「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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菜虫化蝶(なむしちょうとなる) 1

 風呂から上がって、水を飲もうとキッチンに来たところで携帯電話が鳴った。雅紀は食卓に置きっぱなしにしていたスマホを手に取って表示画面を確認する。と、電話の相手は『加門』だった。

(何の用だ?)

 疑問に思いつつ通話ボタンを押す。近頃はめっきり連絡もなくなって雅紀のストレスはそれだけで軽減していたのだが––––。

「はい、雅紀です」

『雅紀ちゃん、今いいかしら』

「はい。大丈夫です」

『あのね。今年の盆の集まりなんだけど』

(?)

 唐突な祖母の台詞に雅紀はひっそりと眉を(ひそ)めた。

(いきなり何の話だ?)

 加門の盆の集まりなど、最後に参加したのがいつだったか、すぐには思い出せないほど昔の話だ。それに、母が生きていた時でさえ毎年参加していたわけではない。盆休みはどうしたって父方の実家である堂森への帰省が優先され、母の実家は後回しの傾向にあったからだ。母が亡くなって以降は当然、一度も参加していない。というか、開催されていたかどうかすら知らない。呼ばれもしなかったし、こちらから連絡することもなかった。そんな余裕はなかった、と言うのが実態だが。

『今年はあの子の七回忌に当たるでしょ。だからみんなで集まって盆の供養をしたらどうかって、そう思ってるの』

(あー、そういうことか)

 一応は納得する。

『沙也加だけじゃなくって。雅紀ちゃんや祐太ちゃんも。子供達全員顔を揃えてお焼香したら、あの子も喜ぶんじゃないかって。そう思っているんだけど。どうかしら』

 どうかしら、……と言われても。

 雅紀は返答に困って黙り込む。

 正直、死んだ人間の死んだ年数なんて数えても意味がない、––––と思う。それが雅紀の本音だ。七回忌だからと、仏壇に線香をあげに行かねばなんて気持ちにはならないし、死んだ人間が喜ぶとか悲しむとか、そもそもそんな発想がおかしいとすら思う。本人の持っていた意思も肉体もこの世から消え去るのが死だ。雅紀はそう思っている。少なくとも母の葬儀で、火葬にされてまだ熱を持ったまま冷め切れない遺骨をひとつひとつ拾い上げて骨壺に納めながら、肉体というズッシリ重い(くびき)から開放されて、これで母は本当に楽になれたのかもしれないと思った、あの感覚だけが雅紀にとっての真実だった。ならば後は、生きた人間が死者の言葉を無理やりに代弁して、こちらの世界に留めさせようとするかの如く行為はエゴではないのか。そうとすら思う。

 しかしそれを口にすれば、電話口で面倒くさいことになるのは分かり切っている。

『雅紀ちゃんが忙しいのはわかっているから、多少はこちらも合わせるつもりよ。盆前後の日で雅紀ちゃんが都合の良い日、いつかしら』

(……参加前提の話かよ)

 雅紀は心の中だけでため息をつく。祖母の考える前後とは、どの程度までを含むのだろうか。盆と言いながら、スケジュールが合わないと言えば合うまでしつこく調整されそうな気もする。

「確認しないことには何とも。それに、それってナオや祐太も参加の話ですよね?」

『もちろんよ。裕太ちゃんも最近は元気になったんでしょう? その姿を仏前に見せれば、あの子の何よりの供養になると思うわ』

 言いたいことは諸々あったが、雅紀はひとまずこの電話を最速で終わらせることに注力する。

「ナオや祐太にも話をして折り返します。それで、いいですか?」

『ええ、そうして頂戴。あ、ちなみに沙也加にはね、盆の期間は仕事も旅行も入れないでってもう言ってあるから大丈夫よ。じゃ、連絡待ってるからね』

 祖母は言いたいことだけ言うとあっさり電話を切る。雅紀はスマホを耳から離して深々とため息をついたのだった。

 

 

 

 面倒な話はさっさと終わらせよう。そう思って雅紀が「話があるからリビングに集まれ」と尚人と祐太に声をかけると、三兄弟はすぐにリビングに顔を揃えた。

 日頃は懐かない猫のような性格の祐太だが、家族に関わることには自分一人蚊帳の外に置かれるのを極端に嫌う。雅紀の声かけに文句も言わずすぐにリビングに降りて来たのは、「家族の話」と察したからだろう。

 尚人が気を利かせて三人分のお茶を入れる。そのお茶が目の前に出されたタイミングで雅紀は話を切り出した。

「今、加門の祖母(ばあ)ちゃんから電話があって。加門の家で盆の集まりをするから俺たちにも参加して欲しいらしい」

「盆の集まり?」

 祐太があからさまに怪訝な顔をする。

「何で今更? それってマジで言ってんの?」

「七回忌だからってのが理由らしい」

「七回忌? 何それ」

「故人を偲ぶ法要の一つだ。法事では七年を一つの区切りにするんだよ」

 雅紀が簡単に説明すると。

「……ふーん」

 頷きはしたが、納得には程遠そうな顔をする。そんな祐太に対し、

「……もう、七年なんだね」

 尚人だけはしんみり呟いた。

 七年と考えれば雅紀も思うところがないわけではない。母との思い出ではなく尚人とのあれやこれやだが。

「で、雅紀にーちゃん的にどうなの? 俺は七年って区切りの意味がわかんないし、盆だからって言われても正直何それって気しかしないし。なにより、祖母ちゃんの相手するのははっきり言って面倒なんだけど」

「みんなで集まることに意味があるんじゃない? ……祖母ちゃんのことは、俺だって気が重いけど」

「まあ、祖母ちゃん的にはナオが言ったみたいに、みんなが集まることに意味があるって思ってるんだろうな。祐太にとっては七年の区切りに意味を感じなくても祖母ちゃん的にはあるってことだろ」

「行かなきゃダメってこと?」

「別に強制はしないさ。行きたくなきゃ行かなくていい。けど。その時は、より面倒なことになる可能性もあるってことは覚悟しとけよ」

「うへっ」

 祐太はその事態を容易に想像できたのか思いきり顔を顰めた。

「……そのくらいだったら俺行く。一回我慢すればいいんだろ」

 ズブリと祐太が言う。その意見に雅紀も大筋では合意だ。下手に断って、その後ちょくちょく電話攻撃を受けて、時間構わず嫌味や泣き言を聞かされるのはボティーブローのように忍耐力を削られる。とにかく顔を見せれば祖母が満足し、それでしばらくまた大人しくしてくれるのなら、一日くらいは我慢してやってもいいかと思う。

「俺たちはいいけど、雅紀兄さんは仕事大丈夫なの?」

 尚人が気遣う視線を雅紀に向ける。そう言う尚人だって近頃は雅紀に負けず劣らず忙しい。

「ナオの方こそ大丈夫なのか?」

「俺は、盆前後は何の予定もないよ。大学だって夏休みに入っているし」

「じゃあ、参加ってことでいいな?」

 雅紀の確認に尚人も裕太も頷く。

 はっきり言って誰も乗り気ではなかったが、こうして何年ぶりかわからない加門家の盆の集まりに兄弟揃って参加することになったのだった。

 

 

 * * *

 

 

「ただいま。お祖父(じい)ちゃん、お祖母(ばあ)ちゃん」

「あら、沙也加。おかえり。すぐお夕飯にするでしょ?」

「うん。荷物置いてくるね」

 夜七時。沙也加は加門の家に帰ると、リビングにいるはずの祖父母に帰宅の挨拶をし、部屋に荷物を置きに行く。中三の時にこの家に来て以来、繰り返されている日常だ。

 自室に荷物を置いて、手を洗ってリビングへ戻れば、祖母が食卓に夕飯を並べている。沙也加は食卓の準備具合を確認すると、箸を並べてご飯をよそう。居候の身である沙也加は、いつだって細やかな気遣いを忘れない。

「いただきます」

 準備が整うと三人揃って夕飯を囲む。その食卓に弾むような会話はない。沙也加が来たばかりの頃は、一人身を寄せることになった沙也加を気遣う祖母と、その祖母の気遣いに応える余裕のあった沙也加との間で多少の談笑はあったが。母が亡くなって、誰もが他人を気遣う余裕がなくなった時に食卓から会話は消えた。その時の静かな食卓がそのまま習慣になって今に至り、代わりに時計がわりのテレビがいつだってどうでもいい騒音を撒き散らしている。それら全てが七年繰り返されている日常の一コマだ。

 今年の春、沙也加は大学三年生になった。三年生といえば就職活動が本格化する年だ。沙也加の周りでも就職セミナーやインターンシップに関する話題が賑わっている。しかし誰も沙也加にはその話は振らない。それは沙也加が、モデルとして活動しているからだ。卒業後はその活動を本格化するのだろう。だから沙也加に就活は関係ない。友人たちはそう思っている。

 大学一年生の冬に大手モデル事務所『アズラエル』と契約しモデルデビューしている沙也加は、一応モデルという職に就いていると言える。––––が、一年半活動してもその収入は学生アルバイトよりは割がいい程度。モデル一本で食べていけるには程遠く、その筋道すら見えない。去年まではそれでも「モデルの仕事が楽しい」で済ますことができたが。三年生ともなると、モデルは学生時代の思い出と諦めてきちんと就職するか、それとも卒業後にモデルとして本腰を入れて頑張るか。沙也加は嫌でもその二者択一を意識しないではいられない時期に来ていた。

 万が一、モデルはすっぱり諦めて就活するとなったら、ぐずぐずはしていられない。就活前のインターンシップに参加しているかどうかが就職選考時の有利不利に繋がるというのは学生の間では常識だ。「そんなことは関係ない」「優秀なら採ってくれる」そんなことを言う人がいることも確かだが、少しでも有利になるのであれば参加していて損はない。それにインターンシップは、その企業がどんな企業なのか実際の現場を知る、学生にとってはメリットの大きい活動で。沙也加も実はいくつかの企業のインターンシップが気になっていた。

 モデルとしての道も残しつつ、インターンシップにも参加してみる。そんなことは可能だろうか。最近の沙也加はその問題で悶々としている。インターンシップ に参加するとなったらマネージャーの唐澤に黙ってと言うわけにはいかないだろうが。唐澤にインターンシップの相談をすれば「モデルとしてやる気がないのか」「卒業と同時に引退するつもりか」そう言う話になりそうで。切り出せないままにいる。

「あ、そうそう沙也加。このあいだ話をしたお盆のことだけどね」

 祖母の言葉に、沙也加は箸を止める。盆の集まりのことは先週食卓の話題に上がっていた。母の七回忌にあたるのをきっかけに加門家の盆の集まりを復活させたい。祖母はそんな思惑を抱いているようだ。はっきりとそう口にしたわけではないが、いつになく弾んだ口調で雅紀や裕太も参加する盆の集まりを催したいと言い出した祖母の言葉の端々に、そんな気持ちが透けて見えていた。

「雅紀ちゃんから連絡があって。八月十五日に三人とも参加できるって」

「……そうなんだ」

 ちょっと意外だった。祖母がどんなにしつこく電話攻撃しても「スケジュールが合わない」を理由に雅紀は来ない気がしていたのだ。

(だって、あの女の盆供養なのよ。そんなことする意味ある?)

 祖母の提案を初めて聞いた時、沙也加は思わず鼻で笑いそうだった。

 息子を性的に虐待し、沙也加に罪の意識をなすりつけて、自分だけさっさと楽になった––––腹立たしいほどに憎い女。沙也加にしてみれば、あの女のためには線香の一本だって供えたくはない。そう思う。しかし……

(お兄ちゃんにとっては違うってこと?)

 そう思うと沙也加の心はざわついた。沙也加を未だ呪縛するあの事実も雅紀にとっては過去の出来事に過ぎないのか。

「お寿司は取ろうと思うけど。それ以外にも準備が必要だから。沙也加も手伝って頂戴ね」

「もちろんよ」

 母のためには何もする気にならないが。祖母のためと思えば気分も違う。ひょっとすると雅紀も同じ気持ちなのかもしれない。

 兎にも角にも。

(お盆にはお兄ちゃんに会える……)

 顔を突き合わせて食卓を囲むことになるのだから、きっと言葉を交わすチャンスも生まれるはず。沙也加が抱えるモデルとしての悩みも相談できるかもしれない。沙也加に今必要なアドバイスができる人間がいるとしたら雅紀しかいないのだ。

(お兄ちゃん……)

 盆に出すご馳走についてあれこれ話し続ける祖母の話に適当に相槌を返す沙也加の胸には期待と不安が入り混じっていた。

 

 

 

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