美味しいご飯を   作:クソ眼鏡

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 心地良い陽射しと柔らかい風が、ベンチに腰掛けるあなたの頬をふわりと撫でた。

 がやがやと騒がしい雑踏。晴天に休日ということも相まってか、ここランドソルの広場は普段以上に活気に満ち溢れているような気がした。意識が微睡みの向こう側へと誘われるのを、街の喧騒が辛うじて引き留める。

 そんな攻防を何度と繰り返している内、元気の良い声があなたの頭上から降り注いだ。

 

「おいっす〜☆お待たせしましたー!」

 

 危ない、また寝そうになっていた。そうハッとして辺りを見渡すも声の主が見えない。

 

「もう、こっちですよ。こっち!」

 

 きょろきょろとするあなたの頬がむぎゅっと掴まれて、そのままぐいと上を向かされる。

 満面の笑みを浮かべた少女に視界が占領された。さらりと揺れる明るく透き通った長い髪の毛が垂れ下がって頬を擽る。ふわりと何かいい香りがして、五感に押し寄せる色々な情報にあなたの意識は一気に覚醒した。

 

「ふふっ。おはようございます、の方が良かったですかね? 眠くなるくらい待たせちゃいましたか?」

 

 朗らかに挨拶をしてくる彼女、ペコリーヌ──本名はユースティアナ・フォン・アストライアというが、あなたにとってはこのあだ名の方が馴染み深かった──にあなたもおはようと挨拶を返す。それから自分も今来たところだ、というおざなりの言葉も付け加えた。

 

「嘘が下手ですね、あなたは。フォローしてくれたのは嬉しいですけど」

 

 あからさま過ぎた自覚はあったが、まぁ笑ってくれているから良しとしよう。気を取り直して立ち上がる。

 寝ていた所為か少し覚束ない足取りで、ペコリーヌと並んで歩く。横の彼女はというと、上機嫌に鼻歌なんかを歌っている。

 

「え? そりゃあご機嫌ですよ。だってあなたがご飯を食べに行こうなんて誘ってくれるの、すっごく久しぶりじゃないですか」

 

 言われて、確かにそうだねと頷く。とは言っても別に彼女を避けていた訳でもなんでもなく、単純にここ暫くの間会えていなかったのだ。

 

「いや〜、分かっていたこととは言え、やっぱり公務って忙しいですね。特に最近は色々あったせいで、王宮もてんやわんやでして。私も激務に揉まれる日々でしたよ〜、やばいですね……」

 

 そう、今や彼女は一国を治める王女。

 覇瞳皇帝(カイザーインサイト)を退けたことで取り戻せた彼女の何もかも。その中には勿論、王女としての立場も含まれている訳で。覇瞳皇帝との激戦の後、王女として即位したペコリーヌは戦闘により荒廃した市街地の復興やら治安維持やらと、とにかくやることは尽きなかったようだった。

 こうしてあなたの誘いに応じることができるほどには落ち着いてきたようだが、口癖の「やばいですね」も力なく疲れていることは明白だった。

 

 そんな彼女に今日は日々の疲れを忘れて安らいでもらいたいと、あなたは彼女の手を握った。

 

「わっ。どうしたんですか急に? いきなり手なんか握っちゃって」

 

 しっかりとした足取りであなたはペコリーヌを先導する。今日は僕の奢りだと胸を張って言ってみせた。この日のためにあなたは色々なお店を巡って彼女の好きそうな場所をリサーチしていたので、準備は万端だ。バイトをいくつも掛け持ちしていた甲斐もあって、資金面の方も問題ない。

 

「……えへへ、女の子をエスコートするだなんて、あなたも成長しましたね。カッコいいじゃないですか、もう」

 

 ほんのりと頬を染めて嬉しそうに笑うペコリーヌ。その姿は王女でも何でもなく、美食殿のペコリーヌという今までと何も変わらない一人の女の子だなとあなたは思うのだった。

 

 

 

 そうこうしているうちに目的地へと着いたあなたとペコリーヌ。笑顔で彼女が手を握り返してくるものだから、結局ここまでずっと手を繋いで来た。小さな店舗ではあるが、和モダンな引き戸や土壁が趣を感じさせる。

 戸を開け暖簾を潜り抜けると、店員が「いらっしゃいませ」と応対する。席へと案内される途中、ペコリーヌはきょろきょろと店内を見渡していた。香ばしい匂いに、しゅわしゅわと鳴る揚げ物の小気味の良い音。

 

「天ぷら屋さんですか! わぁ、久しぶりに来ました〜」

 

 ぱぁっと表情を明るくした彼女を見て、あなたの顔まで緩んでしまう。彼女のことだから苦手な食べ物なんてないだろうが、喜んでくれたようで何よりだと、まだ注文もしていないのに安堵と嬉しさが胸中にやってきた。

 対面に座って嬉しそうにメニューを確認するペコリーヌ。流石にお互いの手は離したが、まだ右の手に体温が残っている。多分それは彼女の方も同じだろうけど、今は天ぷらのことしか考えていないだろう。

 そんな彼女を見ると、変わっていないなとか思ったり、それから少しだけ──

 

「あなたは何を頼むか決めましたか?」

 

 ペコリーヌがパッとメニュー表から顔を上げてあなたの方を見る。ばっちりと視線がぶつかって、彼女の方は不思議そうに首を傾げた。

 

「……って、どうしたんですか? そんなにまじまじと私の顔を見て」

 

 なんでもないよとはぐらかしても良かったが、きょとんとした何でもなさそうな顔を見ると、少しだけその平生を崩したくなる。あなたにふとそんな好奇心が宿った。悪戯心、とでも言うべきなのか。

 

「え? 私が嬉しそうにしている顔が好きだから、って?」

 

 あなたの返答の意味を咀嚼しきると、彼女はまた綻んだ表情を見せる。

 

「……今日のあなたはいつにも増して、私をドキドキさせますね。胸がいっぱいになりそうです」

 

 一瞬だけそんな満ち足りたような、気恥しげな顔をしたけれど、すぐにまた「お腹はペコペコですが!」と元気良く言う。

 知ってる、と返すとペコリーヌはにこりとしながら店員を呼んだ。

 

「すみません。このメニューのここからここまで、全部お願いします!」

 

 勢いよく豪快なオーダーを済ませ、驚いた様子の店員が何度か確認しながら厨房へと消えていくと、今度は机の上の物色を始める。

 

「へぇ〜、漬物なんかはおかわり自由なんですね。太っ腹!」

 

 刻み高菜、お新香などが入った瓶が並んでいて、ペコリーヌはそれに目を輝かせていた。

 ご飯もおかわり自由だよと伝えると、その蒼い瞳は一層の輝きを帯びた。

 

「そうなんですか!? それはもうやばいですね!」

 

 さっきとは違う元気の良い口癖が聞けて、あなたも笑いながら頷いた。

 

「ところで、あなたはどうやってここのお店を知ったんですか? ちょっと郊外のお店ですし、私も知らなかったので……少し悔しいなー、みたいな感覚もあったりして」

 

 彼女は王女であなたはただの市民だ。自由に使える時間の量やフットワークの軽さも違うから仕方の無いことだとは思う。

 

「そっかぁ。あーあ、王宮が嫌だなんてことはないですけど、自由気ままに食べ歩きや旅ができた頃がちょっと恋しかったりします」

 

 「あなたと居られた時間もあの時の方が多かったですし」、なんて屈託のない笑顔でペコリーヌは言う。

 言われて、その時のことを思い出した。美味しいものを求めて、雲を貫く山脈を登頂したこと。巨大な海の主を、地元の漁師と協力して仕留めたこと。おせちを買いに遠くの街まで二人で出掛けて、結局いつもの魔物料理になってしまったこと。どれも大切な思い出だ。

 

「でも、私がいなくなってからもちゃんと美味しいご飯を探していたことは、美食殿のギルドマスターとして嬉しく思いますよ!」

 

 机から身を乗り出して偉い偉いとあなたの頭を撫でるペコリーヌ。しかしにこにことしていた表情が、一瞬だけ翳りを落とした。

 

 ──私がいなくなっても。

 

 今のその言葉は、何もかもを奪われ失った過去を持つ彼女にとってその意味以上の重さを持つものなのだろう。自分がいなくなっても、当たり前のように回り続ける世界。日常から独り弾き出されたような孤独。

 

 自分を取り戻してからも、きっとその悲痛は消えることなく彼女を蝕んでいるのだろう。もしかしたら、いつかまた……なんて不安も。それがあなたには、今のあなたには分かった。

 だから、自分の頭に置かれていた彼女の手をぎゅっと握る。

 

「……っ」

 

 あなたは美食殿が好きだ。ペコリーヌが女王として即位し、彼女が中々顔を見せることがなくなっても、コッコロやキャルがいて楽しい毎日を過ごしている。

 でも、彼女のことを忘れることなんて絶対にない。一人分だけ少ない食器の数、決して一人分だけなどとは言えないくらいに減ってしまった料理の量。食卓に響く声。そのどれもが彼女のことを思い出させる。もっと些細な日常の中でも、ふとペコリーヌの姿を見てしまう。それ程までに、彼女はあなたの中で大きな存在になっているのだ。

 

 そんなことを、拙い言葉を繋ぎ合わせながらあなたは彼女に伝えた。

 今まですぐに道に迷っていた癖にこんな中央街から離れた場所にまで足を伸ばしたのも、彼女の笑顔が見たかったからなのだから。

 

「……えへへ、そんなこと言われたらちょっと泣きそうになっちゃうじゃないですか」

 

 もう片方の手で目をごしごしと擦るペコリーヌの声は、少しだけ震えていた。

 

「それにそんな告白みたいなこと、お昼時の天ぷら屋さんで言うことじゃないですよ。全くもう、ムードがありません」

 

 冗談混じりにそんな批難をされて、あなたは頭を掻いた。

 

「……知ってます。別にあなたはそういうつもりじゃないってことくらい。でもありがとう。すっごく嬉しいです」

 

 すんと鼻をすすって、彼女はいつものようにニッコリと笑う。それがいつも通りの笑みで、あなたは安心するのだった。

 

「久々にあなたと会って、少し見ないうちに逞しくなっちゃって、あなたも変わっちゃったのかな〜なんて複雑な感じでしたけど。やっぱりあなたはあなたのままですね」

 

 その言葉がどういう意味なのか。少なくとも彼女にとっては、喜ばしいことだったらしい。

 あなたはあなたのままだ。今も、今までも。

 

「お、料理が来ましたよ! 美味しそう〜!」

 

 話し込んでいた所為か、料理が来るまでが長く感ぜられた。

 あなたはおまかせ定食を注文していたが、ペコリーヌの前には次々と色々な天ぷらが運ばれてくる。野菜やキノコ、魚介に肉まで多種多様だ。

 

「いただきます!」

 

 二人合わせて言って食べ始める。サクサクの衣は軽い食感で、具材の味を損なわずにその風味にマッチしている。端的に言うと、すごく美味しい。

 

「ん〜っ! 美味い!」

 

 ペコリーヌの方もご満悦なようで、あなたが一つ食べるうちに二つ三つと食べ進めていく所を見るに、言葉に嘘はない様子だった。山のように積まれていた黄金色の天ぷら達が次々と彼女の口へ運ばれて姿を消していく。彼女の方こそ相変わらずらしい。

 

「ところであなたは天つゆとお塩ってどっちがいいとかあります?」

 

 聞かれて数秒、少し考える。特に意識してどちらかを優先して付けていたということもなかったので、どっちも好きだと答える。

 

「実はものによって天つゆが良かったりお塩が良かったりってあるんですよ。かき揚げとか味の濃いものは天つゆで、エビなんかはお塩が美味しいんです」

 

 そうなんだと初耳の知識を取り敢えず実践する。確かに素材の味が引き立つような、そんな感じがしてあなたは美味しいとサムズアップした。

 

「でしょ! ふふん、伊達に美食殿のギルドマスターをやっていませんからね〜」

 

 どやぁと得意気な顔をして胸を張るペコリーヌ。そんな彼女に、あなたもあなたなりの叡智と経験を得たのだと箸を取った。

 

「え? 僕は変わった?」

 

 先程の小瓶の列からイカの塩辛の瓶を取り、ご飯の上に乗せる。そこに天つゆを少し垂らして、熱いお茶を注いだ。イカの塩辛茶漬けの完成だ。

 そのお椀をペコリーヌに差し出して、食べてみてと薦める。一口食べ咀嚼しきると、目を輝かせて一気に平らげた。

 

「美味しい……! すっごく美味しいですよこれ! イカの塩気とまろやかな天つゆのハーモニー、そしてそれをちょうど良くまとめるほうじ茶がご飯に合ってます!」

 

 今度はあなたがドヤ顔を決める番だった。なんと言ってもご飯さえ一回注文してしまえば後は何杯でも無料で食べられるコスパの良さ。あまり食べ過ぎても店に迷惑だが、今回ばかりはかなりのお金を落としているので許容してくれると嬉しいなとあなたは密かに願う。

 

「あなたは天才ですね! 見直し……ううん、惚れ直しちゃいました! すいませーん。ごはんおかわり、大盛りで!」

 

 あなたを口々に褒めそやすペコリーヌ。上機嫌な彼女のおかわりを求める声が、店内に元気良く通っていくのだった。

 

 

 

「ふぅ〜。食べた食べた。大満足です☆」

 

 食べ終わり二人で外を歩く。思った以上に財布が軽くなって少しだけ焦ったのは秘密にしておいてそれは良かったと笑うと、ペコリーヌもふっと頬を緩ませて笑った。

 

「やっぱり、あなたといると楽しいです」

 

 風に彼女の髪が揺れる。番になった鳥が、風を受けて空の向こうへと飛んでいくのが見えた。

 

「あなたは、私の知らなかった景色を教えてくれるから」

 

 遠くへと去っていく彼らを見送る前に、眩い陽光がその姿をあなたの視界からかき消してしまった。あの鳥たちの背中を押した風は、今も吹いている。

 

 そんなに塩辛のお茶漬けが気に入ったなら良かったと伝えると、ペコリーヌは困ったように笑った。

 

「あはは、別にご飯に限った話じゃないですよ? でも……そうですね。自分じゃ思いつかない美味しいご飯の食べ方とか、きっとそんな在り来りなものでも、ね」

 

 数歩先で振り返って、ペコリーヌはじっとあなたを見上げながら言う。

 

「さっきも言ったけど、王宮が嫌な訳じゃないんです。それでも、あなたはプリンセスでもない一人の女の子として私を見てくれる。私の手を取ってくれる。ずっと」

 

 ずっと。

 彼女が言うように、あなたもずっとそう在りたいと思っている。彼女の手を取っていきたいと。

 あなたはペコリーヌの手を取った。

 

「……え? また一緒にご飯を食べよう、ですか?」

 

 握る手に力を込めて頷く。

 

「はい。喜んで!」

 

 そう返してくれた彼女の笑顔は、今日一番の輝きで。

 もっとこの顔を見ていたいなと、あなたは次に行く店を考えながら、彼女と共に帰路に就くのであった。

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