その日、『ミズガルズ』のメンバーはそわそわとある人物の到着を待っていた。
今年結成十周年を迎える『ミズガルズ』は、これから一年、色々なイベント企画が目白押しで控えているのだが、その中でも今日のこの企画はメンバー全員が最も楽しみにしているものの一つと言って過言ではない。
なぜなら、今日の仕事の相手が、篠宮尚人だからだ。
『ミズガルズ』メンバーと、カリスマモデル『MASAKI』の実弟、篠宮尚人との出会いは二年近く前のこと。最初に駄目元で『MASAKI』にオファーして、思いがけずミュージック・ビデオに出演してもらえた時、その理由が「弟が『ミズガルズ』の大ファンなので」と言う意外すぎるものだった時から、メンバー全員『MASAKI』の弟への興味関心はあったのだが、実際に会えたのは『MASAKI』に二度目のオファーを受けてもらえた時。アキラがしつこくしつこく、それはもうしつこく、「それって逆効果じゃ?」と思ってしまうほどにしつこく、新曲のレコーディングに弟込みでの見学に誘った時のことだ。『MASAKI』と共に噂の弟がスタジオに現れた。
その時の、尚人の男子高校生とは思えない可愛らしさと、スレてない素直さと、初対面なのにしっくり馴染んでしまう穏やかな雰囲気に、メンバー全員がやられた。その後は突発ライブに『MASAKI』共々招待し、––––というか、メインは完全に尚人だったのだが––––、ライブ後の楽屋では『リョータ』とも引き合わせた。尚人が『ミズガルズ』の曲の中で一番好きなのが『リョータ』が実体験をもとに作詞した曲『赤と黒のイリュージョン』だと言っていたからだ。
と言っても、『ミズガルズ』の曲は表向き『トーゴ』が作詞していることになっている。『リョータ』が表に名前を出すことを嫌がったからだ。なので、『ミズガルズ』六番目の男の存在を知るのは、本当に極々わずか。そんな裏事情を知らされたせいもあるのだろう。『リョータ』と対面した時の尚人は、緊張でガチガチになって、耳の先まで真っ赤にして、声も上擦っていたが、その姿が
実はこれはまだ内々の秘密の話なのだが、その時の尚人との出会いに思うところがあったのか、『リョータ』は尚人との対面後、一遍の詩を書き上げた。『リョータ』の紡ぐ言葉には、いつも自身の実体験がベースにある。飲酒運転の車にぶつけられて家族を失い、自身も車椅子生活を余儀なくされることになった。その実体験。人を恨み憎み、人生を悲観し絶望し、もがき苦しみ、そこから生まれてきた言葉たち。それは『リョータ』自身を慰撫し、聞く者の心を揺さぶってきた。
その『リョータ』が今度は尚人という存在にインスパイアされる。
今はそれに曲をつけている段階だ。
νありふれた不幸
他人事の同情
残酷な気休め
当たり前の日常が崩壊する音を聞く
ν生と死の境
無慈悲な現実
足下の奈落
平凡な日々が突然終了する声を聞く
ν泣きたいのに泣けない
辛いのは自分ばかりではないと知っているから
叫びたいのに叫べない
苦しいのは自分ばかりではないと知っているから
ν必要なのは救いじゃない
求めているのは慰めじゃない
嘆いても仕方ない
諦めではない
強がりでもない
そこにあるのは覚悟
ν青く澄んだ空の下
大地に咲く一輪の花
可憐さに気品を纏い
凛としてしなやか
美しいのは孤独を知るから
穏やかなのは本当の悲しみを知るから
ν一条の光に手を伸ばし 青空に向かって羽ばたく
自分の足で大地を蹴って 力強く飛び出す
今こそ覚醒の時 向かうは未来
ν悲しみは抱えたままでいいと気づいたから
寂しさを忘れる必要はないと気づいたから
「尚君まだかなぁー」
控室でアキラがもう何度目かの言葉を呟く。
遅刻魔のアキラにしては珍しく今日は一時間も前からスタンバイしている。その様子はまるで遠足が待ちきれない幼稚園児だ。
今日予定されているのは、十周年を記念して発売されるDVD BOXの予約特典の収録。DVD BOX自体に収録する
「瀬名さんもたまにはやるじゃん!」
とメンバーの間でマネージャーの株がバク上がりだったが、メンバーに無茶振りされる→先輩の高倉に泣きつく→高倉が加々美に話を持っていく(この時点で既に尚人の
「尚人さん到着されて、今控室で準備中です」
瀬名が控え室にひょっこり顔を覗かせる。その伝言にアキラが目をきらっと輝かせて立ち上がった。
「尚君、来たーーー!」
「あ! アキラさん、待ってください! 尚人さんがこちらへ来る予定なんですから!」
控室を飛び出して行くアキラに瀬名が慌てて声をかけたが、アキラの姿はあっという間に廊下の向こうへ消えた。
* * *
加々美に連れられて尚人は某音楽スタジオへやって来た。
「篠宮尚人です。今日はよろしくお願いします」
尚人が深々と頭を下げると、出迎えてくれた男性はにっこりと微笑んだ。
「『ミズガルズ』マネージャーの瀬名です。こちらこそ、よろしくお願いします」
今日は、加々美と代理人契約を締結してからの初仕事。記念すべき第一回が『ミズガルズ』との仕事とあって、尚人は朝から気合が入っていた。
今年結成十周年を迎える『ミズガルズ』は、記念DVD BOXの発売を予定しているのだが、その予約特典として「収録現場スタジオ紹介」の映像を期間限定で見られるようにする計画らしい。ファンには嬉しい「舞台裏のメンバーの素顔見せちゃいます」みたいなものだ。
その映像を撮るのに、「せっかくならより『ファン目線』に近い感じで撮りたい」とメンバーから要望があがり、「それならば」ということで、ファン代表として尚人に白羽の矢が立ったようだ。メンバー全員と面識のある「がちファン」と言うところが良かったらしい。
控室に待ち構えていたスタッフに尚人は小型カメラを付けられる。こめかみ横に装着することで、より目線に近い映像が撮れるのだと言う。
控室に用意されているモニターでスタッフがカメラの映りを確認している。
「リアルな映像が欲しいので、普通にしててもらって構いませんから」
受けた注意事項はその程度だった。尚人の声は全てカットされる予定だから、喋るのも自由にしてもらって構わないと言われた。
ただ「普通に」と言われても、何が「普通」なのかが疑問だが。
(よし、とにかく頑張ろう)
尚人が心の中で自分にエールを送っていたその時だった。
「尚君! 久しぶりー!」
控室に元気な声が響いた。
その声に尚人が振り返ると、バーンと開け放った扉の所にアキラの姿あった。
「あ、アキラさん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「元気、元気。ちょー、元気! 尚君は? 元気だった?」
「はい、おかげさまで」
「今日会えるのめっちゃ楽しみにしてた」
「俺もです。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくー」
アキラに手を差し出され、尚人はおずおずと握手する。
初めてではないが、何度しても感動ものだ。
「あの、昨日放送の『ミュージック・エイト』面白かったです。––––魚の三枚おろしに初めて挑戦した話をされてた」
「あ、あれ。放送昨日だったんだ」
「はい」
『ミュージック・エイト』は夜八時放送の人気音楽番組だ。ランキングや楽曲の紹介だけに留まらず、司会者と出演アーティストが結構長めのトークをするのが特徴で、そのトークで司会者が音楽とは全く関係のない話題を振って、トークに慣れないアーティストがあたふたと答える中で意外な一面がポロリと露呈するのが人気の理由だ。
昨日のゲストが『ミズガルズ』で、受験期には録画でしか見られなかった番組だが、春休み中とあって尚人はリアルタイムで放送を見た。
司会者に「今ハマってるものは?」と聞かれてアキラが「料理」と答え、先日初めて魚の三枚おろしに挑戦した話をしていた。ネットにアップされている動画を見ながら挑戦したらしいが、結果は散々で、
「やっぱ、参考にした動画で捌いてたのがイカだったのが失敗だった」
と言うオチがおかしすぎて尚人は腹を抱えて笑った。
というか、今思い出してもちょっと笑いがこみ上げる。
「あー、尚君。思い出し笑いしたいの我慢してるでしょ?」
「だって、アキラさんのトーク、面白すぎです」
「尚君にそんなに受けてたって知ってたら、あの後祝勝会すべきだったなぁ」
「何言ってんだ。あの後も、ふつーに飲み行ったろ」
他のメンバーもゾロゾロと室内に流れ込んでくる。その後ろで瀬名がなぜかひとりワタワタしていた。
(……って、あれ? 打ち合わせで聞いた話じゃ、俺がメンバーの居る控室に会いにいくんじゃなかったっけ?)
尚人は心の中で小首を傾げたが、
(ま、いっか。普通にしててくれって言われたし)
尚人はすぐに開き直って、メンバーとの久々の再会を喜び、雑談に花を咲かせた。
その後、メンバーに案内されてスタジオに入り、収録風景––––といっても、今回の撮影用でガチ収録ではないが––––を見学した。それから、サプライズでドラムを叩かせてもらったりした後に、
「腹減ったから、飯食いに行こーぜ」
の言葉で、撮影終了かと思ったら、ディレクターが
「ぜひ、そこまで撮影しましょう」
となって、尚人はカメラを付けたままメンバーと同じ車に乗り込み、メンバー行きつけだと言う中華料理屋でたらふく中華を堪能した。
朝の十時から始まった撮影は、何だかんだで午後三時の終了となったが、尚人的に本当にあっという間で、仕事というよりも、終始特別なファンサービスを受けたような感じだった。最後にはメンバーと記念写真まで撮って握手とハグで別れた。
尚人の記念すべき初仕事は、こうして無事に終了したのである。
* * *
「瀬名さん、お疲れ様でした」
「井芹さんも、名川さんも、今日はお世話になりました。どうでしょう? 使えそうな映像撮れましたか?」
素材撮りが何とか終了して、瀬名は今日の撮影スタッフに丁寧に頭を下げる。いろんな人のサポートがあって初めて成立するのが音楽活動だ。特に商業的に成功させるためには、業界人に嫌われてしまうのは致命的で、マネージャーは人間関係には殊更気を使う。
「彼、すごくよかったですよ」
ディレクターの井芹が白い歯を見せて笑う。
井芹は人当たりが良い方だが、この表情はお世辞ではない。
「最初、素人って聞いて大丈夫かなって心配してたんですけど。彼がすごく自然に会話するから、メンバーも終始リラックスして、いい表情見せてたでしょ。声カットするって言ってたけど、あのトークカットするのもったいないなって思う場面がいくつもあって。あと、一番驚いたのが彼の姿勢の良さっていうんですか。一応カメラにブレ補正機能ついてるんですけど、それでも普通の人が歩いてる映像って、どうしても小刻みに上下に揺れて、それずっと見てると酔うんですよ。でも、彼が付けてる映像全然ブレがなくて。本当にウェアラブル・カメラで撮ってるのかなって思っちゃうくらいで」
「はぁ……。そうなんですね」
「オマケ動画なんだから、五分もあればいいかなって思ってたんですけど。使いたい場面が一杯あって。これじゃ、逆編集泣かせもいいとこですよ」
そう言って笑う井芹を眺めながら、瀬名はただただ今日の仕事が無事に終了したことに安堵していた。