沙也加はイラついていた。
ムカついて、腹立たしくて、頭が煮えて。
何をやっても集中できない。
尚人のことなんて、考えたくもないのに考えざるを得なくて。
あのCMがどうしても頭をちらつく。
尚人の顔なんて見たくない。……そう思うのに、––––気になる。
沙也加は葛藤を繰り返した挙げ句、ファッションマガジン『KANON』の今月号の電子書籍版を購入した。今
––––特集ってどんな?
––––それって尚が雑誌に掲載されてるってこと?
『MASAKI』との関係についても言及されていたりするのだろうか。
尚人がCM出演するに至った経緯なども書いてあるのだろうか。
そんなことが気になって。それで沙也加は意を決して購入を決めたのだ。
大学構内のカフェテラス。そこで席を確保してタブレットで雑誌を開く。噂の特集は巻頭特集で、今月号の目玉記事であることは明らかだった。
CMで印象的な朝焼けの大地にモデルが立っているシーンが見開きで使われていて、次のページから色違いのイヤフォンとそれに合わせた衣装に身を包んだモデルのグラビアが掲載されている。まさかの一色一ページ。その扱いの大きさに沙也加はギシリと奥歯を
イヤフォンを売るための販促グラビアであるはずだが、『ヴァンス』の衣装であることがかなり強調されている。今放送中の『リゾルト』CMが話題なのは、滅多に人を撮らないネイチャー・フォトグラファーの『GO−SYO』が監督を務めた、ということもあるが、それに加えて『ヴァンス』が衣装提供していることも大きい。だから、こうしてファッション誌にも掲載される。そんな理由でもなければ新人モデルでこの扱いはあり得ない。
尚人と『ヴァンス』。結局のところずっと繋がっていたのだ。と、沙也加は直感する。
二年前、アズラエル本社ビルの三階で事務所の二大巨頭である加々美と高倉、それに『ヴァンス』のクリスと三人そろって歩いているところを見た。『ヴァンス』と『アズラエル』が専属モデル契約をする直前の出来事で、今振り返れば契約に向けて話し合いが進んでいたのだろうと思う。ただ、一つ不可解だったのが、その場になぜか部外者であるはずの尚人がいたことだ。
結局、あの場になぜ尚人がいたのかはわからなかった。マネージャーの唐澤やその他親しい事務所スタッフなどにそれとなく話題を振ってみたが、だれも尚人の存在など知りはしなかった。知っていても「学校の課題の職場体験で加々美が引率した高校生」その程度だった。
しかし、間違いなく尚人は加々美と繋がっていて。それは取りも直さず雅紀と加々美が親密な間だからに他ならない。雅紀というコネがあったからこそ加々美ほどの人物がいち高校生の職場体験の引率を引き受けたのだ。
そして、おそらくは、そこから尚人と『ヴァンス』が繋がった。
そう考えると、つまりはなにもかも雅紀のおかげ。雅紀というコネあってのこと。今回のCM出演だって、雑誌にこれほど大きく掲載されているのだって、雅紀の威光あってのことだ。
––––そんなのってズルじゃない。
そう思う。
そして同時に、
––––なんで尚ばっかり。
それを不満に思う。
同じ雅紀の弟妹なのに。尚人ばかりがエコヒイキされる。尚人ばかりが優遇される。
不公平不公平不公平不公平………………………。
沙也加がモデルとしてデビューして一年半。雅紀の妹ということでやっかみは受けてもそれで仕事がもらえたことはない。雅紀の七光で仕事をするつもりはないので、それはそれで構わないのだが。
でも。
だけど。
やっぱり。
こんなのは、絶対に……––––許せない。
沙也加の行きたかった翔南高校に進学し。沙也加よりランクの高い大学にあっさり合格する。就職先なんて選び放題の大学に行きながら、あり得ないほどの高待遇でCMデビューする。
––––どうしてよ!
どうして。
どうして。
どうして!
気づけば沙也加の前には常に尚人の背中がある。––––その屈辱感。
そして見せつけられる、埋めがたい格差。
沙也加の中でグツグツと怒りが煮え立つ。
尚人が憎い。
憎くて、憎くて、憎くて、どうしようもないほどに憎くて。
目障りで、うとましくて。
––––この世から消えてしまえばいいのに。
膨らむ怒りに沙也加の頭は弾けてしまいそうだった。
* * *
モデル事務所最大手『アズラエル』本社ビル。
統括マネージャー高倉真理の執務室。
久しぶりにこの部屋を訪れて、加々美は自分で
とにかく、ここしばらく忙しかった。ただ、心身が疲弊するような忙しさではなかった。あちこち駆け回って目まぐるしくはあったが充実していた。今あるのは心地よい充足感だ。
CMは無事に放送開始を迎え、評判は上々。ネットではすでに『GO−SYO』が撮った、それだけではない盛り上がりを見せている。
––––コマーシャルって言うより、まるで映画のワンシーン。
––––映像がきれい、もあるけど。ただ立ってるだけの人物に何か物語を感じる。
––––人生で初めて、早くCMになれって思ってテレビ見てる。
––––最後の瞳のドアップがマジやばい。吸い込まれそう。
––––あの瞳ってCG処理してある? あんなきれいな瞳、見たことない。
––––引力ある。
––––こっちが覚醒しそう。
ちなみに今月のファッション雑誌『KANON』では、CM放送開始と合わせた特集が組まれている。色違いのイヤフォンとそれに合わせた『ヴァンス』の衣装に身を包んだ尚人の販促グラビアが全て掲載されているのだ。販促グラビアはいわば広告で、本来であれば雑誌誌面とは別枠の掲載になるのだが、今回はその広告そのものが特集の対象になっている。もちろん、加々美とクリスの思惑が一致した結果の、もろもろの大人の事情というやつが働いているのは言うまでもない。つまりは雑誌社とのコラボ企画ということだ。
ちなみに雑誌の紙面下方に『NAO』というモデル名が小さく掲載されているのだが、ネット検索ワードランキングでは『リゾルトイヤフォンテレビコマーシャル』と並んで『NAO』が急上昇し注目の高さがうかがえる。といっても『NAO』はまだ一切のプロフィールを公表していないので、ネット検索をした所で公式プロフィールの類は一切ヒットしない。検索して出てくるのはネットユーザー達の呟きやCMに対する感想ばかりだが、一度通訳アルバイトをしたときに雑誌『KANON』に通訳者名として『NAO』と載せているので、同じ雑誌に掲載されたこの二つの『NAO』に関係性があるのかないのかと盛り上がっているサイトもあるようだ。何しろどちらも『ヴァンス』がらみであるだけに、一部の人々のたくましい想像力が刺激されるらしい。
「随分と派手に企画したな」
部屋の
「尚人君いいだろう?」
雑誌の表紙をめくり、もう何度も見た紙面を見て加々美はニンマリする。どの写真も文句のつけようのない出来栄えだ。
「……これのせいで、『NAO』は『アズラエル』所属のモデルなのかという問い合わせが殺到している」
『アズラエル』が『ヴァンス』と専属モデル契約をしているというのは広く認知されている事実だからだろう。イヤフォンの販促グラビアながら『ヴァンス』全面押しとあれば『アズラエル』のモデルなのかと受け取られるのはある意味当然かも知れない。
『リゾルト』とのコラボ企画に関しては尚人の肖像利用を認めるのが今回の契約ではあったが、こんな使い方を提案してくるとは思わなかったというのが正直なところだ。
まあ、加々美的には何の問題もない、どころか、クリスから相談されたときに思わずニンマリしてしまったが。
「これからどうするつもりだ?」
「どうって?」
「新人を売り込むなら一気呵成が定石だろう?」
そう言って高倉が一冊のファイルを机に置く。
目で促されて加々美が中を確認すると、オファーリストだった。
「尚人君がうち所属のモデルだって勘違いしたところからひっきりなしに仕事の依頼が来て。仕方ないから俺が受けてる」
だったら素直に俺が代理人だって言えばいいじゃないか、と加々美は言いかけて口の端で小さく笑う。それを言わないところが高倉の思惑なのだ。つまりは、尚人が『アズラエル』所属じゃないとはわざわざ言いたくない。尚人が今後『アズラエル』所属になる可能性を期待してのことだろう。
既成事実を積み上げてなし崩し的に『アズラエル』の関係者にしてしまおうって感じ?
まあ、こちらもこちらで思惑があるのでお互い様だが。
「尚人君は学業優先だから。大学の後期が始まって、しばらくは仕事なんて入れられないってのが現実だな」
CM放送が開始してから加々美の携帯にも尚人へのオファーがひっきりなしにかかってくる。
モデル事務所に所属しているわけではない尚人のプロフィールは現在どこを探しても見つかりはしないのだが、それでCMの広告主である『リゾルト』に問い合わせの電話が殺到し、対応に困った『リゾルト』から加々美に連絡が入り、「俺が代理人を務めていると伝えてもらって構わない」と回答してから加々美に
つまりは、「口コミ」だけで広がっているにもかかわらず、毎日電話が途切れない。
その事実に加々美も正直驚いている。
今回のCMが、尚人の良さを最大限引き出すものであったことは認める。……その辺はさすが伊崎、と渋々ながらも認めざるを得ない。性格は難ありまくりだが、伊崎の撮る映像はやはり人の心を揺さぶる。……まあ、その伊崎をタラしまくりだった尚人の天然っぷりには、ロケに同行したスタッフの誰もが驚いていたが。
高倉の言う通り、これだけデビュー作が話題になれば仕事を詰め込んで一気に売り出すのが定石だが。これまた高倉に言った通り尚人は学業優先なので仕事を詰め込むわけにはいかない。
それに、尚人はまだモデルになる気はないのだ。
今回のことはあくまでも「皆で作り上げる体験がしたい」の延長線上にあった決断で。今後モデルとして仕事がしたいと言うことに繋がっているわけではない。なので加々美はこの辺りを丁寧に、ある意味慎重に、進めていく必要があると思っている。
加々美には加々美なりの思惑とヴィジョンがあるのだ。
「ま、と言うことで、次は冬休みかな」
加々美はそう言うとにっこりと微笑む。
それに対し高倉は「胡散臭い笑顔を見せるな」とひっそり眉を顰めたのだった。