「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく) 14

「あれ? 今日、篠宮君休み?」

 それは、唐木がカフェ・スペースに顔を出す少し前のこと。新規の客が津田の近くの席に通された時だった。常連らしい女性客とスタッフの会話が津田の耳に入る。

「そうなんです。大学が試験期間に入りまして」

「そうなんだぁ。篠宮君の顔見て癒されようと思って来たのに。残念すぎる」

 女性客が心底残念そうな声を出す。津田はコーヒーを飲む手を止めて視線をあげるとその女性客をチラリと見やった。

 ––––篠宮君。

 口の中で呟く。この店に来て、すでに何度か耳にした名前だ。

 ––––あれ、篠宮君休み?

 ––––え、篠宮君今日いないの?

 ––––うそー、篠宮君休みなのぉ。

 誰もが残念そうに。彼の顔を見るために立ち寄ったのだと言わんばかりに。

 どうやらいつもなら今日いるはずのアルバイトスタッフの名前らしい。名前を聞きそびれていたが、おそらくは唐木が言っていたアルバイト学生と同一人物。

「でも、試験期間なら仕方ないかぁ。そっちが学生の本分だしねぇ」

「井出様も、すっかり篠宮君のファンですね」

「当たり前よー。あんな子、なかなかいないでしょ? 可愛くって素直で気が利いてて。癒し系なのに、どことなく大人の雰囲気で。 少し話しただけで頭いい子なんだろうなって感じるんだけど、押し付けがましさは全くなくて。最近テレビで見る顔が綺麗なだけの男性アイドルなんて束になってかかっても勝負にならないって感じ。それにね、彼ってどっかミステリアスな感じもしない? 瞳にね不思議な引力があるのよ」

 女性の言葉に津田の耳は自然ダンボになる。

 可愛くて素直で気が利いてて?

 癒し系なのに、大人の雰囲気?

 それでいてミステリアス………

 ––––そんな大学生、本当に存在するのか?

 津田は半信半疑ながらも俄然興味が湧く。

「試験っていつまで?」

「今月いっぱいのようです」

「じゃあ、来週も会えないかー」

(わたくし)はいつでもお待ちしておりますよ」

「仕方ない。しばらくは前園さんで我慢ね」

「篠宮君の代わりにはなりませんが」

「私、前園さんみたいな渋系男子も好きよ」

「ありがとうございます」

 常連の軽口を難なくいなす男性を津田はチラリと見やる。柔和な笑みを浮かべながら接客するその男性の横顔には、その柔和さとは裏腹に「篠宮君」のプライベートナンバーを教えてくれと頼んだところで教えてくれなさそうな厳格さが潜んで見えた。

 

 

 * * *

 

 

 定期考査の二週間を乗り切ると、大学生は約二ヶ月間の夏休みに入る。高校までとは違う、思う存分自由を満喫できる二ヶ月だ。まさに苦しみの先に待っている喜び。金曜の最後のテストが終わると教室内の空気は一気に開放感で満たされた。

「いやーーーーっとおわったぁぁ!」

 いつもクールな鷺原までもが歓声を上げる。尚人は思わずクスリと笑った。が、歓声を上げたくなる気持ちは共感できた。

 初めて受けた大学の定期考査。新入生の面倒を見る「上クラ」と呼ばれる一年上の先輩達から何かとレクチャーを受けてはいたものの。

 ––––テストって、授業内容の理解度を図るためのものじゃないの?

 高校までの「常識」は見事に打ち砕かれた。

 難問奇問の目白押し。

 ある授業のテストは、テキスト、ノート、タブレット、何を持ち込んでもよかった。ならばテストで試されるのは暗記能力ではなく情報活用能力。そんな気持ちで望めば出てきた問題はまさかの。

『授業中教師がした雑談を三つあげ、それに対する感想を述べよ』

 しかもそんな設問をしたのはまさかの雑談好きの教授で。毎回授業の半分は雑談だった。

 ––––本当になんでもいいのか?

 ––––それとも、どの雑談をチョイスするかで評価が分かれるのか?

 大学の定期考査の洗礼を受けた学生達はひたすら迷う。ここでチョイスする「雑談」とそれに対する感想でいかに授業内容に絡ませられるかが必要なのか、と深読みしたりもして。テストの結果は後々の「進路振り分け」に影響するので、「不可」でさえなければいいなんて考えには到底なれず。それでかえってドツボにハマり、テスト後に青ざめた顔をした学生も一人や二人ではなかった。

「篠宮、テストの出来どうだった?」

「うーん、まぁまぁかな。……落としてはないと思いたいけど」

 大学の成績の付け方は、上から優・良・可・不可。ちなみに不可は、単位をもらえない「落単」であることを意味する。それが必修科目であれば来年再履修しなければならない。進級に必要な単位数さえ満たせば一応進級はできても、逃げることが許されないのが必修科目だ。

「話は後で。とりあえずちゃっちゃと移動しようぜ」

 安藤が話に割って入る。このあと、お疲れ様会兼テスト検証会という名の打ち上げが予定されているのだ。クラスのムードメーカー的安藤がひと月程前に提案して決定していた事項で、三十人弱ほどのクラスメイトのほとんどが参加することになっている。

「予約してる店って〇〇駅のそばだっけ?」

「そうそう。電車で移動すれば二十分も掛からないくらいかな」

「3キロくらいだろ? 俺走っていくから」

 クラスメイトの一人がさらりと口にする。

「は? まじ?」

「汗かいたほうがビールうまいだろ」

「あ、じゃあ俺もそうしようかな」

 ちなみにクラスメイトの半分ほどは浪人経験者で、彼らはすでに成人している。同期で年齢入り乱れるのは大学では当たり前。一歳の年齢違いが大きかった高校までとはまるで違う世界だ。

「じゃ、電車移動のやつは一緒いこーぜー」

 安藤の声かけに、皆がゾロゾロと移動を開始した。尚人もその集団にくっついていく。着いた先は鉄板焼き屋で、狭い階段を上がった先の座敷席に鉄板のはまった机が並んでいた。今日は二階席は貸切なのだと言う。

 外食と言ったらファミレスか高級レストランか、という両極端しか知らない尚人にとっては、店の作りから雰囲気から何もかもが新鮮だった。

「席くじ引いてねー」

 いつの間にそんなものを用意していたのか。女子が手荷物から袋を取り出して出入り口に陣取る。

「テキトーに座っちゃダメなのかよ」

「だめだめー。そんなことしたら安藤君と鷺原君が篠宮君の横がっちりキープしちゃうでしょ」

 女子のその一言に何人かが苦笑した。

「確かに」

「私たちだってたまには篠宮君と話したいし。だったらここは公平にくじ引きでしょ?」

 東大の女子学生比率はおおよそ二割。尚人達のクラスも六人しかいない。しかし、少数だからこそ女子の発言力は結構強かったりする。誰もが文句を言わずに大人しくくじを引いて席に着いた。

 

 

 

「では、我がクラス最年長の山本さんに乾杯の音頭をとっていただきたいと思います。山本さん、一言お願いします」

 全員の席に飲み物が配られて、幹事役の安藤が進行を務める。事前に打ち合わせなどしていなかったのか、指名された山本は、

「ええ、俺?」

 驚いた顔をしつつも立ち上がった。山本は四浪して合格した苦労人で、皆からは「兄貴」と慕われている。年齢は違っても入学年が同じなら同期だが、やはり年長者にはガチガチの高校生活しか知らない現役生にはない大人感がある。

「じゃあ、指名されたんで。僭越ながら」

 山本は、ごほんと一回わざとらしく咳払いを挟んだ。

「俺はストレートで大学に進学していれば既に卒業している年齢だ。周りからは何浪もして入る大学にこだわる必要があるのかと何度も言われた。しかし! 俺は合格して初めてわかった。俺は、このクラスに入るために四浪が必要だったんだと!」

「いいぞ兄貴!」

「その通りだ兄貴!」

「俺はこのクラスのみんなと一緒に卒業したい。どうか俺を一緒に卒業させてくれ!」

「大丈夫だ兄貴。このクラスには篠宮がいる!」

「そうだぞ兄貴。俺たちには篠宮がついている!」

 乾杯前からもう酔っ払ってるのかと何人かが呆れ顔をしたが、それでも盛り上がる場に満更でもなさそうだ。急に名前を出された尚人はびっくりするしかなかったが、周りの様子に「こういう集まりって、こういうノリなの?」と静かに受け入れるしかなかった。

「ALESAさえ攻略できたら俺たちに怖いものはない!」

「そうだ! そうだ!」

「篠宮、本当にありがとう! 乾杯!」

「かんぱーい」

 皆が手にしていたグラスを掲げて、近場の人たちとグラスを軽くぶつけあう。尚人もワタワタしながら手にしていた烏龍茶のグラスで乾杯した。直後にお好み焼きの食材が運ばれてくる。ボウルに入った材料を自分で混ぜて目の前の鉄板で焼くスタイルだ。尚人も一つボウルを受け取って丁寧に材料を混ぜ合わせると鉄板の上に丸く広げた。その流れで何気に隣に目をやると、隣に座っていた中里の手元がかなり残念なことになっている。ボウルからはキャベツやコーンといった具材が無残に飛び出し、卵もうまく混ざり切っていない。

「俺、しようか?」

 尚人が少々苦笑しながら言うと、中里は「おねがい」と素直にボウルを渡す。尚人はそれを受け取って材料を丁寧に混ぜ直すとそれも鉄板の上に丸く広げた。

 お好み焼きは祐太が好きで篠宮家では結構定番のメニューだ。土日のお昼によく作る。だから尚人がいつもの調子で、生地をひっくり返して焼けるのを待って、ソースを塗って鰹節や青のりを振って、皆が食べやすいように切り分けまでちゃっちゃとしてしまうと、同じテーブルに着いていたメンバーからなぜか歓声があがった。

「篠宮ってほんっと何でもさらっとこなしちゃうよな」

「まさかお好み焼きまで手際よくやっちゃうとは」

「やだな。ただ混ぜて焼いただけだよ」

 尚人は苦笑する。

「篠宮って一人暮らしだっけ?」

「ううん。実家暮らしだよ」

「家でもよく料理したりすんの?」

「まぁね」

「得意料理とかってある?」

 隣の席の中里が聞いてくる。数少ない女子の一人だ。

「うーん。いろいろ作りはするんだけど。得意と言われると……。唐揚げとハンバーグはよく作るかな」

「え、ハンバーグ作れるの?」

 本気で驚かれて尚人は苦笑する。尚人の家事スキルは必要に迫られて身についたもので、今更「料理ができるなんてすごい」と言われても困ってしまう。

「私一人暮らし始めてから何とか自炊しようって頑張ってたんだけど。料理って結構時間かかるでしょ? 買い物する時間も含めて。テスト期間中なんか特にその時間がもったいないって思っちゃって。ここ二週間はずっとコンビニ弁当とかカップメンとかで済ませちゃってるんだよね」

「家事って慣れないうちは大変だもんね」

 手際が悪くて晩ご飯を作るのに時間がかかったり。必要な食材が頭に入ってなくていざ作り始めたら足りない調味料があったり。掃除も自分の生活リズムに入り込むまでやたら負担に感じたり。随分と前のことだが尚人にもそんな時があった。

「篠宮さ、実家暮らしってことは都内?」

「ううん、都外だよ。通学は電車で片道一時間くらいかな」

「じゃ、毎日往復二時間移動? 時間の無駄じゃね?」

「うーん。電車の中で語学の勉強してるから時間の無駄って気はしてないかな。むしろ毎日二時間時間が確保されてるって感じ?」

「考え方の転換だな。さすが篠宮」

「まあ、でも今は良くてもさ。三年になって専門に分かれたらやっぱ毎日二時間の移動はきついんじゃ? 先輩達の話聞くとさ、とにかく時間が足りないらしいし」

「その辺は、文系と理系とで違う気もするけど。篠宮って文二だろ? やっぱり進路は経済学部狙い?」

「その辺はまだはっきりとは。入学時に学部を決めなくてもいいってことでこの大学にしたのもあるし」

「へぇ。なんか意外。篠宮って人生設計バッチリ決めてそうなのに」

「そんなことないよ。……それに、俺世間知らずで世の中のことほとんどわかってないし」

「それ言われちゃうと、俺だって世の中の何わかってんだって話にはなるけどさ」

「そんな大きな話じゃなくて。俺、高校まで本当に学校と家を往復するだけの生活で。どっかに出かけたりとかも、あんまりしたことなくて」

「ほとんどの高校生がそんなもんじゃない? 都内で遊び慣れてる高校生なんてほんの一部だって」

「ああ、安藤とかな」

「渋谷にある私立校出身だっけ?」

「あれ、なんか俺の噂してる?」

 背面の席にいた安藤が耳ざとく聞きつけて振り返る。ついでにちゃっかり飲み物を持参して尚人の目の前の席に割り込むように入り込んだ。

「お前って休みの日とか何してんの?」

「俺? テスト期間は家で真面目にベンキョーしてたぜ」

「暇な時とかさ。渋谷ぶらついたりするわけ?」

「うーん、まあ。服見に行ったりは渋谷が多いかな。最近は青山もよく行くけど」

「俺、服買いに行くのって怖いんだよな。ただ見てるだけなのに店員に声かけられたりしてさ。何お探しですかー? なんて聞かれても答えようないし」

「ただ見てるだけですって言えばいいじゃん」

「そんなこと言って大丈夫なのかよ」

「店員なんて毎日何百人も相手にしてんだから。見てるだけって言えば、そうですかってなるだろ」

「田舎から出てきた人間には難易度高すぎ」

「あと、試着も勇気いるよな。気になる服見つけて、ちょっと着てみたい気もするけど。全然自分に似合ってなかったら店員に内心笑われそうだし」

「でも、絶対店員はお似合いですよーって言うんだろ?」

「お前らショップ店員のことうがって見過ぎだろ」

「だから店員が声掛けしてくることがないユニクロとか安心して買い物できんだよな」

「田舎にもあって買い慣れてるし?」

「そうそう。妙な安心感」

「同じ価格帯でもっとファッショナブルないい店いっぱいあるのに。なんかもったいないな」

「お前に田舎者の気持ちがわかってたまるか」

「そうだ、そうだぁ」

「でも服で言えばさ。篠宮って結構お洒落度高いよな。今着てるシャツもさ、何気にオーダーシャツだろ? 合わせてるパンツはデザイナーズブランドだし」

「え、そうなのか? それわかる安藤もなんかスゲー」

 急に話題が自分に向けられて尚人は堪能していたお好み焼きを飲み込んだ。

「篠宮はさ。服どこで買ってんの?」

「……実は、兄に選んでもらってて」

「兄? 篠宮って兄貴いたんだ」

「うん」

「へぇ」

「兄がファッションに詳しくて。だから時々お店に連れて行ってくれて」

「そうなんだ。どのあたりの店?」

「……ごめん。東京の地理あんまり詳しくなくて」

 いつも連れ回されるばかりなので、尚人はショップに関することは何も把握していない。それに雅紀が出入りする店はどこもVIP対応で。一般客とは接触しない奥のスペースで接客を受けていた。ゆえに尚人は、一般の店舗スペースがどんな雰囲気なのか知らないままのショップも多い。

「じゃあさ、篠宮も一人で服買いに行ったことはないってことだよな」

「……そうだね」

「じゃあ、俺たちと同じレベルかもよ」

「そうかもね。一人で買いに行ったら、自分にどんなのが似合うのかすっごく悩みそうだし。ドキドキして店員さんに声なんてかけられないかも」

「あ、じゃあさ。今度みんなでショップ巡りしてみない? 俺が手頃なショップ案内してやるし」

「え、マジ。助かる、安藤」

「どう、篠宮?」

「うん。そうだね。……みんなで買い物体験するのも楽しいかも」

「じゃ、決まりな。いつにする?」

 安藤がさっそく皆のスケジュールを聞き出して日程調整を始める。明日からは夏休みで時間はたっぷりあるのが大学生だ。あれよあれよと言う間に週明けすぐの日程が決定した。

 

 

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