「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく) 6

 その日尚人はいつもとは違う路線の電車に乗って、授業が終わるとある場所へ向かった。教えられた駅で降り、地図を片手に道を進む。しかし見慣れないビル群と行き交う人々の波に尚人の足はたびたび止まる。実はこうして都内を一人で歩くのは初めてだ。

 今まで都内に用事があった時は、基本降車駅からすぐにタクシーだった。去年伊崎の写真展を見に六本木へ行った時はそれなりに都内を彷徨(うろつ)いたが、ショッピングのためによく都内まで足を伸ばすと言う都内慣れしている中野や山下が一緒で、尚人は二人にただくっついて歩けばよかった。今は毎日都内の大学へ通ってはいるものの、家の最寄駅から電車に乗った後は、大学の真ん前にある駅で降りて構内に入るだけ。正直そんな生活では、キャンパス内のことには多少詳しくなっても、周辺のことはコンビニがどこにあるかすら把握していない。

 大学帰りに寄り道するのは、これが初めてだった。

(ええ、っと……。ここが三つ目の信号のある交差点で。ここを右だよね?)

 尚人はきょろきょろと辺りを見回しながら道を確認する。目印のネオカメラビルがあることを確認して、尚人は道路を渡るために歩行者用信号が青に変わるのを待つ。その時だった。

〔すみません。道をお尋ねしてもいいですか?〕

 声をかけられた。

 振り向くと随分と雰囲気のある外国人男性が立っている。

 髪は染めているのか地毛なのか、グレーっぽい銀髪で、Tシャツの上に爽やかなブルーのテーラードジャケットというカジュアルな装い。それがバッチリ決まっていて、お忍びで日本を訪れた外国人俳優と言われても納得してしまいそうなイケメンだった。

(やっぱり都内って、道聞いてくる人も只者じゃない感じ?)

 そんなことをつい思い。

(いやいやいやいや。そんなことより、俺でわかるかな)

 尚人は瞬時戸惑う。何しろ自分も地図を頼りに何とか目的地を目指している最中だ。しかし、ここで知らんぷりをするわけにもいかず。

〔どこへ行きたいんですか?〕

 尚人が問い返すと、英語で返ってきたことに安堵したのか、男性はにこやかに微笑んだ。

〔『ブルー・ビー』っていう店に行きたいんだ。この辺りのはずだけど、見つからなくって〕

(青い蜜蜂? ……いや、そういう店名かな)

 もちろん聞き覚えはない。

 しかし、知りませんと答えるのも申し訳なくて、尚人は質問を重ねた。

〔店の住所ってわかります?〕

〔○○区✖️✖️って聞いてて。でもその住所を地図に打ち込んでも––––〕

 男性はそう言って自分のスマートフォンを見せる。すると表示された地図には、交差点の真ん中に目的地であることを示すマーカーが付いていた。地図アプリの表示がうまくいってないのか、そもそも教えられた住所が間違っているのか。

(うーん、確かにこれじゃ困るよね)

 尚人は自分の携帯電話を取り出した。尚人の携帯はガラケーで、スマートフォンほどには機能豊富ではないが、多少のネット検索はできる。とりあえず「○○区」「ブルー・ビー」「店」などの言葉を並べて検索してみると一軒の店がヒットした。

〔この近くに結構有名な老舗喫茶店があって、そこが『ブルー・ビー』って名前みたいなんですけど。捜してる店って喫茶店ですか?〕

〔そう、それ。至福の一杯が味わえるって話を聞いてて〕

〔ええ、と。じゃあ、多分ここから二つ先の通りを右に入った所ですね。俺も一緒に行きます〕

〔それはありがとう〕

 あやふやな場所を教えるわけにも行かず、尚人は男性と共に歩き出す。

〔ところで君、学生さん? 高校生かな?〕

 問われて尚人は心の中で苦笑する。やっぱり外国人に日本人は幼く見えるのだろうか。最初にカレルに会った時も中学生に間違われた。

(それとも俺が子供っぽいのかな)

〔大学生ですよ。なったばかりの一年生ですけど〕

〔あー、そうなんだ。じゃあ、十八? 十九?〕

〔まだ十八です。来月誕生日が来たら十九歳ですけど〕

〔じゃあ、俺の一つ下だね〕

 言葉が急にフランクになった。

 尚人がたった一歳違いであるというその事実に驚いて男性を見やると、男性はにこやかに笑った。

〔俺はジェイミー・ウェズレイ。君は?〕

〔ナオト・シノミヤです〕

〔どこの学生なの?〕

〔東京大学〕

〔聞いたことある。日本で一番有名な大学だよね?〕

〔それはわからないけど。ジェイミーは留学生? それとも観光客?〕

〔仕事で来たんだよ。世界中あちこち行ってるけど、日本は初めてなんだ〕

(へぇ……。この歳で世界中飛び回ってるって、やっぱり俳優とかモデルだったりするのかな)

 ジェイミーのただならぬイケメンぶりに尚人は改めて思う。にしても、初めての来日で行きたい所が喫茶店とは。よっぽど珈琲好きなのか。

 そんな雑談をしている内に目指していた通りに辿り着いた。

(この辺りのはず、なんだけど……)

 キョロキョロしてみるものの、店名を示す看板などは見つからない。

「あの、すみません」

 尚人は思い切って道行く人に声をかけた。

「この辺に『ブルー・ビー』っていう喫茶店があるはずなんですけど。知りませんか?」

 その問いかけに、声をかけたちょっと年配の男性は、「ああ」と心当たりありげに頷く。

「それなら、あのビルの地下一階だよ。看板なくてちょっとわかりにくいけど、木製扉に小さく店名書いてあるから」

「ありがとうございます」

 尚人は謝辞を述べて男性と別れ、ジェイミーを誘導して教えられたビルの階段を下りる。すると言われた通りの木製扉があった。

 中が全く窺い知れないその店構えは、喫茶店というよりバーの装いだ。

〔ここだよ〕

 尚人が『ブルー・ビー』の表示を指し示してジェイミーを振り返ると、ジェイミーがかけていたサングラスを外して微笑んだ。今まで見えなかったブルートパーズの瞳が露わになって、その美しさに尚人は一瞬見惚れた。

〔ありがとう。わざわざ案内までしてくれて。で、よければだけど。一緒に珈琲を飲んで行かないかい? 案内してくれたお礼をしたいんだ〕

〔ありがたい申し出だけど、俺も目的地に行く途中だったから。じゃあ、ゆっくり楽しんでね〕

 尚人がそう言って踵を返しかけると、ジェイミーが呼び止めた。

〔あ、待って。せっかく会えたんだから。メルアド交換しない? こういうのって、日本では確か「イチゴイチエ」っていうんだよね?〕

〔一期一会は、出会いを大切にして縁を結ぶって意味じゃなくて、一生に一度しかない機会を大切にしてそれに専念するっていう意味だよ。茶道に由来する言葉だから『ブルー・ビー』で過ごす時間にぴったりの言葉かもね〕

 尚人はそう言ってにっこり微笑むと、今度こそ踵を返し、本来の目的地へ向かうべく、たった今降りてきたばかりの階段を駆け登る。

 

 その後尚人は、待ち合わせをしていた中野と無事に合流し、山下が一人暮らししているアパートへ一緒に向かうと、そこで久々の再会と鍋パーティを存分に楽しんだのであった。

 

 

 * * *

 

 

〔ジェイミー! どこ行ってたの? 心配したのよ!〕

 ホテルに戻るなり、マネージャーのダニエラの声が室内に響いた。

 叱責を含む声だったが、ジェイミーはいつものことに驚きもしない。

〔アンジーが日本に行ったらぜひ立ち寄るべきだってインスタにあげてた喫茶店に行って来たんだ〕

 ジェイミーが答えると、案の定ダニエラは、信じられないと言わんばかりの表情を浮かべる。

〔一人で街中をうろつくなんて何を考えてるの? 危険でしょ〕

〔ダニエラ。君が何でそんなに怒るのか俺には理解出来ないね。日本は世界で一番安全な場所で、そして礼儀正しい国民が住んでいる場所だろう?〕

〔一般的にはそうでしょうけど。あなたは世界的に有名なモデルなのよ。ファンが殺到して混乱に巻き込まれたらどうするの?〕

〔残念ながら、日本人は誰も俺のことを知らないみたいだったよ。道行く人に声をかけられることもなければ、カメラを向けられることもなかった。誰も俺のことを知らない場所を好きに歩けるってすごいなって思う反面、俺の知名度もまだまだなんだなって。ちょっと複雑な気分?〕

〔日本は閉鎖的な国だからよ。そもそも世界の情報に疎いし〕

 ダニエラがどこか不満げに呟く。

 ダニエラは自分が相反することを口にしている自覚があるのだろうか。そんな疑問が脳裏をよぎったが、ジェイミーはくつりと笑うだけで終わらせる。

 それも、いつものことだからだ。

 所属事務所の敏腕マネージャーとして有名なダニエラは、出会った時からこんな感じだ。自分を特別な存在なのだと思わせてくれる一方で、同じくらいに窮屈な思いを味わせてくれる。全ては彼女の考える「世界で成功するためのメソッド」だ。彼女はそうして世界的に有名なモデルを何人も育てていて、ここ数年はジェイミーの専属を務めている。

 つまりジェイミーは、ダニエラのお眼鏡にかなった逸材、というわけだ。

 ちなみにこれは、周りが聞こえよがしにするジェイミーへの評価だ。

 ジェイミーの活動拠点はヨーロッパ。世界四大コレクションに参加するため世界中を忙しく飛び回る間に『VOGUE』や『GQ』などの雑誌グラビアをこなす。日本にはなかなか来る機会がなかったが、今回ようやくジャパン・コレクションに参加できることになって来日した。

 ジャパン・コレクションは世界四大コレクションの次席に位置づけられる世界的なコレクションのひとつで、ファッションウィークの最後を締めくくる。それでジャパン・コレクション参加後に、ジェイミーはそのまましばらくの休暇を日本で過ごすことにしたのだ。

 なので今現在、ジェイミーは休暇中。しかし、敏腕マネージャーであるダニエラからそこそこ長期の休暇をもぎ取るためには完全休養は無理だった。そのために休暇と言いながら時々仕事があって、日本の雑誌に掲載するためのグラビア撮影が予定されていたり、日本(こちら)代理店(エージェンシー)契約をした事務所代表者との顔つなぎ会食が予定されていたりする。

 しかしその程度の仕事量なら、ちょうどいい刺激だった。

 ダニエラがまだ何か言っていたが、ジェイミーは構わずソファーに座ってスマートフォンを取り出し、フォトアプリを起動して写真を開く。

 写真に写るのは、今日偶然見かけた日本人の若者だ。

 名前は『ナオ』と言った。

 フルネームは覚えていない。というか、よく聞き取れなかった。日本人の名前は馴染みがないせいか難しい。何とか最初の二文字だけが響きとして頭に残った感じだ。

 モデル仲間のアンジーがインスタに上げていた『ブルー・ビー』。そこへ向かう途中に(ナオ)はいた。雑踏にあっても不思議と目を引く。そんな若者だった。彼の周りだけ空気感が違うというよりも、まるで水を纏っているような、そんな不思議な雰囲気を漂わせていた。

 仕事柄色んな個性を発揮する人たちを見てきたジェイミーだが、彼のようなタイプは初めてだった。だからジェイミーは、どうしても彼に声をかけてみたくなってしまったのだ。いつもだったらそんなことはしない。いや、今まで一度だって同性相手にナンパ(まが)いの声かけなどしようと思ったことはない。それに、モデルとしてそこそこ顔と名が売れた今では、一般人との過度な交流はむしろ避けている。

 それなのに––––、である。

 ここが知名度のない日本だから?

 久々の自由にあてられたのか。

 それにしても––––、である。

 しかし、理由もなく声をかければ不審者。いきなり「一緒に珈琲を飲みに行きませんか」ではただのナンパだ。それで思いついたのが「道を訪ねるフリ」だった。

 そう、実は『ブルー・ビー』の場所はちゃんとわかっていたのだ。

 日本人は英語が話せない人が多い。そんな印象だったが、今はスマホの翻訳アプリを活用すればそこそこコミュニケーションが成立する。どうにかなるだろうと、ジェイミーは思い切って声をかけた。すると予想外に綺麗な英語が返って来た。それで嬉しくなってしまった。

 それに、少々驚いた表情で自分を真っ直ぐに見つめたその双眸は、遠くから眺めていただけでは分からない、不思議な引力があった。

 声のトーンも柔らかくて耳障りがよかった。

 目的地までの短い会話では満足できなくて、もっともっと彼とじっくり話がしてみたくてしょうがなかった。それで一緒のコーヒーブレイクに誘ってみたのだが、振られてしまった。

 きっと知名度のあるフランスやイタリアで同じことをしたら、誘ってもいない人まで同じテーブルについていたはずだ。それを思うと、自分の日本での知名度のなさが良いのか悪いのか。ジェイミーは複雑な心境だった。世界的に有名なモデルに誘われた。それを知ってさえいたら、ナオは自分の誘いに応じたのだろうか。あるいは、それでも断ったのだろうか。

 もし、後者だったら?

 それはそれで、何となく寂しい気になる。

 メジャーになることで天狗になることはない。そう心の中で戒めていたのに、有名人である自分に与えられる特権に慣れていた自分を否応なしに自覚する。ナオは、そんな自分の初心さえも思い出させてくれた存在である、ということが既に何とも特別だった。

 道端ですれ違っただけの存在なのに。

 はっきり言って、縁を結びたかった。

 それでとっさに「一期一会」を口にした。その響きを知っているだけで「日本を知ってますよ」という気になっていた。ひょっとすると、そんな浅はかな知識にひけらかしが透けて見えて、呆れてしまったのかもしれない。

(もう少し日本の文化を調べとけばよかったな)

 あれから『ブルー・ビー』で珈琲を飲みながらジェイミーは「一期一会」について考えていた。

 ––––一期一会は、出会いを大切にして縁を結ぶって意味じゃなくて、一生に一度しかない機会を大切にしてそれに専念するっていう意味だよ。

 ナオは教えてくれた。茶道に由来する言葉だということも。

 だから喫茶店のマスターに思い切って尋ねてみた。

〔一期一会って、茶道に由来する言葉って聞いたんですけど、どういうものですか?〕

 若い頃世界中を回って珈琲を飲み歩き、それでこの店を開いたというマスターはちょっとクセのある英語でジェイミーの問いかけに答えてくれた。

〔日本のおもてなしの精神とも繋がるものだね。お茶や珈琲なんて毎日飲むものかもしれないけど、私が今淹れたこの一杯を飲むお客様は、この一杯というものとは一生に一度の出会いをする。その出会いを大切にしてほしくて、私は真心込めて一杯一杯コーヒーを淹れる。そういう思いが一期一会という言葉に凝縮されているんだと私は理解しているよ〕

 そう説明されて、自分が安易に「一期一会」を口にしたことをジェイミーは後悔した。

(マスターに教えてもらったことをナオに話したいな)

 そしたらナオはどんな返しをするだろう。

(たしか、東京大学の学生だって言ってたよな)

 ジェイミーはスマートフォンで「Tokyo University」と検索を開始した。

 

 

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