朝。
日が昇るころ、アイシャは目を覚ました。
身体には心地よい倦怠感。
隣には最愛の亭主、アルス。
熟睡している。
昨日もハッスルしたのだ。
「んふふ、おはよう、アルス君」
ちゅっ。
服を着て、顔を洗う。
顔をふいていると、最愛の息子――ルロイも起きてきた。
「おあよう、じゃいます」
「おはよう、ございます」
抱っこしてあげて顔を洗うのを手伝う。
顔をふいてあげる。
それから朝ごはんの支度を始める。
ルロイは賢い子だ。
母が台所仕事をしている時は、邪魔してはいけないとばかりにおとなしく母の様子を眺めている。
パンにスープ。フルーツ。
朝はこの辺りでは定番のメニューだ。
準備ができるころ、アルスも起きてくる。
「おはよう……アイシャ姉」
「おはよう、アルス君」
ちゅっ。
軽く口づけを交わす。
「ぱぱー、おあよう」
「おはよう、ルロイ」
アルスはルロイの額に口づけをする。
んふふー、とご満悦な様子のルロイ。
そんな顔はアイシャによく似ていた。
「「いただきます」」
「いたーきます」
「あ、今日のパンおいしい」
一口目を口に運んだアルスが声を上げる。
「それねぇ、大通りのパン屋さんの新作だって」
「へぇ。中に豆が入っているのがいいね」
「うん」
‐‐‐
「今日はアルス君お休みだよね?」
「うん。パパの家に行ってルロイの稽古をする」
「そっか。じゃああたしは買い物してからお兄ちゃんの家に行くね」
食事を終えた後、アイシャはアルスと洗い物だ。
幼いころからやたらとアルスはアイシャの手伝いをしたがったので一通りの家事ができる。
ルロイはおもちゃで遊んでいる。
洗い物が終わった。
「じゃ、先に行ってるね」
「うん」
「まま、行ってきます」
「行ってらっしゃい。稽古頑張ってね」
ちゅっ。
ルロイの額に口づけをする。
「アイシャ姉、こっちは?」
「んふふ」
ちゅっ。
催促されて、アルスの唇にも口づけをする。
‐‐‐
近所の商店街。
「おじさーん、今日のおすすめなんかある?」
「お、アイシャちゃん。今日は芋が安いよ!」
「じゃあ一袋ちょうだい。あとネギとそっちの干しフルーツ」
「あいよ!」
アイシャはすっかり商店街の顔なじみだ。
「アイシャちゃーん、こっちのお肉も見てっておくれ!」
「おばさん、何かいいのあるの?」
「昨日とれたての猪があるよ! 大物だったから安くたくさん売らないとすぐ悪くなっちゃうんだよ」
「そっかー。じゃあ1キロちょうだい」
「まいどあり!」
「アイシャちゃん、アイシャちゃん! 魚はどうだい」
「魚かー」
‐‐‐
ルーデウス邸。
「みんな、ただいまー。アイシャちゃんだよー」
「あ、アイシャちゃん、いらっしゃい」
「シルフィ姉おはよう。今日は猪が安かったよ。食べないなら持って帰るけど」
「猪かー。じゃあ晩御飯はシチューにしようかな」
「りょうかーい」
この時間、ルーデウス邸の子供たちは皆学校だ。
ルーシーはもう嫁に行ってミスラ神聖国だが。
「お昼はどうするの?」
「サンドイッチかなぁ」
「ああ、あれ」
それは今は毎月眠り続けるナナホシのためにルーデウスとアイシャで作ったメニューだ。
ナナホシが食べる前に家族が試食をするのだが、評判がよかったものについては家族のレギュラーメニューとなる。
「じゃ、カツがいるね。お肉ある?」
「あるよー」
「じゃあ油の支度するね」
「うん、お願い」
この厨房において、すっかりアイシャとシルフィは阿吽の呼吸だ。
サンドイッチに挟むカツ、玉子、ハム、きゅうり(に似たような何か)、レタス(に似たような何か)を手際よく切っていく。
「ただいまー!」
「おかえり」
「おかえり、エリス姉」
日課のジョギングを終えたエリスが戻ってきた。
「あ、今日はサンドイッチね!」
ひょいぱく。
「あー! エリス姉、つまみ食いしたー!」
「おいしそうだったから仕方ないわ!」
「仕方なくないよー!」
「ほら、エリス。先に水浴びしてきてよ。もうすぐお昼だから」
「わかったわ!」
「あたし、もうアルス君とルロイ君を呼んできた方がいい?」
「うん。あとは盛り付けだけだから、お願い」
「はーい」
‐‐‐
庭。
「アルス君、ルロイ君、ごはんだよー」
「……あれ、もうそんな時間?」
平然と立っているアルス。
ルロイは肩で息をしながら腰が抜けたように座り込んでいる。
「ルロイ君、もう疲れちゃった?」
「……だいじょうぶ」
すっくと立ち上がると、玄関に向かって小走りで駆けていく。
「お昼、何?」
「サンドイッチ」
「やった」
アルスも玄関に向かおうとすると、その袖をアイシャがつ、とつまんだ。
「ん?」
ちゅっ。
「……あ」
「えへへ」
照れたように笑うと、アイシャはアルスと手をつなぎ、ゆっくりと玄関に向かうのだった。
‐‐‐
「いただきます」
食卓に並んだのはシルフィ、エリス、アイシャ、アルス、ルロイ。
それに庭で花壇の手入れをしていたゼニスとリーリャだった。
「おいしいわ!」
「エリス、今日はねぇ、ちょっと香辛料多めにしてみたんだ。辛かったらお茶飲んでね」
「わかったわ!」
「ひいおばあちゃん、これおいしいよ!」
玉子サンドを手に、ルロイがゼニスに話しかける。
ゼニスは相変わらず無表情だが、す、と手を伸ばすとルロイの口元についたパンくずを取る。
「お兄ちゃん、いつ帰ってくるんだっけ?」
カツサンドを手に、アイシャがシルフィに問いかける。
「明日には帰ってくるって言ってたよ。もしかしたら今日かもしれないね」
「ふーん」
「白ママ、午後はルロイの魔術をみてくれるんだよね」
「うん。洗い物したら庭でやるから、食べ終わったらちょっと待っててね」
「はい!」
「アイシャは午後は何か用事?」
エリスがアイシャに尋ねた。
「あたしは今日は傭兵団に顔を出す日。何かあたしにあった?」
「ないわ!」
「そっかー」
‐‐‐
シャリーアは比較的治安のいい街だが、それでも街である以上、治安のよくない場所というのは存在する。
大通りから2本ほど入った細い路地。
いわゆるチンピラがそこかしこにいる。
怪しい露天商が軒を連ねる。
詐欺と暴力と口車と脅しの街。
そんな中、黒いコートとサングラスに身を包んだアイシャは、傲然と胸を張り、肩をそびやかせ我が物顔で歩いていた。
目を合わせるものはいない。
むしろ彼女が通るとチンピラも詐欺師も目を伏せ道を開ける。
仕方あるまい。
この裏通りで彼女の名は絶大なのだ。
魔導王ルーデウス・グレイラットの義妹にして、ルード傭兵団顧問アイシャ・グレイラット。
一声かければシャリーアだけで荒くれものが500人は集まると言われている。
世界中に散らばるルード傭兵団全員を動かせば5000人は下らないとすら言われるのだ。
シャリーア闇の元締め。黒の女帝アイシャ。
「そこの」
「ヒッ! ……な、なんでしょう」
一声かけられたチンピラが背筋をピンと伸ばしぎくしゃくとアイシャのほうを向いた。
「3日前ここの一本向こうの道でカツアゲしてたよね?」
「い、いや……その……」
「してたよね?」
「……はい」
「道に迷った子にそういう対応しちゃいけないよねぇ」
「す、すみません……」
「あんたがとった分、うちから出しといたから。後で傭兵団に払いに来てね。……絶対だよ?」
「は、はいーッ!」
ようやく解放されたチンピラ。
額には脂汗がべっとりとにじんでいる。
しばらく歩くとアイシャはひとつの建物に足を踏み入れた。
看板には「ルード傭兵団・シャリーア支部」と書かれていた。
‐‐‐
建物の1階は大広間になっていた。
駄弁っているもの、商談らしき話をしているもの、武器の手入れをしているもの……。
全員が黒いコートを身にまとっている。
アイシャが扉を開けると、全員が一斉に立ち上がった。
「「顧問! お疲れ様ですッ!」」
全員がきっちり45度のおじぎをする。
一糸乱れぬ動きだ。
「うん。お疲れ様」
アイシャはそのまま3階に上がると「顧問室」と書かれた部屋に入った。
高そうな机と椅子が置いてある。アイシャは椅子に腰かけると、ゆっくりと足を組み、机におかれたベルをひとつ鳴らす。
ちりーん。
「はい、顧問! おはようございますニャ!」
「おはようございますなの」
リニアとプルセナが姿を見せた。
手には書類と金貨袋。
「まず報告からお願い」
プルセナが書類はばさばさと広げ、アイシャの前に並べる。
「はい。A班、B班、C班は顧問の計画通りの売り上げを出してますなの」
「……D班は?」
「はい、D班ニャんですが、新規で4店舗ほど商売を始めたお店があるんニャけど、まだ何の被害も出てニャいからといって、用心棒はいらニャいと言ってるニャ」
「……ひと月もすればうちの必要性がわかると思うの」
「うーん。じゃそこ、3か月だけ10分の1の金額でいいからと言って仕事取ってきて。3か月後にやっぱりいらないならそこで終わり。続けるなら正規の料金ねって」
「はいニャ!」
「はいなの」
「各支部は?」
「おおむね顧問の予想通りの結果だニャ。でもミリス神聖国のミリシオン支部だけノルマの半分ニャ」
「きっとさぼってるの」
「……何か支部長から報告は?」
「ええっと、今月はミリスで増税があって余裕のない店が多く、つけを許可したと言ってるニャ。甘いニャ」
「翌月から返済計画はちゃんともらってるみたいなの」
「……それは許可する、と言っておいて」
「はいニャ」
「わかったの」
「次」
「はいニャ」
どさっ。
書類は片づけられ、金貨袋が置かれる。
「今月の顧問の取り分ニャ」
アイシャが金貨を数える。
20枚ほどはあるだろうか。
「うん。問題ないね」
「もちろんですニャ」
アイシャは無造作に金貨袋を懐に入れる。
カバンに入れればいいのだろうが、様式美だ。
「じゃ、帰るから。緊急の場合は必ず連絡をよこすこと」
「了解だニャ」
「了解なの」
懐の温かくなったアイシャは来た時と同じように大股で路地裏を帰っていく。
道行くチンピラは遠巻きに見ているだけだった。
‐‐‐
夕刻。
黒いコートとサングラス、金貨袋を自宅に置いてきたアイシャはルーデウス邸に再度足を運んだ。
「あ、ままー! むえいしょうまじゅちゅ! できたよー!」
「えー! ルロイ君、すごーい!」
ぎゅー。
笑顔でルロイを抱きしめるアイシャ。
「まだ小さなウォーターボールだけどね」
「いやぁシルフィ姉の教え方がうまいからだよ」
シルフィが無詠唱魔術を子供に教えるのは7人目だ。
自分の子供たち。
そして孫のルロイ。
程度の差はあれ、子供たち全員が無詠唱魔術を使えるようになったことになる。
世界規模でも例のない家族だろう。
少し離れたところではアルスとエリスが向かい合っている。
真剣を構えている。
エリスがす、とかすかに身じろぎした。
瞬間。
「はぁっ!!」
アルスが裂帛の気合と共に剣を振り下ろした。
が、途中で止まる。
エリスの剣が痛烈にアルスの小手を叩いていた。
「ッ!!」
みねうちだが、手首は折れただろう。
剣を取り落とさないだけ大したものだ。
「光の太刀に対する光返し。まだわかってないわね!」
エリスが自慢げに語る。
アルスは説明を聞きながら、折れた手に右手を添える。
魔術の光が傷を癒す。
無詠唱による治療魔術だ。
「光返しは光の太刀が最高速に達する前に手を切り落とす技。これに対するには光の太刀を使うときに最高速へ入るのをもっと早くしないといけないわ」
「はい!」
「それが出来るようになれば光返しは怖くなくなるわ!」
「わかりました!」
「じゃあ、今日はここまでね!」
「はい!」
エリスは水浴びをしに玄関に向かった。
「ルロイくーん、パパとジョギングに行くよー」
「あい!」
「シルフィ姉、シチューの下準備って進んでる?」
「リーリャさんがやってくれているよー」
‐‐‐
夕食。
「ほら、ルロイ君、こぼしてるよ」
「あう」
「シルフィ姉、猪ちょっと多すぎたかな?」
「明日の朝も食べちゃうから問題ないよ。それとも持って帰る?」
「ううん、食べちゃって」
「わかった」
「おかわり!」
「わ、エリス早いね」
「おいしいわ!」
「そう、よかった」
「あの、アルス兄さん」
「何だい、クリス」
「授業でちょっとわからないところがあって……」
「兄さん、私もいいですか?」
「いいよ、リリ。じゃあ食事が終わったらふたりとも見てあげるよ」
「私には聞いてくれないんですね……」
「ロキシーは一日授業してきたんじゃない。家に帰っても教えるなんて大変でしょ?」
寂しそうなロキシーをシルフィがフォローする。
「子供に教えるのは別腹です」
「まぁ、今日はせっかくアルスが教える気になっているんだから譲ってあげたらいいじゃない」
「いいんですけどね……」
ちょっとがっかりした様子でロキシーがシチューをかき回す。
‐‐‐
夜。
アルス邸。
「じゃあルロイ、おやすみ」
ちゅ。
アルスとアイシャがルロイの額にキスをする。
「うー、まだ起きてる……」
「ダメだよ。早く寝ないとパパみたいに大きくなれないよ」
「うん……じゃあ、寝る」
「おやすみ、ルロイ君」
「おやすみ……」
「おやすみ、ルロイ」
ルロイが寝室に向かう。
「……」
「……」
なんとなく見つめあうアイシャとアルス。
ちゅっ。
どちらからともなく顔が近づいた。
「アイシャ姉、今日はどうだった?」
「え? 特に何もなかったよ。……いい日だった」
「そっか」
「お風呂、入ろうか」
「うん」
そしてふたりは風呂場へ向かう。
「そういえばね、女の子のできやすくなる方法ってあるみたい」
「え? どんな」
「なんかね、出す時の体勢らしいんだけど……」
「……」
ふたりの声は浴室の向こうへ消えていった。
アイシャにとっての幸せな1日はもうちょっと続くのであった。