下心バキバキトレーナーがトウカイテイオーに改心させられる話 作:散髪どっこいしょ野郎
今までとはちょっと悪い意味で毛色が違うというか、アヤベさんならある程度倒錯的な関係になっても受け入れてくれそうという煩悩の元生まれた私の悪癖が出まくった忌み子みたいな話です
新春、快晴のレース場。
そのウマ娘は早くもトレーナー間で話題になり始めていた。
溢れんばかりの才気を見せつけながらも頑なに指導を拒むウマ娘。
スカウトを試みて困惑した者は多かった。新人からベテランまでどんなトレーナーが声をかけても歯牙にもかけず、ただ一人で愚直に走り続ける。
そんな彼女の姿を見ていると、俺は自分がどうしようもなくスカウトしたがっていることに気がついた。
彼女の名はアドマイヤベガ。
現在俺の担当ウマ娘だ。
▫▫▫▫▫
「ふーっ、ふー……」
落ち着いて息を整えクールダウンに努める。問題なし。大丈夫。まだやれる。
トレーニング場の外れから常に感じる視線にも慣れた。私がとくに気にすることでもない。元々そういう契約なのだから。
「…………」
……煩わしい。動きを止めるとどうしても思考が回ってしまう。
別に、いくら彼がトレーナーだからって私が気にすることでもない。『好きなように使ってくれて構わない』。そういう条件で契約を結んだ。だったらこっちが一々気を揉む必要も無い。
「…………ふう、」
少し、休もう。いくら練習したくてもオーバーワークは禁物。
コースから外れて早くも私は憂鬱になりかけていた。
「喉、乾いてるだろ。ほら」
「…………ええ」
走り通しで飢えきった体を見抜いたように、私のトレーナーである彼が歩み寄ってきたのだから。
言葉は必要最小限に差し出されたドリンクを受け取る。酷使されきった腕に、胸に、脚に、心地よい冷たさが染み込んでいった。
▫▫▫▫▫
あの時は思わず耳を疑った。彼が持ち出した条件は、あまりにも私の都合によかった。
「……本気で言ってるの」
「ああ」
すっかり日も落ちて、こぞって私をスカウトしてくるヒトたちもいなくなってきた時間……になっても、一人のトレーナーさんは私のことを諦めようとはしなかった。
たとえ誰がトレーナーになったとしても私は指導を受ける気は無い。そんな資格なんて、私には無い。
あの子の為にもこれは一人でやり遂げなければいけない。だから当然彼も断る気でいた。それなのに。
「……もう一度言うけど、あなたの指導を受ける気は無いわ。大人しく他の子を当たった方がいいと思うけど」
何度も色んなヒトに声をかけられたことで思わず剣呑な目付きになってしまう。そんな視線も彼は意に介さないように、
「それでいい。
そんなことを、言ってのけた。
▫▫▫▫▫
「足見せてくれ」
「別に……平気。自分の体調ぐらい分かって──」
「見せろ」
「……………………っ」
何故か逆らう気になれなくて、言われるがままにジャージの裾を捲ってしまう。
私の足を診る彼の真剣な表情。それがどうしても直視できなかった。
普段こちらがすることには何も言ってこないくせに、こういう時に限って態度が強くなる。それは私を心配してのことだと簡単に分かった。だからこそ居心地が悪くて仕方なかった。
契約したあの日からそう。
汗を拭くようにして受け取ったタオルに顔を埋めた。足に異常は無かった。
▫▫▫▫▫
アドマイヤベガの担当になるにあたって、彼女の人となりとなるものを調べようと思った。
何が彼女を突き動かしているのか、たとえ介入できないとしてもトレーナーである以上知っておかないといけない。
それにしても……彼女はなんて呼べばいいんだろう。周りの子と同じようにアヤベさん?それとも……アドベ?
とにかく彼女について知っておかなければいけないことは山ほどあった。不幸中の幸いか、彼女が俺の指導を拒んでいることで調べる時間は十分確保可能。とりあえず理解を深めるところから始めよう。
「んーそうですね……アヤベさんはいっつもカレンのことを気にかけてくれて……おね……”優しい先輩”って感じです♪」
「アヤベさん──彼女は、きっとボクと同じ存在だよ。ボクは確信している……彼女もまたオペラに愛された者であると!」
「あっ、アヤベさんは〜……いつもドジでダメな私なんかにも優しくしてくれて〜……────」
ひとまずアドマイヤベガと近しい間柄の三人、
カレンチャン、テイエムオペラオー、メイショウドトウに彼女の人柄について聞いてみたところそんな返答を頂いた。
その後も色々聞いて分かったことだが、彼女は無愛想ではあるが同時に面倒見もよく彼女を深く知る子には特に慕われているらしい。
しかしアドマイヤベガが孤高を貫く動機、芯となるものは未だに不明瞭な点が多い。
現在ジュニア級。今のところ不調や伸び悩みには至っていないがこのまま一人で走っていればいつか限界がやってくる。
それと見ていて分かったことだが
────彼女は、走ることに取り憑かれている節がある。
勝利や走ることに対する喜びも同年代のウマ娘と比べるとどことなく希薄に見えて、『アドマイヤベガはレースを楽しめていないのでは』と妙な邪推すらしてしまう。
俺はそれが何よりも嫌だった。
だってアドマイヤベガはウマ娘だから。
何ものにも囚われずのびのびと走って欲しい。
そんなことを考えながら今日も彼女の走る姿を眺めていた。
▫▫▫▫▫
「ねえ。いつまでもこんなことしてたって時間の無駄でしょ。私のことは放っておいて」
「いや、俺が勝手にやってるだけだよ。そんな気を遣ってくれなくてもいい」
「……あなたがいると、集中できないの」
「そうか」
普段のトレーニングも放課後の特訓もトレーナーはいつも私を見守っている。その視線がむず痒くてずっと不快だった。
今日も日が暮れても夜になっても、彼はじっと座って私を見ている。いい加減諦めてほしい。
私が集中できないと言うと彼は躊躇うことなくゴネることもせずその場を立ち去った。
「…………」
場を後にするトレーナーさん。その背中がどうしてか後ろ髪を引く。
施されるのは苦手。迷惑をかけられる分ならまだしも、誰かに優しくされたり何かを貰ったりするとどう受け止めればいいのか分からなかった。
このまま彼を突き放してしまえばそれも多少は和らいでくれる。
「……ハァ。私の気がつかないところでなら……見ていても構わないから」
「ん、分かった。ありがとう」
なのにどうして、私は誰かを放っておけないのだろう。
▫▫▫▫▫
「後片付けは俺がやっとくよ」
「いい。私がやったことだから」
トレーニング場の解放時間ギリギリまで居残って走っていても、やっぱり彼は私を見ていた。トレーナーなんてそんな暇な仕事でもないだろうに。
「じゃあ手伝う。それならいいか?」
「……勝手にして」
私を全て許しているようなその目が嫌。
踏み込んでこないで。……お願いだから。
▫▫▫▫▫
カレンチャンたちの言っていたことが少し分かった気がする。確かにアドマイヤベガは優しい。彼女からすればうざったくてしょうがないであろう俺にも態々気を遣ってくれるぐらいには。
しかしそれにしても中々難しい。未だに俺たちは打ち解けられていない。やはり今の接し方に問題があるのか?
だとしても俺はこのやり方しか知らない。どれだけ拒まれたとしても俺は彼女を見ていないと。
▫▫▫▫▫
「ハァッ、ハァッ……」
息を切らしながら掲示板に目を向ける。
────なんとか、クビ差で一着。
「……ッ」
これはまだGIII。こんなところで躓いているようではあの”星”には届かない。あの子の為にも、もっと……。
分かってる。ウマ娘一人でやれることにも限界はある。
いくら無理をしたところで私以外にも同じだけ努力してる子は大勢いる。そこで生じる差は、やっぱりトレーナーとの協力関係。このままじゃ……
「────」
彼は、私を見ていた。何もかも見透かしているかのように。
▫▫▫▫▫
「一緒に出かけないか」
「は?」
本気で何を言ってるか分からなかった。
本当に、本気で何を言っているのか分からなかった。
「……今はレースに集中したいって、知ってるでしょ」
「だからこそだ」
「…………だったら一人で行く」
「ぅ……、……頼むよ」
「………………」
なにがこのヒトをそんなに駆り立てているのか知らないけど今日はやけに食い下がってくる。
でもそんな必死に頼まれても嫌なものは嫌。
そもそも私は……。
…………。
「……今回だけだから」
「……!」
目に見えて嬉しそうにしている彼を見て、またため息をつきそうになった。
▫▫▫▫▫
「…………」
「…………」
幸い、お出かけといってもそこまで大したものじゃなかった。軽く近くを散歩するぐらいだけのことで。
普段話すわけでもないのに会話なんて弾むわけがない。最後に訪れた神社でもまともなコミュニケーションなんてとれなかった。
まったく……私がみんなみたいに明るくないって分かってる筈なのに、一方的に話しかけてくるんだから……なんて応えればいいか分からないのに。
手を合わせてお参りをしている間も隣に立つ彼の存在が意識に入ってきて煩わしかった。
「そろそろ帰るか」
「待って」
……なにをしてるの?私。
たった今あの子に誓ったでしょう。あなたの分まで絶対に輝いてみせる、できる限り多くの勝ち星を捧げる──って。
このまま一人でやっていければ、それが一番いい。でもそんな甘い考えで渡っていける程この世界は甘くないなんて分かってる。でもこれはどうしても譲れない。
だから……言えない。それでも勝たなければいけない。
そうやって何を言い出すこともできないまま──二時間程経過してしまった。
お互い、立ちっぱなし歩きっぱなしでいい加減疲れてきているのは明白だった。
なのに私が境内のベンチに座った後も彼はじっとその場に立ってこちらが何か言うまで律儀に待ち続けている。
この調子じゃ、トレーナーさんはきっといつまでも歩み寄ってくる。もうこの数ヶ月で分からされてしまった。彼はそういう人間なんだって。
正直言って私はトレーナーさんに対してどうしても苦手意識を拭えない。
けれど仮に拒んだところで彼は何度でも踏み込んでくる。私が今ここで何も言わなかったとしても。
だったら初めに言った通り、私は彼を利用する──。
▫▫▫▫▫
夜になった辺りで、アドマイヤベガは俺に走る理由を語ってくれた。
彼女には妹がいたこと、その子は彼女と同時に生まれたその日に亡くなってしまったこと、そんな妹の為彼女が二人分輝こうとしていること……
「……私はどうしても勝たないといけない。もう一人の私の為にも。でもこのままじゃ、私はあの”星”に届かない。だから……あなたを利用させて」
「ああ」
向こうからすれば部外者でしかない俺にここまで打ち明けてくれたことには本当に感謝している。そんな事情を他人においそれと話すわけにもいかない。彼女の中で大きな決断をしての告白だったんだろう。
ただ……贖罪か。
否定はしない。それも一つの在り方だ。
……だとしても彼女には、何かに縛られていてほしくなかった。
「ねえ」
「?」
「……私にだけ話させるつもり」
不意にジト目でそんなことを言われて、なんだか急に気が抜けてしまった。
「────ふっ」
「……何」
「いや、悪い悪い。そうだな──」
どんな身の上話をしようかと思って浮かんできたのは両親の顔だった。
まず、俺がトレーナーになったのは両親による影響が大きい。
父さんは今でも俺の憧れだ。弱音を吐かず、家族の為仕事に打ち込む強いヒトだった。たまの休日には家族サービスもしてくれて、俺が小さかった頃には動物園やらテーマパークやらに連れて行ってくれた。
マザコンと思われるかもしれないが、母さん程優しいヒトを俺は今まで見てきたことがない。家事や育児をこなし時にはパートで働きながら誰かの為にとボランティア活動や町内の面倒事、近所間のトラブル解決にも率先して取り組む優しく温かいヒトだった。
そんな両親に恥じないように俺はトレーナーという大きな夢を目指した。誰かを導き誰かを支える。両親のような存在になりたくて、俺はこの仕事を選んだ。
「……そう。いい親御さんね」
「ああ」
……一応色々掻い摘んで説明したものの……こんな話はしたくなかった。でも俺には……これ以外誰かに語れることなんて無い。
妹を亡くした彼女の前でこんな話をするのは正直気が乗らなかった。が、意外にも彼女はどこか穏やかな目つきで聞いてくれていた。
▫▫▫▫▫
ジュニア級も終わりが見え始めた中、私を取り巻く環境は一変した。
まず一つが、トレーナーさんと本来の意味で手を組むようになったということ。
彼に指示を任せて走る。自分で考えなくて済む分気は楽だったけど最初の頃は不安が抜けなかった。
そしてもう一つが誰かと一緒に走るようになったこと。
今まで私から並走に誘うことはおろか、頼まれても全く付き合おうとはしなかった。
彼から言われた『対人経験をもっと積んでほしい』という言葉。それには色々な意味が込められていたんだと思う。
大きなお世話と言いたくても実際効果はあった。レース本番では多くのウマ娘と競い合うことになる。その対策を積む為にも協力してトレーニングをすることは欠かせなかった。
とても不本意だった。私が拒否している間も彼はしっかり計画を立てていたようで他と比べて遅れながらもメニューのすり合わせはスムーズに進んだ。
その方が遥かに助かると思ってはいてもまだ慣れない。私の為に何かされるのは……異様にこそばゆかった。
▫▫▫▫▫
「身だしなみくらい、ちゃんと整えてきたらどうなの」
「え?」
「……寝ぐせ」
「え?あ、わる──」
「靴紐、服のシワ、ボタンの留め忘れ」
「────ごめん」
あんなに息巻いておきながら彼は抜けている所が多かった。
大きなものは直しているようでも細かい寝ぐせがちらほら見えている。一応表に出る所なんだからそれぐらいはきちんとしてほしい。
ここまで自分のことが雑になっている原因はよく分かる。
──今日も目の下に、大きなクマができていた。
「……そのままでいいから。じっとしてて」
「…………ああ」
彼の服に手をかけて外れているボタンを留める。その間彼は変にかしこまっていた。
……本当に、困ったヒト。
▫▫▫▫▫
あれから分かったことだが彼女の覚悟は重く堅く、そして強かった。
一人でも一等星を目指せると言うだけのことはあった。彼女はあの年齢には不相応にすら思える程独立していて、俺が下手に世話を焼かなくてもダンスレッスンや歌の特訓も一人でこなしていた。
そしてそれ故にその心情を計り知ることは難しかった。
彼女と俺の間には未だに壁が存在する。初めて出逢った時と比べれば圧倒的に近くはなっているが、本当の意味で二人三脚になれているとはまだ言えなかった。
俺はまだ一度もアドマイヤベガを笑顔にできていない。
──こんな時、母さんならどうしただろうか。
母さんはどんなヒトに対しても優しかった。自分を苦しめてきた相手にも笑顔で接し、困っているようであればすぐに手を差し伸べていた。
子供心ながらに不思議だった。どうしてそんなにヒトに優しくできるんだろうと。
俺がボランティア活動参加を強制されるようなことは一度も無かった。あくまで自分のやりたいこととして決着をつけ、家のことを疎かにすることも無かった。
あの在り方に憧れて俺が自主的に家の手伝いをこなすようになると母さんは満面の笑みを浮かべて褒めてくれた。俺が何度失敗して迷惑をかけてもちっとも不機嫌そうにせず、それでも俺がヒトとして間違った時は本気で怒ってくれた。
俺はあのヒトの助けになりたかった。
俺が成長していくにつれて母さんは時折つらそうにしていくようになった。だから俺も母さんが楽になれるように色々なことを手伝った。
──だから、そうだ。
深く考えるな。俺にできることをやればいい。
「これ、よかったら使って」
「?」
そんなことを考えながらトレーナー室に残っていると、いきなりアドマイヤベガが顔を出してきた。
「サイズが合わなかったら返して。……それじゃ」
「あっ、ああ。ありがとうアドマイヤベガ」
俺のお礼を言い終わるより早く彼女は部屋を出ていってしまい、後に残されたのは一組のファースリッパ。
俺が寮でも徹夜していることを知ってくれていたのか……?なんにせよありがたい。
部屋に戻ってから履いてみたらモフモフしていてとても暖かかった。後日改めて礼と感想を言うとアドマイヤベガは「……そう」とだけ応えていた。
▫▫▫▫▫
ようやく彼女の趣味を知ることができた。
彼女はどうも天体観測が好きらしい。晴れた夜には寮を抜け出して、時間いっぱいまで星を眺めているだとか。
ただ……そこに俺が入るのはなんか違う気がした。
一応カレンチャンはまだ同室のよしみということで許されているだろうが、俺が一緒に観るのは……なんか違う気がする。
にしても最近ちょっと疲れたな。こんなんじゃ駄目だってのに。俺は、彼女を笑顔にできるようにならないといけないのに。
▫▫▫▫▫
私は、放っておいてって言ってるのに。
それだけで手一杯だったのに今度はトレーナーさんまでもが来て。
あのヒトが一番厄介かもしれない。どんな子よりも深く立ち入ってきて……その癖して直接関わってくるようなことは無くて、いつの間にか色んなことを知られていて。私を見る彼の目は──どこか辛そうで。
……このままではいけない。
私の知らないところで、少しづつ気を許してしまっている部分がある。
彼はあくまで利用するだけ。そう思おうとしているのに、
「……なあ、今度一緒に星を見てもいいか?」
最悪なタイミングで、最悪なことを言い出した。
▫▫▫▫▫
クラシック級。皐月賞。ライバルであるテイエムオペラオーとナリタトップロードとのレース。
策は練った。準備も念入りに行った。だがしかし壁は厚く、
結果は
父さんは俺が苦難に突き当たった時もそうでない時も黙って見守っていてくれた。だから俺もこれから何があったって彼女を支えよう。そう決意してレース上がりの彼女を出迎えた。
「……ごめんなさい」
ウイニングライブに向かう中彼女がポツリと放った言葉。それはきっと妹に対しての謝罪だったんだろう。
俯くアドマイヤベガを俺は見ていたくなかった。
▫▫▫▫▫
「……聞いてくれる?」
約束の天体観測の日。夜空を見上げる彼女はどこか憂鬱げで、珍しく俺に何かを伝えようとしてきた。
「私は……あの星に届くまで走らないといけない。ずっとそう思ってたから、それは辛くもなんともなかった」
彼女の名に入っている……こと座の『ベガ』は見えない。季節はそこまでまだ遠かった。
「それでも時々────すごく怖くなる。どれだけ走っていてもあの星がどこまでも遠くにあるように感じて」
それだけ言って膝を抱えた。
「……ごめんなさい。それと、ありがとう……今までと……これからも」
帰ろうと立ち上がった時にそう言った彼女は、どこか吹っ切れたように微笑んでいた。
「────どうしたの」
涙が止まらなかった。
▫▫▫▫▫
あれからアドマイヤベガは打って変わったように快進撃を続けた。
あのレースの後に出走した日本ダービーでは見事勝利を掴み取り、晴れてダービーウマ娘となった。
──────本当に、本当によかった。
彼女が報われてよかった。
これはまだ道の途中だ。終わりは更に先にある。そう理解してはいても、彼女が勝てたことがただひたすらに嬉しかった。
▫▫▫▫▫
今まで誰かに本音を言ったことは無かった。言おうとも思わなかったのに。
彼になら、いいのでは──。
根拠も無いのにそんなことを考えて、とうとう言ってしまった。
……本当は、誰かに頼りたかったのかもしれない。一人で歩く夜ほど……心細いものはないから。
何だか無性に癪に障るけれど、私が言うまでもなくトレーナーさんはこちらの気持ちを汲み取っている。隠していた疲労がバレたことも一度や二度ではなかった。
そして彼は、ようやく私に本心を見せた。
私だけが助けられるなんて嫌だった。それもあんな不器用で、見ていられないぐらい愚直なヒトに。
彼は私を四六時中気遣っておきながら私と同じぐらいには無理をしていた。罪滅ぼしの為に走っていた私の為に。それがとても嫌だった。
あれからトレーナーさんは目に見えて動揺することが増えた。その度に不格好な笑顔を作って。
そんな彼が、どうしても放っておけなかった。
▫▫▫▫▫
彼女が少しずつ心を開いてくれたように感じる。会話は相変わらず少ないが態度が気持ち軽くなったというか、時たま俺を心配してくれるようになった。
こんな俺を。
思えばあの日からおかしかった。
彼女が俺に構ってくれる度にどこかが苦しくて仕方なかった。
違うんだ。俺はアドマイヤベガを笑顔にする、それだけの部品の筈なのに、なんで、彼女が微笑みかけてくれたことを『嬉しい』だなんて思っているんだ。
▫▫▫▫▫
「少し休んだらどうなの」
「いや……これぐらいなんてことない」
ずっとトレーナー室にばかり篭っていると彼女に心配されてしまった。あの日から天体観測には行けていない。
「……いい加減にして。そんな風にならなきゃいけないほど、私は弱くないわ」
「……………………ああ………………」
やっぱりアドマイヤベガは優しい。制止を振り払って仕事を続けようとした俺を、無理やりにでも止めてくれた。
そうだ。嬉しかったんだ。
彼女が俺の話を聞いてくれたことが、俺を心から気遣ってくれたことも。彼女がそんなんだから俺は身の程もわきまえず調子に乗り出して。
────今度は、理解されたいなんて思ってしまったんだから。
「──!?な──ちょ──どう────た──」
彼女の声が次第に途切れ途切れになっていく。吸い込んだ息よりも吐く空気の方が大きくて、それはまるで生きながら窒息しているようだった。
呼吸すらままならない、霞みきった視界を頼りにそこにいた誰かに縋りつく。
多分過ちを数えるなら、トレーナーになったところから──いや、それよりももっと早くから、俺は間違えていたのだろう。
▫▫▫▫▫
母さんは間違いなく善人だった。聖人と言っても差し支えのないぐらいには優しいヒトだった。
心の底から忌み嫌っている相手にも真心をこめて接し、分け隔てなく愛情を注いでいた。いや、愛情を注ごうと努力していた。
普通に考えてだ。自分の大嫌いな相手、どうしても受け付けないヤツが目の前にいたとして、他のヒトと同じように嫌悪感を一切漏らさず対応できるだろうか。俺なら間違いなく無理だ。
母さんにとってその相手は俺だった。
母さんは俺がテストで良成績を出すと嬉しそうに笑っていた。クラスであったことをたどたどしく語る俺を微笑ましげに見ていた。父さんと一緒に手を繋いで、家族三人で並びながら帰ったこともあった。
思い出の中にいる母さんはいつも笑顔だった。夫婦喧嘩を見せられたことなんて一度も無くて、俺は自分の家族が世界一仲がいいだなんて自惚れたこともあった。
父さんは毎日働き詰めでいつも眼下に特大のクマを作っていて、不器用で、口下手で、それでも困った時にはいつでも手を差し伸べてくれる誰よりも尊敬していた父さんだった。
俺はそんな父さんみたいになりたかった。俺の在り方は所詮あのヒトをなぞっただけにすぎない。それはまだよかった。俺はそれすらできなかったんだ。
俺は母さんにいつも苦労をかけさせてしまっていたな。疲れているであろう時に子供だった頃の俺が構ってくれと喚いても、母さんはグッと我慢していた。
幼少期、保育園か幼稚園児ぐらいだったころ、迎えに来た母さんが俺を抱き上げた。その頃は甘え盛りの時期だったんだろう。俺は母さんの顔に頬ずりをした。そして離れた後に俺が見たのは硬直した笑顔とヒクついた表情筋。一秒後にはいつもの母さんに戻り、俺を車に入れてからちょっとまっててねと言ってどこかへ行った。よほど慌ててたんだろう。車には鍵すらかかっておらず、中途半端に閉じられたドアから出るのは幼い子供にも容易いことだった。こっそり追いかけた俺が見たのは、砂場で一心不乱に顔を洗っているあのヒトの姿だった。気の狂ったように砂を浴び、汚れる体と服にも構わず俺と触れた部分に砂を擦り付けていた。
それから俺は一人で風呂に入るようになった。
俺はずっと身の程をわきまえてこなかったんだ。
あの家は、父さんと母さんだけでよかった。
少しずつ自立して母さんを手伝えるようになると、俺は母さんの何かをじっと堪えているような、つらそうな表情を見ることが増えた。そんなあのヒトに少しでも親孝行がしたいと思って家事もいくつか俺が担うようになった。
トレーナーを目指すと決めた時、両親は喜んでくれた。だから俺は毎日コツコツ努力を重ねて、その期待に報いられるように頑張ろうと思っていた。
高校を卒業する頃、どこかやつれてしまった母さんを心配して話しかけたところ、あのヒトはもう耐えきれないとでも言ったような追い詰められた表情で俺に語り出した。
俺を身篭った時からそうだったらしい。母さんは俺のことが気持ち悪く思えてどうしようもなかっただとか。産んでからも何故か愛情は湧かなかったらしい。
俺はあのヒトを尊敬していた。自分が涙を流す程嫌っている相手にフリとはいえ愛情を注いでくれていたんだ。十年以上もの間、ずっと。
愛そうと努力したけど愛せなかった。となると、俺が貰った温かみは全て
なのにあのヒトは泣きながら俺に謝った。ごめんなさいごめんなさいとかつてなく取り乱して。
間違いなく心からの謝罪だった。
その日から名前で呼ばれなくなった。多分、家族として扱うのが嫌だったんだろう。
俺は母さんに笑ってほしかったからなるべく接点を減らすように努めた。それからあのヒトはみるみる活力を取り戻していった。
俺は家を出て一人上京した。母さんには幸せでいてほしかったから。父さんと母さんはお互い好き同士だ。俺がいなくても父さんが寂しがるようなことはないだろう。
母さんは死んだ。自殺ではなく、車に轢かれそうになった子供を助けての事故死だった。俺という不要物を取り除いてこれからやっと幸せになれる筈だったのに。
最愛の人を喪い、父さんは笑わなくなった。俺ではあのヒトの笑顔にはなれなかった。
俺が生まれてこなかったら、母さんは幸せだったんだろうか。
その答えは永久に葬られたままだ。
肯定したかった。でも、俺は産んでもらった。両親に育ててもらった。
だから、
「あ、ああ……!母さん、おかあ、さん……!」
「──────」
結局、俺は本当に救えない人間だった。
両親が駄目だったからと、今度はお前に縋った。アドマイヤベガには笑顔でいてほしいからとそれだけを考えていた。何の贖罪にもなりはしないというのに。
気色悪い、気持ち悪い、最低な動機だ。でも、
だれよりも優しかったあのヒトが俺を気持ち悪いと言ったんだ。だから俺が気持ち悪くない筈なんてない。
「……あなたのせいじゃない、から」
「違う!俺は、俺なんてどうだって……っ!」
何を言ってほしかったんだ。ただ黙って聞いてくれたらそれでよかったのか。だったら人形とでも戯れていればいい。
「おれは、ぁ……!おかあさんに────いきててほしかった!おれをにくんでてもよかった!!おかあさんとおとうさんには、わらって──ッ」
俺なんかどうなってもよかった。
「……おかあさん」
「…………なに?」
「おれ……うまれてこなかったほうがよかった?」
「…………………………そんなこと、ないよ」
「……そうか。ごめんな。
今でも布団に入って目をつぶる度蘇る光景。
葬儀の日。棺の中でお母さんは安らかな表情を浮かべていた。
その顔を見た瞬間俺はみっともなく取り乱してしまった。
俺がいたら、また母さんを苦しめてしまう。
哀れみのこもった視線を一身に受けながら俺は吐いた。その場に居合わせたヒトや父さんには本当に悪いことをしてしまった。
その真意を知るヒトはどこにもいない。何故かそれが酷く恐ろしくて、眠ろうとする度に呻いた。
だけどアドマイヤベガが困ったように不器用な手つきで撫でてくれている間は、そんな思考も薄れてくれた。
▫▫▫▫▫
「…………」
「…………っ」
正直、困る。いきなりそんなことをまくし立てられてもどうしてあげればいいかなんて私が知ったことじゃない。
だけど目の前で眠っている彼はいつになく子供みたいで。頼りげが無い。
「……呆れた、ヒト」
……だからこれぐらいのことで気が紛れるなら、別に嫌がるまでもなかった。
▫▫▫▫▫
「……それじゃあ、行ってくるから」
「ああ」
あの一件以降、俺はアドマイヤベガに心中を吐露することが増えた。またあんなことになるくらいならということで彼女は特に拒みもしなかった。
俺はトレーナーとしても出来損ないだった。自身の担当ウマ娘を頼ってしまうなんて。
……時々彼女に寝かしつけてもらうようになった以外には大きな変化もなく、いつも通りの関係に戻ったような気さえしたぐらいだ。
現在三年間の集大成、大一番の舞台を間近に控えても彼女は落ち着き払っていた。なんだか緊張してる俺の方がバカみたいだ。
「ねえ」
「?」
「あなたがどう思おうと、私のパートナーはあなただけだから……自分は一生不幸でいい、なんて言わないで」
さて、そんなこと言っただろうか。どの道こんな余計なことで彼女に気を割かせてしまうのは忍びない。
「……」
そうは言われても俺にはどうすることもできない。自分を肯定する術を今の俺は持ち合わせていない。
「ごめん。それは少し難しい」
「…………ああもう」
交錯する視線。間近で固定され、その瞳から目を離せない。
「ちゃんと、見ていて。あなたのウマ娘が走るんだから」
勝負服を翻し、彼女はレース場へ踏み出していった。
▫▫▫▫▫
「────────」
ターフを駆け抜ける彼女の姿。どこか鬼気迫るように荒々しく、それでいて繊細な足取り。
どこまで行ってもそれはただのレースだというのに。俺にはそれを綺麗だと思う資格すらないのに。
────星を見た。
何もかもが抜け落ちて、埃で煤けた筈の景色。
それが俺の全てだった筈なのに、俺には何かを楽しむ気持ちなんて要らないと思っていた筈なのに。それでも尚、その一走は強く輝いていた。
アドマイヤベガ。彼女の走りが、俺の中でいつまでも鈍い光を放ち続けていた。
▫▫▫▫▫
「…………やったよ」
歓声を浴びながらあの子に祈りを捧げる。
……終わった。
いや、この三年間はまだ始まりに過ぎない。これからも私はあの星を目指し続けなれければいけない。
……そう思っていても、長かった。
祈っている間に彼の姿が過ぎったのが少しイラついた。こんな時もあのヒトは私の意識に入ってくる。
トレーナーさんに、少しだけ恨んでいるところがある。
────初めて、レースを楽しいと思ってしまった。
走っている最中ほんの一瞬だけ誓いを忘れてしまって、私はただ一人の
「…………はぁ」
そう思っても仕方の無いこと。彼は私を変えてしまったのだから。だからそう、これはきっとあのヒトの所為。
「……見てた?」
私だけが変えられるなんて納得がいかない。それならいっそ、私が彼の────星になれたら────なんて、柄にもないことを考えてしまっていた。
▫▫▫▫▫
彼女の為の祝賀会だというのに、アドマイヤベガはこっそり場を抜け出して外に行こうとしていた。
見かねてついて行こうとするとやはりいつもと変わらない調子で『勝手にして』とだけ言われた。
そうしてやってきた先は空がよく見える開けた原っぱ。時間が時間なこともあって満天の夜空にたくさんの星が広がっていた。
彼女の横顔を盗み見る。
俺は彼女を笑顔にできただろうか。答えはすぐ傍にある。俺がそこに踏み込めるまであとどれくらいかかるだろう。仮に俺が彼女を幸せにできたとして、その後はどうやって生きていくのだろう。
トレーナーでいることを罪滅ぼしのように考えていた。俺がいたから母さんは苦しんでいた。俺は父さんを笑顔にできなかった。だからせめてアドマイヤベガはと。
最近になってようやく気がついたことだが、どうにも俺には彼女が必要らしい。そしてそれはトレーナーがウマ娘に向けるには重すぎる感情だ。あまりにも距離が縮まりすぎていた。
……やっぱり俺は駄目だな。誰か一人にしか心を向けられないらしい。あれからどんなレースを見ても、彼女の魅せた輝きに勝るものは無かった。
「……綺麗」
雲一つない夜空。彼女は夢中で目を瞬かせる。
俺は口を開いた。
内なるデジタル「(こんなん書くために徹夜するなんて)時間の無駄だっつってんだろコノヤロー!」
内なるタマモクロス「詰めるんか?詰めるんやったら道具いるやろ。ドスか。包丁か。出してやろか」
理性「野球やろっか」
本能「テメェらガタガタうるせぇんだよコノヤロー!」