『ミズガルズ』十周年記念DVD BOXの発売予約が開始されるや予約特典に関する話題でファン交流サイトは派手な盛り上がりを見せた。
––––予約特典動画マジやばい!
––––メンバーがカメラ目線で終始笑顔だからもてなされる感ハンパない!
––––メンバーとカメラとの距離が近いんだよね。それがたまらない。
––––アキラなんか特に、このままキスされちゃう? って思うくらい近づいてくるし?
––––中華屋でのご飯シーンが一番好き。あーんってして食べさせてるところ。
––––私も好き。何回も見ちゃう。
––––ウェアラブル・カメラで撮ってるっぽいけど、一体誰にカメラつけて撮ったんだろう。
––––そこ、気になる。メンバー全員、ガチで楽しんでる感じだしね。
––––女子だったらやだなって思ったけど、ドラム叩かせるシーンで一瞬映った手、男の子だよね?
––––私も男子だと思う。スタジオに入った直後のシーンでガラスに一瞬姿が映るんだよね。
––––そこ私も気づいた! 結構ほっそりした体型だけど、確かに男の子。
––––え、見逃してた! 今から見直す!
––––私勝手に、突発ライブの時『MASAKI』の隣に座ってた子だと思ってた。
––––私もそうかなって思ってた。
––––よかった、私だけがしてる妄想じゃなかった!
––––私も、もしかして〜と思ってた。
––––あの時『MASAKI』の笑顔とろけてたもんね。メンバーだってメロメロかも。
––––ガチファンで有名だし。メンバーが撮影協力依頼してもおかしくないし?
––––あの子なら、メンバーとあの距離でも許す!
––––ってか、あの子ならむしろ顔出しして欲しい。
––––それは無理じゃ? 『MASAKI』の許可が下りないって。
––––それもそうかぁ。
コアなファンの視点はもはや別次元へ移行しつつある感じで。書き込みをチェックした『ミズガルズ』メンバーは誰もが苦笑せざるを得なかった。何にせよ、予約特典のオマケ動画は評判上々で、買えばいつでも見られる『MASAKI』出演の特典PVよりも、期間限定でしかアクセスできないオマケ動画の方が貴重だとするネット書き込みもあり、その効果か、『ミズガルズ』の結成十周年記念DVD BOXは新曲を収録するわけでもないのに業界関係者たちを驚かせる予約数を叩き出した。それと合わせて「オマケ動画もDVD BOXに正式につけて欲しい」という要望が事務所に殺到し、事務所幹部達の頭を大いに悩ませたのだった。
* * *
青山の一等地にあるフォト・スタジオ。軽快な音楽が流れるその一画で、雅紀はグラビア撮影を行っていた。
視線はあっち。
今度はこっち。
にっこり笑顔で。
カメラマンは指示を出しながらシャッターを切り続ける。
「次は、俺様的なオーラお願いしまーす」
時々意味不明な言葉が挟まるが、何一つ文句を言うわけでもなく雅紀はポーズを取り続ける。そして、
「はーい、お疲れさまぁ。今日は、これでラストでーす」
アシスタントの声が響くと、ようやく今日の仕事が終了した。
「どうも『MASAKI』さん。お疲れさまでした」
今まで何度か組んだことがあるスタイリストが駆け寄ってきて、雅紀の肩から上着を脱がせる。セットから降りると、いつもならそのまま着替えのために更衣ブースへ向かうのだが、出入り口ドアのそばに加々美の姿を見つけた雅紀は歩み寄って挨拶をした。
「ご無沙汰してます。加々美さん」
きっちり腰を折って挨拶する。プライベードでどれほど親密であっても、そこは大事な一線だ。
おう、と加々美が軽く手をあげて答える。
そんなさりげない仕草さえ、帝王の貫禄たっぷりだ。
「メシ誘いに来た」
「しばらくは俺なんかに構ってる暇はないのかと思ってましたが?」
「嫌味か」
「まさか。そんなわけないじゃないですか」
「ほんとかよ。で、このあと時間は?」
「もちろん。ありますよ」
雅紀が答えると、加々美は口の端に笑みを乗せた。
「ンじゃ、下の駐車場で待ってるからな。さっさと降りて来いよ」
ヒラヒラと手を振って加々美はさっさと姿を消す。帰り支度を済ませて、雅紀はその後を追った。
加々美の車に同乗し着いた先はいつもの『真砂』だった。これまたいつもの奥の座敷に通されて、とりあえずビールで乾杯する。
「とりあえず、お疲れさん」
おそらくは先週雅紀がミラノ・コレクションへ参加してきたことに対する労いの言葉だろう。ミラノ・コレクションは世界四大コレクションの一つで、それに参加できたことはモデルとして一つステップアップしたことを意味する。
「どうだったミラノは?」
「はやり、熱気が違いましたね。色々勉強になりました」
「びっくりするくらいタイトなスケジュールだっただろう?」
「ええ。聞いてはいましたが。着いてすぐにフィッテングして、キャスティングして。ランウェイを一回歩いて。その間にモデルの数がどんどん減っていって。シビアな世界だなって再認識しました。でも、モデル同士は思いのほか和気あいあいで。次どこどこでオーディションがあるとか。ここの事務所がこんな募集かけてるとか。世界中の情報を交換しあっていて。モデルたちの視野が広いというのがよくわかりました」
「いい経験になったみたいだな」
加々美が笑う。
雅紀はビールをグイッと煽った。
「……で、加々美さんはその間、ナオと二人で楽しくディナーを楽しんでたみたいですね」
出張中のおやすみコールは定番。尚人が大学生になったタイミングで尚人の使うPCを一新しスカイプができるようにしたので、今では顔を見ながら話をすることができる。声だけよりも顔が見えた方が断然いい。便利な世の中になったものだとつくづく思う。
その定番のおやすみコールで、加々美にディナーに誘われたことを聞いた。加々美は尚人の
「イタリアから帰ってきてすぐに、ナオが店の雰囲気から出てきた料理まで、キラッキラの目をして、そりゃあもう楽しげに報告してくれましたよ」
楽しそうな尚人を見るのは嬉しい。今まで知らなかった世界に触れて、驚いたり喜んだりしている尚人の姿はそれだけでかわいい。
とはいえ、それをもたらしているのが自分以外の男だと思えば、どうしたって嫉妬心が刺激される。
(加々美さんばっかり、ずるいよな)
どうしたって、そう思ってしまう。
「ディナーって。連れて行ったのうなぎ割烹だぜ」
「コース料理だったってナオが言ってましたけど?」
「そりゃあ、お前。尚人君にはうまいもの色々食わせたくなるだろう? 湯引きとか天ぷらとか、初めて食べたって言いながらすっごい感動して食べてるの見るとさ。今度は何食わせてやろうかなぁって、考えるのがまた楽しくなるし」
(それだけ聞くと、まるでデートみたいじゃないかよ)
雅紀はますます心の中で拗ねる。
「で、その時尚人君から、大学生活も慣れてきたし、そろそろアルバイトをしてみたいって相談があって」
「アルバイト?」
「そ、学生アルバイト。周りの友人達がコンビニとか飲食店とか家庭教師とか。そんな学生らしいアルバイトをして自分の小遣いやら生活費の一部やらを賄っているのを見ると、自分も
「学生の本分は勉強なんだから、必要に迫られない限りそんなことする必要ないと思いますけど?」
雅紀はひっそりと眉を寄せた。
小遣いが足りないならいくらでも渡してやる。という思いもありはするが。平日授業後のアルバイトであれば帰宅はどうしたって夜遅くなる。その点が雅紀的にひっかかる。真っ暗な中、尚人が深夜一人歩いて帰ってくるなんて、どんな危険があるかわかったものじゃない。それに、アルバイトが仮に週二日とか三日とかその程度だとしても、今でも帰宅後毎日机向かって予習復習を欠かさない尚人が遅い帰宅後にそれをするのでは身体的負担が大き過ぎる。それを考えれば、無理をしてまでアルバイトをする必要などない、と雅紀は思う。
しかし、尚人がいろんなことを経験したいと思っているのは知っていて、アルバイトもその一環であろうという想像はする。だが、じゃあ土日昼間なら、なんて話になってしまうと、今度は尚人とゆっくり過ごせる週末がなくなってしまう。これまた雅紀的に認めるわけにはいかなかった。
「尚人君は、学生の本分は学業だっていうのは重々わかっているさ」
加々美はアスパラの天ぷらを口に運んでから若干の上目遣いで雅紀を見た。
「当然ながら、お前に学費を出してもらっている以上、本分を疎かにはできないって思いも強く持っている。だけど、自分で金を稼ぎたいって思いも強くあって。その根底にあるのが、お前がした苦労の一端でもきちんと理解したいって思いだな。お前に感謝はしていても、自分で稼いだことがないから稼ぐ苦労というのは結局想像でしかないって。そのことがどうにも心に引っかかってるって感じだ」
雅紀は一つ息をつく。
確かに金の苦労は散々した。
あの男が突然家を出ていき、あろうことか一円だって家に金を入れないという暴挙に出ると、篠宮家の生活費はたちまちのうちに底をついた。専業主婦だった母はパートで働き始めたものの慣れない仕事で体を壊し、心身ともに疲弊してしだいに精神も病んだ。そんな状況の中、当時高校生だった雅紀の直面した問題はどうやって金を稼ぐかだった。
いろんなアルバイトを掛け持ちし、夜間のアルバイトでくたくたになって授業中に爆睡することも多々あった。しかし、その時にはすでに成績なんて二の次三の次で。卒業に必要な出席日数を確保できればそれでいいという思いになっていた。本当は、卒業さえどうでも良くて、中退して働こうとも思ったのだ。しかしそれは、友人や担任らに止められた。できることは協力するから一緒に卒業しよう。そう言ってくれた友人たちは、割のいいアルバイトを紹介してくれたり、学校が禁止している夜間のアルバイトを認めてくれるよう先生たちに掛け合ってくれたり。本当に色々助けてくれた。
なんで俺ばっかりこんな目に。そんなふうには思わなかった。幼い弟たちをなんとかしないと。雅紀の中にあったのはその思いだけだった。
家族がいたから踏ん張れた。それが雅紀の思いだ。
しかし尚人は、篠宮家の家庭事情の一番の犠牲者は雅紀だと、そう思っているのだろう。だが、雅紀は金を稼ぐことに集中するその一方で、家のことは全て尚人に押し付けた。家事のことも引きこもりを続ける祐太のことも。ねぎらいや気遣いさえ見せず。
尚人が金を稼ぐ苦労を本当の意味で知らないというのなら、雅紀は一人黙々と家を整え続ける苦労を本当の意味で知らない。しかし、役割分担をしたのだと。そう思えばいいと雅紀は思っている。だから、金を稼いできた俺に感謝しろだなんて、そんなことはこれっぽっちも思わない。––––だが、少しでも雅紀のことを理解したい。そう思う尚人の気持ちは素直に嬉しい。
とはいえ––––。
「しなくて済む苦労なら、わざわざすることないと思いますけど」
雅紀がぼそりと呟くと、加々美が小さく苦笑した。
「若い時の苦労は買ってでもしろっていうのが先人の言葉だがな」
「ナオはもう十分苦労したからいいんです」
雅紀が言い切ると、加々美はやんわり笑った。そのままビールを口に運ぶ。
「ま、お前の気持ちも察するが。俺は、尚人君がしたいことをサポートするのが役目だからな」
「なら、最初から。俺の意見なんて無意味じゃないですか」
「すねるなよ。当然保護者の意向は尊重する」
「でも、ナオがやりたいっていうなら、加々美さんは手助けするんでしょ?」
「尚人君が本気でそれを望んでいるならな。それはお前だって、同じだろう?」
ニヤリと笑う。そんな見透かされてる感に雅紀は思わず眉を寄せた。すると加々美がぷっと笑う。
「お前、ほんっと、普段は可愛げがないくらいのポーカーフェイスのくせに。尚人君のことになると感情だだ漏れだな」
それは仕方ない。だって、尚人は雅紀にとって何者にも代えがたい掌中の珠で、決して失えない、何よりも大切なものなのだから。余計な見栄を張ったり、格好つけたりする余裕なんてない。
「で、結局のところ。ナオに何かアルバイトさせるんですか?」
「正直、金を稼ぐだけが目的なら、尚人君を使いたいってうるさい『ヴァンス』のオファーを受ければ、一般的なアルバイトの何倍も稼ぎはするが」
まあ、それはそうだろうが。それだけは雅紀的に受け入れがたい。もはやこれは条件反射的嫌悪だ。
「とりあえず考えとくって答えてる。候補はいくつかあるんだが––––」
雅紀が目で問う。
「何事も徐々にってのがセオリーだ。まずは、授業が早く終わるって聞いてる木曜週一からだな」
もったいつけるように、加々美はそれ以上のことは教えてくれなかった。