「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく) 13

「あれ、ひょっとして津田じゃないか?」

 帰宅で駅へと向かっている道中、信号待ちで足を止めたタイミングで津田は声をかけられた。梅雨明けはまだだが日中の暑さはすっかり夏で。アスファルトの溜め込んだ熱が日没後もまだ残る人混みの中。声のした方に反射的に視線を向け、そこにいた人物を認めて津田は軽く目を見開いた。

「唐木じゃないか! ひさしぶり!」

 大学の同期の唐木だった。

「こんなところで会うなんて。何年ぶりだ?」

 驚きをそのまま口にする。懐かしさから口元が緩んで、自然と笑みがこぼれ落ちた。

「一回同期会やった時以来かな」

 記憶にあるよりも落ち着いた雰囲気の唐木の言葉に津田も記憶をたぐり寄せ、そうだ、そうだったと思い出す。四、五年前のことだ。

「今帰りか?」

「ああ」

「いつもこの駅?」

「いや、今日は出先からの直帰で」

「そうなんだ。じゃあ、ここで会ったのも何かの縁だな。時間あるなら、軽く一杯どうだ?」

 唐木の誘いを快諾し、二人はそのまま近くの居酒屋へ移動した。

 

 

 

「学生時代って、一年がめちゃくちゃ長かったのに、社会人になると年単位での時間の経過があっという間だよな」

 席に通されて出されたお絞りで手を(ぬぐ)い、ひと通り注文が終わったところで津田は呟く。学生時代の思い出は鮮明だが、それが十年以上も前の話だと思えば時間の経過が恐ろしくすらある。

「『ジャネーの法則』ってやつだな」

「何だそれ」

「まんま、年を取るに従って時間の経過が早く感じられる心理現象のことだよ。一年って時間の長さが、五十歳の人間には五十分の一でも、五歳の子供にとっては五分の一だろ? 人生経験によって一年っていう時間の相対的な長さが小さくなることで時間の経過が早く感じるようになるらしい」

「要約すると、年取ったってことか?」

「お互い様だ」

 二人は互いに顔を見合わせて笑うと、出てきたビールで乾杯した。

「ところでお前まだ『リゾルト』に勤めてるのか?」

「ああ、何とかな」

 唐木の質問に津田は小さく肩を(すく)めた。津田の『リゾルト』への熱は、あの当時交流のあった友人たちは皆知っている。何せ津田はことあるごとに『リゾルト』愛を語り、『リゾルト』への就職希望を口にしていた。それは時にうざがられるほどだった。

「よかった。お前のとこ、去年結構大規模な社内改革をしたって噂聞いてさ。お前、大丈夫だったかなって心配してたんだ」

「首切られたんじゃないかって?」

「……まあ。そういうのは、このご時世、どこにでもある話だろう?」

「まあな。実際、上司も同僚も、何人かいなくなったし。……みんな、仕事熱心だったんだけどな」

「そうか。既に終身雇用なんて時代じゃなくなっちゃいるが。積極的な転職と解雇じゃ、全然違うよな」

「そういえば、解雇になるくらいなら自分から辞めるって言って、本当に辞めた奴もいたな。まあ、そいつはもともとベンチャー企業立ち上げる夢があったみたいだけど」

「会社都合ばっかり聞いてられるかって、ある意味意地だな。その気持ち、分からなくもない。––––実は俺も、転職組だしな」

「え、そうなのか?」

「ああ。でも、俺が転職した理由は––––––––––––……。半分くらいは、お前が理由か」

 唐木はそう言ってからりと笑う。

「え? 俺?」

「一回同期会で集まった時にさ。みんな自分の仕事に誇りを持ってる感じで。キラキラして見えてさ。特にお前なんて、ずっと『リゾルト』『リゾルト』煩くて。そのまんま、そこに就職した、いわゆる『勝ち組』だろ?」

「俺って、勝ち組なのか?」

「ああ、希望通り就職できて。仕事が楽しくって仕方ないなんて、リーマンの『勝ち組』だろ。そんな姿見せつけられたら、給料は安定してても何の成長も望めない当時の職場に嫌気がさしてさ。俺のしたかったことって何だったけって、もう一回考え直して。一念発起して、今の会社に入り直したんだ」

「そうだったのか。でも、転職ってそんな簡単にはいかないだろう?」

「もちろん、いろいろリサーチしたし、自己研鑽のための勉強もしたさ。本当に大丈夫かって不安があったのは事実だけど。お前みたいに仕事を楽しんでいる奴らへの憧れが強かったし、何よりまだ身軽な独り身だったしな。家族を養わなきゃってのがあったら、やっぱり安定した給料って簡単には手放せないし」

「若い頃の勢いって大事だったって、今振り返るとつくづく思うことはあるな」

「お前は勢いだけで突っ走ってるところあったしな」

「それだけが取り柄だったんだよ」

 いっそサバサバした気持ちでそう言えるのは、青春時代を共に過ごした大学の同期だからこそだ。

「今の職場には慣れたのか?」

「まあ、ぼちぼちかな。でも、毎日楽しいぜ。周りの同僚みんな意識が高くってさ。自己研鑽とか情報収集とかに貪欲で。同じビルに入ってる会社の有志で社会人サークルまで作っててさ。俺もそこに入れてもらったんだ」

「へぇ。社会人サークルって、何やってんだ?」

「英会話での情報交換」

「ひぇー、お前、そんなことしてんのかよ」

 津田は驚いて唐木を見やる。津田も仕事柄英語が必要な場面はあるが、学生時代に培った片言英語で何とか凌いでいる。大事な商談の席では通訳だのみだ。

「英語力の向上と情報交換を一緒にやってしまおうっていう趣旨の活動で。なおかつ、同じビルに入っている社員同士の顔つなぎの意味合いもあるかな。外資系の会社が多く入ってるビルでさ。外国人スタッフも多いし。俺の勤め先は総合商社なんだけど、海外との取引も多いしさ。英語が喋れないと仕事にならないんだけど、語学って普段から使ってないと鈍るだろう? とっさに言葉が出てこないっていうか」

「ああ、まぁ、そうだな」

 頷きながら、津田は唐木のバイタリティに感服する。津田も自分にもう少し英語力があればと思う場面に時々遭遇しながらも、自分の英語力をもっと鍛えようなんて発想にはならなかった。

「そのサークル活動って、どっかにわざわざ集まるのか?」

「ビル内にある喫茶店で、木曜の仕事終わりに一時間程度、コーヒー飲みながらやるんだ。だから、サークル活動費はコーヒー一杯分だな。それで、英会話の向上と情報交換ができるんだからコスパいいだろう?」

「仕事終わりにコーヒー飲みながら英語で情報交換って。何か、カッコよすぎだろ。海外ドラマかって感じ?」

 津田は呟いて、それからひとつ息をつく。

「唐木がそんなに頑張ってるって聞いたら、時には諦めるってことも大事だよなって誤魔化そうとしてた自分が恥ずかしくなるな」

「お前でもそんなことがあるのか。『リゾルト(会社)』のためなら命張れるって感じだったお前が」

「その思いは今でもあるけど。……どんなに探しても、見つからなくてさぁ。ってかもう、どこ探したら見つかるんだって感じ? いや、そもそもこの世に存在するのかって。そのレベル?」

「なんだ、探し物か? だったら協力しようか? 俺、探し物は結構強いぜ?」

「まじ?」

「ああ。 ––––で、何探してんだ?」

「……… 人」

「人?」

「CM起用の若者」

「CM?」

 キョトンとする唐木に、津田は斎木にしたような話を赤裸々に話す。学生時代の友人。その関係性が酒の勢いも手伝って津田の口を何時もにないほど軽くしていた。

 

 

 * * *

 

 

 ––––一人、心当たりがある。

 酒と懐かしさと自己反省の気持ちからすっかり思いの丈を吐き出した津田に対し、唐木は存外に真面目な顔でそう言った。

 ––––実際に津田が見てどう思うかはわからないけどさ。今津田が言ったイメージにぴったりだなって思う。

 唐木のその一言に、津田の酔いは一気に吹き飛んだ。さすが唐木。探し物に強いと豪語するだけはある。持つべきものはやっぱり友だ。

 ––––さっき言ったサークル活動の場所になってるビル内の喫茶店に、最近入ったアルバイトの学生がいて。その学生がまさに津田のイメージそのものって感じ。飛び抜けたイケメンとかそんなんじゃないんだけど、整った綺麗な顔してて。良家のお坊ちゃんって感じだけど、物腰柔らかくて接客態度抜群に良くて。ある意味普通の学生なんだけど、なんて言えばいいのかな。纏ってる空気感は穏やかなんだけど、なぜか視線が引き寄せられる感じで。しかも、びっくりするぐらい英語がペラペラなんだ。

 最後は正直どうでもいい情報だったが、要約すると、一見普通っぽいのに普通じゃない感じがするのだという。その学生のシフトを知るわけではないが、サークル活動がある木曜は必ずいると唐木は言った。

 その情報をもとに、藁にもすがる思いで津田は早速次の木曜にその喫茶店を訪れた。

 大きなオフィスビルの二階。誰でも利用可能だと聞いてはいたが、エントランスホールから吹き抜けになっている大階段を上がった先にあるその喫茶店を利用するのは少々の勇気がいった。何しろビルに入ってすぐに総合受付があって、綺麗な受付嬢が来訪目的を訪ねるようなビルである。

「二階にある喫茶店を利用したいんですけど?」

 正直に言えば、受付嬢はにっこり笑顔を崩さないまま、正面の吹き抜け階段かエレベーターをご利用くださいと丁寧に案内してくれた。

(唐木って、こんなおしゃれなオフィスビルで働いてるのかよ)

 津田はドキドキしたまま階段を登って二階へ向かう。この階段だってドラマで使われそうな階段だ。

 階段を上り切ると目的の喫茶店はすぐに分かった。『カフェ・スペース・アコード』と書かれた看板が小さなイーゼルに掛けて置いてある。ビル内の喫茶店ながら高級ホテルのラウンジのような雰囲気だった。

「いらっしゃいませ」

 これまた熟練のホテルマンのような品の良いスタッフが津田を出迎える。

「お一人様でいらっしゃいますか?」

 問われて頷く。

「カウンターとテーブル席、どちらがよろしいですか? 今日は天気が良いので、テラス席もおすすめですが?」

「テーブル席で」

「かしこまりました」

 男性はにこやかに答えて、津田を席に案内する。

「お決まりになりましたら、お呼びください」

 そう言ってメニュー表を席に置くと、男性はいったん離れていった。

 津田はメニューを手に取って人がまばらな店内を見回す。津田を席に案内してくれた男性の他は、カウンター内に二人。いずれも唐木が言っていた学生アルバイトではなさそうだ。その他は、今他のテーブルで注文を取っている若めの男性の姿があるが、こちらに背を向けているため顔はよく見えない。

(彼かな)

 津田は、メニューを選んでいるフリをしながら、ちらちらとその男性スタッフに視線を向ける。

 背中だけ見て、只者ではないな……なんて感じは一切ない。

(ホットコーヒーで八百円か。結構いい値段するな)

 それでもホテルラウンジよりはリーズナブルだ。商談でここを使えるメリットは大きだろう。

 メニュー表を見ながら、津田は男性スタッフが注文を取り終えてこちらを向くタイミングを待つ。しかし女性二人連れの客は、メニュー表を指差しながらいちいち何かをスタッフに尋ねていて、ちっとも注文が終わらない。

 じりじりとした気持ちを押さえて津田はその時を待つ。数分が経過してようやく女性客がパタンとメニュー表を閉じた。男性スタッフが手元の伝票にオーダーを書きつけて、メニュー表を下げる。そして一礼して踵を返した。

 その瞬間を津田は息を呑んで迎える。

 男性の顔がはっきりと視界に入った。

 瞬間––––。

(いやぁ……。ぜんっぜん、違う)

 津田は大きなため息を吐き出した。

 キリッとした爽やかイケメンではあるが。津田のイメージではない。

(唐木〜、期待させすぎなんだよぉー)

 ボヤいたって仕方ない、と分かっていても、ドキドキとした期待感と慣れない場所へ乗り込んできた緊張感から張っていた気が一気に緩んで。津田は心の中で叫ばずにはいられなかった。

(まぁ、でも。現実ってこんなもんだよなぁ)

 店員を呼んでホットコーヒーを注文する。注文を取りに来たのは、今までバックヤードにでもいたのか、初めて津田の視界に入る女性スタッフだった。十分ほどの時間を要して同じ女性スタッフがホットコーヒーを運んでくる。プロのバリスタが淹れるコーヒーは味わいは濃くても苦味は少ない。値段以上の満足感が得られる一杯だった。

(ま、美味いコーヒーが飲めただけで良しとするか)

 津田は自分を納得させる。いつも休憩で立ち寄るコーヒーショップも悪くはないが、チェーン店にはない至福の時間がここにはある。少し視野を広くして利用客の様子を眺めれば、紳士淑女の(たしな)みを備えた本物の大人達が(つど)っている感じがした。その雰囲気に津田の背筋も自然と伸びる。

(たまにはこんなところでコーヒー飲むのも悪くないな)

 津田はそれを今日の収穫とした。

 

 

 * * *

 

 

 勤務時間を定時で終えて、唐木はビル二階のカフェ・スペースへと向かった。毎週木曜のサークル活動。唐木にとっては自己研鑽のつもりでいたが、近頃は癒しの時間にもなっている。

 近頃入ったアルバイトの学生。最初に見かけた日がバイト初日だったようで、その日こそは前園にくっついて歩いてるばかりだったが、翌週には木曜会メンバーの担当に就任していたようで、席の案内からオーダー取りまで全て彼が担当だった。メンバーがまだ誰も来ていない時間に行くと、席へ通された後のちょっとした時間に雑談に付き合ってくれて、唐木はそれが楽しくて少し早めに行くようになった。木曜会の活動時間ははっきり決まっているわけではないが、概ね五時半から六時半の一時間程度。だから、五時きっちりの定時で仕事を終えてカフェ・スペースへ行くと、メンバーが揃うまでのわずかな時間に雑談できるチャンスが生まれるのだ。先週は、高校生の時に参加したと言っていた即興英語ディベート大会の話を聞いた。高校生を対象にそんな大会が開かれているなんて知らなくて、唐木は感心しきりだった。なにより、大会で実際に出されたテーマを聞いて「そんな内容を高校生が英語でディベートするのか?」というのが驚きだった。しかも即興で。そんなことできる高校生は帰国子女とか、そういう特殊な背景を持つごくごく一部だろうという先入観があったが、彼と一緒に参加したチームのメンバーは全員海外の留学経験などなく、高校の部活動で英語力を鍛えたのだと言っていた。

 今時の高校生って、それが普通なのか?

 少なくとも唐木が高校生だった二十年近く前は英語をペラペラ話せる同級生なんて周りにはいなかった。一番喋れる奴でも、頭の中で言語を必死に変換しながら喋ってる感じのたどたどしさがあった。それでも、英語で意思疎通ができさえすれば「あいつスゲー」という感じだったのだ。

〔興味があるなら一度観覧されてみてはどうですか。全国大会の決勝リーグは一般客も会場に入れますし、ネットでライブ配信もしますから〕

 そんな情報を教えてくれた。

 ちなみにアルバイトの「篠宮君」は、昨年の優勝チームのメンバーらしい。優勝するにはこれくらいペラペラじゃなきゃだめなんだろうなと納得した。

(さて、今日は何について話を聞こうかな)

 そんなことを思いながらカフェ・スペースへ到着すると、前園がいつもの如くにこやかに出迎えてくれた。

〔いらっしゃいませ。唐木様〕

〔やあ、前園さん。こんにちは〕

 挨拶を交わし、唐木は前園の後ろに近頃定番となっている「篠宮君」の姿がないことに気づく。

〔あれ、今日は篠宮君休み?〕

 問うと前園が笑みを崩さずに頷いた。

〔ええ。そうなんです。大学が試験期間に入りまして。それでお休みです〕

〔ああ、そうなんだ〕

 試験期間、という懐かしい響きに唐木は自分の学生時代を思い出す。日頃の授業は適当に受けていても試験だけはきっちりこなさないとけないのが大学生だ。テストの出来が悪くて「不可」の評価を受ければ単位を落とす。それが必修なら翌年再履修しないといけないし、落とした単位が多くて進級単位を満たさなければ留年となる。大学生にとって定期考査は非常に重要で、ゆえにその間アルバイトのシフトから外れるのもよくある話だ。

〔それは残念〕

 答えてふと思い出す。

(そういえば、今日津田が来るって言ってなかったっけ?)

 しかし店内を見回しても津田の姿はない。

(篠宮君が見つからなくて、帰ったかな)

 タイミングが悪かったなと思う一方で、津田がその気なら何度も足を運ぶだろうとも思う。一度で諦めるかどうかは津田次第だ。それによくよく考えたら、「篠宮君」の意向も確かめもせずに勝手に紹介するような行為は良くなかったかもしれないと津田は反省していた。久々に再会した嬉しさに酒の力が加わって、友人の力になりたいという思いが先行してしまったが、「篠宮君」にとっては迷惑な話かもしれないのだ。それを思えばこれ以上のお節介は無用だろうと、唐木はこの件で津田に連絡するのはやめておいた。

 

 

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