九月に入って『ミズガルズ』の十周年記念DVD BOXがついに発売日を迎えた。情報番組はこぞってこのニュースを取り上げ、一時テレビはどこもかしこも『ミズガルズ』の情報であふれた。もちろん『MASAKI』が出演している特典PVにも注目が集まり、一部映像がテレビで解禁されると、DVD BOXはさらなる売り上げを記録した。この世間の盛り上がりに応える形で、『MASAKI』が『ミュージック・エイト』に『ミズガルズ』と一緒に出演すると、この『MASAKI』出演の回は、最近低迷気味と言われて久しいテレビ界にあって、関係者もびっくりの視聴率をたたき出し、『MASAKI』の持つ人気の凄さが改めて浮き彫りになったのだった。
時同じくして、尚人出演のCMも撮影に向けて本格始動した。企画が細部まで明確になって、関係するスタッフが一同に
広告主である『リゾルト』から津田をはじめとした社員数名。カメラマンを務める伊崎とその撮影スタッフ。衣装を提供する『ヴァンス』のチーフデザイナー、クリストファー・ナイブス。そしてCMソングでコラボが決まった『ミズガルズ』の所属事務所の面々。まずは自己紹介をして互いの顔と名前を確認し、今回の企画の詳細を確認していく。
尚人は、今回のCMを伊崎が撮ることや、クリスからもらった服を衣装として使うつもりであると言うことは聞いていたが、まさかこの場にクリスが参加するとは知らなかったし、CMソングを『ミズガルズ』が提供することになっていたことも知らなくて、ただただびっくりしていた。
しかも今回のCMのコラボ企画として、数量限定ながら、『リゾルト』のイヤホンと『ミズガルズ』のCDをセットにして販売する計画があるという。家電量販店のイヤホン売り場に一緒に並べることで、日頃CDショップに行かない人達にもCDを買ってもらおうという狙いがあるという。そのパッケージにも尚人のグラビア写真を使用するということだった。
(イヤホンひとつ売るためのCMだと思ってたけど。こんなにいろんな事が一遍に動くんだ)
次々と示されていく企画の全容に、尚人はただただ感心していた。インターンシップの模擬プレゼンテーションにはなかった本物の熱気がここにはあって。何もかもが新鮮で勉強になった。
そして、加々美から「ここからは怒涛のスケジュールだから。覚悟しといてね」と言われていた通り、この日から尚人のスケジュールは一気に過密になった。顔合わせが終わるとすぐその日のうちに衣装合わせがあり、尚人はCMで使う衣装のほか、グラビア撮影で使う予定の衣装も試着した。何とクリスは、イヤホンが五色展開と知って、それぞれの色に合わせた衣装を準備していたのである。尚人が卒業祝いにもらった衣装のデザインを
とにかくこの日は言われるままに服を着たり脱いだり。着替えを繰り返し、クリスに「これで最後」の言葉をもらったときには尚人はヘトヘトになっていた。服を着替えるというだけのことがこんなにも体力を使うとは。雅紀が常々モデルは体力勝負と言っていたその意味を尚人は身を持って知る。そしてその日の夜はくたくた過ぎて風呂に入るとすぐに眠りについたのだった。
衣装の準備が整うと、息つく暇なく撮影に入る。今回のCMは、ロケとスタジオの両方撮りをして編集する予定になっているのでロケ地へと移動する必要がある。雅紀を撮った時はどちらもスタジオだったのでロケと聞いて意外だったが、同時に尚人は楽しみでしょうがなかった。伊崎はそもそもネイチャー・フォトグラファーで。尚人はその写真集をコレクションするほどファンだ。ロケ撮影なら、その本来の顔を見る機会があるかもしれない。それに、伊崎は自然を撮ることについてはプロ中のプロだから。自分が自然の一部になってしまえばあとは伊崎がどうとでも撮ってくれるだろうと、そんな妙な安心感もあった。
ロケ地までは飛行機移動。ということで、当日朝、空港まで雅紀に送ってもらう。加々美が迎えに行くというのを断って、電車を使って自分で行くつもりで尚人は路線も時刻も事前に準備万端調べていたのだが。
「その日休みだから。空港まで送っていく」
雅紀があっさりとそう言って、送迎を買って出てくれたのである。
「え、悪いよ。その日は結構早いし。まーちゃん、仕事で疲れてるでしょ?」
一応尚人はそう言ったのだが。
「ナオが数日帰ってこないって分かってるのに。のんびり寝てる気になんてなれない。俺は、ナオとちょっとでも長く一緒にいたいって思うのに。ナオは違うってこと?」
そんな言い方をされると。
「………俺だって、まーちゃんと少しでも長く一緒にいたいと思ってるけど」
「じゃあ、何の問題もない」
問題はそこじゃなくて、せっかくの休みの日に雅紀がゆっくりできないことなのだが。雅紀の好意を無碍にはできなくて。尚人は雅紀の言葉に甘えることにしたのである。
朝早いこともあって、空港までの道は渋滞もなくスムーズだった。空港に着くと駐車場で車を降りて、それで雅紀はそのまま帰るものと思い込んでいた尚人だったが。
「待ち合わせの場所まで一緒に行く」
と、雅紀は言い出し空港内まで付いて来てしまった。
「ま、雅紀兄さん。大丈夫なの?」
「何が?」
「あの、ほら。………騒ぎになったりとか」
帽子とサングラスはしてるが。それでも体型がすでに一般人と違うのだ。絶対バレないとは言えない。そんな心配をしたのだが。
「問題ないだろ。空港なんて、しょっちゅう利用してるし。それこそ有名人もタレントも利用するんだから」
尚人の心配をよそに雅紀は気にする
(そうなの?)
そんなもん?
実は尚人はこれが初飛行機体験で。空港に来ることすら人生初だ。
空港という場所は、仮に有名人を見かけてもわーきゃーするところではないのだろうか。
(でも、ハリウッドセレブ来日のニュースとかって、空港が大騒ぎになってたりするよね?)
あれは、事前に来日スケジュールが公表されているからファンが押し寄せるのか?
ちなみに、尚人にとってこれまでの人生一番の遠出は、高校の修学旅行で行った京都で、あの時の移動は新幹線だった。
なので空港までは電車で何とか辿り着けても、空港内の待ち合わせ場所にちゃんと行けるのか。尚人は心配だった。何しろ加々美のお迎えを断って電車で行くと宣言した尚人のために、加々美は駅からのルートは詳細に教えてくれたのだが。
(まーちゃんに送ってもらったら、どこで降ろされて、そこからどうやって行ったらいいんだろう)
と、不安で。ネットで事前にターミナル地図を散々確認して。内心ドキドキしていたのだ。
だから雅紀が待ち合わせ場所まで一緒に行くと言い出した時は「大丈夫なの?」と心配する気持ちと同じくらいに安心したのも事実だった。
尚人を先導して歩く雅紀はさすがよく利用すると言うだけあって、空港内を行くその足取りに迷いはない。サクサク歩いていく雅紀の姿に「あれ、ひょっとして?」とチラ見する視線はいくつかあったが、雅紀の言う通り騒ぎにはならなかった。
待ち合わせの場所には、加々美の他にスタッフも何人か一緒にいた。その人たちが雅紀に気づいて一瞬ギョッとした顔をする。そして次の瞬間誰もが「何も見てません」と言う顔つきでそろそろと視線を逸らすのを見て、尚人は何だか申し訳ない気持ちになった。
「お前。………ついて来たのかよ」
加々美だけは雅紀を見やって苦笑した。そんな加々美に雅紀はきっちり腰を折る。
「加々美さん。ナオがお世話になります」
「そんなに心配しなくったって大丈夫だよ。別に海外に行くわけじゃあるまいし。国内ロケで予備日入れても三日だぜ」
加々美が軽く肩を竦めると、雅紀はほんの少し口元を歪めた。
「……別に、心配するくらい自由でしょ。それに、ナオ今回が人生初の飛行機なんですよ」
「ん、ああ。聞いてるよ。それが?」
「……ナオの初体験なのに。加々美さんばっかりずるいじゃないですか」
「は?」
「搭乗初体験は加々美さんに譲るんだから、空港初体験は俺が同行したっていいでしょ?」
「お前なぁ……。ほんっと、尚人君のことになると兄バカ全開だな」
加々美の呆れ顔にも雅紀はどこ吹く風だ。
それが何か? 問題でも?
そんなふうに開き直った雅紀に何か言える者は誰もいない。
兎にも角にも尚人は無事に加々美に引き渡されて、雅紀は名残惜しそうにしながらも一人帰って行った。
一方の尚人は、搭乗から離陸まで初体験のこと全てが物珍しくて、機内でもドキドキワクワクして過ごしていたが、国内線の飛行時間などたかが知れている。二時間弱ほどで目的の空港に到着して、預けていた手荷物を受け取って到着ゲートを抜けると、迎えのマイクロバスが既に待機していた。
スタッフ一同その車に乗り込んでロケ地まで移動する。バスは空港を出てすぐは民家や店舗の並ぶ大きな道を走っていたが、徐々に緑が目立ち始め、気づけば木々の生茂る結構な山道をクネクネと登っていた。その道をしばらく登って行く。と、視界を遮っていた木々がいきなり途切れ一気に視界が開けた。
「うわ! すごい」
尚人は目に飛び込んできた景色に思わず驚嘆する。
広い空と、広い大地。そこにススキが穂を風に揺らしてきらきらと輝いていて。日本とは思えない雄大な光景だった。
「いい場所だろ? 伊崎一押しのロケ地なんだ」
「そうなんですね」
さすがネイチャー・フォトグラファー?
風光明媚という言葉がぴったりの場所だ。
車はそれからしばらく走り、宿泊場所として確保されている旅館に到着した。そこで荷物を降ろし、尚人たちは昼食を食べてからロケ場所へと移動する。現地に到着すると既に伊崎たち撮影スタッフの姿があった。彼らは前乗りして準備を進めていたのだ。
「おう、やっと来たな」
「よろしくお願いします。伊崎さん」
「早速カメリハするから。とりあえずあの辺に立ってくれ」
「服はこのままでも?」
今は単なる私服だ。
「構図の確認するだけだから構わねぇよ」
言われて尚人は早速指定された場所まで移動する。
「思ったより寒いんですね」
今の季節、平地はまだまだ残暑が厳しい。なのにここはすでに秋が深まっていた。
「結構標高が高いからな」
伊崎に指定された場所に立つ。気持ちいいほどに眺めのいい場所だった。
足元に広がる大地はうねりながらどこまでも広がり、遠くに見える山並みは青く小島のように見える。その広い大地の上に広がる空もまた青く澄んでどこまでも広く。その天と地の間を
空は刻一刻と変化する。雲が動き、色が変わる。風に揺れるススキは、さわさわ揺れていたかと思えば、時々ザワっと揺れ、ピタリと動きを止めたかと思えば、またさわさわと揺れる。
そんな変化が面白くて、尚人は見飽きることなく景色を眺め続ける。
どのくらいそうして立ち続けていたのかはわからないが、尚人は尚人なりに楽しんでいた。のだが……
それを見守るスタッフたちは。
「尚人さん、もう二時間立ってますよね?」
「大丈夫なんでしょうか?」
「……伊崎さんも、何かしてるようには見えまえんし」
「ディレクターズチェアに座ったまんまですしね」
「あれって、すでに。ただ二人で景色眺めてるだけ………なんじゃないですか?」
「指示、仰ぎに行きます?」
「いやいやいやいや。伊崎さんから何も言われてないのに。割って入れませんよ」
「––––にしても、微動だにせずによく長時間立ってられますよね。スゴすぎです。尚人さん」
バックでそんな会話をしていたなんて。尚人は知る
夕日が沈むまでたっぷり景色を楽しんで。その日はようやく「終了」となったのだった。