急に決まった尚人とのランチデート。
せっかくだから、料理が美味しいのはもちろん、尚人と二人の時間が楽しめて、ちょっぴり甘々なムードになっても人目を気にする必要がない店がいい。
––––さて、どこにしようか。
こんな時の店選びは、楽しさ半分難しさ半分。レストラン情報に
実は雅紀は、世間一般がイメージするようなデートをしたことがない。言い寄って来る女性は
モデルの仕事を始めた頃は、クラブで騒いでそこで知り合った女性をホテルにお持ち帰り、何てことはよくしていたが、そういった女性とは一夜限りのアバンチュールがお約束。当時の雅紀にとっては見たくない現実から目を背けるための手段にすぎず、排泄行為を単なる排泄行為と思わせない程度の配慮はしても、それ以上でもそれ以下でもなかった。さらには、尚人への劣情を自覚してからは、気持ちいいという感覚すら鈍くなって、女性とのそういう行為そのものが面倒になった。
そんなものだから、世間でカリスマ・モデルなんて持ち上げられて、おしゃれなレストランに精通していると思われているかもしれないが、そんなことはない。それが現実だ。それに加え、加々美との食事は別として、そもそも雅紀はプライベートで外食をすることがほとんどない。なにしろ雅紀にとって一番うまいのは尚人の手料理で、家で飯を食えるならそれに越したことはない。
そんな考えだから、必然、レストラン情報には疎くなる。
とはいえ、その手の情報が全く耳に入らないと言うこともなくて。現場スタッフとかモデル仲間との雑談で「あそこの店は美味しい」「あそこは雰囲気がいい」「あの店は個室があってゆっくり楽しめる」などの話題が上がることも多い。大概聞き流しているが、それでも記憶に留めていたいくつかの候補が雅紀の頭に浮かんだ。
もちろん記憶に留める基準は尚人と一緒に行けそうかどうかだ。
「ナオ、なんか食いたいものある?」
「俺、まーちゃんと一緒ならどこでもいいよ」
尚人から想定内の返事が返る。尚人の基本は気遣いで、あまり自分の思いや我儘を口にしない。それが可愛いところであり、ほんのちょっぴり不満なところでもある。
「でも、まーちゃん大丈夫なの。俺と二人で外でご飯とか。騒ぎになったりしない?」
「そんなことになりそうにない店にするから大丈夫」
「あ、そうだよね。まーちゃんがファミレスとかってありえないし」
事実なのだが、尚人にはっきりそう口にされるとなんかだもやもやする。
俺だって、ファミレス利用したことあるし。的な?
「そういえば、今時のファミレスって注文がタブレット式って知ってる? 俺さ、去年伊崎さんの写真展見に行った時に、みんなで昼飯食べようって入ったファミレスで注文がタブレット式だったのにびっくりして。みんながあまりにも普通にしてるからこれが今時当たり前なんだって思ってびっくりしたのを飲み込んだんだけど。あれ、すごいよね。だって、店員さん待たせちゃ悪いって慌てて注文する必要ないし、店員さんからすれば聞き間違いのオーダーミスすることもないんだし」
なぜか急に尚人が饒舌になった。
一年前に飲み込んだ驚きがぶり返したのだろうか。
ファミレスのテーブルを囲んで友人らと楽しげに料理を注文する尚人の姿が浮かんで、ちょっぴり妬けた。そんなありふれた体験を自分がさせてやることができない、という意味においても。
「せっかくだからフレンチにしようかな」
「ジャケット着ていく必要ある?」
尚人がドレスコードを気にする。加々美にあちこち連れ回された成果だろう。
「いや、カジュアルフレンチっぽいはずだから、格好はそんなに気にする必要はないはず」
「そう?」
「だからってカジュアルすぎるのもあれだから」
雅紀は呟いてクローゼットを開ける。もちろん尚人のコーディネートをするためだ。きれいに折り畳まれたシャツの中から雅紀はフロント部分がストライプ柄になっているオーバーサイズのブルー系のシャツを取り出し、それに濃紺の細身のネクタイを合わせる。上に羽織るアウターはダボっとしたニットカーディガン。パンツをセンタープレスのきちっと入った細身のスラックスにすると、ラフさとスマートさがちょうどいい。
「ついでだから髪もセットしよう」
雅紀はそう言って尚人を洗面台へ連れていく。尚人の髪はさらさらでその手触りが最高だと思っているのであまりワックスでベタベタにはしたくない。こんな時に活躍するのがヘアバーム。艶感と適度なキープ感、両方こなしてくれる優れものだ。ほんの少し毛先を遊ばせて雰囲気を作る。
「まーちゃん、すごいね。ヘアメイクさんみたい。こんなちょっとで、いつもの俺じゃないみたいだよ」
日頃ワックスをつけ慣れない尚人が感心しきりに呟く。反応が可愛すぎて口元が緩む。雅紀も着替えて出かける準備が整うと二人で車に乗り込んだ。
目的地に着くまでの一時間弱のドライブが楽しい。助手席に尚人を乗せて、とりとめもない会話を楽しむ。着いた先は海を望むこじんまりとしたレストランだ。
「あ、ここ来たことある」
到着した途端、尚人が爆弾発言した。反射的にモヤッとした感情が雅紀に湧く。例えるならデート中突然「ここ元彼と来たことある」と言われたそんな感じだ。
「加々美さんに連れて来てもらった時は、やっぱりおしゃれなお店知ってるなあって感心してたんだけど。——ひょっとして、モデルさん御用達のお店とか?」
真顔で問いかける尚人には悪気など欠片もないのだろうが。
「ナオ。二人でいる時に他の男の話なんてされたくないんだけど」
つい声が尖る。すると尚人が一瞬驚いた顔をして、しなしなとしょぼくれた。
「——加々美さんでもダメなの?」
むしろ加々美だからダメなのだ。なぜなら勝てる相手じゃないから。………とは口に出して言いたくないが。
もちろん、尚人が加々美相手に雅紀が気にするような特別な感情など1ミリだって抱いていないことは承知の上だ。それでも、
「二人っきりの時は、俺のことだけ考えてて欲しい」
それが本心だ。
「——加々美さんと来た時は緊張しちゃってあんまり料理を楽しめなかったから。まーちゃんと一緒だったらよかったのになって思ってて。だから、今日一緒に来れて嬉しいって、思って。………それも言っちゃダメ?」
ほんのわずかの上目遣い。尚人以外にされたらあざとすぎて冷めるところだが。しおしおとしおれた後の尚人が、おずおずと伺う様がかわいらしすぎて。下降した気分が一気に上昇する。抱き寄せて額にキスしたいが、さすがに駐車場に止めた車中ではまずい。そのくらいの理性はまだある。
「俺もいつかナオと一緒に行きたいなって思ってたから。来れてよかった」
雅紀が微笑みかけると尚人がぱっと表情を明るくした。分かり易すぎて、かわいいしかない。
家を出る前に電話で予約を入れていたので店内に入るとすぐに個室席に通された。暑くも寒くもないちょうどよい気候で、テラスに繋がる窓が開放してあった。テラスの向こうには海が見える。開放感抜群だ。シェフおすすめという『季節のお任せコース』を頼む。フラワーボックスを思わせる季節野菜のテリーヌ、キノコのポタージュと続き、メインは牛ロースのソテーだ。質より量の大食漢なら食べた気がしないと言いそうだが、少食の尚人にはそこそこのボリューム。デザートまで入るかと密かに心配したが、よほど口にあったのかぺろりと平らげた。
「ごちそうさま。すっごくおいしかったね」
食後のコーヒーを飲み終えて店を後にする。雅紀にとっては家で食う飯が一番だが、こうして尚人が楽しそうにしていると二人で外で食べるのも悪くないと思う。それに、さすがに家庭で作るには難易度の高すぎる料理を楽しむのも外で食べるメリットだ。
再び車に乗り込んで今度は都内に向かう。行きつけのセレクトショップが今日の目的地だ。近くのパーキングに車を止めて店内に入ると見知った店員が笑顔で出迎えた。
「あ、『MASAKI』さん。いらっしゃい」
店員の秋元はスタイリストとしても活動するファッションのプロ。テレビ出演者の衣装提案などに携わることが多いらしく、流行に詳しいだけにとどまらず衣装が見る人に与える影響などについてもよく研究している。モデルならば仕事で着る服はその服の良さを最大限引き出すのが役目だが、モデルだからと言ってプライベートまで肩肘張ってばかりもいられない。かといって普段着がダサすぎるというのも仕事上差し障る。それで、着心地とおしゃれ感と印象の良さのバランスの良いところを探そうとすると秋元みたいな店員のアドバイスは非常に役に立つ。ということで、この店は雅紀がかなり気に入っている店のひとつだ。
「お連れ様と一緒なんて珍しいですね」
「弟だよ」
雅紀が伝えると一瞬秋元の顔に驚きが浮かんで、
「え、弟さん?」
(めっちゃ、かわいい)
言外の声が聞こえた気がした。
「はじめまして、尚人です」
「秋元です。どうそよろしく」
尚人がペコリと頭を下げて挨拶すると、秋元がにっこりと営業スマイルで応える。しかしその目が「いい素材見つけた」と言わんばかりにきらりと光ったのを雅紀は見逃さなかった。
「尚人さんは、学生さんですか?」
「あ、はい。大学生です」
「普段学校に行く時も、今みたいなスマートカジュアルが多かったりします?」
「この格好って、スマートカジュアルって言うんですか?」
「うーん、そうだね。スマートカジュアルって、インフォーマルに近いカジュアルスタイルをそう呼んでて。厳密にこれっていう定義があるわけじゃないんですけど。オーバーサイズのカジュアル感のあるシャツに細身のネクタイ。それにセンターラインのしっかり入ったパンツを合わせるとか。甘辛ミックスでかなり上級者のコーディネートなんで。こういう格好がお好きなのかなって」
「あの、今日は兄がコーディネートしてくれて。俺、おしゃれにはあまり詳しくないから。いつもはもっと普通にシャツとパンツです」
「シャツってTシャツ?」
「基本襟付きのシャツです。……Tシャツ着てる学生って多いんですけど。俺はなんとなくTシャツで授業受けるのに抵抗があって」
「へぇ、そうなんだ?」
「……高校までの制服の感覚が抜けないって言うか」
「あー、なるほど。男子高校生の制服って、ブレザーにきっちりネクタイ締めるスタイルが多いですもんねぇ。世の中クールエコスタイルとか言って夏場はネクタイ締めない大人が増えてるのに、高校生には締めさせるみたいな。ね?」
「そうですね。授業を受ける時の身だしなみには結構厳しい高校でした」
「初めは抵抗あるかもですけど、Tシャツでも、上に一枚テーラードジャケット羽織ればスマートカジュアルスタイルになるんですよ。これからの季節だと長袖Tシャツとか薄手のニットトップスにジャケットを合わせるのもいいですね」
秋元はそう言ってラックからジャケットを取り出して目の前に並べる。
「今年はアースカラーが
「あ、それ。ひょっとして神岡健斗さん?」
雅紀が指摘すると、秋元が「さすがですね」と言わんばかりに頷いた。
「そうです。今、人気急上昇中のデザイナーさんです」
「仕事で着た時に、着心地が軽くて、おしゃれで、シワになりにくくて。これから人気出るだろうなって思ってたんですよ」
「まさにそうなんです。家で洗えるってのも人気の要素で。なかなか入荷できないんですけど、今日は新作が入って来たばかりで。これだけアイテムが揃ってるのって珍しいんですよ」
「へぇ」
「『MASAKI』さんも着てみます?」
「ナオが着てるとこみたい」
「了解です」
秋元が心得たようにアイテムをいくつか手にして尚人をフィッティングルームへ案内する。尚人は「え、俺?」という感じの驚いた表情をしていたが、雅紀と秋元のツーカーの雰囲気に押されて素直に従った。
それからはもう雅紀と秋元のいい着せ替え人形だった。あれも、これも、と何でも着せてみる。いろんな雰囲気の尚人を見るだけで楽しかったし、秋元の解説つきなのも雅紀的に面白くて勉強になった。どれもこれも似合うので、あれもこれも買ってやりたかったが、尚人が固辞したので上下ワンセットだけで我慢する。もちろん一番のお目当てだったコートもしっかりゲット。ダッフルコートは持っているので今回は普段使いしやすいモッズコートにした。
せっかく尚人と買い物に来たので雅紀も何点か購入する。試着して尚人に見てもらうたびに「雅紀兄さん似合いすぎ」「かっこよくて目が潰れそう」「なんでも似合いすぎてどれがいいとか選べない」など、これでもかと持ち上げてくるので雅紀の気分もあげあげだった。
会計を済ますと、
「雅紀兄さん、ありがとう」
尚人がはにかんだ笑顔で礼を言う。
抱き寄せてキスをして、耳元で
「脱がす楽しみのためだから」
なんて睦言を囁いて尚人の反応を楽しみたいが、それはぐっと我慢する。
雅紀の携帯電話が『加々美蓮司』と表示して鳴動したのはそんなタイミングだった。