「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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鳳雛(ほうすう)ノ翼 10

 合否の結果に、尚人は自分が思っていたよりも心が揺り動かされた。

 どちらであっても冷静に。そう思っていたのに、パソコンの画面を見つめたまま呼吸をするのが精一杯だった。

 叫びたいのか、泣きたいのか。

 体の中で感情の圧が高まって、吹き出す先を求めてのたうちまわっている。

 下手に刺激すれば、感情が爆発的に吹き出して、コントロールを失ってしまいそうな感覚に、尚人はデスクチェアーに座ってただじっと固まっているしかない。

 ––––ナオ、ゆっくり。吸って……、吐いて……。

 ––––そう、いい子だ。ナオ。

 頭の中で柔らかな雅紀の声がした。

 その声に従って尚人はゆっくりと呼吸を繰り返す。

 やがて気持ちがゆっくりと鎮まっていく。

 よし、大丈夫。

 尚人はゆっくりと立ち上がると、部屋を出て、雅紀の待つリビングに向かった。

 ソファーに座っていた雅紀が、静かな眼差しで尚人を出迎える。

 雅紀の視線を真っ直ぐに受け止めて、大丈夫、と思っていた感情が何故かまたざわついた。

 息が詰まって、尚人は、感情の高ぶりをやり過ごすために雅紀にしがみ付く。

 雅紀には、冷静に伝えたかった。

 きちんと、自分の言葉で。

 雅紀の手が優しく背中を撫でてくれる。

 それが心地良くて、尚人の感情はゆっくりと鎮まった。

「結果を教えてくれるか?」

 意を決して尚人が体を持ち上げると、雅紀の手が尚人の頬をそっと撫でた。

 尚人は、雅紀の綺麗な瞳を真っ直ぐに見つめて、大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと言葉を吐き出す。

「受かった」

 尚人を見つめる雅紀の目が、刹那、小さく驚いて、柔らかく笑った。

「受験番号あった。合格してた」

「そうか。ナオ。おめでとう。よく頑張ったな。––––ナオは、すごいな」

 その時、尚人の目からとめどもなく涙が溢れ出た。

 泣くつもりなんてなかったのに、次から次から、涙が溢れて止まらなかった。

 ––––よく頑張ったな。

 その一言が、欲しくて欲しくてたまらなかった三年前の感情が、今変わりに溢れているような気がした。

「……まーちゃん、ありがとう。ありがとう、まーちゃん……」

 ありがとう、しか言えない自分がもどかしくて、尚人は雅紀に抱きつく。

 そんな尚人を抱きしめ返して、雅紀はそっと頭を撫でてくれた。

 

 

 * * *

 

 

「……で、な。ナオ。実は今夜、加々美さんが合格祝いの席を準備してくれているんだ」

 尚人の感情が落ち着くのを見計らって、雅紀は切り出した。案の定尚人は、驚いたような顔をした。

「そうなの? それって、俺が落ちてたらどうなったの?」

「うーん、実は、落ちてても、それはそれで慰労会というか、そんな会にすればいいって。……要は、加々美さんがナオに会いたがっているんだ」

「へぇ、そうなんだ?」

「加々美さんもナオの今後については、色々気にしてくれていて」

「ふーん。そんな気を遣ってもらうなんて、何だか恐縮だね。でも、加々美さんにはいろいろお世話になったのは事実だし。俺もせっかくなら、直接会って、無事に大学合格しましたって言いたかったから。ちょうどよかったかな」

「そうか……」

 にこりと無邪気に笑う尚人に雅紀は一人心をざわつかせつつも、尚人の頭をぽんぽんと撫でて立ち上がった。

「ということで、出かける準備、しようか」

「そんなすぐ出るの? 待ち合わせって何時?」

「七時だけど、せっかくならナオのスーツ見に行こうと思って。大学の入学式ってスーツで参加だろう?」

「あ、そっかー。そんなこと、全然思いもしなかった。大学生になったら、着ていく服とかも考えなきゃだね」

「じゃあ、ついでに服も見に行くか。ナオに似合うだろうなー、って思ってたショップがいくつかあるんだよな」

「まーちゃんにコーディネートしてもらうなんて楽しみ」

 尚人が笑う。

 これからは、こうして一緒に出かけられる機会も増えるのかもしれない。それを思うと、尚人の成長も不安ばかりではないのかもしれない、と雅紀はほんの少し気持ちを持ち直す。

 ––––不安がってばかりいても、しょうがないしな。

 尚人は自分で決めた道を進む。

 四月からは大学生になり、尚人の世界は益々広がっていく。

 雛は巣立ちの時を迎えたのだ。

 力強く羽ばたくその瞬間を見守るしかないのだと、雅紀は自分に言い聞かせた。

 

 

 * * *

 

 

 加々美が準備してくれた会食の場所は、外資系ホテルに入っているフレンチレストランだった。以前加々美と二人でランチをした時もかなり高級そうなレストランだったが、今回はさらにその上をいっていた。

 VIPルームっぽい個室に通されて、尚人はむしろほっとする。

 何せ、モデル界の帝王とカリスマ・モデルが揃っているのだ。外資系ホテルの高級レストランとあって客層もかなりセレブ揃いな雰囲気だったが、加々美と雅紀の放つオーラは飛び抜けていた。自然と人目を引く。その中に「誰あの子」的な、場違いも甚だしい尚人(子供)がくっついているのだから、周囲の好奇心をさらに煽ったに違いない。ちらちらとした視線を感じたのは、自意識過剰ではないはずだ。

「加々美さん、今日はお招きいただいてありがとうございます」

 個室に入ると尚人はすぐに頭を下げた。

 お礼を述べる尚人に、加々美が大らかに笑う。

「いや、こちらこそ、来てくれてありがとう。どうしても、尚人君に会いたくてね。今日が大学の合格発表だって聞いてたから。今日まで誘うのを待ってたんだ。––––で、結果を聞いてもいいかな?」

「はい。無事に合格しました」

 尚人が笑顔で伝えると、加々美は驚いたような顔をしつつも笑みを深めた。

「そうか。それは、おめでとう。じゃあ、尚人君も四月から大学生だな」

「はい」

「大学生になったら何かやってみたい事とか考えてる?」

「色々経験してみたいとは思っているんですけど、具体的なことはまだ何も。ただ、これまで加々美さんに紹介してもらったアルバイトみたいな、言葉を使って人と繋がったり、自分の世界が広がったりする経験が出来たらなぁって思ってます」

「そっかぁ。それについては、俺も尚人君に話したいことがあるんだ」

 加々美はそう言いつつも、まずは食事を楽しもうと席に促す。

 席に着くと、まずはオードブルが運ばれて来る。皿の上にサラダや貝柱などが彩りよく盛られていて食欲をそそる。次に出されたコンソメスープは、驚くほどシンプルな見た目だったが、尚人が知っているコンソメスープとは全然別物だった。

「雅紀に聞いたんだけど、クリスからプレゼントが届いたって?」

 加々美がそんな話題を振ったのは、目の前に魚料理が運ばれてきた時だった。サーブしてくれた人の話によると、綺麗な焼き目のついた魚は甘鯛だという。

「はい。そうなんです。卒業祝いって書いてあって。服を一式」

「その服を着て撮った写真をね、雅紀に見せてもらったんだ」

「え、そうなんですか?」

 尚人はちらりと雅紀に視線を向けたが、雅紀は魚料理に舌鼓を打っているだけだった。

「……お恥ずかしい。加々美さんみたいなプロのモデルさんに見せられる写真じゃなかったでしょう?」

「いや。すごくよかったよ。クリスが尚人君に固執する理由もよくわかったしね」

 尚人がわずかに首を傾げると、加々美はわずかに苦笑した。

「尚人君にオートクチュールを送って来たってことはね、モデルの話を諦めてないっていうメッセージだよ。でなけりゃ、仕事と関係なくオートクチュールを仕立てて贈るはずがないんだから」

「––––そう、だったんですね。じゃあ、今からでも送り返した方がいいんですか?」

「それは、モデルをする気がないから?」

「そうです。それに、自分がモデルに向いているとも思えませんし」

「そうかな。俺はそうは思わないけど。あの写真、服の良さがよく引き立ってた」

「……あれは、きっとクリスさんが俺に似合うように仕立ててくれたから」

「そこだよ」

「え?」

「デザイナーっていうのはね、いわばアーティストだ。想像(イメージ)を形にしてみんなの前に披露する。しかし、服飾デザイナーというのは、絵画や彫刻みたいなアートと違って、最終的な披露をモデルに託すしかない。服はあくまで着てなんぼだからね。そして、その披露の仕方で人々の受け取るイメージが変わる。同じ服でも、この人が着てると何かかっこいいのに、この人が着てるとそうでもない、ってことは日常でもよくあることだろう? 一般人にとっては、それを『似合う』『似合わない』って言葉で片付けていいけど、デザイナーにとっては見せ方がまずくて評価されないってなったら死活問題だ。だからどのデザイナーも自分の作品をよりよく見せてくれるモデル選びには神経を使うし、イメージにぴったりはまるモデルが見つかったら手放したくない。そしてモデルの方も、デザイナーの想いが託されていると分かっているから最大限服の魅力が伝わるように努力する。デザイナーとモデルっていうのはね、そういう関係なんだ。つまりね、クリスが尚人君のために服を仕立てたってことは、クリスのイメージとして最初から、尚人君が着ることで完成ってことなんだよ」

「つまりモデルって言うのは、ただかっこいいとか、きれいとか、そう言うことではなくて、デザイナーのイメージの体現者ってことですか?」

「正に、そのとおり」

「……加々美さんは、俺にモデルをして欲しいって思ってるんですか?」

「正直言うとね。モデルをやる尚人君が見たいっていう思いはある。あの写真を見ちゃうとどうしてもね。他の服を着たらどうなんだろうって、想像して、わくわくする。今まで見たことがないものを見せてくれそうな気がするしね。––––でもね、こんな思いでいるのは、実は俺だけじゃないんだ。尚人君のことはね、業界内では結構話題になってて、是非契約したいって思ってる事務所が幾つもあるんだ」

「え?」

 思いもしなかった言葉に尚人は戸惑う。雅紀は相変わらず料理に舌鼓を打っていて、こちらの話に参加する気がなさそうだ。

「それって、俺が雅紀兄さんの弟だからじゃないんですか?」

「そう言う事務所もあるかもね。この業界は、はっきり言って海千山千ひしめくところだから。綺麗事だけでは片付かない話も山ほどある。だからね、尚人君。俺は、尚人君の代理人としての正式な立場が欲しいんだ。俺は、尚人君にはモデルをやって欲しいと思うけど。それでも、尚人君がやりたくないって思ってるなら無理強いしようとは思わないし、尚人君自身がやりたいって思ってることをサポートできたらいいと思ってる。去年お願いしたみたいな、英語の音声ガイドとかね。ただあの時は、決定権を持っている伊崎からの依頼という形で俺が間に入ったけど、ああいったことは毎回できるわけじゃない。正式な立場を持たずに介入することは、どんな業界でも掟破りって思われて敬遠されるからね。だから今後も尚人君をサポートするためには正式な立場が必要なんだ」

「あの、つまり、どういう話ですか?」

「一度、雅紀には話したんだけど。俺はモデルとしては『アズラエル』に所属しているけど、それとは別にプロデュース業のための個人事務所を持ってるんだ。その事務所で尚人君を預かって、尚人君が世界を広げていくためのサポートがしたいって話だ。どうだろう?」

「……あの、それって加々美さんにどんなメリットがあるんですか?」

「磨けば光ると思っている原石が目の前にあったら、俺は自分で磨いてみたくなる。メリットが何かと聞かれたら、それしかない。そして尚人君は、世界を広げたいんだろう? だったら、俺を利用したらとんでも無く世界が広がるぜ」

 お茶目に笑う加々美を見て、尚人は一体全体加々美はどこまで本気なのだろうと逡巡する。自分みたいな小市民を加々美みたいな大物が必死に口説くその理由がいまいちわからない。

「加々美さんは、俺が雅紀兄さんの弟じゃなくても、同じことを言うんですか?」

 尚人が問うと、加々美の表情がほんの少し変化した。

「そもそも、それを問う意味があるのかな? 尚人君が雅紀の弟だってことは変えようのない事実で、そこを『たら、れば』で考えても、結局は空論でしかないんじゃない? ––––ただね、逆はあったかも」

「逆?」

「雅紀の弟であっても、尚人君じゃなければ必死に口説こうとは思わなかったかもってこと」

 尚人は黙り込む。

 雅紀が口を挟んで来ないと言うことは、きっとこう言う会話をすると事前に二人の中では話がついていたのだ。そして、決断するのは尚人自身だと、雅紀は無言を貫くことで示している。

「この話を断ると、どうなるんですか?」

「俺が非常にがっかりする」

「それだけ?」

 やや拍子抜けする。

「俺的にはね。ただ、さっきも言ったように尚人君と契約したいって思ってる事務所がいつくもあるから、尚人君や雅紀の所にいろんな人がやって来るだろうね。まあ、それも、断り続ければいつか来なくなるだろうけど」

 なるほど、と尚人はようやく理解する。

 自分はものすごいチャンスを目の前にしているのだ、と。

 モデルをする気がないのなら、スカウトマンの話を断ればいい。確かにその通りだ。しかし、加々美の話は少し違う。世界を広げるためのサポートをしてくれると言う。今まで加々美経由で話の来たアルバイトは、尚人にとってとても刺激的で、すごくいい経験だった。けれども、何の経験もない高校生を使ってくれたのは、加々美が後ろ盾になっていたからこそ。尚人個人を信頼して仕事を任せてくれたわけではない。そしてそれは尚人が大学生になったからと言って変わるわけではなく、尚人がどれだけ世界を広げたいと思っても、個人の力では限界がある。そこをサポートしてくれると言うのだから、こんなに美味しい話はない。

 つまり、加々美は尚人の将来性を買ってくれた、と言うことだ。そこには加々美なりの打算、つまりは関係性が深まる中でモデルをする気になってくれるかも、という思いがあるかもしれないが、どう考えても尚人の方にメリットが大きい。

「加々美さんの事務所で預かるって具体的にどう言うことなんですか?」

「俺の持ってる個人事務所と代理人(エージェント)契約を結ぶことになる。それ以降は、尚人君に何か仕事を頼みたいと言う人がいたら俺を通す必要があって、俺は尚人君と相談しながらどの依頼を受けるかという調整をしていくことになる」

「依頼がなければ?」

「尚人君がやりたいって思ってることを俺が見つけて来ることになる。例えば、通訳の仕事がしたいって尚人君が思えば、どこか通訳を必要としている仕事がないかってな感じで」

「契約ってどのくらいの期間ですか?」

「基本的には一年間で、その後自動的に更新していく。興味があるなら、すぐにでも契約書を作らせるけど? 判を押すかどうかは、契約書をじっくり読んでからでいいし」

「最後に一つ聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「雅紀兄さんの時も、こんな感じで口説いたんですか?」

 尚人のその問いかけに、加々美は苦笑し、雅紀はなぜか盛大に吹き出した。

 

 

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