「二重螺旋」二次小説   作:おとよ

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菜虫化蝶(なむしちょうとなる) 5

 九月に入って沙也加の焦りはさらに大きく膨らんでいた。雅紀に相談できるチャンスと思っていた盆の集まりは、尚人が東大に進学していたという衝撃の事実発覚でそれどころではなくなって。終わってみれば、雅紀とは言葉一つ交わすことすらなかった。

 それに冷静に考えれば、尚人や裕太の前でそんな相談できるはずがなかったのだ。

 ––––モデルの道を選んだのはおねーちゃん自身なのに、それで進路に悩むって何だよ。

 ––––そんなに悩むんならさっさとモデルなんてやめればいーじゃん。

 特に祐太には、そんなふうに言われそうで。というか、対面に座った裕太の時々にじっと自分を見るその(こわ)い視線すら腹立たしいほどにイライラして。

 ––––何よ。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。

 そう言いたくなる気持ちを沙也加はぐっと(こら)えていたのだ。

 世の中のことがまるで分かっていないお子ちゃま。そう言い続けて来た裕太を前に弱音とも取られかねない言葉を吐くことに沙也加は強い抵抗感があった。

 そして尚人に対しては。

 ––––東大生なら、官僚でも銀行でも大手企業でも、就職先は選び放題なんだろう?

 あの由矩の言葉に対し。

(でも、モデルなら関係ないでしょ)

 反射的にそう思ってしまったのだ。

 モデルは学歴不問。雅紀だって高卒。でも今では第一線で活躍するカリスマ・モデルだ。雅紀がその道を選んだのは消去法的選択肢だったかも知れないが。それでもそこで覚悟を決めて、その道を極める雅紀の生き様は沙也加にとって憧憬(しょうけい)以外の何物でもない。

 雅紀は子供の頃から大人びていて。

 声を荒げる姿なんて見たこともなくて。

 いつも穏やかでおおらかで。

 誰もを魅了する美しさと賢さを備えていて。

 雅紀さえいれば何とかなるのだと。そんな安心感があって。

 だから、父が家を出て行き。母が慣れないパート勤めで体調を崩して寝込むようになっても、雅紀の「大丈夫」のひと言で何でも乗り越えられる気がしていたのだ。

 だからこそ、あの時。雅紀の負担になってはいけないと、加門の家に身を寄せることにも渋々同意した。……なのに。

 あれが最大の誤りだったと、沙也加はずっと後悔している。

 尚人は母の虐待を見て見ぬ振りをして(だんま)りを決め込み、祐太は自分の感情を持て余すだけのお子ちゃまで、家の中で何が起きているのか全く把握していなかった。

 そのせいで雅紀は母の虐待から逃れられなかったのだ。

 あのまま自分があの家にいれば、あんなことは起きなかった。

 あんなことが起きなければ、雅紀との関係がこんなにもねじれてしまうことはなかった。自分がこんなにも深いトラウマを植え付けられることも、胸焼けするような罪悪感を植えつけられることもなかったのだ。

 しかし、どんなに後悔しても時間は巻き戻せない。その事実に沙也加は立ち(すく)むしかない。

 近頃マネージャーからは、バラエティー番組への出演を提案されている。

「どうでしょう、沙也加さん。抵抗があるかも知れませんが、やはり視聴率で言えばどうしたって強いのがバラエティです。顔と名前以外にも、沙也加さん自身のキャラクターを視聴者に知ってもらうと仕事の幅が広がると思うんですが」

 バラエティー番組に出演してもらえる仕事?

 それって何?

 お笑い芸人のいじられ役?

 それとも、くだらないトークにニコニコするだけの雛壇の花?

(何なのよ)

 沙也加は有名人になりたいわけでもタレントになりたいわけでもない。

 雅紀と同じ世界が見たい。

 それが、モデルの世界に飛び込んだ理由。

 なのに……

 バカにしてるの?

 それともモデルとしてはもう芽が出ないって、暗にそう言いたいわけ?

 確かにランウェイを歩いた経験はごくわずか。当然、雅紀と同じステージに立てたことはない。雑誌のグラビアの仕事はそこそこあるが。露出で言えば人気読者(アマチュア)モデルに及ばない。

 ……まあ、読者モデルはタダで使える使い捨てだから、雑誌出版社側のいいように使われているだけだが。

「バラエティー番組に出る気はないです」

 沙也加がそう言うと、マネージャーは一応は頷いたものの。

「じっくり検討して頂いて構いませんよ」

 返された言葉はそれだった。

 そんなやりとりがあった直後だ。『MASAKI』が音楽番組『ミュージック・エイト』に出演し世間の話題となったのは。

 『ミュージック・エイト』は、夜八時放送の人気音楽番組で、ランキングや楽曲紹介だけに留まらず、司会者と出演アーティストが結構長めのトークをするのが特徴だ。なのでトークバラエティの要素があり、それが人気の理由でもある。

 今回『MASAKI』が番組出演したのは、『ミズガルズ』十周年記念DVD BOXの発売に合わせた番宣協力のようなものだったが、滅多にテレビに出ない『MASAKI』が出演するとあって、かなり話題の回となった。ネット上での盛り上がりはものすごくて。

 ––––今夜の『ミュージック・エイト』マジ神回。

 ––––あの『MASAKI』がトークに本格参戦してて驚いた。

 ––––『MASAKI』の美貌は認めても、冷たい感じがしてちょっと苦手だったんだけど。あの番組で見方変わった。

 ––––『MASAKI』トークもいけるとは。本当に意外。

 ––––もはや『ミズガルズ』のメンバーの一人じゃってくらい馴染んでたよね。

 ––––アキラが「今度は『MASAKI』さんにピアノで参加してもらいます」って言ったのを『MASAKI』がガン無視してたのが逆にウケた。

 ––––トーク的にあそこは無視が正解。

 ––––『MASAKI』案外空気読む(笑)

 ––––ああいうやりとりできるって。やっぱ、地頭(じあたま)いいんだろうね。

 番組出演は確実に『MASAKI』のファンの裾野を広げた。だからと言ってモデルの仕事にどう影響するのかまではわからない。そういうことも含めて雅紀と話がしたい。そして、これからどうしたらいいのかアドバイスが欲しい。それが、今の沙也加の切実な願いだった。

 

 

 * * *

 

 

 空港で尚人と別れて、雅紀は後ろ髪引かれつつも駐車場へ戻る。当然その足取りは軽やかとはいかない。尚人のロケ撮影なんて貴重な現場、出来ることなら一緒に行きたい。当然だ。

 しかし……

 ––––そればっかりは無理だよな。

 もちろんわかってる。

 わかってるが。

 ……やっぱ、加々美さんばっかりずるくね?

 しかも今時CM撮影で日帰りロケではなく泊付きだ。その辺は超ド新人の尚人に配慮してのゆったりスケジュールなのだろうが。

 少々の拗ねた気分で雅紀は車のキーを取り出すと運転席に乗り込む。

 携帯電話が鳴ったのはそのタイミングだった。

(何だ?)

 雅紀はスマホを取り出す。

 ひょっとすると尚人かも知れない。

(忘れ物でもしたか?)

 そう思って画面を見ると。表示されていた名前は『加門由矩(かもんよしのり)』だった。

(由矩伯父さん?)

 何用だろうか。

 雅紀は小首を(かし)げて通話モードにした。

「はい。雅紀です」

『あー、雅紀。由矩だ。朝からすまんな。今、大丈夫か』

「ええ。大丈夫ですよ。どうかしました?」

『実は、沙也加のことなんだが』

(沙也加?)

 雅紀は突然飛び出して来た名前に思わず眉を(ひそ)める。なぜ由矩が沙也加のことで電話をしてくるのか。皆目見当がつかない。

 以前、沙也加が留学したいと言い出した時に、祖母から相談されたと言う由矩が雅紀に電話をかけて来たことがあったが。あの時に、由矩にもはっきり伝えたはずだ。沙也加とは疎遠になっていること。自分は千束のことで精一杯で、沙也加のことまで抱え込む気にはなれないこと。沙也加の人生は、沙也加が決めればいいこと。そう言った諸々のことを。

 だから、由矩も分かっているはず。だが……

 盆の集まりに参加したことで、その辺の事情は解消したと思われたのだろうか。

『この間お前たちが帰った後に、沙也加は卒業後どうするつもりなのかって、そう言う話になってな。ほら、尚人は東大生だからその辺の心配はいらないだろうけど。沙也加はそうも言ってられないだろう? それに、もう三年生だしな』

 由矩の言葉に雅紀は思わず苦笑いを漏らす。

 その話を沙也加に振ったのか。しかも尚人を引き合いに出して? 沙也加の引きつった顔が目に浮かぶようだ。

 沙也加は何より尚人と比べられることを嫌う。

 なぜって、沙也加は尚人に成り代わりたいからだ。

 幼い頃から、雅紀が尚人に(かま)っていると割って入ろうとして来たのが沙也加だ。雅紀が尚人を膝に乗っけて絵本を読んでやっていると、「私も!」と言って擦り寄って来ていたし、尚人を公園に連れ出して楽しく砂場で遊んでいると「バドミントンしようよ!」と執拗(しつこ)くねだって来ていた。当時は特大の猫をかぶっていたのでたまには沙也加のわがままにも付き合っていたが。内心では「もう、ナオと楽しんでんのに」と思っていたものだ。

 私のお兄ちゃんなんだから。近寄らないで!

 子供の頃沙也加はよくそう口にしていた。それを聞くたびに

 妹ってだけで、何で沙也加にそんなこと言う権利があるんだよ。

 内心うんざりしていたが。

 しかし、よくよく考えればあの独占欲の強さも笑えない。なぜなら雅紀だって尚人に対しては独占欲の権化だからだ。

 当時はどうでも、今なら。

 俺のナオに近寄るな。

 平気で口にしそうな自覚はある。

 案外似たもの兄妹?

 そう思うとちょっと複雑だ。

『モデルの仕事をしてるって言ってもアルバイトに毛が生えたようなもんだろう?』

 ちょっと思考が逸れている間も由矩の話は続いている。

『だから、卒業すればそれで食っていけるのかって。当然、そう言う話になるわけだ。沙也加は奨学金を上限額いっぱいに借りてて卒業すればその返済が始まるわけだし。そう言う意味においてもきちんとした収入のある就職をしなきゃならんだろう?』

 由矩の言い分は最もだ。沙也加が総額いくらの奨学金を借りてるのかは知らないが。

 それに、聞きかじりの情報だが、奨学金を借りて進学したはいいものの、卒業後返済が出来ず自己破産する若者も多いのだという。

 ただそんな情報も雅紀にしてみれば、借金してまで進学する意味があったのか、と思う程度のことではあるが。

『それにな。大学を卒業したらいい加減、自立してもらわないと困る。祖父(じい)ちゃんと祖母(ばあ)ちゃんは孫可愛さから何も言わないが。はっきり言うとな、いつまでもあの家に居られると思われても困るんだ』

 辛辣で、実直な意見。しかし、雅紀はその意見にも深く同意する。

 祖父母の生活が立ち行かなくなれば、その面倒を見ることになるのは由矩だからだ。由矩にも自分の生活がある。あちらの従兄弟もこれから大学に進学する年齢で。まだまだ子育てに金が掛かる時期だ。そんな時期に経済的に立ち行かなくなった両親の面倒までは見れないと言うのが現実だろう。

 沙也加が大学卒業後も自活できない状況で祖父母宅に居座り続ける。しかも奨学金の返済という借金を負った状態で。というのは何としても避けたい。それが由矩の考えなのだ。ある意味、当然だ。

『ただ、正直、モデルの仕事が今後どのくらい収入の見込みがあるのかって。俺たちではわからん。だから、沙也加に話を振ってもラチがあかんというか。具体的なヴィジョンを誰も持たないというか。今後の見込みも含めて、これからの進路選択をどういうふうに考えたらいいのか、わからない事が多くて。––––まあ、そんな状態だから、沙也加もこちらの心配(言葉)に素直に耳を貸さないと言うか。だから、忙しいところ本当に悪いとは思うんだが。今後の進路を決める話し合いにお前も参加してもらえないかと思うんだが』

 そんなこと言う由矩の言葉の端々に苦渋が滲んでいて。

 ここまで赤裸々な話をされて、知らんぷりもできなくて。

「––––わかりました」

 雅紀はそう答えるしかなかった。

 

 

 * * * 

 

 

 行きと比べて帰りは何とも気の重い道程となった。

 沙也加自身の人生に対しては、

 好きにしろ。

 それしかない。

 モデルを続けるにしろ辞めるにしろ沙也加の自由。沙也加がモデルにしがみ付いて、それで食っていくのに苦労しても、雅紀には関係のない話だからだ。

 しかし、由矩的にはそうも言ってられない。その気持ちはよくわかる。冷たいことを言っているのではない。大学を卒業すればきちんと自立してもらう。当たり前のことを言っているに過ぎない。それに本当なら、大学を出れば今まで世話になった分を返済していくくらいの気概が必要だろう。一度雅紀が祖父母に沙也加の食費くらいは払うと言って本気で怒られたので、おそらくは沙也加からも受け取りはしないだろうが。しかし、その気持ちを持つのと持たないのとでは、大人としての気構えに雲泥の差があると思う。扶養義務のある両親に甘えるのとは違うのだ。まあ、それだって本当は成人するまでの話なのだが。

 尚人は高校を卒業したら就職して自活すると言っていた。そのための準備も着々と進めていた。それを止めたのは雅紀だ。だから尚人の学費の責任は雅紀が持つ。当たり前の話だ。尚人のことだから、就職したら返す、と言い出しそうだが。当然もらうつもりはない。その辺はうまく言いくるめられる自信があるから問題ない。

 それよりも。

 ––––尚人の将来はもうなんの心配もないな。東大生なら、官僚でも銀行でも大手企業でも、就職先は選び放題なんだろう?

 由矩のあの言葉。まさにその通りなのだろうが。

 今回尚人はCM出演を受諾した。それが今後どんな道へと繋がるのか。今のところ想像がつかない。尚人自身はこれを機にモデルデビューとは考えていないようだが、加々美には当然別の思惑があるだろう。それに、尚人から話を聞く限りどうやら今回の企画に『ヴァンス』も絡んできているようで。もともと尚人をモデルに使いたいと熱望しているクリスがどう動くかわからない。

 当然尚人が嫌がるなら全力ガードだが。

 その『ヴァンス』より気がかりなのは。

(……沙也加が今回のこと知ったらナオをやっかみそうだよな)

 不当な八つ当たりを向けないといいが。

 沙也加の就職問題よりもそちらの方がよほど雅紀にとって心配の種だった。

 

 

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