚人は、とにかく感動しきりだった。

「その件については、尚人君からも電話もメールももらった。こう言っちゃ何だが、花一つであんなに喜んでくれるなんて。もっといいもの贈ればよかったかなってこっちが恐縮したくらいだ」

「俺たちは、正直花束なんてもらい慣れちゃってる部分がどうしたってありますけど。ナオにとっては新鮮だったみたいです。特に、見るからに高そうな薔薇の花束だったでしょう? ナオがしきりに、花束の向こうに加々美さんが見えるって言ってて。––––正直、ちょっと妬けました」

 雅紀がほんの少しトーンダウンすると、加々美はくすりと笑った。

「じゃ、今日はとりあえず、尚人君の卒業に乾杯かな」

 出されたグラスを加々美が掲げる。それに雅紀は自分のグラスを軽く当てた。

「ありがとうございます」

「––––で、大学の合格発表の方は、まだなんだよな?」

「はい。明後日です」

「そっかー。結果が分かるまでは、落ち着かないよなぁ」

 加々美がグラスのビールをぐいっと煽って呟く。

 確かにその通りだ。卒業はしたが次がまだ決まらない今の状態は、何とも宙ぶらりんの状態で、雅紀も「春から」の話など尚人に振ることができないし、呑気に旅行計画も立てづらい。

 当然、合格していることを願っているが、結果は出てみないとわからない。

「––––で、どこ受けたんだ? 都内?」

「はい。東京大学です」

 雅紀が伝えると、加々美が動きを止めた。

「東京()大学じゃなくて、東京大学?」

「そうです」

「つまり、東大ってこと?」

「そうです」

「……すごいな。–––––––––さすが尚人君?」

「まだ、受かったわけじゃありませんけど」

「いや、でも受験しようって思う時点でっていうのがあるだろう? 尚人君に限って記念受験みたいなことはないだろうし」

「翔南高校では毎年数人は東大受験者がいるみたいなんで。ナオが特別ってわけじゃないんです。……まあ、そうは言っても、俺だってナオの決断を初めて聞かされた時は、内心ど肝を抜かれましたけど」

 尚人が受験先の大学について色々と悩んでいたのは知っている。尚人の中で候補になっている具体的な大学名を聞いていたわけではないが、大学選びの要素として「自宅からの通学が可能か」とか「合格が見込めそうか」などの言葉を聞いていたので、そこにはまる選択肢として、まさか「東京大学」があるとは思わなかった。その辺さすが尚人というべきなのだろうか。尚人の視野は雅紀が思っているよりずっと広く、そして、覚悟を決めたときの腹の括り具合がすごい。「東大受験」を口にしてから、尚人が受験先を再考するような、悩むそぶりは一片もなかった。そこには、尚人なりのヴィジョンがあっての決断だった、というのもあるのだろう。それに、卒業生に東大合格者が何人もいるのだから、学校側としても無謀な挑戦という感じでもなく、三者面談した時も担任に驚いた様子はなかった。「正直簡単な大学ではないですが、チャレンジする価値はありますよ」と。そんな感じで。

 やっぱ翔南ってすげーんだな。

 その認識を新たにした。

「東大って言えば、英語ディベートの全国大会の会場だったところだよな」

「そうです。あの時に、東大キャンパスを実際目にしたことで、具体的なイメージが湧いて、それが決め手になったみたいです」

「人生って、どこがどう繋がるか、わからないよなぁ」

「……だから、まだ受かってませんって」

 受かっていて欲しいと心の底から願うが、こればかりはわからない。超難関であることは確かだが、毎年数千人の合格者が出るのもまた事実。何万人もの応募者の中からたった一人のグランプリを選ぶオーディションと比べたら、難しい倍率ではない、––––という気もするが。比べること自体がおかしい、と言われたらそれまでだ。

「まあ、万が一不合格だった場合は、さくっとこう、進むべき道を変えてもらってもいいわけだしな」

「なんですか、それ。変なフラグ立てないでください」

「尚人君の前には、すでにいろんな道があるってことだ」

「……それって、加々美さんが前言ってたやつも含まれるんですか?」

「もちろん、それも一つだ。俺的には、そこを選んでくれると嬉しいんだがな」

 雅紀は刹那黙る。

 ここまでしつこいということは、加々美は本気なのだ。万が一尚人が大学受験に失敗すれば、加々美はそれこそ本気モード全開で尚人を落としに来るかもしれない。

 そして、もう一人。尚人にしつこくまとわりついているあの男も。

「……実は、今日加々美さんをお呼び立てしたのは、ちょっと、ご相談したいことがあって」

「へ、お前にしちゃぁ、珍しい。何だ?」

 加々美が鯛の刺身を口に放り込んで雅紀を見やる。

 雅紀は、グラスに残っていたビールを飲み干した。

「……『ヴァンス』のチーフデザイナーのことです」

「クリス? まさか、また何か仕掛けて来たのか?」

 加々美がそういう言い方をするのも分かる。旗艦店のプロモーション・ビデオの時は結構な反則技だった。メッセンジャー代わりにされた加々美もいい迷惑だっただろう。

「実は、ナオの卒業祝いを送り付けて来まして」

「……ひょっとして、それって」

「『ヴァンス』のオートクチュールです」

 雅紀の言葉に、加々美が絶句したように固まった。

 それはそうだろう。どこの世界に、一般人に一方的にオートクチュールを仕立ててプレゼントするブランドがあるというのか。

「当然、サイズがぴったりで」

「……で、尚人君に着せてみたわけ?」

「–––– 一緒に入っていたメッセージに、是非着てみた感想と写真を送って欲しいって書いてあって。……だから、ナオ的には着ないわけにはいかないでしょう?」

「で、写真を撮って送ったのか?」

「それを迷ってるんです。本当に送っていいものかって」

「つまり、お前的に、送るのを躊躇(ためら)うような写真ってことだな」

 さすが、加々美は鋭い。

「なあ、その写真って今あるのか」

「はい」

 雅紀はタブレットを取り出して尚人の写真を表示させると加々美に渡す。加々美はタブレットを受け取って、真剣な眼差しで食い入るように画面を見つめた。ポーズを変えて撮った写真数枚を、それこそ穴が開くほどじっくりと。

 いつもの、大らかで少しだけヤンチャの入った表情ではなく、加々美が時々仕事で見せる本気の顔つきだった。

「……お前、尚人君にポージング指導したのか?」

「それは、勉強の合間の息抜きみたいな感じで。時々遊びで」

 雅紀が言うと、加々美は大きく息を吐き出した。

「はっきり言う。尚人君は才能がある」

「………」

 それはもはや今更だ。雅紀だって嫌と言うほどわかっている。

「この写真をクリスに見せたら、おそらくはすっ飛んでくる。この写真を見てなり振りを構っていられるなら本気じゃない。––––雅紀、覚悟しろよ」

「つまり、写真は送るなってことですね」

「違う。––––俺が見たってことをだ」

 腹の底に響くような加々美の声音(トーン)に、雅紀はどきりとした。

 真っ直ぐに向けられた視線が雅紀を射抜く。

 空気が緊張を孕んで、肌をピリピリと刺激した。

「クリスより前に俺が見た。俺はその僥倖(巡り合わせ)を手放す気はない。雅紀、俺は明日、尚人君に会う」

「ちょっと、待ってください。いくら何でも明日というのは」

「覚悟しろと言ったはずだ」

「加々美さん」

「今ここでお前がゴネて尚人君を箱に閉じ込めようとしたところで、そんなのは時間の問題に過ぎない。しかもその時間というのも、二年後とか三年後とか、そんな話じゃないぞ。すでに、明日か、来週か、来月か、という話だ。そして、来週になれば遅い、と俺の勘が言っている。––––雅紀。問題を先送りしようとすればするほど、理想と現実は乖離するぞ」

「––––加々美さんの言いたいことはわかります。でも、ナオは明後日が合格発表で。その先の話は、それ次第でしょう?」

「わかった。じゃあ、明後日だ。合否に関係なく食事の場をセッティングしよう。合格してたら合格祝いってことにして、不合格なら慰労会を兼ねた次の進路選択の話ってことにすればいい。その方が、多少は尚人君に会うのも自然だろう?」

 もはや否やを言える状況ではない。外堀を埋められた。まさにそんな心境だった。

 その後、加々美との会話はいつも通りに戻ったが、雅紀は食事も酒も全く味がしなかった。

 

 

 * * *

 

 

 大学の合格発表は、正午から。大学構内の掲示板に合格者の受験番号が張り出されるが、公式ホームページでも確認できる。

 尚人は雅紀にも事前に話をして、ホームページで確認することにした。家で確認できるなら、わざわざ大学まで出かける必要はないという思いもあったが、それ以上に、現地に絶対一緒には行けない雅紀に少しでも早く、合格なら共に喜んで欲しかったし、不合格なら慰めて欲しかった。

「リビングで待っているから」

 雅紀は言った。

「結果は、ナオの口から聞きたいから」

 それは、どんな結果でもまずは自分で受け止めろ、ということだと尚人は受け取った。

 時間より少し前に、尚人はパソコンを立ち上げて準備する。そして静かに時間になるのを待った。

 心臓がドキドキと脈打つ。

 手応えはあった。全くだめだった、という気はしていない。

 しかしそれでも、最難関大学だ。だめでもともと、と思っているわけではないが、簡単でないこともよくわかっている。

 時間になって、尚人は特設ページをクリックする。

 アクセスが集中しているのか、なかなか繋がらない。

 気持ちを落ち着かせるために何度も深呼吸して、尚人はページが繋がるのをじっと待つ。

 画面が、ポンと表示された。

 画面いっぱいに番号が並んでいる。

 尚人は画面をスクロールさせて、自分の番号を捜した。

 そしてその中に、尚人は自分の番号を––––––––––––––––––––

 

 

 * * *

 

 

 雅紀はその時を、リビングのソファーに座って待っていた。

 合否発表は正午から。そう聞いていた。

 ホームページでの確認を一緒にしないと決めたのは、結果がどうであれ、まずは尚人自身が噛み砕く必要があると思ったからだ。

 次に進むために、人はきちんとその時その時の節目を作る必要がある。

 と同時に雅紀自身、自分の気持ちを沈める必要があった。

 一昨日の加々美との会食からずっと、雅紀の思考はループしている。

 ––––ナオが合格していたら。

 ––––ナオが不合格だったならば。

 いつもだったら、「たら、れば」の話をしてもしょうがない、と割り切る雅紀が「たら、れば」ばかりを考えている。

 それぞれの結果の、その後。そして、今夜の加々美との約束。

 覚悟と不安。そこを行ったり来たり。

 三十分が経過しても、尚人はまだ部屋から出てこない。

 ––––もしかして……

 不合格なら加々美はむしろ嬉々とするだろう。

 何の遠慮もない。

 何の障害もない。

 何の問題もない、とばかりに。

 カチャ、と尚人の部屋の扉が開く音がした。

 静かな足音がリビングに向かってくる。

 姿を見せた尚人は、意外にも無表情だった。

 喜びも、悲しみも読み取れない。

 ただ静かな眼差しをまっすぐ雅紀に向けた。

「……まーちゃん」

 尚人はただそう呟いて、ソファーに座る雅紀にしがみついた。

 膝の上に座って、雅紀に抱きついて、顔を胸の中に(うず)める。

 雅紀はその身体をそっと抱きしめた。

 尚人の背が微かに震えている。

 それで、吹き出しそうな感情を、尚人が必死に内に留めているのだと気づく。

 ゆっくりと深呼吸を繰り返す尚人の背を、雅紀はゆったりと撫でた。

 尚人の気持ちが落ち着くまで。ずっと。優しく。

 やがて尚人が細く長い息を吐き出して、上体を上げた。

 視線が合う。

 静かで穏やかな双眸だった。

「結果を教えてくれるか?」

 雅紀は尚人の頬をそっと撫でる。

 尚人の可愛らしい唇がゆっくりと開いた。

 

 

 

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