ファッション・マガジン『KANON』の専属ライター大崎美月は、携帯の着信に気づいて電話に出た。
「はい、大崎でございます」
営業口調で応対すると、電話の相手は『アズラエル』の石田で、内容は、数日後に予定されている世界的モデル『ジェイミー・ウェズレイ』のインタビューに関することだった。
「○時に〇〇ホテルですね」
大崎は手帳を開いて確認する。石田からはそのほかに細かな指示と確認がいくつかあった。
『ジェイミー・ウェズレイ』は、今回ジャパン・コレクション参加にあたり『アズラエル』と
「はい、大丈夫です。はい。はい。で、通訳は? ああ、原口さんですね。はい、わかりました。当日はよろしくお願いします」
受話器越しに丁寧に頭を下げ大崎は通話を切る。
直後、思わずため息が漏れた。
(……原口さんじゃダメってことじゃないんだけど)
石田との仕事の時にお世話になることが多い通訳の原口は、元ホテルマン。そのため原口はどんな相手でも如才なく対応する。海外セレブの中には扱いにくい者も少なくない中、原口に対する大崎の信頼度はかなり高い。しかしどうしても、大崎はあの経験が忘れられないでいた。
『ヴァンス』初来日と合わせて企画された雑誌のロング・インタビュー。もともと通訳を務めるはずだった原口がインフルエンザでダウンすると、そのピンチ・ヒッターとして現れたのは、まさかの高校生––––篠宮尚人だった。最初大崎は何の冗談かと思ったが、いざ始まってみると、ただの高校生じゃなかった。
驚くほどやりやすかった。
通訳で生じるタイムラグがほとんどなく、まるっと最後まで聞いてから相手に伝えるので、中途半端に言葉を切られて話の腰を折られるようなストレスは全くなく、しかも言葉の意味に重点を置いて通訳することに心がけていたのか、『ヴァンス』のデザイナーが伝えたいと思っていることがすごく分かりやすかった。
そして何と言っても印象的だったのが、彼の声の良さ。耳触りが良くて、聞き取りやすい。それは大崎の聞く日本語ばかりでなく、英語も同じであったようで、『ヴァンス』のチーフデザイナーもインタビュー後に彼の存在が気になってわざわざ声をかけたぐらいである。
それには大崎もびっくりだった。
普通通訳なんて「今日はどうも」で別れる相手だ。『ヴァンス』のチーフデザイナーともあろう彼が興味津々に個人的なことを根掘り葉掘り尋ねる相手ではない。
しかし、いろいろ質問したくなるクリスの心境も理解できた。
それくらい、篠宮尚人という存在は驚きの塊だったのだ。
あれから通訳が必要なインタビューをするたびに、ちらりと思う。また彼と仕事できないのだろうか、と。
一度石田にさりげなくその話題を振ってみたことがあるのだが。
「篠宮君とは、実は自分もあの日初めて会ったんです」
「原口さんの代わりがなかなか見つからなくて
そんなことを言っていた。
(……って、そんな素性の知れない
最初はそう思っていただけだったが、あの石橋を叩いて渡るような仕事ぶりの石田が、単にやけになって、とは思えない。
つまり––––、
石田が信用するしかないと思えるような相手からの紹介だった?
そうなると、ますます篠宮尚人が何者だったのか。気になってしょうがない。
(あんな可愛い子、『アズラエル』がほっとくはずもないと思うんだけどなぁ)
まあ、親の教育方針で芸能界NGという可能性もあるが。すごく育ちが良さそうな雰囲気だったので、それは十分あり得る。
兎にも角にも、大崎は今受け取った電話の内容を手帳に記録すると、インタビューに備えて『ジェイミー・ウェズレイ』に関する資料を再確認しようと棚からファイルを取り出した。
* * *
「まずは、初めてジャパン・コレクションに参加した感想をお伺いしたいと思います」
インタビューが始まった。
ジェイミー・ウェズレイは、ホテルの窓際に設置されたソファーにくつろいだ様子で座っている。今回はインタビュー風景が雑誌に掲載される予定になっているので、彼の周りには照明が設置されている。そのため、対面に座る大崎の視界に映る景色は、ジェイミー自身の放つオーラと相まってキラキラと
(すっごいイケメンよね)
大崎はジェイミーを見やって思う。
撮影用にバッチリ決めていることもあってか、仕事柄いろんなイケメンと対峙してきた大崎もたじろぐほどのイケメンぶりだ。
〔すごく刺激的な体験でした。パリやミラノやニューヨークともまた違った熱がジャパン・コレクションにはあって、参加できてとても光栄です〕
ジェイミーが言葉を切ってにこやかに微笑む。
その笑顔が何ともチャーミングで親近感が湧く。イケメンすぎる男が持つ近寄り難さがいい意味でなく、容姿人柄的にパーフェクトだった。
〔実は、日本には前々から興味あって、ずっと行きたいって思っていたんです。ですから、こうして日本に来る機会を得られて、本当に興奮しています〕
「日本に興味を持ったきっかけは何でしょう?」
〔今、日本の文化は世界中で興味の対象です。日本の文化は本当にクールで面白い。特にアニメは私の育ったイタリアでもたくさん放送されていて、私も子供の頃に『ルパン三世』や『キャプテン翼』をはまって見ていました〕
「そうなんですね。それは何とも意外な気がするといいますか。ジェイミーさんをグッと身近に感じますね」
大崎は笑顔でそう答えつつも、多少のリップサービスは入っているだろうと頭の片隅で思う。その辺外国人は非常に上手だ。
〔ありがとう。しかし、私が日本に興味を持ったのはアニメだけが理由ではありません。実は、私の曽祖母の兄が日本人と結婚して日本に移住しているんです。私が生まれるずっと前の話で、実際会ったことはないのですが。幼い頃に、日本に
「そうだったんですか」
大崎は素で驚く。
インタビューにあたり、ジェイミーのことは事前に色々調べていたが、そんな情報はどこにもなかった。
「日本とそんな縁のある方だとは知りませんでした。その日本のご親戚とは現在交流はないんですか?」
〔残念ながらね。曽祖母の時代はまだヨーロッパと日本は簡単に行き来出来る距離ではなかったから。何回か手紙の遣り取りはしたみたいだけど、その内音信不通になってしまったとかで〕
「それは、残念ですね」
そう答えて、大崎は頭の片隅で何かが引っかかる感じがしたが、今は仕事に専念しようと気を引き締め直す。
「では、次に。今後の日本での活動についてですが––––」
大崎は手元の手帳に目を落とし、次の質問事項に移る。
インタビューは終始和やかな雰囲気で進行し、そして問題なく終了した。
「今日はどうもありがとう」
インタビューが終わって、ソファーから立ち上がったジェイミーが大崎と握手をし、通訳を務めた原口とも握手する。愛嬌があって、態度も悪くない。すでに世界で活躍するモデルがこれほど謙虚な姿勢を見せるなら、日本でも間違いなく成功するだろう。
大崎がそんなことを思いながら手荷物を纏めている時だった。
〔ちょっと、質問してもいいかな〕
ジェイミーが何やら原口に話しかけている。
(ん?)
何だかデジャブ?
しかし二人のやりとりは英語で、何を話しているのかわからない。大崎が「何事?」という感じで原口を眺めていたら、ひと通り会話が済んだところで原口が説明してくれた。
「なんでも先日親切に道案内してくれた学生さんにもう一度会いたいから、大学まで捜しに行こうと思うけど、日本の大学は一般人が入っても大丈夫なのかって。質問されまして」
(ああ、そうなんだ)
当たり前だが、原口への個人的質問ではなかったことに大崎は納得する。
「入っても構わないでしょうけど。……その前に、どこの学生さんかはわかっているんですか?」
「東京大学らしいです」
「へぇ……」
それなら外国人に道を聞かれても普通に英語で対応しそうだ。
あくまで、大崎のイメージだが。
「けど、大学に行ったからって見つかりますかね?」
大学に学生なんて山程いるのだ。キャンパス内をうろうろしたからと、たった一人の学生に偶然ばったり出くわす可能性は低い気がする。自分の学生時代を思い返しても、同じ
まあ、東大生がどうかは知らないが……。
「そうなんですよねぇ。問題はそこですよねぇ」
「東大ってことは、本郷ですよね?」
「いえ、一年生らしいので、駒場キャンパスですね」
「え、東大って駒場にもキャンパスがあるんですか?」
東大といえば赤門が有名な本郷キャンパスのイメージしかない大崎は、本気でちょっぴり驚く。
「ええ。東大生は一、二年生のうちは駒場キャンパスで教養を中心に勉強して、三年生から専門を勉強するために本郷キャンパスへ移動するんです」
「……原口さん詳しいですね」
ひょっとして、東大出身?
そんな大崎の疑問を感じ取ったのか。
「昔の仕事柄、東京のことはそれなりに頭に叩き込んでいますから」
そう言って原口は柔和に微笑んだ。
原口が元ホテルマンだと知ってはいるが、ホテルマンというのはそんな知識も頭に入れているのかと感心する。やはり、宿泊客にいろいろ質問されても対応できるように、ということだろうか。
「せめてフルネームが分かっていれば、まだ捜せそうではありますけど」
「名前わからないんですね?」
「『ナオ』としか聞き取れなかったみたいです」
「ナオ?」
大崎は思わず目を見開く。
まさかのまさかだが––––。
(そんなことって、ある?)
以前原口の代わりに通訳を務めた篠宮尚人は、通訳者名として『NAO』と記載した。高校生の実名公表はできないという配慮と、海外でも『NAO』の方が通りがいいだろうという判断からだ。
(いや、でも。ねぇ? 『ナオ』って結構ありきたりの名前だし……)
それでも、道端で英語で質問されて英語で返す。
大学一年生。
年齢もぴったりで、篠宮尚人であってもおかしくない。
(けど、東大?)
非常にクレバーな感じはしたが。
〔ひょっとして心当たりある?〕
大崎の表情に何か感じ取ったのかジェイミーが話しかけてくる。
大崎がチラリと原口を見やると、原口が通訳してくれた。
〔実は写真持ってるんだ。彼だよ。知ってる?〕
ジェイミーがそう言ってスマートフォンを操作して大崎に画面を見せる。そこに写っていた若者を見やって、大崎は思わず叫んだ。
「やっぱり篠宮君!」
一体どんな引きの良さなのか。
大崎は、ますます篠宮尚人という存在の不思議さに惹かれずにはいられなかった。