ジャケットの内ポケットに入れている携帯電話が鳴動したのは、高倉の執務室でいつもの如く勝手にコーヒーブレイクしている最中だった。携帯電話を取り出して表示を確認する。登録のない番号に加々美は一瞬迷って、通話ボタンを押した。
「もしもし。加々美です」
『リゾルトの津田と申します』
かしこまった声がした。営業に慣れた者の声だ。それでほんの少し加々美は身構える。
面識はない。一体何用だろうか。
という前に、
(何で俺の番号知ってんだ?)
それに対する警戒心が働いた。
「音響機器メーカーの?」
加々美が確認するように問いかけると、声音がわずかにほころんだ。
『はい。そうです。加々美さんにお知り置き頂いていたとは。大変光栄です』
電話越しにも笑顔が見えて、加々美は思わず苦笑する。
素直な男だな。
そんな印象を受けた。
「で? 俺に何の用だ? もし、仕事の話ならマネージャーを通してもらう必要があるが?」
加々美は業界として当然のことを口にする。そして、そのマネージャーが目の前にいるのだ。面倒くさい話なら、さっさと丸投げするに越したことはない。
モデルとしては昨今現場から遠のいている加々美だが、未だいろんな企業からCM出演のオファーが舞い込む。ゴシップとは無縁のメンズモデル界の帝王という世間に浸透したイメージは、企業にとってまだまだ魅力的だという証だ。
しかし、そうした仕事の話は基本会社を通してまずはマネージャーに話をもっていくのが筋。そんなことは常識中の常識なのだが。どこからどう番号を入手するのか。時々裏口から無理に入ろうとする輩がいないわけではない。個人的に話をした方が親密感が増して話が纏まりやすい、とでも思っているのだろうか。もちろんそういう図々しい輩は表に回らせてお断りだ。ついでにそんな奴の番号は永遠に着信拒否設定である。
しかし、次に耳元にこぼれ落ちて来た言葉は、加々美の想像とは違った。
『篠宮尚人さんの代理人を務めているとお聞きしました。それで、電話した次第です』
「……その話はどこから?」
『本人からです。……すみません。実は、代理人がいるとは知らずに声をかけてしまいまして。それで、篠宮さん本人から、仕事の依頼は加々美さんを通すようにと教えて頂きました』
加々美は刹那黙る。
尚人には、直接仕事の依頼をされたり、あるいは道端でスカウトされたりした時は、「自分には代理人がいる」とはっきり言うようにと言い含め、必要ならば相手に渡してもらって構わないと加々美の名刺をどっさり渡してあった。それがまさかすぐに必要になるとは。
そもそも尚人に自分の名刺を渡していたのは、『加々美蓮司』の名を見れば業界人なら大抵怯む。虫除け程度の効果はあるだろうと思ってのことだ。
つまり本気ならば怯まず自分に電話をして来る。そういうことだ。
にしても、こんなにすぐに誰かを引っ掛けて来るとは。その事実に加々美はひとつ息をつく。
(やっぱり尚人君って持ってるよなぁ)
そういう人を魅きつける力は天賦の才だ。身につけようと思って身につくものではない。愛されキャラ、とも違う。人を魅了する力だ。
「オファー内容は?」
『弊社のCMへの出演です』
その一言に加々美は表情を引き締めた。
* * *
『リゾルト』の津田から電話をもらった翌日、加々美は津田と会うことにした。CM出演とは当然世間に顔を売る行為。デビューさせるかどうかも未定の尚人の顔出しについては慎重を期さねばならず、まずは学業優先ということもあって「検討するのも時期尚早」との思いはあったが、津田の熱意に押されて「とにかく聞くだけは聞く」ことになったのだ。
断るのは話を聞いた後でもできる。
正直、そんな気分だった。
都内の某ホテルラウンジ。約束の時間に加々美が顔を出すと、津田は先に来て待っていた。
「今日はお時間を取って頂いて。ありがとうございます」
緊張してる様子だったが、第一印象は悪くなかった。高倉のようなクールで出来る男という感じではないが、誠実感が滲み出ている。
「早速ですが。企画書を持参しましたので、資料に沿って説明いたします」
津田はカバンからファイルを取り出すと加々美の前に広げた。
津田は、今回『リゾルト』が発売予定の商品の説明、それを売り出すためのCMのコンセプト、そのために会社が求めている
話を全部聞き終えて、加々美は津田がなぜ尚人に目をつけたのかよくよく理解できたし、『リゾルト』という会社が今回の新商品の売り出しにかなりの熱意を持っていることも伝わった。CMコンセプトも悪くない。尚人のイメージにもハマる。これがもし、今から一気に売り出そうとしているモデルやタレントに来た話なら「うますぎる」しかない話に思えた。
CMは他の仕事に比べたらギャラがいい。その上、茶の間に対し直接顔が売れる。昨今話題のCMはすぐさまネットでも取り上げられるので、その伝播性といったらすさまじく、一夜にして一気に有名人。も、夢ではないのがCM出演だ。そういったこともあって、企業のCM出演は新人にとってビッグチャンス。出たくても出れないのが現実。ではあるが……
(尚人君がCMかぁ……)
どうしても懸念がつきまとう。
顔が売れればどうしても、今までと同じ生活は難しくなる。『MASAKI』との関係性が暴露したりすれば余計に、尚人の周りは騒がしくなるだろう。まだ大学生活は始まったばかりで、学生生活に慣れるのを先決する段階だ。それに、そもそも尚人は有名人になりたいわけではなく、モデルもタレント活動もする気はない。……一応、今のところは。この辺に関しては加々美なりのヴィジョンはあるが、尚人をその気にさせるのに気長に行こうと思っている。
そういう諸々のことを考えて、尚人にとっても負担にはならないだろうと判断した『ミズガルズ』からのオファーは受けたが、それ以外の仕事はまだ尚人に振っていない状態だ。とにかくうるさい『ヴァンス』も、それで「しばらく待て」を通している。
(いい話じゃあるが。やっぱり時期尚早かな)
一年後ならまた違ったかもしれないが。
こう言ったものは全てタイミング。幸運の女神には前髪しかない、とはいうが。本当に幸運の女神であるのかどうかは見極める必要がある。
「悪くはないが、現状厳しいかな」
加々美はきっぱり口にした。こういった交渉ごとは、即断即決がお互いのため。このタレントが無理なら次。相手もそのつもりで動いている。まあ、だからと言って簡単に引き下がっていても営業にはならない。当然津田も「ああ、そうですか」とは言わなかった。
「厳しいとは、どのあたりがでしょうか?」
「尚人君は現役の大学生で。学業を優先することになってる。それに、演技なんて全くしたことない素人だしな」
「日程でしたらそちらの都合に合わせて調整します。演技的なものをご心配なら、篠宮さんが不慣れであることを考慮して篠宮さんの持つ素材の良さを引き出せるカメラマンを選定します。そもそも最初から、デビューしたての新人の方の起用を考えていましたので、その辺りはこちらとしても想定内です」
「つまり、まだ誰が撮るかは決まってないってことか?」
「はい。とりあえずCMコンセプトを決めて、イメージに合う方を見つけることを優先しましたので。大手広告代理店さんにお願いすれば、その辺り同時進行で全て進めてくださるんでしょうけど。今回は自社主導で全て進めていますので。しかし自社で進めているからこそ、細かな要望も対応可能です。この際ですから、些細なことも要望があれば上げて貰えば善処いたします」
津田が若干の前のめりになった。
「私は、篠宮さんを見かける前に、各芸能事務所から紹介を受けた三百人ほどの方の写真とデータを確認しました。その中にこれはと思う方を見つけられず、行き詰まっていた時にとある場所で篠宮さんを見かけて。ひと目見るなりビビビッときたんです。こんな言い方、陳腐すぎて逆に嘘臭く思うかもしれませんが。それ以外に表現のしようがないんです。––––今回の商品は、大袈裟ではなく会社の今後がかかっています。ですので、それを売り出すためのCMで妥協したくないんです。我々は今回開発した商品に自信を持っていますが、今は物が良ければ売れるという時代ではありません。我々は過去の失敗でそのことを痛感しました。物を売るためには、よく見せるためのパッケージがとても重要な時代です。CMとは、商品イメージに対するパッケージ。端的かつ的確にイメージを伝えつつ、消費者の心を惹きつける必要があります。もちろん。狙いどおりにイメージを伝播させることが難しいということもよくわかっていますが、しかしだからこそ、妥協することなく自分たちが納得したCMにしたいのです。それに、仮に販売状況が芳しくなくても『あのCMだったから売れなかった』と思うのと、『あのCMでもダメだったなら、そもそも商品開発の方向性が違っていた』と思うのでは会社の今後が変わります。篠宮さんの持つ雰囲気、佇まい、どれをとっても私の抱いていたイメージにぴったりで、私は、どうしても篠宮さんにお願いしたいのです。篠宮さんでなければ納得できるCMにはならない。私はそう思っています。ですので、どうかどうか、この話。受けていただけないでしょうか」
津田の熱弁に、加々美は心の中だけで苦笑する。
これは相当、尚人に惚れている。
(ほんっと、もったいねー話じゃあるがなぁ)
しかしここで相手の熱にほだされて、安易に承諾することはできない。何しろ自分が尚人と結んでいる契約は「尚人がしたいことをサポートする」だ。
「……思いは充分伝わったが」
そこでふと加々美は思い出す。そういえばこの男は自分より先に尚人に接触しているのだったと。
「ところで、尚人君にはどんな話を?」
「今、話した内容とほぼ同じことを。CMに出演して欲しいということも。篠宮さんでなければ納得のCMにはならないということも」
「で、尚人君の反応というか、返答は?」
「仕事の話なら、代理人である加々美さんを通してくださいと。それ以外の返答は頂いておりません」
なるほど、と加々美は心の中で呟く。
「俺は、尚人君のやりたいことをサポートするという契約で代理人になっている。尚人君本人の意思を確認してから連絡する。それでいいか?」
「わかりました。良いお返事が頂けることを期待しております」
津田の熱い視線が、真っ直ぐに加々美に向けられる。
直球勝負。その姿勢、嫌いではない。が……
加々美はとりあえず、その日はそれで別れた。
* * *
「で、どうだったんだ?」
翌日、加々美が高倉の執務室でいつもの如く勝手にコーヒーブレイクしていると、忙しそうにPC画面を睨み付けていた高倉が不意に口を開いた。
「何が?」
「尚人君への仕事の依頼の件だ」
その一言に加々美はひっそりと眉を寄せる。
「なぜそれを?」
ひょっとして俺に尾行でもつけてるのか? そんなこと疑う。ありえないが。
「先日そこで電話を受けてただろう? 音響機器メーカーって言ってたから『リゾルト』かと見当をつけてたんだが」
「その通りだが。……って、そんなことまでわかるのか?」
確かに津田からの電話を受けたのはこの部屋だったが、そんなに内容丸わかりの会話をした覚えはない。というかあの時も、高倉は忙しそうにPCに何かを入力していてこちらにちらりとも視線を向けることはなかったはずだ。
「少し前に『リゾルト』から、CM起用の若手タレントを探しているのでイメージに合うような新人がいれば紹介して欲しいと依頼があってたからな。確か、新商品のイヤホンを売り出すためのCMで、コンセプトイメージとして『フレッシュ感、凛とした雰囲気、控えめだがどことなく普通じゃない感じがする』といった説明がついてたはずだ」
高倉が直接対応したわけではないはずなのに、よく覚えている。
「聞いた時から尚人君のイメージだなって思ってたんだが。どうだ?」
(……いや、どうだと言われても)
加々美はあきれ混じりのため息をつく。
「まさにその通りだよ」
どんだけ鋭い男なんだよ、と思わざるを得ない。
「で、受けるのか?」
「尚人君とまだ話してない」
「話し合う気はあるのか?」
「そりゃあ、もちろん。俺は、尚人君がしたいことをサポートするんだから。決定権はいつだって尚人君にある」
「『ヴァンス』の話はお前のところで止めてるのにか?」
高倉の口調は淡々としていたが、どこか口撃を受けている気がするのはなぜだろう。
「そりゃあ、『ヴァンス』のモデルの件は、一回正式に断ってるだろう。あっちがしつこく話を振ってくるからって、それをいちいち尚人君の耳に入れてたら、俺が代理人になった意味がないじゃないか」
高倉が視線だけを加々美に向ける。
「……なんだよ」
無言の方が怖い。
「いや。––––個人的に、尚人君出演で撮ったCMが見てみたいなって、思ってるだけだ」
(そりゃあ、俺だって思ってるよ)
加々美はコーヒーを一口飲んで思う。
特に伊崎に撮らせたら、面白いCMになるんじゃないかという気がする。英語ディベート大会決勝の壇上で見た尚人の姿から想像する、ただそこに居るだけで人目を引きつけるオーラと伊崎が得意とする映像美。そこに音がシンクロする。使用楽曲の選定もこれからだそうだが、音楽からイメージした風景動画を撮って尚人と当てっこクイズを楽しんでいた伊崎だ。音楽と映像もうまく融合させるだろう。
(やば……。断然見たくなってきた)
加々美は内なる興奮を必死に抑える。
(尚人君がその気になってくれれば、面白いことになりそうだよなぁ)
加々美は、そう思わずにはいられなかった。