「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく) 9

「こんにちは。あの、食事中にごめんなさい」

 見知らぬ女が突然声をかけてきたのは、いつものように鷺原が尚人と学食で昼飯を食べている時だった。

 同年代っぽくは見えないその女性を学生じゃないなと鷺原が瞬時に思ったのは、年齢ではなく、女が垢抜けたファッションセンスに社会人的雰囲気を纏っていたからだ。

 ––––誰だ、こいつ。

 反射的に警戒心が首をもたげたのは、鷺原が決してフレンドリー体質ではないから。人見知りというほど人との付き合いを苦手とするわけではないが、見知らぬ他人からの声かけは基本好まない。

 だからと言って無駄に攻撃的になるほど性格に難があるわけでもないつもりで。

「何か用ですか?」

 鷺原がそう問いかけようとした矢先だった。

「篠宮君、私のこと覚えてるかな?」

 女が尚人だけをまっすぐに見つめて微笑む。

 その態度とその言い方に鷺原はなぜかカチンときた。

「知り合い?」

 顔に出そうになった不快感を飲み込んで鷺原が尚人に確認する。それよりも前に、尚人が驚きを含んだ声を発した。

「大崎さん、でしたっけ? お久しぶりですね」

「ああ、よかった。覚えていてくれて」

 大崎と呼ばれた女がほっとしたように胸をなで下ろす。

 その仕草さえ鷺原には不快だった。

「あの、大崎さんはどうしてここに?」

「実は、篠宮君を捜してて。東大(ここ)の学生だって聞いたから。ひょっとして学食なら会えるかもって」

(つまり、待ち伏せしてたってことか?)

 大崎と尚人がどういう関係かも、尚人にどんな用事があるのかもわからない。しかし、鷺原はとにかく突然現れた(大崎)の存在が不愉快だった。

 一緒に授業を受けてても授業中私語はできない。鷺原にとっては、こうして学食で一緒に昼食を取る時間がほとんど唯一と言っていい尚人と談笑ができる時間で、その貴重な時間を横取りされたのだから当然いい気分はしない。しかも尚人の様子を見るからに、久々の再会を喜んでいるようには見えないどころか、その表情には戸惑いが浮かんでいて、どちらかといえば迷惑そうにすら見える。そんな相手に好印象を抱く方が難しい。

「ちょっと話したいことがあるんだけれども。この後、時間取れないかしら?」

「え……っと」

 女の言葉に尚人は戸惑いの表情を深めた。

「話って、––––前回のアルバイト絡みの話ですか?」

(アルバイト?)

 そういえば以前、通訳や英語の音声ガイドのアルバイトをしたことがあると言っていた。アルバイト絡みなら、「これ系」の女性と尚人が顔見知りであっても何となく納得できる。

「えーと、今ここでは詳しく話せないんだけど。ざっくり言うと別口の話、かな」

 女が言葉を濁す。

 尚人はほんの少し思案げな顔をした。

「今日はこのあと三限の授業が終われば空いてるので。その後なら時間取れますけど」

(時間取ってやるのかよ)

 鷺原は心の中で舌打ちする。

 こんな突然現れた女の要求など聞いてやることないのに。

(っていうか、俺だって授業終わりに篠宮と過ごしたことないんだけど?)

 尚人は授業が終わればさっさと帰る。サークルにも所属していないし、今のところアルバイトをしている様子もない。けれども、尚人の家がどんな状況かわずかなりとも知っている身としては授業後に遊びに誘うのも気が引けて。はっきりいえば遠慮していた。

 まあ、鷺原自身もアルバイトを始めて、授業後にそんなに時間があるわけではないのだが。

「三限の終わりって何時かしら?」

「二時四十五分です」

「じゃあ、その時間に門のところで待ってるわね。食事中に邪魔して本当に悪かったわ」

 女はにっこり笑って名刺を一枚尚人に渡してから去っていく。

 最後まで腹の立つ女だった。

 

 

 * * *

 

 

 大崎の登場は尚人にとってあまりにも突然で意外だった。

 え?

 それって……

 どういうこと?

 頭の中は疑問符だらけだったが、「今ここでは……」と言われてしまっては、授業後に会う約束をするしかなかった。何しろ、多忙なはずの大崎がわざわざ大学まで尚人を捜しにくるほどの話なのだ。内容は想像もつかないが、「今日はちょっと」と言ったところで諦めるとは思えなかったし、しつこく日程調整をされるくらいならさっさと片をつけてしまった方がいいと思えた。話の内容によっては加々美を通してもらう必要があるかもしれないが、それだって話を聞かないことにはわからない。そして、もしそうだとはっきりすれば自分には今代理人がいると言う事実をきちんと伝える必要があるが、その話を鷺原や安藤の前でするのは憚られた。学校生活とプライベートは、できれば切り離しておきたい。なのでその面からも、二人きりで話ができる時間を確保する必要があった。三限の授業は選択科目で、鷺原とも安藤とも一緒ではない。尚人はひとまず大崎の存在は忘れて授業に集中した。

 

 

 * * *

 

 

 放課後、大崎と落ち合って、二人で最寄りのコーヒーショップまで移動した。大崎の先導で入った店は、カウンターで先に注文するタイプの店で、尚人は初オーダーに戸惑いながらも何とかカプチーノを受け取って大崎と共に奥の席に着く。

「改めまして、おひさしぶり。今日は時間取ってくれて本当にありがとう」

 大崎がにっこりと笑う。

 尚人もとりあえず笑顔を返した。

「で、俺に話って。何ですか?」

 口慣らしの雑談をしてもしょうがない。尚人は単刀直入に尋ねる。大崎がなぜ尚人が東大の学生だと知り得たのか。そしてなぜ大学まで尚人を捜しにきたのか。その辺のことも気になるが、おそらくは大崎の言う「話したいこと」にそこら辺も全て含まれている気がした。ならばさっさと要件を聞いてしまった方が早い。それが尚人の判断だった。

「その前に確認なんだけど。篠宮君『ジェイミー』を知ってるかしら?」

「モデルの、ですか?」

 尚人が問うと大崎が頷いた。

「そう。道を尋ねられたことがある、とか?」

「ええ。少し前に偶然。ただ、その時はモデルさんだって知らなかったんですけど。あとで、たまたま本屋で表紙を飾ってる雑誌を見かけて。それでモデルさんだったんだって知って」

 尚人はそこで一旦言葉を切ると、少々の上目遣いで大崎を見た。

「……あの。大崎さんは何でそのことを知ってるんですか?」

「実は仕事で『ジェイミー』にインタビューする機会があったんだけど。その時、インタビュー終わりに『ジェイミー』が、先日道案内してくれた日本の大学生にまた会いたくて捜してるって言い出して。話を聞くとどうも篠宮君ぽくって」

「それで大崎さんは『ジェイミー』の代わりに俺を捜しにきたんですか?」

「まあ、そんなところ」

 大崎は頷く。

 嘘ではないだろうと尚人は思う。

 大崎は仕事柄『ジェイミー』と知り合う機会があっておかしくないし、『ジェイミー』はあの時も連絡先を交換したがっていた。そしてその『ジェイミー』には尚人自ら名前を名乗り「東京大学の学生」だと伝えたのである。だが、こういうふうに話が繋がって、大崎が自分の前に現れるとは思いもしなかった。と言うのが正直なところだ。

 世間は広いようで狭い。一般に言われるその言葉を尚人はしみじみ実感する。

「で、『ジェイミー』には、篠宮君が見つかったら連絡するって伝えてるんだけど。よかったら篠宮君の連絡先教えてもらえないかしら。今度『ジェイミー』が日本に来た時に会えるようにセッティングしたいし」

 大崎がにこやかな笑みを浮かべたまま告げる。

(……………)

 尚人はその笑顔を黙って見つめ返し、どうしてそう言う話になるのかと困惑した。『ヴァンス』の時もなぜか「ユアンと友達になって欲しい」と言う話になって、雅紀の許可のもとメールのやり取りをするようになったが。基本やり取りしている相手はユアンではなくカレルだ。同い年の音楽家の卵。狭い世界で生きてきた尚人にとって、自分の夢に向かって頑張っている同い年の外国人との交流はすごく刺激になった。なのでクリスの無茶振りから始まった交流だが今では縁があって良かったと思える。

 しかし……

 尚人は先日の雅紀のとのやり取りを思い出す。

 どう考えたって『ジェイミー』と個人的に繋がるのは雅紀がいい顔をしないだろう。それに、尚人自身『ジェイミー』と個人的に親しくなりたいと思ってるわけでもない。

 まあ、だからと言って、邪険にしたいとか、そんなわけでもないのだが……。

「大崎さん」

「ん、何?」

「俺が『ジェイミー』と会わないといけない理由って何ですか?」

「え?」

 大崎の顔から笑顔が引っ込んで、驚いた表情が浮かんだ。

「俺にとって『ジェイミー』は、偶然道を聞かれただけの人です。行き先が分からなくて困っているみたいだったんで、少し道案内して、その間軽く雑談しましたけど。それだけの関係です。向こうはひょっとすると初めて来た日本で親切にしてもらって、それでまた会いたいと思ってくれているのかもしれませんが。でも、それは向こうの事情であって俺の事情ではありません」

「え? あの。それって––––」

 大崎は戸惑いの言葉を口にして、伺うように尚人を見やった。

「……ひょっとして、迷惑って話かしら?」

「俺の方には『ジェイミー』に会う理由がないって話です。またどこかで偶々会うことがあれば、それはそれで縁があったなとは思いますけど……」

(うーん、何と言ったら上手く伝わるのかな)

 尚人は言葉を模索して黙り込む。

 その姿をじっと見つめていた大崎は、思いもしなかった尚人の言葉に正直驚いていた。

 尚人のことは高校生とは思えないほど落ち着きのある、非常に人当たりの良い、フレンドリーな人物だという印象だった。そんなイメージがあったから、世界的モデル『ジェイミー』が個人的に会いたがっているなんて聞けば当然、ウェルカムな対応をするものと疑わなかった。大崎のもたらす話に驚き戸惑いつつも『ジェイミー』と再会できることを喜ぶだろうと。

 しかも相手はあの世界的モデル『ジェイミー』なのだ。そんな人物に目をつけられた特別感。大崎はその朗報をもたらす喜びの使者のような気持ちでいた。

 しかし––––

 尚人の見せた反応は大崎の想像とは真逆で。それに大崎は戸惑う。

 ––––俺の方には『ジェイミー』に会う理由がない。

 まさかそんな言葉が尚人から飛び出すとは思いもしなかった。

 意外……、というか。たった一度の出会いが衝撃的すぎたために、頭の中で勝手に尚人に対する虚像ばかりが膨らんでいたのだろうか。

(まあ、確かに篠宮君にとっては、たまたま道を聞かれただけの外国人かもしれないけど……)

 でも

(相手はあの『ジェイミー』なのよ?)

 どうしたって大崎はその思いが強い。

 そう思って大崎はふと思い出す。前回の通訳のピンチヒッター。あの時石田に尚人を紹介したのは誰なのか。面識もない高校生をあの石田が起用するとは、かなりの大物からの紹介だったのではないか。と、そんなことを自分が推論していたことを。

(––––ひょっとすると篠宮君って只者じゃないのかも)

 そう思った途端、記者魂がうずいた。

「そうよね。急にこんな話。困っちゃうわよね」

 大崎は微笑む。相手の反応によって話題を変えるのは仕事上必要なスキル。しかも大崎の中ではすでに目的も変わっていた。『ジェイミー』との約束は一旦保留だ。尚人が一体何者なのか。それを確かめたい。

「前回篠宮君があまりにも完璧な仕事をしてくれたから。私自身、また一緒に仕事ができたらなって思ってたの。だから、『ジェイミー』を理由に篠宮君を捜しに来たけど、本当は私の方が篠宮君に会いたかったのかも。これまで仕事をしてきた中で篠宮君の通訳が断トツやりやすかったし」

 大崎がそう言うと、尚人は少し照れたようにはにかんだ。その表情は、大崎の抱く尚人のイメージそのもので。やはりこの顔もまた尚人の持つ顔の一つなのだと納得する。褒められたら喜ぶその素直さに、十代男子とは思えない可愛らしいさがある。しかも笑顔が綺麗で、はにかんだその表情にはあざとさが少しもない。

「出来れば石田さんを通さないで個人的に通訳がお願いできればって思ってるんだけど。それって可能なのかしら? それとも篠宮君に仕事をお願いしようと思ったら、誰かを通す必要があるの?」

 大崎はさりげなく問いかける。するとそれに返った返事が意外すぎて、大崎は絶句したのだった。

 

 

 * * *

 

 

 店先で尚人と別れた大崎は、にこやかに笑顔で別れたものの、たった今聞かされたばかりの情報をどう処理していいのか整理できずにいた。

 ––––仕事の依頼なら、加々美さんを通してください。

 ––––カガミさん?

 それってどこのカガミさん?

 大崎の問いかけに尚人が返した応え。ファッション業界に身を置く者が「カガミ」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは一人だが。

 まさかね?

 半信半疑。そんな大崎に、

 ––––モデルの加々美蓮司さんです。今、代理人になってもらっています。

 そう言って渡された『加々美蓮司』の名刺。それを手に大崎は固まるしかなかった。

 それって、

 一体、

 どういうこと?

 加々美蓮司といえば言わずもがなメンズモデル界の帝王で。ファッション誌の記者をやっている大崎がその存在の凄さを知らないはずがない。正直なところ、大崎にとっては雲の上すぎる存在だ。

 その加々美が代理人だという。

 ––––篠宮君、モデルだったの?

 それともこれからデビューするのか。

 ––––いいえ。違いますよ。俺にモデルは務まりません。

 そう答える尚人は構えるところもなくあくまで自然体で。

 そんなことないと思うけど……。とは思いつつ。モデルデビューの予定もなくあの加々美蓮司が代理人になるとは一体どういうことなのか。『アズラエル』に所属しているのかとも思ったが、そうではないという。

 そんなことってあるの?

 しかし、尚人が『加々美蓮司』の名刺を所持しているのは間違いのない事実で。となると、『篠宮尚人』は加々美蓮司の秘蔵っ子ということになる。

(篠宮君、すごすぎでしょ……)

 どこでどんなふうに加々美蓮司に見出されたのかは知らない。しかし、加々美自ら代理人を務めるとは、あの『MASAKI』を超える逸材と加々美に判断されたということだろう。そんな『篠宮尚人』を勝手に『ジェイミー』と引き合わせようとしていたとは……。

(知らないって最強よね)

 大崎はつくづく思った。

 そして、そんな暴挙、実行することにならなくてよかった、と。

 そんなことを思っている時だった。

「大崎さん」

 声をかけられて大崎は我に返る。視線を向けると、そこに立っていたのは以前何度か仕事で顔を合わせたことがある『リゾルト』の津田だった。

 『リゾルト』の商品はデザイン性が高く、ファッションとコラボさせた商品も多い。そのため『リゾルト』商品を『KANON』で取り上げたことがある。その時『リゾルト』側の担当者の一人が津田で、マーケティング戦略を担当する津田は広報活動に携わることも多いと言っていた。

「ご無沙汰してます」

 津田がにこやかに微笑む。

 大崎もにっこりと笑顔を返した。

「お久しぶりです。お元気でいらっしゃいましたか?」

「ええ、おかげさまで。大崎さんは取材途中とかですか?」

「まあ。そんな感じです」

 大崎は適当にそう返す。

「津田さんは、営業回りとか?」

「ええ。まあ、そんなところです。うちの商品を置いてもらっている量販店を定期的に回って。売れ筋商品の確認をしたり、販売員さんから商品の改善点のアドバイスをもらったり。そのついでの若者ウォッチングです」

「若者ウォッチング?」

「実は、CMに起用できそうな若者を探している最中なんです」

「へぇ。……そんなことも津田さんのお仕事なんですか?」

 CM制作といえば、広告代理店にイメージやらコンセプトやらを伝えたら、起用タレントとの交渉も含めて、具体的なことは全て代理店が行うはずだ。それとも、提示されたタレントが上のお眼鏡に敵わなかったのだろうか。

「一応。広報も仕事のうちではあるんですが。今回は、広告代理店を使わずに自社主導でCM製作を進めていて。それで」

「そうなんですか?」

 大崎は少々驚く。CMを作成するのに必ず広告代理店を通さないといけないわけではもちろんないが、タレントとの出演交渉や撮影カメラマンの決定、スタジオの確保、あるいはロケ場所の選定。そんなことを全て自社でするのは結構大変だ。だからこそ、代理店なる業種が繁盛するのである。

「ああ、そうだ。ここでお会いしたのも何かの縁です。顔の広い大崎さんにもお力添えをいただけると大変ありがたいです」

 津田はそう言って、名刺を一枚取り出す。

「新商品を売り出すためのCMなんですけど、『フレッシュ感、凛とした雰囲気、控えめだけどどことなく普通じゃない感じがする』若者を起用したいんです。まだ全くの無名の新人というぐらい世間に顔が売れてない方が理想です。もし、該当するような方がいたらご連絡いただけると助かります」

 津田の説明を聞きながら、大崎の頭に真っ先に尚人が浮かぶ。

(いや、でも。ねぇ。勝手に名前出せないわよね?)

 それでも大崎の中で何かがくすぐられた。

「わかりました。もし、良さげな子がいたら連絡しますね」

「ありがとうございます」

「ところで津田さん。『控えめだけどどことなく普通じゃない感じがする』若者をお探しなら、東大キャンパスとか覗いてみたらどうです? 彼らって、一見どこにでもいる学生ですけど、最高学府に通っている学生ですよ。それだけで普通じゃないでしょ?」

「え? あ、まぁ……」

 冗談のつもりなのか本気なのかと、大崎の本心を図りかねたように戸惑いの表情を浮かべる津田ににっこり微笑んで、大崎は津田と別れたのだった。

 

 

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