その娘が起きたら、なんかすごいことになっていた。
いや、これでは分からない。
まず目を開けると、男性の姿があった。
裸だ。
驚くには値しない。
なぜなら、自分も裸だからだ。
部屋には、ふたりが脱ぎ散らかした服が転がっていた。
ベッドから少し離れたところにベビーベッドが置いてあり、ふたりの愛の結晶――ルロイがすやすやと眠っている。
部屋は少しむわっとした匂いが立ち込めている。
いわゆる、あれな匂いだ。
分かる人には分かる。経験すれば誰にでも分かる。
愛の匂いだ。
夕べを思い出して。
娘――アイシャ・グレイラットはにへら、と頬を緩ませた。
‐‐‐
服を着て、隣に寝ている男性――アルス・グレイラットの頬をちょいとつつく。
まったく起きる気配がなかった。
「うんうん。夕べはがんばったもんねぇ」
夕べはすごかったのだ。
まず、昨日アスラ王国にいたアイシャはアリエルに呼び出されアルスと再会した。
その場でアリエルに役目を解かれ、シャリーアに。
グレイラット邸でみんなに歓迎された。
ルロイは自分の顔を覚えていないだろうと思っていたら、アイシャの肖像画を見せてママだよ、と教えていたらしい。
おかげで驚くほどすんなりルロイはアイシャを受け入れた。
そしてアルスは改めてアイシャと結婚し、新しく買った家で3人で暮らしていくと言ったのだ。
それから、……それから新居に到着したらすごくなったのだ。
何せ4年も離れ離れだったのだ。
ルロイがお腹の中にいる時も足すと5年ぶりだったのだ。
なにがとまでは言うまい。
ただ、青年は獣になり、娘もまた獣になったのだ。
「全部で……8回も」
へへぇ、とアイシャは頬をさらに緩ませる。これ以上ないくらいに。
ルーデウス・グレイラットがここにいたら「アイシャが……たれぱんだになった」と驚愕するところだが、アイシャにはその知識はなかった。
「ままー!」
と、いつ目を覚ましたのかルロイが声を上げた。
「はいはい、ルロイ君、何かなぁ? ご飯? トイレ?」
ささっと息子の様子を確認する。
兄ルーデウスの子供6人の面倒を見ていたアイシャには手慣れたものである。
「うん、トイレじゃないね、ご飯かな? ちょっと作るかなー」
ひょいっとルロイを持ち上げると台所へ向かう。
新居に到着したのは昨日だが、着いてすぐあれがこうなったのでほとんど見ていない。
だが新居の台所には母リーリャと兄の妻シルフィの手により簡単な料理ならできる程度の食材がすでに準備されていた。
保存食、野菜、加工肉……簡単にパンとスープを用意して自分が食べながらルロイに食べさせる。
「アルス君は昨日頑張りすぎたからお昼まで寝てるかもねー」
ルロイの頬をつつきながらアイシャが言う。
がらんごろん。
玄関に設置された呼び出しベルが鳴った。
「あれ、誰だろ……ルロイ君ちょっと待っててね」
アイシャはルロイに話しかけると玄関に向かった。
扉を開けると。
「お兄ちゃん、シルフィ姉、エリス姉!? どうしたの」
「疲れているところ悪いな」
そういうルーデウスの顔は、何というか、下世話な顔だ。
「へへへ奥さん、昨日もんごいことがっつりしたんやろ?」とでも言いたげである。
あえて兄の顔を無視して、ふたりの兄嫁の手にある荷物を見る。
「これ、結婚祝い」
「結婚祝いよ!」
「本当は昨日渡そうと思ったんだけど、ふたりとも自分の荷物にルロイ君で手一杯そうだったから今日にしたんだよ」
「へぇ、わざわざありがとう。ロキシー姉は?」
と、この場にいないもうひとりの兄嫁の名を上げる。
「今日も仕事。ロキシーもノルンも来たがってたんだけどね」
エリスは重そうな荷物を持ちながら顔色一つ変えていない。
「昨日の今日でいきなりみんなでおしかけても大変だろうから、ボクたちだけにしたんだよ」
「そっか、じゃあみんな入って……ちょ、ちょっと待って!」
バタン、と扉を閉めるとアイシャは寝室にダッシュ。
「アルス君! ごめん! 起きて! お兄ちゃんたち来た! 顔洗って! ……その前に服着て!」
寝室の窓を全開にして空気を入れ替える。
でも効果があるかわからないから今日は寝室には入らないでもらおう。
「ごめーん、お待たせ。中へ入って」
玄関にいた3人にはアルスへの呼びかけは聞こえていた。
だが3人とも、それをアイシャに言わないでおくくらいの気遣いはできたのだった。
‐‐‐
「おはようございます!」
3人が入ると、さもちゃんと起きてましたよ? という顔でアルスが出迎えた。
「おはようアルス。結婚祝いを持ってきたわよ!」
「結婚祝い?」
アルスは聞いてなかったようだ。
プレゼントはサプライズに限る。
それがルーデウス家のルールのようなものであった。
「ボクとリーリャさんとゼニスさんからこれ」
「わぁ、ティーセットだ!」
「うん。うちの食器はルディが作ったのが多いけど、こういう記念になるような食器もいいかな、と思って」
「ありがとう、大事にする!」
アイシャはシルフィの手をつかんでぶんぶんと振った。
「……で、こっちはロキシーから」
「筆記具と、ノート? かな?」
「うん。日記にしてもいいし、家族の記録をつけるのでもいいって」
「へぇー。ロキシー姉らしいね」
この世界、筆記用具は日用品ではあるが、嗜好品でもある。
読み書きのできない市民も多く、「字を書く」という行為は一部の人間のものだ。
「紙がほしくなったら大学からもらえるから言ってって」
「私からはこれよ!」
どどん。
そんな音を立てながらエリスが机の上に箱を置いた。
「これは……包丁?」
「なんでも切れるわ! 私が研いだから!」
ふふん、という形容詞が付きそうな様子のエリス。
他の家事はあまり得手ではないエリスだが、刃物の研ぎだけは別だ。
何せ剣王なのだ。
剣をはじめとする刃物の取り扱いには一家言ある。
「切れなくなったら私に言いなさい! アルスはまだ下手だから」
「うん。ありがとう、エリス姉」
アルスとて剣神流聖級。
そこまで下手なわけではないだろうが、エリスは自分がやりたいのだ。
「お兄ちゃんは、何かくれるの?」
「ああ、俺は」
よっと立ち上がりながらルーデウスは告げる。
「風呂を作りに来た」
‐‐‐
すでに浴室の施工は終わっていた。
浴槽以外。
この世界、石の加工技術は高くない。
あまり加工する必要がないからだ。
土魔法があれば、望む形の石や岩を作り出すことができる。
だからすでにある石や岩を削ることはあまりない。
とはいえ、グレイラット邸にある浴槽のような3メートルに及ぶような巨大な岩を作り出し加工するのは並みの魔術師には出来ることではない。
並みの魔術師には。
だが、ここにいるのはルーデウス・グレイラットなのだ。
「ほいほいっとな」
ルーデウスが手をかざすと、巨大な岩が床の上に現れた。
床にあたる面はきれいな平面となっていて床にぴたりと収まる。
「で、こう」
ルーデウスのかざした手から岩が退くように消えていく。
外側を残して。
もうぱっと見は浴槽の形だ。
「最後に」
ルーデウスの手が縁をなぞると、岩肌のままだった部分がツルツルの平面に磨かれたように変化した。
もうどこに出してもおかしくない浴槽だ。
大理石のような深みのある断面が高級感を演出している。
「どんなもんだ」
「すごーい! さすがお兄ちゃん。こんな変態的にきれいに出来るんだねー」
「お前それ褒めているのか」
「でもホントにすごいよ。ボクだと魔力が足りなくてここまで大きい固まりをこんなに加工までできないもん」
ついでといった感じで浴槽の隣にもうひとつ小さな桶くらいの浴槽を作る。
「こっちはルロイ用な」
「うん。お兄ちゃんありがとう!」
それから浴用いすを作る。
グレイラット邸にあるのと同じ、いやらしい形をしたものだが。
しかしこの場にいるものは皆グレイラット邸以外の浴室をほとんど知らず、この形が当たり前だと思っていた。
「ひとつ注意をすると」
「うん」
「3人で入ってる時にイチャイチャしてルロイを忘れないように。子供はすぐのぼせちゃうからな……ぐふっ」
シルフィがルーデウスの脇腹に肘打ちを入れると同時にエリスの拳が的確にルーデウスの顎を打ち抜く。
グレイラット・コンビネーション。ルーデウスは死ぬ。
「おおぅ……ナイスパンチ」
「お兄ちゃん、家族であんまりな下ネタは……」
「それもそうだな、アイシャ……」
アイシャの両肩に手を置き、なるべくキリっとした表情を作るルーデウス。
「だが、これが俺なんだ」
二発目のグレイラット・コンビネーションは同時両足踏み付けだった。
エリスに踏まれたほうだけルーデウスの足に激痛が走った。
‐‐‐
グレイラット邸ほどではないが家にはリビングがあり、ソファにアイシャとアルス、ルーデウスとエリスが向かい合って座っていた。
お茶を飲んでいる。
シルフィは部屋の片隅でルロイをあやしている。
「そういえばパパ」
「ん」
「この家、『大空洞のバルダ』さんに見てもらったんですけど」
「うちも直してもらったからな。信頼のおける職人さんだ」
「『祭壇は作らなくていいのか?』って言ってましたけど、意味わかりますか?」
「んブッ!?」
かろうじてお茶の噴出をこらえたルーデウス。
「さぁ? わからないわね!」
エリスが即答した。
向かいでアイシャは「あぁ~」とでも言いそうな顔をして、しかし黙っていた。
「そ、そうだなぁ、俺もわからないなぁ」
「そうですか……作る家も多いんですかね?」
ルーデウスに幸いだったのはこの話をシルフィとロキシーが聞いていなかったことだった。
ロキシーなら噴出をこらえたことを見逃さない。
シルフィは「そうだなぁ」の声色から心当たりがありそうだと検討をつける。
しかしこの場にいるのはエリスだった。
エリスは「わからないわね!」と言ったらもうそのことをきっぱり忘れるのだ。
だからルーデウスの返答もどうでもよかった。
‐‐‐
昼になった。
「お兄ちゃんたちお昼食べていく?」
「いや、リーリャさんが用意してくれているから帰るよ」
「そっか」
「まだ色々買わないといけないものあるでしょ? 必要なら一緒に買い物行くから声をかけてね?」
シルフィがそう言って立ち上がる。
「アルス。オルステッド様が10日後に顔出すようにってさ」
「あ、はい。わかりました」
「私が新婚の時くらい休ませろって言ったからよ!」
「ありがとう、赤ママ」
3人は帰っていった。
「……ふぅ」
アルスは大きく息をつくとソファの上で伸びをした。
「アルス君、疲れちゃった? さっきあたし、無理やり起こしちゃったもんね? ご飯食べたらお昼寝する?」
「ううん……大丈夫。それより」
「?」
「いっしょにお風呂、入りたいな」
「……ふたりで?」
「ううん、3人で。ルロイと」
アイシャの頬がにへら、と下がる。
「……お風呂でイチャイチャするなって、お兄ちゃん言ってたよ?」
「違うよ、『イチャイチャしてルロイを忘れるな』って言ったんだよ」
そういうアルスの顔が赤い。
いっしょに入ってくれないかも? という心配な顔だ。
「じゃあ、ルロイを忘れないようにイチャイチャすればいいんだね?」
小首をかしげて言う。
返事は、いらなかった。
無職転生本編でアイシャかわいい! となり
蛇足編アイシャ編でどひゃー! となったのですが、
その後アルス君とイチャイチャ幸せに暮らす姿が見たかったのです。
どこかにそんな二次創作がないか探しましたが、
見つからないので自分で書きました。
2作目はすぐ投稿すると思います。