「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく) 4

 朝はトースターで焼いた食パン一枚に茹で卵。

 大学生になって一人暮らしを始めた鷺原亮司の食生活は、実家暮らしの頃と比べて一気に質素になった。

 引っ越してきたばかりの時は、はまって自炊しようと思っていたのだが、ネットでレシピを検索すれば、一つの料理を作るのにも意外とたくさんの食材が必要だったし、調味料も揃えないと作れない。効率よく献立を考えないと、かえって高くつきそうで。何より今まで料理をしたことがなくて「包丁がうまく使えない」という壁に当たってあっさり諦めた。

 今は惣菜も冷凍食品も種類が豊富で、それを活用すれば食に困ることはない。昼は大学の学食を利用すればいい。その方が時間も有効活用できる。––––が、当然財布には響く。親からの仕送りだけではけっこう生活が厳しいのが現実だ。

(はー。やっぱ早めに、割のいいバイト始めるしかないなぁ)

 できれば家庭教師はごめん(こうむ)りたい。性格的に無理なのだ。理解の遅いやつを相手にするとイライラする。絶対教師に向かない性格だ。だからと言ってバイトの王道コンビニスタッフとかファストフード店スタッフなんてのもやりたくない。低賃金でこき使われるなんてまっぴらごめんだからだ。

 大学の授業の始まりは、朝の八時半から。しかし今日受けなければいけない授業は二限からで、鷺原は十時少し前に家を出た。

 大学まで歩いて十五分。ちょうどいい時間に教室に着く。

 教室に入ると、鷺原は目当ての人物をすぐに見つけて隣に座った。

「よう、篠宮。おはよ」

「あ、鷺原。おはよう」

 篠宮がにこやかに笑って挨拶を返す。

 挨拶が爽やかすぎる。

 今まで、こんなににこやかで爽やかに挨拶する奴に会ったことがない。

 逆隣りにはすでに、あっという間に篠宮にべったりになった同クラの安藤という男が座っていた。何でも利用する電車の路線が同じらしく、毎朝電車の中で一緒になるらしい。

 本日一発目の授業は東大生でもつらいと評判のALESAだ。英論文の書き方を学ぶ授業で、授業は全て英語でおこなわれ配付される資料も英語で書いてある。回答も質問も当然全部英語でしなければならず、最終的には英語で論文を書いて提出しなければならない。

 これまでの授業はざっくり言うとガイダンス。参考文献の見つけ方や題材の決め方などについての説明があった。

 鷺原は幸い英語は得意。高校生の頃、即興英語ディベート大会に出るために頑張った甲斐がある。英語が理解できさえすれば授業内容的にはそこまで高度ではないのだが、英語を聞くのも読むのも一苦労という学生は、そもそも教師が何を言っているのかについていけず、資料もちんぷんかんぷんといった感じで。最初の授業ですでに死んだ顔をしたやつが半分くらいいた。

 受験英語(ペーパー)対策だけをやってきた連中は所詮そんなものだ。

 そんな中、さすが篠宮はちがう。どうしてもついていけない奴のために授業中こっそり同時通訳なんてしてやっている。教師が全く日本語ができない外国人なので気付いていないが、日本語がわかる教師だったら「通訳されたら英語で授業する意味がない」と怒るかもしれない。

 しかし、篠宮に救われている学生は結構いて、篠宮の近くの席は大人気だった。

「ねー、鷺原君。席変わってくれない。君、英語得意でしょ?」

 そんな図々しいお願いをしてくる奴がいるぐらいに。

 当然、素気無(すげな)くお断りだ。

 今日の授業から、文献の引用の仕方や論文構成に関する説明に入り、書く作業に慣れることを目的に、授業中も結構英文を書かされた。今まで篠宮の通訳で凌いでいた連中は、青ざめた顔をしながら変な英文を必死に書いていた。これからは毎時間レポートが課されるという。教室のあちこちから、深いため息が響いた。

 授業が終わって、篠宮と連れ立って学食へ向かう。そこに当然の顔をして安藤がくっついてくる。すっかり日常になりつつある学食での昼食は、鷺原が篠宮を誘ったのがきっかけだ。弁当を持参していると言う篠宮は最初学食で弁当を広げることに気が引けている様子だったが、何度か繰り返すと慣れた。今では、鷺原が注文に行っている間に席を確保してくれている。

 今日は『チキンおろしダレ』に『ツナ豆サラダ』をつけた。はっきり言って、昼飯が唯一まともな栄養源だ。朝と夜は、「とりあえず腹に入れば何でもいい」の生活をしている。

 丼物にしたらしい安藤が先に席に着いていた。

「あ、今日はチキンにしたんだ。美味しそうだね」

 篠宮が鷺原のトレイに目を向けてにこやかに微笑む。そういう篠宮の弁当は、いつも彩りが良くて本当にうまそうだ。

 はっきり確認したことはないが、篠宮の弁当はおそらく自作。篠宮のプライベートについては高校生の頃散々メディアが垂れ流しにしていたので記憶にある。両親のいなくなった家庭で、家事を一手に引き受けているのが高校生の次男だと言っていたはずだ。とはいえあの頃は、全く知りもしない他人の話だったで「世の中には、こんな家もあるんだな」と思った程度だが。

 おそらく同クラの連中で、篠宮があの篠宮だと気付いている奴はいない。会話を聞いているとそれがわかる。あの騒動を知っていれば聞くのを遠慮しそうなプライベートなことを質問したりするからだ。おそらくは、篠宮の見た目から悲惨な子供時代なんて微塵も感じないから、というかむしろ、良家の令息(お坊ちゃん)の雰囲気すら醸しているので、思いもしないのだろう。あるいは、勉強ばかりしていて世間のゴシップニュースなど全く見ていなかったか。

 そして篠宮はというと、答え難い(プライベート)質問は、不自然でない程度にさりげなく流す。その姿に鷺原は、同年代にはない篠宮の以外な『大人の姿』を見る。それと同時に、すごく人当たりが良くて誰とでも友達になれそうな雰囲気の篠宮が、案外他人との付き合いにおいては、踏み込ませない一線をきっちり引いているのだと見せつけられた思いだった。

 鷺原が、篠宮があの篠宮だと知っているのは当然、高校生即興英語ディベート大会で顔を合わせたからだ。その時にはすでに、カリスマモデル『MASAKI』の弟が翔南高校に通っているというは有名な話で、その翔南高校のメンバーの一人が篠宮という名前だと聞けば、当時は誰でも最初に「それって、あの?」と連想した。それに決勝戦の時は会場内に噂の兄の姿もあって、そのせいで大会終了後の女子の騒動が凄かった。

 ––––近くで見たい!

 ––––一緒に写真撮りたい!

 ––––握手してほしい!

 騒ぎまくって講堂(会場)周辺を探し回っていたが、当の本人はどうやら裏口を使ってさっさと帰っていたようで、遭遇接近は不可能だったようだ。応援メンバーの中には、優勝を逃したことよりもあからさまにそっちを残念がる女子もいた。

「なあ、篠宮」

 ナイフでざっくり切り分けたチキンを口に放り込んで咀嚼し、鷺原が声をかけると、ちまちまと弁当を口に運んでいた篠宮が視線を向けた。

「何?」

「何かバイトしてる?」

「………単発なら、何回か」

 聞いておきながら、その答えがなぜだか思いのほか意外で、鷺原は食事の手を止めてつい篠宮を見やった。

「そうなんだ。どんなバイト?」

 聞いてから、ほんの少し「しまった」と思う。兄がカリスマ・モデルの『MASAKI』なのだから、そっち関係の手伝い的なバイトをしてたっておかしくない。しかしそんな個人的事情(プライベート)、篠宮は話すのを嫌がるだろう。

 と、そんな先走りの心配をした鷺原に対し、篠宮は至って普通に言葉を返した。

「通訳とか。英語の音声ガイドとか」

「……篠宮らしいな」

 返ってきた答えの意外さに鷺原はボソリと呟く。

「知り合いに頼まれて、良い経験になったのは確かだけど。でも、どれも一回限りだから、学生アルバイトとはまた違うかな? 他にもいろいろ経験してみたいって思ってるし、小遣いくらいは自分で稼がないとなぁって思ってるところなんだけど。そう言う鷺原は? 何かしてるの?」

「いや、まだ。でも、俺はもっと現実的な問題で。しなきゃなんだけど。どんなバイトしようか迷っててさ。どうせなら割のいいバイトがいいじゃん」

「割のいいバイトかぁ。どんなのがあるんだろうね」

「あ、それならバイト探しのいいウェブサイトあるよ」

 安藤がそう言って会話に混ざってくると、スマートフォンをいじりだす。

「これ、条件を色々設定して検索できるんだ。バイトできる曜日とか時間帯とか。あと、希望する職種とかも設定できるし」

「へぇ、便利なサイトがあるんだね」

 篠宮が興味津々といった感じで画面を覗き込む。

「時給って、千円台がほとんどなんだ。仮に千円で三時間、休みなく働いてもひと月十万もいかないのかぁ。……バイトで生活費を稼ぐって大変だね」

「いや、そこまで稼がなくても大丈夫なんだけど。でも、時給千円でこき使われんのはなー。俺の価値って時給にしたら千円なのかよって思っちゃうし」

「あ、ドラマのエキストラなんてのもある。土日のみOKで、日給一万円だって。こんなのもアルバイトで募集するんだ」

「いや、俺に演技は無理だろ」

「鷺原はさ、英語できるんだから、塾講とかカテキョとかしたらいいんじゃない? 一番割がいいと思うけど」

 安藤が、人受けるすような柔和な笑みを浮かべて鷺原に視線を向けた。

「それはパス。俺、人に教えるのに向いてないから」

「んー、そうかなぁ。塾講には向いてそうな気がするけど。俺が通ってた塾の東大受験コースの英語講師が、なんて言うか。ちょっと高圧的な感じで。こことここが大事なんだからお前ら覚えやがれって感じだったんだけど。そのキャラが結構生徒に受けててさ。今考えると、その塾講、ちょっと鷺原に雰囲気似てるんだよね」

 なぜだろう。遠回しにディスられている気がする。

 鷺原がいまいち安藤を好きになれないのがこういう点だ。

 それをいちいち口にするほど子供ではないが。

「それに、あれヤダこれダメなんて言ってたら、いつまでたってもバイトできないし?」

 安藤がクスリと笑う。

 鷺原はその表情に内心イラついた。

 こいつ(安藤)は、人当たり良さそうにみせて絶対腹黒だ。篠宮にくっついてくるんじゃなかったら絶対交流しないタイプだが、「お前、篠宮から離れろよ」なんて言える立場でもないのもわかっているだけに、鷺原は自分の感情をぐっと飲み込むしかなかった。

 

 

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